六、由美の願い
「ううん、それはやっぱり駄目よ。あなたは優しすぎるから・・・、自分のことを捨てて、絶対に抱え込んでたはずよ。それで、周りの期待を裏切ることになって、苦しんで・・・。それに、あれから義弟さんが亡くなって、寿子さんを助けて、甥っ子達のお父さん代わりになったでしょ。やっぱり、どう考えても無理だったわ。だから、これで・・・、仕方がなかったのよ! それとね、私が動けなくなって、敬美を残したまま悲しみの中で死んでいく姿をあなたには見せたくなかったの・・・。あなたは、強うそうだけど・・弱いところもあるから・・・」
敬司も義弟が急逝してたいへんだった時のことを思い出し、さらに幸恵が死んだ時のことを思い出して、ぐうの音も出ない。
「でね、あそこで大泣きしている娘が、私達のかわいい子供よ」
この言葉に敬司は、改めて敬美を見つめた。
「赤ちゃんが、何でもう大人になっとるねん・・・?」
「ふふふ・・・、すっごい美人さんでしょ! それに私よりナイスバディかも・・・?」
「あ、アホかいな・・・。何言うてるんや?」
敬司は、動揺していた。それはそうである。自分は死んだと思ったら、突然、助けた若い娘が自分の子供だと言うではないか。そしてそれが、由美によく似た美人なのだから・・・。
「はあ・・、だから、大泣きしとるという訳か・・・」
「そりゃあ、泣くわよ。つい先日、二二歳の誕生日に届くようにしてた私の手紙で、初めてあなたのことを知ったんだもの。それも、まだ話したことも会ったこともない父親が、偶然にも自分を助けて死にそうなっているんだから・・・」
「そやな・・・。もし、そうなったら、俺でも泣くな・・・。はあ、俺も一度くらい、抱きしめて、頭をよしよしくらい、してやりたかったよ」
「でしょうね。でもあの子ね、あなたのことを知って、怒ってたわよ。母や自分達の苦労を知らないで、一人だけ立派になってる奴なんか、親じゃない! 絶対に会わない!って、言ってたみたい」
「えー、そんなあ、それって、俺だけが悪い訳やないやろう・・・。でもまあ、これはこれで、嫌われたまんまで死ぬよりはましちゅうことか・・?」
「いいえ、あなたは、まだ死なないわ。絶対に死なせないから! だから、ねっ、あなたは生きて! 生きてほしいの。そして、あの子を、敬美のことをお願いしたいの・・・、ねっ、私と母の代わりに・・・。私はもうすぐ、母と一緒に向こうに行かなくちゃいけないから・・・。もうあの子を護れなくなるのよ。あの子は、私の・・・、いいえ、私達の自慢の宝物よ! 母と、そして、そこにいるさおりさんのおかげでとっても良い子に育ったわ。だから、今度はあなたが、敬美達を幸せにしてあげて! お願い!」
「そうか・・・ん? 敬美達・・? おい、今、敬美達って言うたか? 達って。それって、浩一とってことか? まさか、あのさおりって娘とってことやないやろな・・・?」
「ふふふ・・・さすが、あなた! 頭の回転が速いわね。あのね、これは私の母からのお願いでもあるんだけど・・・、さおりさんもあなたのご両親と同じで、孤児だったの。施設で育って、今はたった一人で生きているわ。母の訪問看護をずっとしてくれて、母はさおりさんのことを実の娘のようにかわいがっていたし、あの子も母を慕ってくれて、敬美を妹のようにかわいがってくれたの。だからね・・・」
「えー、それりゃあ、さすがに無茶やで・・・」
「でもね、それが、母と私の望みなのよ。天涯孤独になるはずだった敬美には、あなたが現れた。そうなると逆に、あのさおりさんが、寂しくなるわ。また、一人っきりになってしまう・・・」
「ちょ、ちょっと待てや! 敬美かて初対面やちゅうのに、さすがに、あの娘もって、そりゃあ、なんぼ何でもあんまりやわ。突然、子供が現れたかて思うたら、ついでにもう一人引き取れやなんて。目が覚めたら二人の子持ち親父になれってか? それになあ、死なせないって言うても、この状態じゃあ、さすがの俺でも助からへんって!」
「そこはそれよ、よくあるでしょ、奇跡的な回復ってやつ・・・。あなたには絶対に生きてもらうの、そして、敬美の父親として、役割を果たしてほしいの! バージンロードを一人だけで歩かせるなんて、そんな寂しい思いを敬美にはさせたくないのよ、絶対に。ねえ、お願い、約束して!」
「ちょ、ちょっと、待ってんか。まだ、気持ちの整理が・・・、それに、ホンマにこの子が俺の娘なんか?」
「あら、。疑うの? 失礼ね・・・」
「いや、そ、そういう訳やないけど・・・」
「ふーん、もしかして覚えがないとでも言うのかしら? あれからもさんざん私の中に出したくせに・・・」
真っ赤な顔で消え入るように由美が言うと、敬司も気まずそうに答える。
「えっ、えーと、はい、お、覚えは・・あります・・・けど、やっぱり、できたんなら、真っ先に俺に言ってほしかったで。どんなことがあってもな・・・」
「・・・そうね、それについては謝るわ。でも私もね、いっぱいいっぱいだったのよ。だから、そこんとこは理解してよ・・・。診察に行って、ALSだって、余命五年だって言われて・・・。それに妊娠してるってことも分かって・・・。あの頃、あなたと一緒にALSの支援イベントをお手伝いしたことあったでしょ。私、病気のことを知ってただけに怖かったわ。意識ははっきりしてて、全てが分かっているのに、身体の筋肉だけが動かなくなっていく、最後には呼吸すらできなくなって死んでいく・・・。そんな病気に、まさか私がなるなんて思いもしなかったの・・・。ねえ、考えてもみてよ。幼い子供の健やかな成長を願いながら、自分には何もできずに身体だけが死んでいくのよ。それがどんなに悔しいことか、悲しいことか・・・。それに、あなた、私がALSだって知ったら、それだけですぐにでも結婚しようとしたでしょ? 私達を守るために・・・」
「そりゃあ、当たり前やがな!」
「あなったって、そういう人なのよね。だから、私は、この子のことを隠して姿を消したのよ。でも、もう過ぎたことよ。今は、これからのことを考えてほしいの!」
「・・・」
「あのね、さおりさんね、あの子も六年前に夫を亡くしたの・・・、看護師になって、結婚して初めての家族ができたと思った矢先に、がんで・・・。だからね、母があなたにお願いしてほしいって、奥さんにしてあげてって!」
「えっ、えー! お、奥さん? 養子とちゃうんかいな? む、無茶、言わんとき! 五〇過ぎのおっさんが、しかも今にも死にそうやし、たとえ助かったかて障害が残るかもしれん。そんな奴が、あんな若い美人さんをお嫁さんにするやなんて・・・、それって犯罪やで! 俺に今さらプロポーズなんか、でけへんで! おかしいやろ! まあ、敬美のことは、頑張るけどな・・・」
「そんなこと言わないでよ、お母さんも頭下げてるから・・・」
「えっ、お母さん、そこにおるんかいな? 見えへんで!」
「母ね、先月、亡くなったのよ、でね、あなたには見えないかもしれないけど、まだここにいるのよ・・・」
「えっ、そうだったん? 知らんかったよ。お母さん、ご無沙汰しとります」
「それでね、あなたが助けたさおりさんも一緒に幸せにしてやってほしいって」
「・・・お母さん、何言うてはるんですか? 彼女って、まだ二〇代でっしゃろ? 敬美とあまり変わらんやないですか? 養子ならまだしも、お嫁さんはないと思いますよ!」
「えーとね、歳は三一歳だって・・・。あのね、あなた、さっきから彼女が、あなたの顔をじっと見ているのに驚いてたでしょ。それってね、あなたが亡くなったさおりさんのご主人にそっくりだからだそうよ。お母さん、私の持ってたあなたの写真と、彼女に見せてもらったご主人の写真があまりに似ていて、びっくりしたんだって・・・。だから、彼女もあなたの顔をじーっと見てたのよ」
「マジかいな・・・? いやいや、でも、ないない! 今さら再婚はないで!」
「敬美もだけど、あの子も天涯孤独なのよ・・・。ねっ、彼女を敬美の母親にしてあげて! そうすれば、彼女にも家族ができるわ。それが、みんな幸せになれる一番いい方法だと思うの」
「おい、勝手に決めるなよ!」
「ねっ、私と母の最後のお願いなんだから・・・、ね、お願い!」
(ちょ、ちょっと、待ってくれ! まいった! ホンマにまいったで・・・、しかしなあ、それでもなあ・・・)
敬司は頭を抱えていたが、少しして、ついに覚悟を決めた。
「しゃあないなあ・・・。お母さんは、まだそこにおるやな・・・。お母さん、敬美を育ててくれて、本当にありがとうございました。まさか俺みたいなもんにこんな可愛い子がいたなんて、思いもしまへんでしたけど・・・。それから、さおりさんのことは・・・、俺みたいなんで、いけるんかどうか、さおりさんがOKしてくれるんか、分かりませんけど、まあ、ボチボチ気張ってみますわ・・・。でも、大事なんは彼女の気持ちやと思いますから、あんまり期待はせんとってくださいね・・・」
「あなた、ありがとう! それからね、ごめんなさい・・・私達ももうすぐ消えてしまうの。だから、後はお願いね。それと、今、話したことだけど・・・、あなた、気が付いた時には、たぶん全部忘れてるわ。普通は、みんなそうなのよ。でも、今の約束だけは、必ず思い出してね! お願いよ! じゃあ、先に行って待ってるから・・・」
「お、おい!」
由美の姿は、言い終わる前に、薄くなって消えていった。それは、まるで、テレビか、映画のワンシーンのようだった。
「何や、あいつ、二五年ぶりにやっと会えたかて思うたら、もうおらんようになりよって、何が最後のお願いや・・・。それも目が覚めたら全部忘れるってか? いったいどないしたらええっちゅうねん?」
敬司は、考えた。
(俺は、ホンマに死なへんのかな? 敬美と、娘と暮らせるんかな? あの娘とも・・・、でも全部忘れるて・・・。絶対に思い出せるように何とかせんと・・・、いったい、どないしたら思い出せるんや? そうや、何かサインを・・・)
今の敬司には声を出すことができない。そこで、必死に右手を動かした。動かそうとした。




