九、外科病棟にて
こうして、相川敬司は、その一命を取り留めた。本来、助からないと思われていた敬司は、その奇跡の回復ぶりが病院内でも噂になっていた。そして、その一連のやりとりを聞きつけた野次馬達、特に敬司のことをよく知っている放射線診断学教室の先生方や放射線技師達が、ICUを覗きに来るようになった。さらに、それ以外にも面識のない他科の教授達までも何らかの理由をつけて、ICUに覗きに来たりした。おかげで一週間を過ぎた頃、敬司は、病院側の配慮で外科病棟の特室に移されることとなった。
「じゃあ、山本先生、後はあんじょうお願いしますよ」
「ははは・・・。うちの病棟に移っても、こんなに他科の先生方が見えられるんじゃ、もう秘書でも付けないといけませんね。見舞客の多さでは、相川先生って教授レベルをもう超えてますからね。こんな調子だと、病棟師長から、すぐに文句の嵐が来そうですわ」
「いやいや、たぶん大丈夫でっしゃろ。この調子やと、そうなる前に抜管して整形外科に回せますから」
「あー、確かに!」
敬司が外科病棟に移ると、看護師の間でも、美人の娘達を助けたヒーローで、有り得ない奇跡の回復をした超人として、関係のないナースまで病室を訪れたりした。若い女性達が勝手に寄ってくるのだから、普段でも、おやじギャグをとばしていた敬司は、ここぞとばかり彼女たちの笑いを取りに行き、サービスに精を出した。病棟では、毎日訪れる敬美とさおりまでもが、助けられた美人姉妹と有名人になっていたが、いつ来ても若い看護師達がいるので、一週間もすると、敬司は二人から嫌みを言われる始末だった。
「これなら、もう、私達は必要ないですかね・・・」
「そうみたい。お父さんがこんなに女ったらしだったとは、知らなかったわ。明日から、もう来るの止めようかな・・・」
「うっ、なんや、その目は? あの時と同じや・・・。俺は動けんで、何もできへんのやぞ。ナース達とはただのコミュニケーションや、俺はいっさい手―出してへんでえって、ギブスで手、動かへんし・・・」
「あ、当たり前でしょ。もう・・・」
「この様子なら、退院してからも彼女たちに交代で来てもらえば、私は必要なさそうですよね」
「えっ、さおりさん、そ、それはあきまえんわ! さおりさんを一生一人にはしないようにって、お母さんと由美に約束させられてまんねんから・・・」
「えっ、どういう意味ですか?」
「・・・うっ、しもうた・・・」
「一生一人にしないって、どういう意味ですか?」
「・・・いやー、あのー、実は、俺の両親は戦災孤児で・・・、俺達には親戚ってもんが、まったくいないんですよ。だから、ずっと寂しくて・・・、そんで、両親は早うに亡くなってまうし、由美は由美でいなくなるし・・・、結婚はしたものの妻もすぐに死んでしまうしで、一人の寂しさは俺にも十分に分かってて・・・、だから、あなたも一人にはしたくないと・・・、えーと何を言ってるんだか・・・、つまり、あなたに家族になってほしいと思ってます。最初は、お母さんに、孤児で誰も身寄りのないあなたを頼むって・・・、あなたをお嫁さんに、敬美の母親にしてあげてって言われて・・・。いや、初めは断ったんですよ。相手の気持ちも考えずに、それも五〇を過ぎたおじんの俺が、こないに若くて綺麗なあなたを妻にだなんて・・・。でも今は、お母さんに言われたからじゃなく、できれば、あなたに俺の妻に、敬美の母親になってほしいと本気で思い始めているんです・・・って、突然、こんなこと言われたら、普通、引きますよね。すんません・・・、でも、俺って、死んだ旦那さんによく似てるっていうじゃないですか・・・」
「ど、どうして、それを・・・」
「お母さんと由美が言うとりました。だから、あんなに俺をマジマジと見ているんだとか何とか・・・。俺みたいな中年のおっさんが、あんな若い美人さんを嫁にできる訳がないって、さんざん言ったんだけど、どうしても二人が・・・、だから・・・」
「はーあー・・・。分かりました。あなたの看護をしながら、じっくりと検討させていただきますから・・・」
すかさず敬美が叫ぶ。
「さおりさん! どうか、よろしくお願いします!」
敬美は、頭を下げて、涙をボロボロとこぼしている。そして静かに頭を上げると、敬司を見て言った。
「このアホ親父、突然現れたかと思えば、何度も何度も娘を泣かせて・・・、でも、お父さん、ありがとう・・・。私もさおりさんに側にいてほしいって、ずっと思ってた・・・」
最後は消え入るような、でもうれしそうな声だった。
「いえ、どうもイタメシって、こんなときにまで笑いを取りに来るなってか? ははは・・・」その様子を陰から見いていた看護師が感激して、また、誇大な噂を広げていく。
「田中くん、おめでおとう、伯父さん、結婚するらしいな?」
「はあ、だ、誰と? またまた、山本先生、ご冗談を・・・」
「えっ、あの美人のお姉さんの方とだけど・・・、違うの? いや、さっきナース達が聞いたって言うからさ・・・」
「えー、マジで!」
「う、うん・・・、今、病棟じゃあ、その噂で持ちきりだよ!」
「うげっ、またまた、お母ちゃん、おったまげるわ! それにしてもあのエロ親父、何考えてんだか・・? でも、さおりさんって、まだ三〇、いってないんじゃないかなあ?」
「それが、何でも娘さんのお婆ちゃんとお母さんがそうするように言ったらしいんだって・・・。それに、何と、あのお姉さんの亡くなったご主人が相川先生にそっくりってことらしいよ。 そんで、お母さんが、身寄りのないお姉さんを一人ぼっちにするなって、言ったんだって・・・。な、信じがたい話だろ! でも、そっくりっていうのは本当らしい・・・。で、さすがにここまで来たら、もう俺も半分以上、信じてるんだけどな・・・。命を助けて、人生の孤独からも救うって、君の伯父さん、ヒーローかって、すご過ぎるよな!」
「一応、僕の目標が敬伯父ちゃんなんですけど、はあー、どんどん、遠ざかっていくような気が・・・」
「そうか、そうか、よし、今日はやけ酒だ! 独身二人で飲みに行くかって、ん、祝い酒になるのかな?」
「もう、どっちでもいいですよ。あんなアホ親父、ほっといて行きましょうよ。先生!」
「そうだ、そうだ、よし、今夜は男同士で飲むぞ!」
腕を買われて若くして准教授となった山本は、実はまだ独身であった。看護師からも人気があり、まだ余裕でいたのだが、このところ、すっかりと敬司にかっさらわれた状況になっている。もちろん、二五歳の浩一もまだ独身で、彼女すらいなかった。




