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作者: 藤鈴 焔

少しでも楽しんで頂けたら嬉しいです!

「何やってんだ!」

何も出来ず、ただ恐怖に震えていただけの私の耳に、大きな声が響いた。


私は地元ではそれなりに名のある商家に生まれた。

が、店が立ち行かなくなり、親に売られた。

どこに売られるかなんて、全く知らなかった。


朝、目が覚めて身支度をし、名ばかりの朝餉を取っていたら、母に泣きながら玄関へと呼ばれた。

父は玄関に来なかった。

両親以外に人は、もう、いなかった。

「あぁ、ついにこの家ともお別れか」と思い、幼い頃から大切にしていた簪だけを持ち、家を出た。


人買いは2名いた。

1人は用心棒といった風情だ。

3人でただ黙々と歩を進めた。

こんなに長い時間、また山道を歩いた事はなく、鼻緒が食い込み痛かった。

でも、そんなことを言える人なんていない。

疲れたし、喉も乾いた。少しの休憩は有るものの、朝から歩き通しである。


「あんた、どこに向かっているのか気にならないのか?」

途中、そんなことを人買いに言われた。

人買いでも同情するのか。それとも物言わぬ娘が珍しいのか。

「別に…どこでも同じだと思っています。今までの様には生きていけない。だったらせめて、人の心がある方へ売られれば…と思っています。それ位は願ってもいいかなと。」

淡々と答え、目を逸らした。本当は叫び出したかった。

「なんで私を手放したの、お父様。それしか道がないのなら、なぜ相談してくれなかったの、お母様。あんなに涙を見せてくれるよりも…本当は家を出たくない。家族と離れたくない。本当は怖い。誰か助けて!『心がある方』の所へ行ける確率なんて0に等しい。そんな人が、人を買うわけがない!」

そう…叫びたかった。

人買い自身も用心棒も、もうそれ以上は何も言ってこなかった。



山の中腹に差し掛かったころ、賊に囲まれた。

「女と金目の物を置いていけ」

どこか他人事の様に聞こえた。「本当にこんな台詞を言うのね」と、頭の片隅で思った位だった。

こちらの用心棒も中々強く、5人いた賊が気づいたら2人になっていた。

ただ、人が切られる様など初めて見た。

切られる音。人の叫び声。血の臭い。それと混じる汗と泥の臭い。

恐怖に体がガタガタと震えだした。

これが生死の境なのだと思った。

思わずへたり込みそうになった、その時。


「何やってんだ!」

大きな声が響き渡り、陽の光が一瞬陰ると、私たちを背に庇う様に1人の男が現れた。

あっという間に賊を倒し、用心棒の怪我を見て手当をしている。

私はもう立っていられず、近くの木の幹に寄りかかり、へたり込んでいた。

人買いと何やら話をした後、何かを人買いに手渡し、こっちへ歩いてきた。

「おい、行くぞ」

と短く声を掛けられ、グイっと腕を引かれ立たされる。

そのままズンズンと腕を引き、歩を進めて山道を歩いていく。

人買いも護衛を突いてこない。

訳が分からなかった。

私はこの人に買われたのだろうか?


そこでやっと意識が目の前の男へ行った。

どこか気怠そうな雰囲気を発している。

先程助けてくれた時は精悍さも感じたが…気のせいだっただろうか?

肩まである黒髪をひとつにまとめている。

着物は少し気崩している。

背中はがっしりしていて、背も高い。

「武家の方なのかしら?」

と思った。



私の腕を引き、前を行く男は何かに気づいたようにいきなり立ち止まり、振り返った。

「悪い、引っ張って歩いていた!その…痛かったか?!」

振り返った顔は、意志の強そうな茶の瞳に、ほんのりと無精ひげ。30歳くらいだろうか?

私は15なので、ずいぶんと大人の男の人だな…なんて考えた。

「おい?!痛いのか?」

と、何やら焦った様子である。

何に焦っているのか全く分からなかったが、返事をした。

「大丈夫です。あの…あなたも人買いですか?」

「あ?人買い?…いや。俺はちげぇ。…いや、あんたをもらい受けたから、あんたにしたら人買いとかわんねぇか」

う~んと考え込んでいる。

「よし!とにかく俺ん家に連れて行くところだ。俺ん家が行先だな。そこについてから色々話す。それでいいか?」

と聞かれた。きちんとこちらの反応を見てくれるのだな…と、どんな人に売られるのかと思っていた私としては、なんだか安心した。

『心のある人』に違いはなかった。しかもなんだろう。この人はなんか…心がポカポカする人だなぁ…と思った。大人の男の人なのに、全然怖くないなとも思った。

「はい。足手まといにならに様にしっかり歩きます。ご迷惑はお掛けしません。よろしくお願い致します。」

と頭を下げると、何やら驚いた様子で

「お、おう。よろしく…な。その…あと半刻程で着くからよ」

「はい」

この人についていくなら大丈夫かも…と何故か思えて、頷いた。

気持ちをほんのり新たに、いざ歩き出したところ…すてーん!と盛大に転んだ。恥ずかしかった。

「どうした?!大丈夫か?」

「も、申し訳ありません…鼻緒が…」

「なんだ、切れちまったか?」

そう言ってしゃがみこんでくれた。

この人が何か声を掛けてくれるたび、行動してくれるたび、優しい方だなと思った。

そんなことを考えていたら、大きな声に我に返った。

「なんだ!血だらけじゃねぇか!!早く言え!」

「あ…申し訳ありま…」

「あ~ちげぇ。責めてるんじゃなくてだな…気づかなくて悪かった。手当てするからな」

と言って、ひょいと抱き上げられた。

初めて男の人にそんなことをされて、顔がかぁっと熱くなるのが分かった。

しかしそんな反応を気にした様子もなく、手ごろな岩へ座らされると、持っていた水筒の口を開け「沁みるぞ」と言って傷口を洗ってくれた。

手拭いで足を拭き、更に清潔なもので巻いてくれた。

「これでいいだろ。よし、おぶされ」

とこちらに背を向けて、何やら構えてくれている。

「え」と、おろおろしていると

「悪いな、持ち上げるぞ」と言って背に担ぎ上げられた。

恥ずかしかったが、大きな背中と暖かい体温。

何より、この少しの間でこの人が優しい人なのは本当によく分かった。

ゆらゆらと揺れる背中が心地よくて、そのまま体を預けて眠ってしまった。



気付いたら何やら柔らかな布団で目が覚めた。

「お!目が覚めたか!」

と横から声が聞こえ、そちらを見ると先ほど助けてくれた男がいた。

「あ…おはようございます?」

と言った所で、途中で寝てしまった事を思い出した。

「あ!途中で寝てしまってすみませんでした!!」

頭を下げようとガバっと起き上がったら、肩をやんわりと押し返された。

「起き上がらなくていい。そのままで大丈夫だから。」

あ、まただ…優しい…本当に側にいるとポカポカする、不思議な人…。


そんな事を思っていたら、トタトタと足音が部屋に近づいてきた。

「お嬢さん、目を覚ましたかい?」

お母様位の年齢の女性がやってきた。少し恰幅が良く、手ぬぐいをかぶり前掛けをしている。

「おう!今起きたとこだ!」

「そりゃよかった。安心して休みな!」

そういって柔らかく笑ってくれる。

家の母を思い出し、思わず泣いてしまった。

2人共驚いたようだったが、女性も襖を閉め、男性とは反対側へ座り、背を擦ってくれた。

「大丈夫よ。泣いちまいな。」

そう言われてしまえば、張り詰めていた気持ちが一気に溢れ出した。

嗚咽が出るほど泣いていると、助けてくれた男性も背を擦ってくれた。

2人の手が、本当に温かかった。


気持ちも涙も落ち着いてきた。

「あの、初対面の方々に大変お見苦しいところを…失礼いたしました。」

「何堅苦しい事言ってるんだい!うちの子が連れてきたんだ。ここの家族だと思って甘えておくれ!」

とカラっとした笑顔で言われた。

「…うちの子?」

「あんたの反対側にいる子だよ。その子は家の息子でね。最近商団なんかを狙った賊が出るってんで、町の男どもが交代で見回りに行っていたところだったんだ。」

「そうでしたか…。あの、助けて頂いてありがとうございましました」

「…それで、良ければだが…あんたの事を聞いてもいいかい?」

大体の事は聞いていたのだろう。少し気まずそうに聞かれた。

「私としたことが!名乗りもせず、寝床まで借りてしまった!」と反省して、心から丁寧に挨拶した。

「ご挨拶が遅れまして、失礼いたしました。私は加賀谷美鈴と申します。15歳です。商家の生まれで…その、お恥ずかしい話ですが、家が立ち行かなくなり売られたところでした。行先はどこでも同じだと思っていたので、どこへ向かっていたかはわかりません。『白羽』出身です。」

男は黙って聞いていた。

「そうだったのかい。15歳か…うちの子と3つしか変わんないのに大変だったね。それにしても、白羽か…ここは『葛葉』だから、大分遠くへ来ちまったね」

なるほど、葛葉と言えば確か山が間に3つほどある。そんな事よりも、確かめなければいけないことがあった。

「あの…3つ?あと、私は、その、」

まさか「15歳違いの間違いでは」とも「私を買いましたか?」とも聞けないので、男の方を見て言葉を探していた。

「俺は里村樹。18だ。さっき人買いからあんたを買った。ここを家と思ってくれ。」

18?!という衝撃は凄まじかったが、それよりも大切なことがある。

「樹様…買ったって…そんな、ご迷惑を。私、どうしたら…」

まさかさっき人買いに何かを渡していたが、お金だったとは。

そんなことを初対面の人にして貰う理由が分からない。

かと言って、直ぐにお金は返せない。

おろおろしていると、女性―樹の母親が口を開いた。

「あはは!『様』なんて、そのぐうたらにはもったいないよ!髭面だしね。もっと上に見えただろう」

と大笑いされた。

「さっきも言ったけど、うちの子が連れてきたんだから、あんたはもううちの子も同然だよ!いきなりは難しいだろうけど、家族だと思って甘えなさい。ね?ここはあんたの部屋よ!好きに使って」

そう微笑まれる。

「それではさすがに…あの、私にも何かさせてください!」

「うちは宿屋なんだけどね…商家とはまた違うだろうからねぇ」

「でしたら!炊事でもなんでも、家事でしたら一通りできます。やらせてください!」

と食い気味にお願いした。

なんといっても娘を売るくらい立ち行かなかったのである。家事や身の回りの事は自分で何でもやってきた。

そんな事情を察してくれたのだろう。

母親はニコっと笑い

「そう。じゃぁ、元気になったら手伝ってもらおうかね。」

「もうお手伝いします!」

と言ったら樹に

「だめだ。少なくとも足の怪我が治るまでは、ゆっくりしろ」

と言われてしまった。そうだ。鼻緒で擦り切れていたのだった…と思い出した。


数日間はお言葉に甘えて部屋で過ごさせてもらった。

あの後父である高雄にも挨拶をさせてもらった。3人家族の様だ。

ご飯は樹か、母親-早苗が持ってきてくれた。

退屈しないように早苗か樹が来て、色々な話をしたりしてくれた。


この家は『離れ』だそうだ。『宿屋』とは一本の廊下で繋がっている。

父の高雄が色々取りまとめており、早苗は炊事やお部屋の掃除などをしているそうだ。

樹は手伝ったりフラッとどこかへ行ったりしているらしい。腕っぷしは強いので、見回りなどが多いそうだ。住み込みの者はいないが、従業員が数名で運営しているようだった。


大分傷も癒え、遂にお手伝いを始めた。

炊事、掃除、お客様のお出迎えなど…覚える事もやる事も沢山あったが、毎日が楽しかった。

動けるようになった時、家族でご飯を食べようと誘われた。

しかし、食卓の形が違った…困ってしまった。

我が家は丸かったのである。里村家は四角い。

上座は変わらぬだろうがどこへ座ったらと困っていたら、樹に隣に来いと言われた。

上座に高雄、その右斜めに早苗、高雄の左斜めに樹、その隣に私が座った。

高雄も早苗もニコニコしているし、樹はいつもより無口だ。

でもそんな事は気にならなかった。だってこんな風に食卓を囲むなんて、何時ぶりだろう。

きちんとそろった家族、温かくおいしい食事…心から幸せだと思った。



そんなある日、「芸者はいないのか」と騒いだ客がいた。

高雄も早苗も、さすがにあんなに騒ぐ客は初めての様で、手を焼いていた。

「あの、おば様、芸者さんの様なお着物と三味線はありますか?」

と聞いたら、あると言われた。2人は訝しんでいたが、急いで支度をしその客の前に上った。

数曲引くと客は満足したようで、酔いつぶれて寝てしまった。


座敷を出ると、心配してくれていたのだろう。2人がすぐ側に来てくれた。

「美鈴!あんた、まぁ…すごい特技があったのね」

「美鈴…すまなかったね」

と口々に労ってくれた。

「ここは宿屋なのに…勝手に芸者の真似事をしたりして、すみませんでした」

「美鈴が無事ならいいんだよ、ありがとう」

「さ、今日の仕事はおしまいよ。家でお茶でも飲みましょう」

と言って、離れへと帰った。

初めて役に立てた高揚感に満たされてた。

「私、ここにいても良かったんだ」と、やっと居場所を見つけられたような気分だった。


それから評判となり、三味線を頼まれる機会が少し増え披露していた。

高雄も早苗も見守ってくれていた。

それが嬉しくて、樹と食事以外では会っていない事に、会話が減っている事に気づいていなかった。



そんな風に数か月過ぎたある夜、食事以外ではあまり会わなかった樹が部屋に来た。

「美鈴」

その表情は強張っていて、以前の様な優しい雰囲気は無かった。

最初に会った時に少し感じた気だるげな雰囲気である。

気圧され、思わず口を噤んでいると

「芸者にするために連れてきたんじゃねぇ」

ぴしゃりと言われた。

やっと少し恩を返せたと思ったのに。

それも自分の得意なもので。

だからか、余計に自分ごと否定されたように感じた。

「それだけだ」と言って出て行こうとする樹の袖を、思わずつかんだ。

「ではどうしたらよかったのですか?私がお役に立てる事なんて、これくらいです」

「お前は良くやってんだろ。炊事も。洗濯や掃除も。それでいいじゃねぇか」

「…私の三味線は、ご迷惑でしたか?」

もう目には涙が溜まっていた。

そんなこちらを振り返ることもなく…「ああ」とつぶやいて、今度こそ出て行ってしまった。

目に溜まった涙がつっと頬を伝った。



その日以来、食事で会っても樹との会話は減った。

以前は楽しく話していたのに。

でも、どんな顔で、どんな話をしたらいいかなんて、分からなかった。


三味線を頼まれても、どうしていいか分からず断る事が増えていた。

高雄も早苗も心配してくれたが、無理に弾かせようとしたりはしなかった。

そんな2人とお客様に申し訳なくて、ある夜ふっと外へ散歩に出た。

フラフラ歩いていると、樹を見つけた。

思わず声を掛けようとして…止めた。

隣にはとても綺麗で色っぽい女の人がいた。

途端に自分が惨めで、小さくなったような気がした。

それから夢中で走った。

気付いたら川の側へ来ていた。

何故か涙が溢れていた。

川べりに腰掛け、水の流れる音を聞いていた。

どれくらい経っただろう。

ぶるっと身震いするほど寒く感じ、我に返った。

そうすると色々な思いが押し寄せてきた。


私は―――樹は私を大切にしてくれているのだと思っていた。

樹の特別だと思っていたのだ。

でも、それは何で?

そんなの…人買いから助けてくれたからだ。

でもそれは「特別な思い」があったわけではない。

だってあの時が初対面なのだから。

所詮「お金で買われた存在」なのだ。

そこに一切の感情なんてあるはずがない。

では家にいた時は?

手当をしてくれ、沢山の話を聞かせてくれた。笑わせてくれた。

食事の時の暖かな空気。好物が同じだと笑い合ったりもした。

―――それだけで。どうして「自分は特別だ」などと思えたのだろう?

なんて自分勝手に安心していたのだろう。

こんなに苦しい気持ちは知らない。

胸の真ん中から張り裂けそうだ。

泣いたらいいのか、叫んだらいいのか。

どこかへ行けばいいのか…行くところなんてないのに。

とにかく自分が滑稽で、恥ずかしくて、消えてしまいたい。

そして気づきたくないことに気づいた。

「特別」なのは「私の中の樹」だ―――と。

自分の「特別」は、相手の「特別」でいたいのだ―――と。

そう気づいたら、また涙が溢れてきた。


川を見て泣いていたら大きな声が響いた。

「何やってんだ!」

初めて会ったあの時と同じ声。

でも苛立ちを含んでいるように感じる。

のろのろと顔を上げると

「美鈴!!」

と大きな声を上げながら、頬を温かい大きな手で包まれた。

「ああ…あの安心する手だ…」とぼーとしていたら、目の前がぐにゃりと歪んだ。

「美鈴!」と樹の声が聞こえたが、意識は真っ暗になってしまった。



どうやら寒い中川べりに居た事で、風邪を引いて寝込んだらしい。

起きたら自分の部屋の天井と樹と早苗の顔が見えた。

でも、声は全く出なかった。

二人が何やら言っていたが、また意識は遠のいてしまった。


また目が覚めたら、そこには樹がいた。

窓の外を見ているようだ。

「…樹さん?」と掠れた声しか出なかったが、聞こえたらしい。

樹が振り返った。

「起きたか…この馬鹿野郎!肺炎を起こしかけていたんだぞ!」

「宿屋に迷惑を…ごめんなさい」

「そうじゃないだろ!お前は昔からそうだ。もっと自分を大切にしろ!『家のため』とか…そんなのどうだっていいんだよ!」

「家?宿屋じゃなくて?」と思ったが、口を挟む余裕などない。

「大体、三味線なんて。そんなに芸者が良けりゃ、そーゆー所に行けってんだ。お前がおやじどもの前で弾く必要なんて、これっぽっちもないだろうが!」

「確かに芸者さんには劣るけど…」

「だから!劣るとかじゃねぇ!お前の三味線は上手い!!ってそうじゃねぇ…お前がおやじどもに弾いてやる必要なんてないだろって言ってんだよ!」

私の頭の中は?だらけである。

つまり樹は、私が三味線を「弾くのが」嫌だったのではなく、「おやじ…もとい、お客様の前で弾くのが」嫌だったということか?

そう整理しかけたところで、部屋の襖がスパーン!と開いた。

「全く!もっと穏やかに、しっかり伝えられないもんかね!このバカ息子が!!!!!」

早苗である。早苗も何やらご立腹である。

「おば様、ごめんなさ…」

「美鈴、良いから寝てなさい」

とぴしゃりと言われてしまった。さらに早苗の発言は続く。

「つまり、このバカ息子は、色んなお客様もとい、おやじどもの前で美鈴が三味線を披露するのが、なんなら綺麗に着飾った着物姿を披露するのが嫌だったっていうだよ。だったらそう伝えたんかと聞いたら伝えたって言うし。その割には美鈴が浮かない顔をしてたから問い詰めたんだ。そしたら肝心の部分を伝えてないじゃないか。だから怒ったんだよ。全く。父親に似て、大切なことは恥ずかしがって言わないんだから、どうしようもないよ全く!」

さり気なくおじ様への不満が混じっていたように思うが…置いといて。

「そうなんですか?」

と聞いたら、樹は顔を赤くしてもじもじしている。

「ほら!」と早苗にどつかれていた。

「…ああ。その、言葉がたりなくて、その…悪かった」

とそっぽを向いて言われた。

「あとは2人で話し合いな!」と言ってドスドスと部屋を出て行ってしまった。

去り際に「お互い遠慮して言いたい事言わなかったら承知しないよ」と。

「それから美鈴。悩んでる時は悩んでるって言っていいんだよ。迷惑なんかじゃない。私達は家族なんだから」と言い残して。


2人になってシーンとしていたら、樹がぽつりと聞いてきた。

「美鈴がずっと持ってるその簪…いつから持ってるんだ?」

「それが正確には覚えてないんです。小さな頃、大きな犬に追いかけられて…。そのショックでその日の記憶が曖昧なんです。でもその日、泣いて家に帰ったんですけど、この簪を握っていた事だけは覚えているんです。何かとても大切に思えて。」

「そうか」

「はい…ふふ。それからは何でもこの簪に話してたんです。おかしいでしょう?『今日のお稽古は大変だった』とか『お米が炊けるようになった』とか…側で私を見守ってくれていた存在なんです。だから、家を出てくる時も、これだけは手放せなくて。大切なものなんです。」

「何で持っているか覚えていないのにか?」

「ええ。おかしいかもしれませんが…とても大切なんです。」

「…悪い。嫌な言い方をした。」

「いいえ、全然。…私もごめんなさい。樹さんは、初めて会った時からお優しかった。なのにあの日、強く言われたくらいで…。少し考えれば、きっと私の事を思ってくれているって、わかったのに。」

「いや…俺も言い方酷かったからな…。」

再び沈黙してしまい、どうしようかと考えあぐねていたら、はーと息を吐いて、樹が言った。

「男らしくねぇな…俺は。正直に、嘘偽りなく言う。聞いてくれるか?」

樹の表情は、大切なことを言うと伝えると宣言しているようで、緊張した。

「はい」

ドキドキがすごくて、鼓膜に自分の心臓の音が響く。

「俺は…お前が好きだ。小さい頃から。」

「え?」

期待していた言葉なのに、引っ掛かりが大きすぎた。

「俺は、お前が、好きだ。」

区切って言われた。引っ掛かっているのはそこではないが、期待していた言葉に、思わず「私もです…」と放心ぎみで言ったら、物凄く幸せそうに微笑まれ、抱き寄せられた。

包み込まれた幸せと安心で力を抜いた。そうしたら樹は更に力を込めてくる。

「宿屋は芸者と契約もした。だから、これからは綺麗な着物も三味線も、俺だけにしてくんねぇか」

もう…幸せ過ぎて泣けた。「はい」と答えると、更にきつく抱きしめられた。


しばらくそのまま抱き合っていた。

幸せで、温かくて、もうこのまま溶けていきそうである。


だが、忘れられない一言を聞いてみた。

「あの…樹さん。さっき『小さい頃から』って?」

「やっぱりか…その簪は、俺がお前にあげたものだよ。『将来迎えに来る』って約束でな」

「ええ!」

「昔親父が営業がてら、色んな地を回った事があってな。そん時美鈴に会った。何日か一緒にいたんだぞ?」

「ええ!す、すみません…」

「いいんだ。何故ならお前が追いかけられた大きな犬は、俺がしっぽを振んじまって…それで一緒に追いかけ回されたんだよ。お前も俺も泣きながら逃げた」

「そうでしたか…それは…ショックにもなりますよね」

「ああ。だから仕方ねぇっちゃぁ仕方ねぇ」

ぷっとどちらからともなく吹き出し、2人で笑った。

「ま、つまり、小さい頃から嫁に貰おうと約束してたわけだ。俺は1日も忘れなかったけどな?」

「ごめんなさい…」

ふっと優しく笑ってくれた。

「いい。結果良ければ全て良し…だからな。それに、簪をずっと大事に持っててくれただけで十分だ」

そう言って、もう一度抱き寄せてくれた。



翌日、おじ様とおば様に改めて報告をした。

2人もとても喜んでくれたが「正直やっとか」と言っていた。

最初私を連れて来た時は、上手く再開して結婚するために来たと思っていたそうだ。

相当むず痒い思いをしていたらしい。

「だから『家族と思って』って、最初から言っただろう?」

とおば様に言われ、嬉しくも恥ずかしさで一杯になった。


そう言えば、なぜあの時タイミング良く助けてくれたのかと聞いてみた。

「バカ!迎えに行こうとしてたんだっての!」

と言われ、なるほどおじ様とおば様は尚更勘違いしたことだろうと納得した。

そしてむず痒さも倍増だった事だろうと、申し訳なさが膨らんだ。



その日の夜。

あの泣いた夜、樹と2人で歩いていた綺麗な色っぽい女の人が訪ねてきた。

「あ!」と思いつつも客間にお通しし、3人を呼びに行き、お茶を持って行く。

これだけは勇気を出して言わねばと心に決め、部屋に入った。

ちょうど和やかな空気で話は途切れていたので、お茶を出し、勇気を出して話しかけた。

「あの、失礼します。私、加賀谷美鈴と申します。樹さんとは別れてください!私、樹さんが好きなので、別れられませんから!!!」

ガバっと頭を下げ、『言ってやったぜ』感を出していたら、途中から女性はぽかんとしていた。

高雄と早苗は「よく言った!」「すぐに祝言ね」と言っている。

チラっと横目に見たら、樹だけは真っ赤になっている。

「バカ野郎!そういうことは2人の時に言え!」

と言っている。

すると女性が口を開いた。

「美鈴さん。初めまして。芸者の夕凪と申します。こちらのお宿でたまにお世話になりますよって、よろしゅうお願い致します。」

至極丁寧にご挨拶頂いた。

「…え?」

私はというと、なんとも間抜けな一言である。

思わず樹に

「だってこの前の夜、2人で町を親密そうに歩いてた…」

というと

「『家で三味線弾いてくれませんか』って声を掛けたんだっつの…」

と言われた。一気に恥ずかしくなり、真っ赤になっていると、早苗がサッと隣に来てくれた。

「夕凪さん。うちの宿屋の若女将です。よろしく願いしますね」

と改めて紹介してくれた。

小さな声で、真っ赤なまま「お願いします」という言葉を絞り出すのに必死だった。

「おほほ、失礼」と、早苗が部屋を連れ出してくれた。

「おば様、すみません。私ったら、物凄い勘違いを…」

「美鈴、そろそろ『お母様』と呼んでね。さっき私は『うちの若女将です』って紹介したんだもの。うんと綺麗にして祝言をあげましょうね」

と言ってくれた。そんな話をしていると、高雄も部屋から出てきた。今日はお互いの契約内容の確認だけだったらしい。「もうお帰りになったよ」と言われた。

「早く綺麗な花嫁姿を見たいものだ」

と高雄も言ってくれる。

「おじ様…」

と言ったら

「そろそろ『お父様』と呼んでくれ」

と言われた。

こんなに幸せでいいんだろうかと思いながら、満面の笑みで「はい!」と返事をした。


樹も揃って、何やら恥ずかしそうに

「着物は2人で選ぶからな。もう部屋行くぞ」

と言って、手を引いてくれた。

「お父様、お母様、おやすみなさい」

と挨拶し、樹の部屋へ行く。

「もう今日から一緒だかんな」

と言われ、真っ赤になっていると、何かが髪に差し込まれた。

「これが大きくなった俺からの簪だから」

「ありがとうございます…これも大切にします!」

そう約束して、2人の新しい日々が始まった。

これからも頑張っていきます!

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