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平成最後に思うこと

作者: よしや

 平成元年は西暦1989年。まだ戦後四十四年しかたっていなかった。バブルの真っ最中だった。

 漫画の神様、手塚治虫が二月に亡くなっている。昭和の歌姫、美空ひばりが六月に亡くなった。

 明治の晩年生まれの人が七十七歳くらいで、まだまだ生きていた年でもある。


 それから三十年。


 昭和の六十四年に対して平成は約半分だ。短いように思えるが元号の中では三番目の長さになる。


「平」和に「成」ると言う元号の通りに日本を主体とした戦争は起きなかった。PKOだの自衛隊派遣などはあるけれども、日本自体が映画やドラマで見る様な、或いはニュースで見る外国の映像の様な空爆される事態には至っていない。

 オウム真理教がもしも海外の組織だったらと考えると、憲法の第九条もどうなっていたか……


 一方で自然災害はと言うと―――

 

 地震は阪神、中越、東日本、熊本、北海道他。おそらく昭和よりも多い。様々な研究がなされて被害を減らそうとしてもそれを上回る規模での災害が起こると痛感した。


 特に東日本の津波では、誰でも気軽に映像に残せるようになって自分もその場にいるかのような気分になってしまった。様々な『自粛』が行われたのもそれが一端を担っていたのではないかと思う。


 台風は去年に西日本豪雨、一昨年に熊本北部。昭和に比べれば治水の技術も発達している中で起きたこれらの被害は、一部で人災の声も上がっていた。


 火山は御嶽山が非常に記憶に残っている。前触れもほとんどなく登山者が犠牲になった。

 箱根の大涌谷噴火は観光地でもあるので、関東近辺の人ならば身近に感じた人も多いのではないだろうか。

 雲仙普賢岳、口永良部島。草津白根のロープウェイの中の映像は記憶に新しい。スヌーピーみたいな新しい島が出来たかと思ったら西之島に繋がってしまった事もあった。


 悲しくてやるせない出来事も、何かしらプラスになることを見つけ出して乗り越え方を学べるようになりたい。



 天皇陛下が退位を選んだのは、何と言うか、平成らしいと思った。日本の象徴が死ぬまで働くことを選んでしまっては、国民もそうせざるを得ないような気がする。皇室もいろいろと手探りである様子が見えた時代だった。


 家族像、結婚観、働き方。崩壊ではなく多様性が広がったと考えるべきだろう。

 それに付いていけず社会性を閉ざしてしまう者も増えた。私の中にもその性分は少なからずある。


 私事を書くと歳がばれてしまうので詳細は描かないが、二年前に小説家になろうで執筆を始めた。周囲の影響を受けやすい自分が初めて自らの意思で始めた。趣味で終わるか仕事となるかは分からない。まさか元号をまたぐとは思わなかった…と思ったら退位の御意志を示されたのは書き始める前だった。


 これから先、新しい元号で誕生日を表す子供たちが生まれてくる。

 自分の生まれた元号より前に起こったことは、とても昔に感じるものだ。その内、平成も昭和を振り返るのと同じ感覚になっていくのだろう。


 元号よりも西暦でと言う意見もあるけれど、こうして一つの時代として振り返るのに西暦では『粋』ではない。できれば日本と言う国が存在している限り元号を続けてほしいと思う。

細かいところにはどうか突っ込まないでください。

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