二、病室にて
(何か、懐かしい臭いやな・・・)
ふと気が付くと敬司は、一〇台以上のベッドが並ぶ見慣れた部屋を見下ろしていた。
(ICUやな・・・)
そして、真下に目をやると自分がベッドに寝ているではないか。それは、気管挿管されて、人工呼吸器がつなげられている。さらに数台の輸液ポンプから点滴をされており、腹部には数本のドレーンが入っていて排液をしている。もちろん心電図等のモニターもつけられており、「シュー、コー」という呼吸の機械的な音と「ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・」という心臓のR波を示す音が一定の間隔で鳴り響いていた。敬司はその様子を天井の方から、他人事のように覗き込んでいるのだ。敬司は、何だか不思議な感じがした。
(・・・つまり俺は、死にかけてて、霊魂が身体から幽体離脱しとるちゅうことか? こりゃあ、びっくりだわ! それにしても、一応緊急手術をしたんやな? 申し訳なかったなあ・・・、しかし、こらあ、えらいこっちゃで。人口呼吸器外したら、俺って、死ぬんちゃうか?)
そこに白衣にマスクとガウンを身に着けた若い男性が、ポータブルX線装置を押して入ってきた。
(おー、浩一やないか、ちゅうことは、ここは神戸医大病院かいな・・・? なんや、浩一、医療職のくせに泣きながら仕事しとるわ・・・、身内やからって、プロが泣いとっちゃあ、いかんぞ! まだまだ半人前やな・・・。ま、俺のために泣いてくれて、ホンマはちょびっとうれしいけどな・・・、おっ、人が来たで! 浩一、はよう涙拭けや・・・)
浩一と同じように、感染防止のために帽子とマスク、ガウンを着けた二人の若い女性が近づいてきた。
(おっ、なんや、あの二人やんか! 二人とも助かったんやな、えかった、えかった! ほんで、やっぱり姉妹?やったんかな? マスクで隠れとるけど・・・、うん、やっぱし、なかなかの美人姉妹さんや。泣く妹を支える姉か・・・? それにしても妹の方、えらい泣きよるなあ、そない大泣きせんでもよかろうもんに・・・、ちょっと引いてまうわあ・・・)
近づいてきた姉の方は、泣いている浩一を見て驚いた。それに気が付いた浩一は、照れくさそうに言った。
「あー、すんません。実は、こん人、俺の伯父なんです。小さい頃から父親代わりで、ずっと俺達を見守ってくれてたもんで・・・つい・・・、あっ、僕は田中浩一て言います。ここで放射線技師をしとります。・・・ところで、あなた方は・・・?」
浩一はそう言って、照れ笑いでごまかそうとしたが、それを聞いた姉はとても慌てた様子で、深々と頭を下げた。
「私は、相良さおりと申します。・・・この度は、本当にすみませんでした。相川敬司様のおかげで私達はこうして無事に・・・」
妹の方は、相変わらず泣きじゃくるばかりだったが、浩一はそれを無視して姉に尋ねた。
「えっ、どういうことなんですか? 伯父は、交通事故に会ってトラックにはねられたと・・・」
姉は重い口を開いて、事故の時の状況を説明した。
「そうでしたか? 伯父があなた方を助けようと突き飛ばして・・・。ふっ、伯父らしいですよ。カッコつけやがって、いっつも先を先を行きよる・・・、これじゃあ、いつまで経っても追いつけへんやないか・・・なあ、敬伯父ちゃんよお!」
浩一は、もう周りを気にすることなく、ボロボロと涙をこぼし始めた。その隣で泣いていた妹がためらいがちに口を開いた。
「こんなの嫌だよ・・・! せっかく会えたのに・・・、何も話していないのに・・・、こんなの嫌だよ!」
(浩一、すまんなあ・・・。それにしてもあの子、他人の俺のために、そない泣かなんでもなあ・・・、責任感じとるんやろか? 俺が勝手に助けただけやちゅうのに・・・、それん比べてお姉さんの方は、俺をえらいガン見しとるがな・・・、そない穴が開くほど見んでもよかろうもんに・・・、俺って、そないにええ男かって、照れるがな・・・。けど、冗談言うとる場合じゃあないなあ・・・)
その時だった。妹の方がまた呟いた。
「こんなの嫌だよ・・・! せっかく会えたのに・・・、まだ何も話していないのに・・・、ねえ、私のお父さんなんでしょ! 突然、現れて、名乗りもせずに私達を助けて・・・、このまま死んだら、絶対に許さないから・・・」
それを聞いて、敬司と浩一は、耳を疑った。そして、同時に言った。
「えっ、お、お父さん?」「えっ、お父さんって・・・?」
もちろん、敬司の声は、浩一等には聞こえない。それに、浩一が驚くのも無理はない。救急センターから、瀕死の状態で運ばれた患者は、某大学病院の有名な診療技術部長だということ、それが職員である浩一の伯父であることも分かって、急遽、検査や手術の承諾書の件で、浩一が呼ばれたのだ。そして大急ぎで、検査と状況説明、緊急手術となり、それだけでも、気が動転していた浩一だったのに、さらに、この伯父が助けたという娘は、なんと伯父を「お父さん」だと言う。そんなことは、これまで伯父からも母からも一度も聞いたことはないのだ。
固まっている浩一を見て、姉の方が説明を始めた。
「そうですよね。突然のことで、びっくりされますよね。たぶん、このことは、相川敬司様も知らないんじゃないかと思います。ですから、甥のあなたが知らないのも当然です。実は、私達もつい先日、知ったばかりなんです。そして、先ほど、助けてくれた方が相川様、つまり敬美さんのお父様だということが分かって、私達も本当に驚いてしまって・・・、かなり混乱しているんです・・・」
「い、いったい、どういうことなんですか? つまり、伯父に隠し子がいた・・・ということなんですよね?」
(えっ、俺に隠し子・・・? 何を言うとるんや? まさか、そないな・・・)
敬司は、まさにぶったまげていた。
「えっ、あっ、そう、なりますかね・・? そうだ。申し遅れました。この娘は、幸村 敬美と申しますが・・・、あのう、田中さん、何かお聞きになってはいませんか・・・?」
(幸村だと・・・?)
敬司は、その響きを懐かしく聞いた。そして、二五年前のあの甘酸っぱい出会いを思い出していた。




