五、由美の告白
「本当にごめんなさいね、黙っていなくなって・・・。でも分かってほしいの。決して自分のことだけ考えて姿を消した訳じゃないの? むしろ、あなたのことを思って・・・。あの頃のあなたは、みんなに将来を嘱望されて、学位取得に没頭していたから・・・、だから、あなたに私の負担を強いるのが忍びなくて・・・。あなたのことは本当に愛していたし、あなたには幸せになってほしかったから・・・。でもそう思い通りにはいかないものね・・・」
「何を言ってるんや! 訳分からへんよ! なぜ、突然、姿を消したん? あの後、俺はお前にプロポーズするつもりやったんやで!」
「・・・うん、分かってた・・・それに・・嬉しかった・・・。あー、あの頃は、本当に楽しかったなあ・・・。あなたは、やさしくて・・・、あなたとなら絶対に幸せになれると心から思っていたわ。だから、姿を消したもののずっと会いたくて・・・、悩んだ末に、一年半くらいしたら、また会うだけは会おうって思い直していたの。会ってちゃんと話そうって・・・。でも、あなたったら、すぐに他の人と結婚しちゃうんだもの・・・。だから、会いにいけなくて・・・」
「そ、そうか・・・。そうやったな・・・」
(そうや、由美が消えて、ボロボロになった俺を見かねた先輩達が幸恵を紹介して・・・、何か、勢いで結婚したんやったなあ・・・)
「お前が消えたせいで・・・、いや、俺が駄目やっただけか・・・、俺がお前のことを吹っ切っとれば、あいつにも辛い思いをさせんと済んだんにな・・・、あいつは俺が殺したようなもんやな・・・」
「えっ、幸恵さんのこと・・・? そうね、確かに彼女も苦しかったと思うわ。でも当時のあなたのことを分かった上で結婚したんだもの。それは、彼女自身が乗り越えなければならなかったことよ。いえ、もう少し時間が経てば、きっと乗り越えてたと思うわ。でも、あれは事故だったのよ。あなたのせいじゃない・・・」
「いや、あいつ、俺に言ったんや。あいつを見る俺の目ん中に、時々、由美がおるって・・・」「・・・あのね、私、彼女が死んだ時に彼女に会ったの。その時に幸恵さん、言っていたわ。妊娠してつわりが酷くて、イライラして、睡眠不足になっちゃたって。それで、フラついて駅の線路に落ちちゃったんだって。彼女、あなたに謝っていたわよ。自分のせいで、赤ちゃんを見せられなくて、ごめんなさいって。二人で先に逝ってごめんなさいって・・・。本当に悔しかったと思うわ。そして産みたかったんだと思うわ。私もそうだったもの・・・」
当時を思い出して辛くなった敬司は、少しの間、目を閉じた。そして、再び、目を開けると、辺りに風景が一変していた。そこは、敬司と由美が、昔、よく訪れた公園だった。
(えー、これはいったいどうなってるんや。これって、もしかして死ぬ前のフラッシュバックちゅうことか? 俺、ついに死ぬんかな・・・?)
目の前には、当時の若い俺と由美がいて、ベンチに座り、幸せそうな顔で話をしている。それをさっきの病室での時と同じように上から見ているのだ。
「私、幸せだわ。あなたと出会えて本当に良かった・・・。敬司さん、ありがとう・・・」
そして、熱い口づけ・・・。
「今日はこれで帰るわ。じゃあ、またね」
「あー、ほな由美、また連絡するわ」
(これは、あの時と同じやわ・・・。あー、やっぱ死ぬ前のフラッシュバックなんやな? 確か、この日を最後に由美は俺の前から姿を消したんやったな・・・。俺は、ホワイトデーにプロポーズしようって準備しとったんに・・・。いったい、どないしたいうんや?)
敬司は、由美の後をつけた。すると公園から少し離れたところで、由美はうずくまって泣いていた。
(いったい、どういうことなんや・・・、一人で勝手に失恋のヒロインってことなんか?)
「どうして、私なの? どうして私がALSなんかに・・・」
(えっ、今、ALSって言うたか・・・?)
ALS=筋萎縮性側索硬化症、全身の筋肉が急激に動かなくなり、最後は呼吸すらできなくなって死んでいく難病である。平均余命は、診断から約五年。
「この子だけは・・、敬司さんとのこの子だけは、生みたい・・・、私達の赤ちゃんに会いたい・・・」
(えっ、あ、赤ちゃん・・・?)
当時、由美は二二歳、家族は神戸の母だけだった。父親と祖父母は既に他界し、兄弟はいない。遠方に父方の伯父、伯母がいるらしいが、付き合いはまったくない。正に母一人子一人だったのである。よって、当時まだ挨拶にも行っていなかったが、敬司としては結婚した後、母親の面倒もみるつもりでいた。
病気と妊娠を同時に知らされ、由美は悩んでいだ。そして、悩みに悩んだ末、ついに結論を出した。
「やさしい敬司さんなら、必ず、動けなくなっていく私とこの子だけでなく、母をも抱え込んでしまう。私が動けなくなって、子供の世話も加われば、仕事だっておろそかになりかねない。そうなれば、研究や学位取得など、到底無理だ、できる訳がない。そして、私が死んでから、全てを抱え込んだ敬司さんがどれほど苦しむのか・・・? そんなの駄目だ! 嫌だ! 絶対に見たくない。 だったら、そうなる前に、私は姿を消そう・・・、親友を頼って、遠くでこの子を産んで・・・、一年くらい、育ててから、実家に帰ろう。母には、『失恋で自暴自棄になって、行きずりの男性との間にできてしまった』と告げればいい。怒られるだろうけど、母のことだから、きっと許してくれるだろうだし、子育ても応援してくれるはず・・・」
(そうか、そういう訳やったんか・・・?)
敬司が愕然としていると、また突然、風景が変わり、病室に戻った。
「おー、ついに最後の時か・・・?」
すると、また横から声がした。
「何、言ってるの? まだ死なないわよ。今のは、説明が面倒だから、ちょっと私の記憶を見てもらっただけよ!」
「えっ、そうなん・・・って、赤ちゃんなんて、聞いてへんわ! それにお前がALSだったなんて・・・」
敬司は、由美が病気になり、敬司に負担をかけまいと、敬司の幸せを祈って、苦渋の別れを決断したことを知り、いたたまれなくなった。それと同時にそれを見抜けなかった自分に無性に腹が立った。悔しかった。
(そうやった! あの頃、由美は、躓いて転びそうになることがあった。茶碗を洗ってて、落として割ったりしたことも・・・。そそっかしい娘やと思って見てたけど、あれは、もう症状が出ていたちゅうことやったんや・・・。俺はアホや! 何で気がつかんかったや!)
「なぜ、打ち明けてくれへんかった? お前が苦しんでること、見抜けんかった俺もアホやけど、言うてくれんと分からへんがな! それに、お前、俺がお前等を受け止めきれんような弱い男やて思うてたんか? アホか? 教えてくれれば、俺は絶対にお前等を守りきったがな!」




