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逆さ都市  作者: 海山 照理
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15 1973D「空から降る子供」

  15 1973D「空から降る子供」


 三人は、私が〈ペイント〉した小さなモーターボートで南の海岸から、逆さ都市の真下の沖に向かって航行していた。

 既に斜陽が水面を朱く染めていた。

 小さく揺れる波間には金色の飛沫が現れては消えていった。

 皆、押し黙ったままだった。子供達だけで、しかも自分たちで〈ペイント〉した船で沖にまで出るのは初めてだった。不安と緊張が満ちていた。

 昨日は一晩中眠ることが出来なかった。多分、皆同じだった。処理不能の情報と問いが溢れかえっていた。DIRPが何者で逆さ都市が何なのか、一つも明らかにはなっていなかった。脳内に浮遊する記号の様な言葉達が互いに接続しては切り離され、様々な可能性だけが未確定のまま増え続けていた。その中には、悪魔という言葉を中心に生起する危険な文脈も多くあった。でも、どんな文脈よりも、私にとっては逆さ都市と母という繋がりから連想される文脈こそ重要だった。マーフにとっても、自身の実に起きたことが悪魔憑きなるオカルトとして処理されることは望ましくはない様だった。そのためか、早朝に逆さ都市観測所に集まった時、私が開口一番にDIRPの要求を実行してみたいと述べると、マーフは反対はしなかった。勿論、マリアKは強く反対した。それでも、私はDIRPの要求を遂行したいと押し切った。

 私は想いの丈を精一杯に述べた。

 単純かつ簡潔な想いだ。

 ――母に会えるかもしれない。私は母に会いたい。

 それを聞くとマリアKはそれ以上反対はしなかった。

 マリアKも当然知っていた。私が、昨日今日でその想いを抱いた訳ではないことくらいはだ。

 無論、DIRPの要求に応えることが母に近づくことを即意味する訳ではなかった。でも、この七年間、何の手掛かりも切欠もなく、ただただ想いだけが言いようのない寂しさとなって私の胸につっかえていただけだったのだ。それが、万が一にも、何かの形となった解消され得るのかもしれないのだ。DIRPは明らかに母のことを知っていた。そして、逆さ都市と何らかの関係を持っている。母がいた、或いは、いるかもしれない逆さ都市とだ。

 三人で意思を統一した後は、結局、夕方になって海上に出てしまうまであまり話すことはなかった。


 小さなボートは黙々と波を切り続けていた。

 飛沫が時折はねて頬をかすめた。

 モーターボートの低く乱雑な回転音が不安な気持ちを煽っていた。

 私はでも不安な気持ち中に一抹の期待を抱き、水平線の方をずっと眺めていた。

 マーフが突然、上空を指さす。

「逆さ都市だ」

 指された方、真上を見上げると、雲の底面に陽炎が揺れ、真上から見下ろした都市の景観が仰ぎ見られた。

 マリアKが不安そうに言う。

「やっぱり逆さ都市は普通の蜃気楼じゃない」

「どうして?」

 私が問う。

「だって、蜃気楼は真下から眺めたり出来るものじゃないもの。本で学んだ限りわ。――やっぱりこれは普通の気象現象とは違う」

 私はマリアKの発言に違和感を覚え再度問うた。

「そうだったら、どうして言わなかったの?」

「――とりあえず逆さ都市の真下まで行ってみて、像が消えてしまうのを見れば、二人とも諦めがつくと思ってたんだけど……」

 なるほど。マリアKらしい説得方法と言えばそう思えた。

「こうなっちゃったらもう確かめる以外にないよ」

 マリアKもマーフも何も言わずに小さく頷き、固唾をのんだ。私達は処理できない謎を抱え過ぎた。この訳の分からない情報の渦から逃れるためにはDIRPの要求を果たし、何か解が与えられることに賭ける以外にないのだ。少なくとも、それだけは三人に共通していた。

「エンジンを止めよう」

 マーフが言った。

 私は頷いて〈ペイント〉でモーターエンジンの電源を切った。モーターボートは船の図版を元に〈ペイント〉をしたので、操作を行うためのスイッチ類はしっかり存在していた。だが使い方がわからなかった。結局、〈ペイント〉で描いたものは〈ペイント〉の力を伝ってイメージや意思を直接反映させるのが手っ取り早い。

 モーターエンジンがゆっくりと停止すると、ボートは徐々に推進力を失い、やがて停止した。

 波が緩やかにちゃぷちゃぷと船底にぶつかる音だけが響く。波打ち際と比べて、沖はやけに静かだった。

 私は上空をもう一度見上げた。

 逆さ都市はほぼ完全にその姿を現していた。

 真下から眺める逆さ都市は、不思議な感覚を覚えさせる。まるで、自分が空から都市に落下していく様な錯覚が襲う。

「始めよう」

 マーフが神妙な声で呟く。

 私は「うん」と返すと、自らの身体のイメージを始めた。

 DIRPの要求を実行することで何が起きるのかはわからない。もしかしたら何も起きないかもしれない。或いは、危険なことが起きるかもしれない。それでも、もう考えることより流れに身を任せることだと、私は行為に集中し始めた。

 逆さ都市の真下での自らの身体の〈ペイント〉。

 イメージの度合いを繊細にしていく。

 自分自身の像を心に描くのだ。足の先から、頭の天辺まで。何度も、じっくりと。皮膚の奥に隠れた骨の形を見通すようにモデリングしていく。

 体の触感、曲線、色。肉付きの薄い四肢、ヒップからバストにかけたカーブライン、翡翠色の瞳、髪の毛。

 全てを瞼の裏に集め、もう一人の自分を表象する。

 十分に自分の姿を思い抱くと、右の掌を上空に向けて翳した。

 瞼の裏のイメージが消えないうちに、指先に光の粒子を呼び込むのだ。

 徐々に空から純白の光たちが渦を巻いて集合してくる。

 それが十分な量に至るまで集中を途切れさせない様注意する。

 十分に光が集まと、瞼を開け、そこにイメージを重ねていく。

 光の粒子たちが形を宿し始める――かと思うと、上昇気流に舞い上げられる様に、天高く上空の逆さ都市に向かって吸い込まれ始めた。

 こんなことは初めてだった。

 光は形を得ずに、上空に散っていく。と、突然、体から生気が抜けた。

 軽い眩暈の中、デッキの上にゆっくりとしゃがみ込む。

「全部、飛んでいっちゃった……」

 マリアKが私の身体を支えながら呟く。

 しかし、しゃがみ込むのと一緒に降ろしていた視線をまた上空に向けると、すぐにそれを見つけた。逆さ都市に生えた高層ビルの屋上や、複雑に入り組んだ道――そのもっと手前、このボートと逆さ都市の中間くらいの位置だろうか。そこに光の粒子が、まるで蛍たちが寄り集まりながら飛翔する様に集まっていた。

「見て」

 私は呟く様に言った。

 光は次第に一ヵ所に集まり、一つの大きな光になる。

 そして、それが、空の一点で浮遊したまま人型を模し始めた。

 次第に人らしいフォルムが出来上がる。

 子供の結晶化そのものだった。

 私は、自らを〈ペイント〉することで、子供を結晶化させたのだ。

 光は色と形をしきりに変えながら、相応しい形を探していた。

 頭部らしい箇所が、赤、黄、青とカラフルな色の移り変わりの後に、薄い緑色の髪色に定まっていく。その長さも、極端に長いかと思えば、極端に短くなり、やがてちょうどそれらしい長さを見つけて定まっていく。服装もだ。真っ赤なドレスになったかと思うと、青いジーパン生地、灰色のパーカー、黄色のシャツと移り変わり、最後に黒いワンピースに定まる。形が完全に定まり切った部分から、光が消えていく。

 まるで空間が、光が、子供とはどんな姿だったか思い出すように形を探っていた。そして、その子供が誰なのか思い出そうとしていた。

 答えは予想通りの姿。私が思い描いた像。

 もう一人のイーリス。

 私達は黙ってその様子を見守る。誰も口を開かない。と、言うよりも口を開けず、ただ茫然とその光景を眺めていた。

 とても神秘的だった。

 子供が出来上がる瞬間。

 それが悪魔だろうが、何だろうが、美しいと思えた。

 空の一点で浮遊したまま、完全に私と同じ姿に定まったそれが、瞼をゆっくりと開き瞳を覗かせた。その瞳の色が、赤から青の寒色までのグラデーションに移り変わったかと思うと、最後に翡翠色に居場所を見つけて光が差した。

 もう一人のイーリスは、じっと私を見つめているように見えた。

 そして、徐々に光を失い、ゆっくりと下降を始める。

 しかし、直ぐに頭から崩れる様に、前のめりに身体の上下が反転する。そのまま逆さまに急速に墜落を始める。空に産み落とされた子供。空から降る子供。そんな光景だった。

「落ちちゃう」

 マリアKが咄嗟に声を上げる。

 すると、もう一人のイーリス落下しながら右手で空を払った。

 指先から放たれた光の残像がもう一人のイーリスの身体を包み込む。

 一瞬、光が膨れ上がったかと思うと、それが背中に集まり大きな翼の様なものが広がった。――〈ペイント〉の力を行使したのだと思えた。

 どの鳥のものとも形容しがたい真っ白に発光する巨大な羽が広がる。

 重力の中で失っていたバランスが浮力によって少しずつ取り戻される。

 私達のボートにぶつかる手前、私達の頭上五メートル程度のぎりぎりの高さで、逆さまだった身体はくるりと元の状態に戻され、大きく開かれた翼でゆったりと、最後の落下を始める。

 そして、船の先端の小さなデッキに両足がゆったりと着地された。

 同時に大きな羽はふわりと風を起こして消えていく。

 私はもう一人のイーリスの瞳を見つめた。

 まるで鏡を見ている様だと思った。その一瞬がやたらと引き延ばされた時間に感じられた。

 私は咄嗟に口を開こうとした。

 だが、それより先に、もう一人のイーリスが口を開いた。

「ありがとう」

 私は何も言葉が出なかった。その様子を見て、もうひとりのイーリスは微笑みながら改めて言った。

「私を描画してくれて、ありがとう」

 マリアKが震える声で言った。

「あなた、悪魔なの?」

 もう一人のイーリスはくすりと笑った。そして言った。


 ――DIRP。

 確かに、それは、悪魔みたいなものかもしれない。



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