余話「月蝕」
薄れ行く意識の中で、月下は考える。
秋津学園の二人の後輩のことを。
彼女らは、今まで彼が出逢って来たどの人間とも違っていた。
そもそも、月下はそれまでの人生において、「この人間は特別だ」とか「これは他にはいないだろう」と思える者など一人もいなかった。いくら変わった特技や端麗な容姿を持っていたとしても、結局遍く全ての人間は決まりきったカテゴリーに分けられるからだ。
例えば、学校やクラスなんかは特にそうだと言える。「こいつはこのカテゴリーで、以前のクラスメイトのあいつと変わらないな」といった具合に、どんな人間でも分類できぬ者はいない。
リーダーシップを取れる者、お調子者、ムードメーカー、日陰者、外れ者、嫌われ者など、どこに行ったって同じような人間しかいないし、彼らが取る行動や作り成す物も全て似たり寄ったりだ。
そして、それはもはや人間だけではなく国、単位でも言える。
世界中の国の立ち位置にしたって、学校のクラス内カーストとなんら変わらないではないかと、彼は考えていた。
──しかし、学園の二年に進級した月下は、その持論を覆す、もっと言うと全く知らない新分類の人間と出逢うこととなる。
それが彼の一つ下の後輩、皇樹桜であった。
入学してすぐ生徒会役員に選ばれた彼女に、月下は圧倒された。彼は桜がどのカテゴリーの人間なのか全く見極めることができなかったのである。
それどころか、彼女の場合は普段から考えていることが読めない。
達観しているようでいてよく笑い、人を小馬鹿にしているかと思えば相手のことをよく観察している。何より新入りであるにもかかわらず誰に対しても堂々とした立ち居振る舞いをし、それだけで高いカリスマ性を感じる者も少なくなかった。
彼にしても、似たような物だっただろう。
──やがて、桜の入学から半年ほどが経った頃、月下は知ることなる。
彼女の祖父が何者なのかを。
そして、桜の超然とした雰囲気の所以がなんとなく理解できた気がした。
それからさらに一年後、彼は再び自分の知らないカテゴリーの人間がこの世に存在することを教えられた。
二つ下の生徒会役員、梔子茉莉である。
彼女は桜とはまた違った意味で月下を驚かせた。
分類不能な性格もさることながら、常人外れた身体能力──特に膂力は凄まじい──を見せつけられたのだ。
あれはまだ彼女が生徒会に入って間もない頃のことか。
月下と茉莉、それと彼と同学年の生徒会役員──もう名前も顔もろくに思い出せない──の三人で蜻蛉の街を巡回していた時、彼らは見るからに不良といった他校の生徒が、学園の生徒をカツアゲしている場に出くわす。
当然、月下らは不良たちを咎めるが、そのうちの一人がろくに話もしないうちに逆上。手近に立っていた月下に掴みかかろうとした。
と、思った矢先、不良の体は真横に吹き飛ばされている。
──何が、起こったのか。
瞬時に状況を理解できぬまま彼が顔を左手に向けると、そこには右脚を蹴り上げている茉莉の姿が。
彼女は無機的な表情をしたまま、雑居ビルの室外機に突っ込んで行った不良を見つめている。
どうやら、不良は彼女よって文字どおり蹴り飛ばされたらしい、月下が理解しかけた時、
「あっ」
茉莉は何かに気がついたかのような声を出した。
その場に居合わせた誰もが彼女の次の言葉に注目する中、茉莉は蹴りを放ったポーズのまま呟く。
「やりすぎたか。やはり、加減するのは難しいな……」
何の感慨もなさそうな彼女のセリフに、不良たちを含めた全員が思わず凍りついたのだった。
二人の後輩のことを思い浮かべた月下は、先ほどから薄く膜を張ったようにぼやけていた視界が、今度はだんだんと暗い影により狭められ行くのを見ていた。
まるで、月蝕のようだと彼は思う。
間も無く、自分の命は絶え尽きる。それだけは、変えようのない事実だ。
しかし、それでいて彼は不思議と恐怖や絶望といった感情を抱いてはいなかった。
大した感慨も湧かず、とにかく月下は死を受け入れていたのである。
「……先輩」
不意に降って来た声は、茉莉の物だった。
もう感覚はないが、どうやら彼女は自分の頬に手を触れたらしい。
「……ま、つり……」
.
辛うじて、彼は少女の名前を呼ぶ。
月蝕の進んで行く視界の中に、彼女の青ざめた顔が映り込んだ。
「月下先輩!」
茉莉は大声を出して月下に呼びかける。失われ行く命を、必死で繫ぎとめようとするかのように。
しかし、青年はそんな彼女の様子を見て、全く別のことを考えていた。それは、もう一人の特別な後輩、皇樹桜のことだ。
彼は先週彼女に呼び出され、ある意外なことを頼まれていたのである。
いったいあれには何の意味があったのか。一応頼まれたとおりにはしたものの、月下には最後まで彼女の意図がわからなかった。
「先輩! しっかりしてください! 先輩!」
茉莉の声により、彼は現実に呼び戻される。
それから、今度はまたさらに違ったことについて思いを巡らせた。
自分が死んだ後、戦いはどのような方向へと進むのか。
わからない。しかし、それでも、これだけは言えると月下は考える。
──春川くん、君は俺を殺したことを後悔するよ。
天使を使い彼を殺させた少年へ、届きはしない言葉を贈る。
そして、胸の内でほくそ笑んだ。
──俺を看取った茉莉は、きっと黒い天使への復讐の為に戦うだろう。
「……さい、ごに」
月下は最後の力を振り絞り、右手を挙げた。
震える彼の手は後輩の顔を目指して行き、やがてその指先が頬に触れる。
──本気の茉莉には、誰だろうと敵わない。
「おまえ、が……いてくれて、よ、か」
唯一心残りがあるとすれば、彼女の復讐劇を見物できないことかと思いながら、やがて彼の視界は完全なる闇に塗り潰された。




