大切な”大切”と少女
放課後の夕日が射し込む教室。
この教室には二人の少年と少女が夕焼けに照らされ向かい合っている。
「初めて出会ったその日から君のことが好きでした」
「…だから」
一瞬の逡巡。しかし、弱気な少年目の前の愛しい少女に向けて告白する。
「これからも君と一緒に居させてください」
「……はい」
目を見つめ告げられた愛の告白は、しかし、確かに相手の胸に届いた。
消え入りそうな、ふとすれば聴き逃してしまいそうなほどに小さな返事だった。
そんな、少年が何よりも聞きたいと願い続けた言葉は確かに少女の口から紡がれた。
幼い頃からの幼馴染という関係から、共に愛し合う恋人となった二人。
今ここに二人は二度目の出会いを果たす。
辺りには甘酸っぱい暖かな空気が漂い、緊張感から開放されたあとのゆったりとした時間が流れていた。
そんなニヤけずには居られない二人の世界を見守り眺めていた少女が一人。
その空気に充てられ恍惚の表情を浮かべているその少女に、気づく者はいない。
その少女はうんうんと満足そうに頷くと、そっと本を閉じる。
――ああ、いい物語だった。
するとそこには先程までの夕日の差し込む教室も、告白した少年とそれに応えた少女も、まるで先程までの出来事は全て夢であったかのように消え去っていた。
「あ〜、もう最っ高!!いいな〜セイシュンだな〜見てるこっちがドキドキしちゃった」
「ここから先は気になるけど、幸せな人生が続いてるといいなぁ…」
その表情はまさに恋する乙女のそれで、本を胸に抱きしめている姿からは、この少女の無邪気な性格を読み取ることができる。
それからもゴロゴロと転げ回ったり自分で告白のセリフを言ってみたりと残夢に浸る。
ひとしきり堪能したのちに気を取り直し、
「ふぅ〜…よし、次の読もう」
そう言って今しがた読んでいた本を棚に戻し、辺りを見回す。
「うーん、何読もっかな〜」
と、どこまでも続いている自分の背よりも高い本棚の前を歩きながら呟く。
「あ、これかな?」
何となくピンと来た本に手を伸ばすと、少女の手に吸い込まれるようにして本がひとりでに動き出した。
「ふんふっふふ〜ん♪」
調子外れな鼻歌を歌いながらいつもの位置に座り、これはどんな記憶が読めるのかとワクワクしながら手に取った本の表紙をめくると、
「!?…これは…星の記憶?」
視界が世界に埋め尽くされる。
今までも様々な記憶を観てきた。
草原を走り獲物を追いかける肉食獣や、海を泳ぐ魚。時には道端に生えた名も無き花の記憶も観てきた。
今見えている景色はそのどれにも当てはまり、しかし、そのどれにも当てはまらない新しい記憶だった。
時に空を満天の星が埋めつくし。
時に深海の奥深く底、波打ち際の景色など様々な景色が浮かんでは消え、浮かんでは消えるのを繰り返していく。
「はぁ…凄い…綺麗」
「これが、この星生が最も輝いていた、一番美しくあった景色…」
それからはしばらく無言で星の記憶を眺め続けた。
その一度として定まることのない景色が、その星の起こったこと全てにありとあらゆる生命の力強さを感じさせる。
それからどれだけ経っただろうか。
いつまで続くと思われた光景が突如として暗黒に包まれ、見えなくなっていく。
「そっか…これが君の最後なんだね」
最後に僅かにみえた景色が、目に焼き付いている。
星の何倍もの大きさの火の玉が膨張し、その影響で海の水は干上がり大地は煉獄に包まれ、星のどこにも生命の暖かさが消えてしまった、その光景を。
膨張した火の玉はその後徐々に小さくなっていき、最後は冷たくなってしまった。
そうして、62億5000万年もの間生命の軌跡を見続けた星の生は終わりを告げた。
「……」
本は既に閉じられ部屋は元通りになっている。
今見た記憶はかつて見た記憶の中でも特に印象に残った。
それはとても衝撃的で、その情報量に圧倒され、記憶を読む前の明るさはなりを潜めてしまっている。
―――しかし
「〜〜っ、ああーもうやめやめ!こんなの私らしくない!次読もう次!」
それでも少女は立ち上がって、叫ぶ。
「彼を通してみた記憶は素晴らしかった!」
拳を握りしめ、奥底から絞り出すような声で、叫ぶ。
「時に凄惨なものもあった。見ていて吐き気を催すような人々の強大な悪意もあった…それでも、美しかった!常に進化し続ける生命の輝きは眩しくて、尊いものだった!」
この場には自分しかいない。
誰に語るわけでもなく、聞いてもらうのでもなく、ただ思いの丈を静寂だけがあるこの部屋に叩きつける。
叫ぶことで、自らの記憶に刻んだ。
そうしなければならないと、何故かそう思った。
そして気づく
「ああ…こういうことなんだ、生命の記憶って…今のが、記憶するということ…私が覚えたことは、誰も知らないし、わからない。気づくこともない。けれど、記憶した私にとっては絶対に忘れたくないと、心から言える」
「恋人となった少年と少女の記憶も、悠久の時を見守っていた星の記憶も、全てを覚えていよう。生きとし生ける全ての生命の記憶を私は覚えていよう」
握りしめた拳を胸に抱き、伏せられた瞼の下でかつて観た人の情景を思い浮かべる。
恐らくこの世で唯一その全ての"大切"を覚えていられるこの自分が出来ること。
見開かれた瞳に決意が灯る。
手に持っていた本を棚にしまい、また新たな本を取り出す。
それを幾度となく繰り返し、繰り返し、繰り返し、それでもまだ少女は記憶し続ける。
そうしてまた一つの物語を記憶した少女は
「よし、次の記憶を読もう」
全ての記憶が報われるようにと、ページをめくった。