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逆さ都市  作者: 海山 照理
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9 1973D「悪魔憑きとシマウマ」

  9 1973D「悪魔憑きとシマウマ」


「それは悪魔憑きだ」

 テーブル越しに正樹おじさんは言った。

「パパ、悪魔なんて本当にいるの?」

 マリアKは私の横で怪訝な声を上げる。

「勿論、私も直に見たことはないが、悪魔はいつも我々に見えない水面下で狡猾に手ぐすねを引いているものだ」

 正樹おじさんはテーブル横の本棚から本を取り出し、私とマリアKの前に置いた。薄いカーテン超しに透過して射し込む日の光が表紙を照らした。

「DIRP」

 マリアKが表紙に刻印されたタイトルを読み上げた。

 ――DIRP。

 それは人格が入れ替わるマーフが最後に名乗った何者かの名前だった。

「マーフに乗り移った何かは自分のことをDIRPと名乗ってた」

 私は神妙な表情で正樹おじさんに告げる。

「私も君達からマーフ君がその名を口にしたことを聞いて、この本のことを思い出した。この本には、DIRPという存在についての古代の伝承が数多く残されている。DIRPとは悪魔のことだ。今から何千年も前に人類が知ることとなった悪魔だ。それがこの本には書いてある」

「こんな本、図書室で見たことないわ」

 本の表紙を撫でながらマリアKが言った。図書室の本のほとんどを読破しているマリアKが見たことのない本。それは明らかにめずらしい部類の本だろう。

「この本は、お父さんが仕事仲間から譲ってもらったものだ。図書室や天神町商店街の本屋さんには出回っていないだろう。教会の秘蔵書庫にでも行かない限りまずお目にかかることはない」

 正樹おじさんは、この島では有名な編集者だ。本を手広く取り扱う仕事の場で手に入れたのだと私は推測した。

「この本は、子供には刺激が多いから貸すことは出来ないが、悪魔の実在性について記述されているともう一度言っておく。作者は遠い島の誰かということしかわかっていない。旅人の一人がこの島にこの本を置いていき、写本されて市場に出回った時期もあった。だが、島の教会はこの本の内容が不吉で、また、扇動的だとして禁書に指定した」

 そう話す正樹おじさんの声はやけに抑揚のない静かなもので、何故だか不安を覚えさせた。振り子式の古時計のコチコチというだけが響く小さなダイニングルームに、ふと、ストーブに掛けていた焼かんが汽笛の様な音を鳴らした。マリアKは一瞬体を硬直させ、手にしていたマグカップをソーサーの上でカタリと鳴らす。そして、取り繕う様に言った。

「でも、そんな話信じられないよ。DIRPなんて今まで聞いたことがないし、悪魔なんてものも一度も見たことないわ」

「でも、マーフ君は有るはずのない過去の記憶を話し、そして自らをDIRPと名乗った」

 私はその言葉を聞きながら、マーフが過去の記憶を話す姿を思い出した。確かに不気味な光景に思えた。

「正樹おじさん、そんなわけのわからないことなんて本当に起こり得るの? その……マーフに悪魔が憑りつくなんてこと」

 正樹おじさんはストーブの上から焼かんを持ち上げると、ティーポットにお湯を注いだ。湯気が立ち上り、空中に溶け込み消えていった。

「私も半信半疑だ。でも、この本に書かれているDIRPという悪魔の名をマーフ君は口にした」

「DIRPはどこに存在しているの?」

「高高度領域に漂うエーテルの中だ」

「エーテル……」

 学校で習った知識に頼るのなら、それは万物を生成する全ての物質の素のことだ。普段、大気中に満ちているエーテルは、目にすることも触ることも出来ない。誰も目にしたことがないと言えば、そうだが、理論的にエーテルが存在しなければこの世界の物理は成立しないと考えられている。

「エーテルは、実のところそれが何なのかまだよくわかっていない。でも、エーテルがなければ子供達が使う〈ペイント〉の力は存在し得ない。子供達は特別な力でエーテルを空間から集め、物質化させる」

 正樹おじさんは子供達が〈ペイント〉の力を使う時にそうする様に、右手手首で空をひゅっと払った。

「エーテルの中の悪しき霊魂としてDIRPが存在しているとこの本にはある」

「霊魂?」

 マリアKの表情が固まる。手に取っていたマグカップをテーブルの上に置き「どういうこと?」と、恐ろし気に問うた。

「私達人間がこの世界に生まれてくることが出来るのは、大気中にエーテルが満ちているからだというのは学校で習ったかい? とどのつまり、子供達に魂が宿り得るのは、エーテルのさらに奥に霊魂が存在するからだという考えだ」

「初めて聞いた……」

 私はその気味の悪い考えに不安めいた返答を返す。

「実際、子供達はまるで大気中から生まれてくるかの様に、この世界に突如、物質的身体を結晶化させ、さらには魂を宿して生まれてくる。エーテルの中に霊魂が在るというのはあながち間違いでもない。そうであるなら、悪の霊魂がエーテルに混じっていても不思議ではない」

「でも、それ、変な話だよ。だってそうだって言うんなら私達はエーテルの中の霊魂が形を変えて生まれて来たってことになる……。過去に死んだ誰かの亡霊ってこともあり得てしまう」

 私はそう言いながら、怖がるマリアKの腕に手をやった。

「まぁ、別に証明された話ではないさ。子供達の誕生は神秘だ。私達、大人には到底知り得ることじゃない。――でも、確かに、大人達の中には子供達という存在は転生を繰り返していると考える者もいる」

「転生?」

「生まれ変わるってことだよ。例えば、イーリスがいつか寿命を終えると、その霊魂は空を満たすエーテルに還っていく。そして、この世界に新たな子供の身体が結晶化すると、そこに宿り、また新たな人生を生きるということだ。さっきイーリスが言ってた亡霊の生き返りの発想だ」

「子供はそんな不気味な存在じゃないよ」

私は切羽詰まった様に主張した。

「落ち着きなさい。ただの仮説だ。――でも、大人達にとって子供達は神秘であることに間違いはない。それ故に、そういう不気味な考えを信じてしまう人もいるという話だ」

 正樹おじさんが言ったのは、子供と大人の隔たりの謎から生まれる迷信の話だった。この世界では、子供は子供として生まれ、老化することなく、子供として死んでいく。だが、大人はこの世界に生き始めると、歳をとるごとに老化し、六〇年程度で死んでいく。私達子供が一〇〇年以上生きるのに比べ、とても儚い命。それが大人だ。

「これらの転生説では、大人がこの世界にどの様に生まれてくるのか分からないという謎に呼応するものだ。大人達はいつどこで生まれたのか大人自身も知らないんだ。気が付けば、島内の大人の数は増えていく。だが、誰がいつ、どのようにこの島に入って来たのかは全くわからない。私もいつしかこの島に住んでいたというエピソード記憶だけを持って、ある日、唐突にこの共同体の生活の中で生き始めたのかもしれない。前日まで居もしなかった私に関するエピソード記憶が島民の間に設定の様に浸透し、私がそれまでにも居たかの様に日常が進行していく。私はたまにその謎を考えてみるんだが、その答えは分からない」

 正樹おじさんはコーヒーを一口啜って続けた。

「話を戻そう。とにかく子供の転生説というのは脇に置くとして、DIRPなる悪魔はエーテルの中に漂う悪霊だというのがこの本に書いてあることだ」

 正樹おじさんは「DIRP」に右手で触れ、躊躇う様に言った。

「そして、この本では、この世界はDIRPと言う名の悪魔が創造した世界だと言っている。古の時代に死海という地域で生まれた知恵に長けた悪魔が、神の名を偽り世界を創造した。その世界では、人々は永劫回帰の中、まるでそれが一度目の生を受けたかのように何度も転生しながら人生を送っていくのだと」

「DIRPはどうやって世界を創造したと書いてるの?」

「『マクスウェルの魔力』という能力を行使して、自在に編集した情報をエネルギーに変換するのだと在る。そして、E=mc^2に従い世界を物質化するのだと。はっきり言って古代人の言葉の意味は私にはわからない」

「私達をどうやってそこに閉じ込めるの?」

私はいつしか妙に真剣になっていた。

「DIRPという悪霊は“ジンコウエイセイ”という存在形態を採用していて、高高度領域から、“シマウマ”という“情報熱力学的光線”を照射しているとある。シマウマは、周囲の環境に擬態し身を隠す生物のように、あらゆる物体の中に潜む情報として人間の表層意識をすり抜け、しかし深層意識に確実な影響を与えるとも書いてある。人間のエピソード記憶には現実に即さない改変が徐々に生じる性格があることは先程話した通りだが、それはシマウマによる干渉だとこの本は言っているんだ。悪魔についての真実に気が付いた者がいても、DIRPに照準を定められ強力なシマウマを額に照射されて、別のエピソード記憶を与えられる」

「それじゃあ、真実に気が付くことはできないの?」

「シマウマの擬態を見破るには古代の人類に存在したとされる“ヒョウシュツシタショウカタイ”を開発する必要があるのだと。十分に鍛えられたヒョウシュツシタショウカタイは、生物の原始眼として機能し始める。そうすれば、シマウマはピンク色のビームとして視覚化されるらしい。但し、現代人のヒョウシュツショウカタイはショウカタイとして脳内に退化してしまっているのだと。――読み上げておいて何だが、何を言ってるのか自分でも訳がわからなくなってくるな」

 食傷気味な声で正樹おじさんは呟いた。私もいつしか眩暈がしてきていた。聞けば聞くほどに古代人の言葉は理解が及ばない。過剰な情報の氾濫に脳が悲鳴を上げていた。それでも、妙にその話に食い入っている自分が不思議に思えた。溜息を一つ吐こうとした時、いつしか押し黙っていたマリアKが声を上げた。

「もうやめてよ! そんなの迷信だよ!」

 涙混じりの声だった。

 正樹おじさんは「わかったわかった」と笑いながら、マリアKの頭を撫でた。

「勿論、お父さんもこの本の内容をまるごと信じてなどいない。古代の人々の妄想だ。――でも、古代の人がその様な妄想に陥らざるを得なかった理由も確かに存在する」

 そう言って正樹おじさんは一つ咳払いをして改まった様に言った。

「人間には記憶の混乱という不可解な謎が存在する。ある人々は、その混乱はこの世界を支配する悪魔が真実に目を開かぬ様に仕掛けた悪しき干渉だと考え、様々な説を唱えて来た。そして、今回、マーフ君の記憶にも混乱が生じた。そしてDIRPの名を口にした。私もだからと言ってこの本を信じたりはしないが、正直なところそれが何故起こったのかもまたよくはわからない」

「お父さんは悪魔の仕業だなんて思っていないんでしょ? じゃあ、なんでそんな脅かす様なこと言うのよ」

 マリアKが怯えながらも、抗議の声を上げる。

「――それはね、お前達が勝手に給水塔に登ったからだよ。あれだけダメだって言っていたのに、とても悪い子達だ」

 大人としての威厳に満ちた声だった。そうだ。私達は大人達の断りもなく、勝手な行動をし、今回の騒ぎを起こしたのだ。

「……ごめんなさい」

 マリアKは意気消沈する様に言った。

「今回の件で懲りなさい。マーフ君のように生まれたての子であれば、ただでさえどんな不調が起きるかわからない。その上立ち入り禁止の給水塔に連れていくなんて許されたことじゃない。空気の薄い高所はエーテルの密度が濃い。もしかしたらそこに潜む悪霊に狙われたってこともあり得ないことじゃない。お前達も悪魔に付け入られたくないのなら、もう二度と勝手なことをするんじゃない」

 正樹おじさんはそう言い終えると、諭す様に言った。

「もうお父さんを怒らせないでくれよ。お父さんは子供達がとても大切なんだ。お前達を愛している。だからこそ、もう危ないことはしてはいけないよ」


 私は正樹おじさんとマリアKに見送られて、部屋を後にした。自宅に戻る短い道中、DIRPのことを考えていた。いや、それだけじゃない。子供の転生という話は無根拠ではあるが、厭に生々しい話だった。それにマーフが誰かになった様に言葉を紡ぎ、自らをDIRPと名乗ったことの謎は解決されるどころか深まるばかりだった。悪魔憑きとDIRP、古代人と記憶の改変、子供達と転生、シマウマやジンコウエイセイーー情報のインフレーションに頭が追い付かない。私は帰宅後の自室で、何か嫌に不安な気持ちで考え続けざるを得なかった。



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