八、サイン
由美が消えてすぐ、敬司は、苛立っていた。一生懸命、自分の身体に戻ろうとするのだが、ぜんぜん戻れないのだ。家族が自分の周りに集まって心配しているというのに・・・。それに、戻ったとたんに由美との話を忘れてしまうというではないか?
(いくら何でもそりゃあ、ないで! 必ず思い出せっていうても、どないしたらええちゅうねん? せや、何かサインを残したら、どないやろか?)
そう思った敬司は、手を動かそうと頑張った。とにかく頑張った。しかし、ほんの少し動かしただけで疲労困憊した。
(霊体でも疲れるんやな・・・)
「あっ、手が・・・」
敬司の右手が動いたの見て、幸司が声をあげた。
「えっ」
浩一が見ると、確かに右手が、人差し指、中指、薬指の三本指の形でゆっくりと動いた。
「敬伯父ちゃん! 敬伯父ちゃん! しっかりしろよ!」
だが、それ以上、動くことはなかった。そして、面会時間は終わった。
「後は、俺が時々見に来るし、何かあったら、すぐに俺に連絡が入るようになっとるから、今日は、みんな帰ってくれよ。なーに、ここにいるのは、優秀なプロフェッショナルばかりだ。それに敬伯父ちゃんは、医学界では、けっこう有名人なんだ。スタッフのみんなもそう易々とは逝かせやしないって頑張ってくれてるから・・・。もし、何か変化があったら、必ず連絡するから・・・」
浩一は、敬美とさおりの連絡先を聞いて、全員を出口に誘導した。そして、スタッフに「よろしくお願いします」と声をかけた。
(結局、眠れなんだな・・・、てか、ぜんぜん眠とうないし・・・霊体やからかなあ・・・?)
翌朝、敬司は妙なことに感心しつつ、ぼーっとICU内の看護師の動きを見ていた。そして、九時過ぎに、また浩一が胸部X線撮影にやってきた。
(おー、来たか! ほな疲れるけど、もう一回チャレンジや)
そう思いつつ、また右手を動かした。
「あっ、敬伯父ちゃん、わかるか? 俺やで!」
しかし、敬司は頷くどころか、目を開けることすらまだできない。しかし、昨日ほどの疲れはなかった。
(ほな、もういっぺんや)
敬司は、ゆっくりと三本の指を上に向け、そして横に倒した。さすがに今度は疲れた。そして、意識を失った。気が付くと、病室の天井が見えた。そして、次に横から覗き込む浩一の顔が見えた。
「おっ、目が開いた。意識が戻ったんや。敬伯父ちゃん、分かるか? 俺や、浩一やで!」
頷こうにも、話そうにも気管挿管でそれは叶わない。よって敬司は、瞬きをして、分かっていることを伝えようとした。すると、それを確認した浩一は、医師とナースを呼んだ。
「合田先生、伯父の意識が戻ったようです!」
「えっ、ほんまに? えらい早いなあ、ちょっと早すぎやわ・・」
麻酔科の合田准教授は、すぐにベッドサイドに駆け寄り、モニターの心電図と動脈圧波形を確認し、聴診器で呼吸音を調べた。
「うん、自呼吸もしっかりしとるし、心電図も脈圧も問題ない! いけるで、田中くん! こりゃあ、伯父さん、助かるで! ちょっと胸写も見せてんか?」
合田の声に、田中とナースで撮影のためのフラットパネルを敬司の背中に敷き、すぐに写真を撮り、肺の状態を確認した。
「うん、大丈夫のようですね」
「さよか、よし、出血ももう止まってきとるし、自呼吸も出てきとるから、ちょっと早いけど挿管を外すでー。みんな準備してやー」
合田は、手術執刀医の山本准教授も呼び、気管挿管を外した。
「合田先生、さすがですね。もちろん手術は完璧だったという自信はありますが、まさか、こんなに早く回復させていただけるとは思いもしませんでしたよ。実は、田中くんには悪いが、いつ家族を呼ぶようになるかとヒヤヒヤしていたくらいですから・・・」
山本は、そう胸の内を明かした。すると合田も応えた。
「山本先生、実は、わても無理やと思うとったんですわ。それが、これやさかい、何というか、奇跡・・・ちゅうか・・・、いや、これは相川さんの生命力、生きようとする力がなせる術としか、言いようがありまへんな」
「合田先生、山本先生、ありがとうございました。伯父はずっと俺の父親代わりで・・・」
「あー、技術部長さんから、よう聞いとるでえ。それに、この相川先生は、すごか人らしいね」
「そうそう、この病院でも相川先生の画像診断支援ソフトが使われているって、放射線科の先生方が言ってたよ。つまり、僕達もお世話になっているということだ。だからこそ駄目かもしれないとは思いつつも、うちの連中もいつも以上に気合いをいれて手術に臨んだんだよ。まあ、それでも正直、無理かと諦めてはいたんだけどね。それが、なんとこの回復だ! 僕もうれしいよ。もちろん、まだすぐには安心できないんだけどね。でも、とりあえずは山を越えた! 先ずは大丈夫だ!」
そして、合田と山本は、相談して、一時だけ麻酔を減らし、意識を戻すことにした。
「田中くん、三時間後ぐらいには、意識がはっきりしてくると思うから、ご家族を呼んで話をしてもらってもかまへんよ」
「合田先生、ありがとうございます」
浩一は、大喜びで、母と弟、そして初めてできた従妹に連絡をした。
「もしもし、敬美さん? 田中浩一です。あっ、心配しないで! むしろ、いいお知らせだから・・・。敬伯父ちゃんの意識が戻ったんだ。それも奇跡的な回復を見せている。で、もし、可能なら三時間後くらいに来てもらえれば、話ができるかもしれないんだけど、どうする・・?」
「はい、行きます。必ず、行きますから・・・、それから、さおりさんには私から連絡しましょうか?」
「いやー、そうしてもらえると助かるよ。じゃあ、後でね・・・」
(うーん、い、痛いぞ・・ってことは、俺は生きとるってことか、そうか・・・これぐらいは我慢しなくちゃなって、でもやっぱり痛いがな! いったい、どうなっとるんや?)
「お兄ちゃん、分かる?」
「お、おー、寿子やないか? 俺、死んでへんのやなあ・・・絶対に死んだて思うたのに」
「敬伯父ちゃん、大丈夫か?」
「おう、浩一、何や白衣着とるやないか? ってことは、ここはお前んとこの病院か?」
「そやがな、気合い入れて手術して、治療して・・・、みんなよう頑張ってくれてな・・・」
「そうかあ・・・、そりゃ、済まなんだなあ、迷惑かけて・・・、近藤先輩にも気い遣わせたなあ・・・」
「あー、部長、ぶったまげて、あちこち走り回ってくれて、俺にも気いつこうてくれて・・・」
「ほうかあ、後であんじょうお礼せんとな・・・」
「あー、そんためには、早う、ようならんとな!」
「敬伯父ちゃん、幸司や」
「おう、幸司も来てくれたんか?」
「当たり前やがな。父親とかわらん敬伯父ちゃんの一大事や。来ん訳がなかろう! ほんでな、もう二人見えとんのや」
「あのー・・・・」
「おー、あんたら無事やったんやな・・・。よかった。助けられたんやな、俺・・・。えーと、そんで、すまなんだな、あれは事故やさかいな・・・わざと触った訳やあらへんで」
「はあ、何の話ですか?」
「いやあ、ほれ、あのー、押した時、二人の乳、しっかり触ってしもうて・・・、あん時、あんたら、ほんま、嫌そうな顔しとったし・・、このエロ親父―!みたいな・・・。俺、ちょっと傷ついたわ、ホンマ。俺の心、大怪我したって・・・。えっーと、ここ、笑うとこなんやけど・・・。いやいやいや、泣かんでも・・・、俺が死んだかて責任なんか感じんでもええさかいな! いやいや、堪忍してーな、美人さん二人を泣かしてしもうたがな・・・」
「お兄ちゃんはもう・・・、こんな時まで気い遣こうて、笑わかそうてするやなんて・・・」
「そうやで、責任感じんでもて、なんや、こんな時にまで冗談言うなよ、敬伯父ちゃん、ホンマにアホやで、なあ、幸司」
「あー、ホンマ、ホンマ、アホ親父や・・・」
「そない、アホアホ、言わんでも・・・」
敬司は、愚痴ってみたが、涙ぐんでいるみんなを見ると何も言えなくなった。でもここで、湿っぽいままじゃいけないと思った浩一が話題を変えた。
「・・・あんな、敬伯父ちゃん、意識がない中で、右手だけ変な動きしてたんやけど、あれ、何やったん? 何か、憶えとるか?」
「はあ? へんな動きって、どないな動きや?」
「こないな・・・」
そう言って、浩一は指三本を動かしてみせた。
「お兄ちゃん、それって、手話の指文字じゃない? 昔、私にも教えてくれたやん」
「あー、えっと、それは、『ゆ』と『み』やな・・・」
「えっ、ゆみ・・・、お母さんの名前・・・」
「えっ、い、今、何て言うた・・・? うぉー、いててて・・・頭が・・・」
敬司は突然、激しい頭痛に見舞われた。そして、そう、思い出したのだ。
(由美・・・由美・・・、そうや!)
「あ、そうや、由美はどこや? つい、さっきまでそこにおったんに・・・どこに行ってしもうたんや?」
「「「「「・・・・」」」」」
一同、凍り付いた。
「あー、そうや・・・、由美はもう逝ってもうたんやったな・・・思い出したわ・・・。敬美、済まなんだなあ、これまで何も知らんと、父親らしいことも何もできんで・・・、今まで辛い思いをさせたな・・・、由美と美子お母さんに聞いたわ・・・。じゃから、これからは一人じゃ、あらへんで。俺とさおりさんで・・・って・・・」
由美もさおりも、突然、自分達の名前が出てきて、目を見開いて驚いた。
「な、何で・・・?」
「あー、さおりさん、由美のお母さんと敬美が本当にお世話になって・・・俺からも礼を言わしてもらいます。どうもありがとうございました。ほんでな・・・、ついでちゅう訳やないんやけど、俺はこんな身体や、退院してからも当分は動けんと思う。じゃからと言って、突然現れた父親を娘一人に世話させる訳にもいかん・・・、ちゅうことでな、当分、俺の専属看護師として世話をしてくれへんやろか? もちろん報酬は今貰うとるのと同じくらいは払わしてもらいます。あんな、これって、由美のお母さんの希望でもあってな。あんさん、お母さんにホンマの娘のように想われとったんやな・・・。敬美のことだけでなく自分が死んだ後のあんさんのことも心配してな、俺に頼んだんや。お母さんの家で、三人で暮らしてほしいって・・・、いや、ずっとという訳やないで。俺が動けるようになるまでや。どないやろな・・・」
さおりは、これを聞きながら、泣いていた。敬美の前では、泣かないと心に決めていたのに、我慢できなかった。美子が娘のように思ってくれて、一人にしないでと頼んでくれたことがうれしくて、涙がぼろぼろと溢れて止めることができなかった。そんなさおりに敬美も抱きついて、涙を流しながら言った。
「さおりさん、私もそうしてほしい・・・ねえ、お父さんが回復するまで家に来て! お願いします」
この様子を、合田と山本、そしてICUのナース達は驚きの中で見ていた。
「山本先生、やっぱ奇跡が起こったんや・・・」
「えー、合田先生、僕達は、奇跡を起こした? いや遭遇した? よく分からんけど、すごい場面に立ち会ってますよね・・・・」
「あー、すごいわ・・・、でも、こんなこと、後で言っても誰も信じちゃくれへんやろうけどな・・・」
「ははは・・・・」
「先生、こんなことってあるんですね・・・。私、感動です! ナースになって本当によかったです」
「「おう、僕達もだ! はははは・・・・」」
「浩一・・・、あかん、めちゃ痛いわ・・・、緊急オペやから、硬注、入れてへんのやろ。もう麻酔切れとるで・・・、あかん、そろそろ我慢の限界や・・・、堪忍してーや、先生方、麻酔お願いしまーす」
さらに笑いを取ろうかという感じで、敬司は叫んだ。
浩一は、やれやれとあきれた顔つきで、伯父を見、そして、合田を見た。合田と山本は、壺にはまったかのように大笑いしていた。
「いや、堪忍、堪忍、やっぱ相川先生はすごいお人やわ! よし、じゃあ、みんな! 相川先生には、麻酔でちょっと安静にしてもらおうかな・・、さあ準備してやー!」
「「「はーい!」」」
ICUにナース達の元気な声が響き渡ったのだった。




