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ブランニージュ  作者: つっちーfrom千葉
第一章 グリパニアの侵攻
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第2節 揺れるアイムール その7 ★★ 空き 表記ゆれあり

 ファリダットの森で拾われてから一年も経つと、ケークは剣の腕前を上げることに没頭し始め、それは過去の不幸な出来事を思い出すためではなく、むしろ完全に忘れ去ろうと、がむしゃらになっているようにも見えたが、彼は時間が経つごとに部隊の中で協調性を増し、それからさらに数ヶ月も経過すると、一般の兵士と見分けがつかないほどまでにたくましくなった。リディッツもすっかり彼を信頼し、次第に他の仲間と分け隔てなく扱うようになり、他の都市の簡単な偵察や、基地からアイムールへの伝令などの任務につかせることもあった。ただ、回避に頼りすぎるケークの未熟な剣術では、騎馬隊を相手にした実際の戦闘には不向きなため、身を持って教えてやらなければならないことも多かったが、彼は苦労しながらも着実にそれを身につけていった。


 さらに時が経ち、二百二十三年夏、グリパニアが国境付近に数万の兵力を集中し始め、情勢が緊迫し始めると、アイムールの兵士たちも自国の防衛機能の強化に追われるようになり、彼らの周りもずいぶん騒がしくなった。毎日が諜報活動や実際的な訓練に追われるようになった。


 ハノンの軍事部やアイムールの上官たちは、味方の兵士たちから、グリパニアの軍備拡張についての善後策を尋ねられても、それは他国へ自国の兵士力を見せ付けるだけの、大国特有のわかりやすい示威行為であり、数年に一度は必ず起こることだと良い方に論じた。安閑としたその様子から、自分たちにグリパニアの矛先が向くとは、露ほども考えておらず、実際に前線の要塞にいる兵士たちから見れば、楽観的過ぎるように見えた。上官の言い分では、ハノンにもグリパニアからの旅行者や研究者は多く住んでいて、もし戦争になどなれば、彼ら同国の一般の市民にまで危険が及ぶわけで、いくらグリパニアの将軍バルガスが常識破りな人間でも、そんな尋常でない行動を取るとは思えないということだった。


 確かに、ハノンに住んでいるグリパニア司教や商人たちが、自国の軍隊の活発な動きを見ても、落ち着いて生活を続けており、慌てて逃げ始めないことを見ても、グリパニアの南部進攻は外交戦術を有利に運ぶための、ただの威嚇の動きであると考えられないこともなかった。


 だが、エルメリーノは今のグリパニアの士官たちを必要以上に警戒していた。彼女が恐れていたのは、彼らの持つ、武力よりも、かの国で近年になって台頭した若い軍将たちの、突出した野心の方であった。ここ十数年貯めに貯めた軍事力を誇示したい、さりとて、真っ先に帝国エメリアに矛先を向けるような冒険をしたくない彼らが、エメリアの植民地でもある南郡に目をつける可能性は大いにあると考えていた。


 彼女は部下たちにエスポーサ基地の北側の広範囲に鉄柵を設けるように命令し、峡谷には罠を巡らし、騎馬隊の侵入を未然に防ごうと考えた。さらに、余計な事故の発生を未然に防止するために、ファリダットの森へはハノン兵士の立ち入りを禁じた。次いで国境付近の街の住民には、エメリア方面へと避難するように伝令を出した。しかし、生まれてから一度も戦争を経験したことがない一般の住民たちには、まだ大国側から戦争前夜の危険を匂わせるような事例は何も起きていないというのに、自分の家を離れて避難しろという乱暴な命令を聞くことは難しかったようで、素直に家を捨てた者はほとんどいなかった。


 アイムールから思うように連絡が取れないハノン首脳が頼りにならないことを見て取ると、エルメリーノは国境付近のグリパニア軍宛てに手紙を送り、いたずらに不安を煽るような行為をせずに、侵略の意志がなければ前線に兵を集めずに素直に自国に撤退して欲しいと何度も嘆願書を送ったが、グリパニアからの返答は一切なかった。


 ある日、エルメリーノは高台から、北方から進行してきたグリパニア軍が前線の基地に膨大な食糧を運び込む姿を目撃した。食糧や武具を満載した車両は数百台にも及んでいた。基地の内部の士官たちも普段着ではなく、全員正式の黒銅鎧を着込んでいた。これはかの国が明らかに臨戦体制に入った証拠であり、平時ならばそんな姿は絶対に見られないはずであった。国境付近に集められたあの大戦力の矛先を向ける標的が我がハノン以外にありうるだろうか? 彼女はグリパニアのそういう動きを見て、かの国の進攻が近づいていることを肌で感じていた。


 彼女が何度もハノン宛てに危機を知らせるために送った伝令は、ハノン内部の複雑な機構のために、その手紙を持った兵士も、事態を打開するためには、そもそも誰に届けたらよいのかがわからず、とりあえず窓口になっていると思われる軍事担当の書記官のところへ持っていくのだが、この書記官の男がどんな事態が起こっても、酒と女で治世の世を満喫しているような、無能を極めたような男だった。とても後世に名を残すような人間ではないので、読者の前に名前を出す必要すらないと思われる。彼は手紙を上から下まできちんと並べて貯めておくことはできるのだが、それを処理する能力も、上層部への伝達方法もわきまえていないため、アイムールから発する有用な情報は、全て彼の手元で止まってしまい、それ以上の部署に流れていくことは決してなかった。当然、アイムール要塞や前線基地へ具体的な対応策の指示が出されることも一切なかった。


 グリパニア進攻が現実味を帯びてきたという手紙を読んでも、彼は自分の顔を青ざめさせるだけだった。 家族や親戚をどうやって避難させるかということには頭を使えたが、兵士への指令や各機関への伝達などは、そもそも無能な彼の手に負えるものではなかったのだ。 口から飛び出してくるのは周りの人間を混乱させる言動ばかりで、前線の兵士を勇気づけられるような行動は、ついに何一つ取ることができなかった。そうして、半年以上もの間、危険を知らせる手紙は、ほとんどが彼の手元で止まってしまっていて、上層部の人間は目を通していない状態だった。ハノンの上官の中でこの緊迫した情勢を認識している人間はフリッツ他、エルメリーノと連絡が取れる僅かな人間だけで、それ以外の高官は戦争前夜まで高い煙草を吸ったり、酒を飲んだりで、まったく普段通りの生活を送り、前線で働く兵士たちの身に危険が迫っていることなど顧みる者はなかった。



 いよいよ事態が差し迫って、二百二十四年の二月、グリパニアが国境を突き破ろうとする、まさにその前夜になって、軍事担当書記官である男が、ついに職を投げ出して、自分の家族だけを連れて、人の出入りの少ない満月の夜を選んで他国に逃走するに至るまで、切迫した事態にハノンの上層部の人間は誰も気がつかなかったのだった。書記官の置き手紙によって、グリパニアの来襲が目前に迫っていることと、それに対抗する手段が、いまだに何一つとられていないことがわかったが、こんな窮地に追い込まれてからでは、どんなに優れた将官にも次善策を考え出すことは出来なかった。


 グリパニアに比べれば遥かに劣るとはいえ、ハノンにも優秀な軍人指揮官や政治家はいたのだが、そもそも平和慣れしすぎて間延びしてしまったその組織系統が、要塞や前線基地といった、戦争を防ぐための有効な手立てを、全く機能させることができなかったということが、テム戦争序盤の、南軍の大苦戦の最大の原因になった。


 それでも、エルメリーノは聡明な女性だった。彼女は普段から上官や司教神官に対してでも遠慮せずにものを言うような性格で、大胆すぎるきらいはあったが、国家の未来に対して先見の明があり、そもそもハノン首脳部を当初から信頼していなかった。自分たちアイムール兵士に近いうちに存亡の危機が迫ることを予感していた。それは長年ハノンの中枢で働いてきたフリッツからの信憑性のある情報に基づくものであったが、彼女も部下を使ってハノンの組織形態や上官の個人情報を調べているうちに、各組織の上官同士の見苦しいいがみ合いを知るようになり、所属する人間の素性すらわからないような、不透明で不気味な仮面組織は多々あれど、火急のときに頼りになりそうな人間は、そこには一人も見当たらないという結論に至っていた。


 彼女は一部隊長の低い身分だったが、いざという時は、ハノンからの援軍を頼みにせず、フリッツや寝食を共にしているアイムールの仲間兵士たち、そして、天然の要害といえるサウスヴィクスとアイムールの複雑堅固な地形を利用してグリパニアの進撃を妨げようと早くから考えていた。

 ここまで読んでくださってありがとうございます。更新は早くありませんが、できれば、これからも読んでやってください。こういう堅い作品ばかりでなく、他にコミカルで笑えるような短編作品もいくつか掲載してありますので、お時間があれば、ぜひ、そちらもご覧下さい。よろしくお願いします。

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