4 1973D「採石場と新しい子供」
4 1973D「採石場と新しい子供」
私とマリアKは新しい子供が採掘されている裏山の採石場を訪れていた。
給水塔に作った逆さ都市観測所で五日間、放課後に観測を行い、マリアKが飽きを訴え始めた頃だった。観測所の北側の窓から外を眺めると、大人達が採石場に集まっているのに私達は気が付いた。恐らく、子供が生まれそうなのだ。私達は給水塔を出ると、二人で息を切らして採石場まで駆けつけたのだった。
久々に訪れる裏山の北側は、以前見た時よりも広い面積が削られていた。ほぼ垂直に近い角度で切り出された斜面には白の中に所々黒の斑点が混じった花崗岩質の岩肌がむき出しになっていた。岩は段々状に切り出されており、まるで、山の斜面から幾つもの立方体が飛び出している様に見えた。
そして、その一ヵ所、採石場の入り口にほど近い岩肌の麓に十数人の大人達が集まっていた。二人で大人達をかき分けその視線の先を覗くと、岩肌の中に体の脚部を除く前部が露わになった子供がいた。斜面から飛び出した立方体に子供の身体がめり込んでいるかの様にも見える。子供の体は泥と砂埃に塗れている。でもよく見ると、赤白のネルシャツにジーパンを着用しているのが分かる。そして、顔だけは綺麗に拭われており、よく見ることが出来た。
男の子の顔だった。
まだ岩の中に埋まったままの足元では、沖田さん含め数人の大人たちが一心不乱にタガネにハンマーを打ち付けていた。採石場には金属が岩に叩きこまれる音が力強く響く。期待が先走る様な早いリズムが空気に重たい圧を作り、定期的に鼓膜を打つ。
「ねぇ、イーリス。あの子、可愛い顔だよね」
マリアKは男の子の顔から視線を逸らさずに言った。確かに可愛らしい。少しだけ茶っぽい黒のクセ毛。その隙間から閉じられた瞼が覗いている。女の子みたいに長いまつ毛。男の子にしては線の細い体。背たけも私より少し低い様に見える。
「可愛らしいといえばそうだけど、男の子だよ?」
「いいじゃない。クラスのやんちゃな男の子達にはない雰囲気よ?」
マリアKは浮ついた様な声で言った。どうやら生まれる前から男の子のことを痛く気に入ってしまった様に見える。私にも少しその気持ちは理解出来た。男の子かどうかという問題はさて置いて、団地に同世代の子供が加わることはやはりとても素敵なことに思えた。それは私とマリアKだけでなく、大人たちも同じ想いの様だった。特段、この男の子の結晶化座標を見つけ出した沖田さんにとっては格別だろうと思われた。
結晶化座標を見つけ出し、最初にチャイルドマイニングを始めた大人には、発掘される子供の親権が与えられる。親になれるのだ。
沖田先生は一年程前に、本格的な子供のマイニングに取り掛かった。
それまで沖田先生は私達の学校の音楽教師を務めていた。おっとりとした朗らかな性格で、どの生徒からも愛されていた。私も、毎朝、学校の花壇の前で子供達に「おはよう」と声を掛けてくれる先生が大好きだった。でも、四三歳の誕生日を機に、沖田先生は母になることを決断した。沖田先生は皆に惜しまれながら学校を去った。
私とマリアKは、沖田先生と同じ団地に住んでいたので、退職後も定期的に部屋に遊びに行った。沖田先生の部屋の机や棚には、近隣の山々の地図、タガネやハンマーといった採掘器具、コンパスやライトなどのキットが置かれていた。沖田先生は、女性にはかなりの重労働であろう岩中のマイニングを試みていた。私が「そんなにお母さんになりたいの?」と尋ねると、先生は戸惑うことなく「ええ」と答えた。
この島の大人達は子供達を求めている。そして、これ以上ない程に愛している。
皆、程度の差こそあれ、大人達は親になりたがり、仕事の傍らで子供のマイニングに勤しんでいるという現状がある。実際に子供を見つけたり、掘りあてているのは、今のところ二〇人に一人程度だ。それでも、最近では年を追うごとにマイニングの成功率は上昇し、今日ではチャイルドラッシュとも呼ばれ、子供採掘全盛の時代を迎えている。
ことの始まりは四年前、ある男性の画家が東部の山地で写生を行っている時に見つけた大量の子供達の断片だった。腕や足、髪の毛といった完全な結晶化には至らないが、明らかにその地に集中して子供達が結晶化しようとした痕跡が見つかったのだ。東部の村落に住む大人達はマイニングチームを結成し山地の当該座標を採掘した。案の定、大量の子供達のマイニングに成功し、一夜にして親になる大人達が急増した。どうやら、子供が結晶化する座標には局在性が認められるらしく、特に特定の岩質層にはその傾向が顕著だった。大人達は、子供の結晶化が局在する箇所を、子脈(Vein of Child)と呼び始め、マイニングの常識は大きく変わった。東部の山地には各村落から多くの大人達が親になるという夢を賭けて殺到した。しばらくすると、子脈は特定の要件を踏まえて探せば島のあらゆる箇所で発見出来ると判明し、島全体で積極的にマイニングが行われるようになった。それまでは、日々の暮らしの中で、例えば、空から子供が降って来ることや、川から子供が流れてくるのを待つのが普通だったが、能動的に探索すること、特に岩中の採掘がマイニングのスタンダードになった。沖田先生もチャイルドラッシュの機運に乗じて、本格的なマイニングに乗り出した一人だった。
「生まれるぞ」
大人達の一人が声を上げた。
花崗岩に埋まっていた男の子は、足の先を残してその他は全て掘り出されていた。
足元を採掘していた沖田先生が、立ち上がった。それとほぼ同時に男の子の体は岩から剥がれ始めた。花崗岩に空いていた窪みが半壊し始め、手のひら大の石がごろごろと転がり落ち煙の様な砂埃が立つ。男の子の上半身が前のめりに倒れ込みそうになる。沖田先生は両手でそれを受け、ゆっくりと抱きかかえたまま膝をついた。男の子は先生の膝を枕にして地面に寝そべる形で横たえられた。
「ねぇ、目を開けないみたいだけど、大丈夫かな?」
マリアKが不安そうに言った。
私は応えることなく、男の子の閉じられた瞼を見つめた。
すると、ゆっくりとその瞼が開かれた。少し暗めの茶色の瞳だ。
「マーフ!」
沖田先生の声が響く。
「……お母さん?」
男の子は静かに言った。
「そうよ、マーフ。私はあなたのお母さんよ」
沖田先生の声は小さく震えている。
「マーフ。……マーフ」
男の子はゆっくりと呪文を唱える様に、その響きを確かめる様に呟いた。
「そうよ。あなたの名前はマーフよ」
沖田先生は男の子――マーフの胸に顔を埋め、すすり泣きながら「私のマーフ」とこぼした。
聖なる光景だ。
人が親になる瞬間。子が生まれる瞬間。親子が始まる瞬間。
大人達は「よかった」「おめでとう」と口々に歓喜や祝福の言葉を述べながら、沖田先生とマーフを囲んだ。私とマリアKもその輪に加わった。大人達は気持ちの良い笑顔を湛えていた。この世界の大人は子供を深く愛している。例え、自分の子でなくとも。
「クオーツ製のネームプレートかな?」
マリアKがふいにそう言った。二人でマーフの胸元を覗き込んだ。
少し茶色がかった、スケルトンブラック。
「これってクオーツとは違う?」
「いや、多分、クオーツ。でも、普通のじゃない。これは多分……」
マリアKは少し沈黙した後に言った。
「……スモーキークオーツだ」
「スモーキー?」
私は語尾を上げて、マリアKに問う。
「煙水晶。めずらしい水晶の一種だよ。レアなやつ」
マリアKがそう言うが早く、マーフは遂に立ち上がった。そして沖田先生を見つめながら言った。
「――僕のお母さんになってくれてありがとう」
歯切れの良い発音だった。
「性別と年齢はわかるかい?」
大人達の一人が言った。
「僕は男の子です。そして、恐らく……一三歳だと思う」
子供は生まれた時の年齢に応じた認知力を持つ。個人的な生の記憶に相当する思い出などの「エピソード記憶」は有さないが、世間一般的な常識に関する「意味記憶」は保持している。私も生まれた瞬間からこの世界についての一定の常識は持ち合わせていた。大人たちも記憶喪失という疾患に罹った時に、似た様な状態になるらしい。出自などのパーソナルな知識は全て失うが、言語や世界についての常識は忘れない。
「ねぇ、私にもお話させて」
マリアKがマーフと沖田先生を囲う大人達に興奮して問いかける。
「マリアK、マーフ君とお話したい気持ちはよくわかる。でも、沖田先生とマーフ君をごらん。二人の――親子の大切な時間を邪魔しちゃいけない」
沖田先生を見ると、「マーフ」と繰り返し問いかけ、それ以外、ほとんど何も話せない程に涙していた。それを見ていると私も少し涙しそうになった。確かに、今は沖田先生とマーフだけの時間だ。
私は未練がましく居座ろうとするマリアKの腕を引いて、採石場を後にすることにした。「来週にでも、沖田先生の家に会いに行けばいいじゃない」
団地に戻る道中、私は家族が始まる瞬間を頭の中で何度もリピートした。自室に辿り着き、カーテンを閉める頃になると、頭の中で繰り返していた沖田先生とマーフの姿は、母と私の姿にすり替わっていた。今頃、沖田先生とマーフは二人で温かい食卓を囲っているのだろうかと考えたりもした。無償に母が恋しく思えてきてしまった。