第三十六、五話「暴走」
青年の導き出した答えを聞いたフラワノイドは、彼の姿を観察しながら眩しそうに目を細めた。
それから、怪物は人間の物に似た口で人語を手繰り、山梨の答え合わせに対する返事を寄越す。
「……だったら、何だと言うのた?」
はっきりと肯定したわけではないが、ほとんどそれと変わらない言葉。
彼は不敵な笑みをしたまま、超大規模コラプサー「アバドン」の主に答えた。
「だから、教えてほしいんすよ。あんたが何者で、目的は何なのかを。
もしかして、アレっすか? 世界征服的なそんな感じなんすか? 今時流行んないと思いますよ?」
ここぞとばかりに挑発的なセリフを放つ山梨に対し、フラワノイドはつまらなさそうな声で応じる。
「それを貴様が知ったところで、無意味だ。運命には何者も逆らえぬのだからな」
「ふうん、運命ね……。それって、人類は滅ぶ定めだとか、そういうことっすか?」
馬鹿馬鹿しいと言いたげな口調で彼は尋ねた。
「……そうだ。貴様らが削除されることはすでに決定している」
まるで人類に裁きを下す神のような物言いである。
取りつく島もないといった雰囲気に、山梨は「まいったなぁ」と言う代わりに頭を掻いた。
それから、改めて超越者に向けて言葉を投げかける。
「えーと、つまりあなたは神様的なそんな存在ってことっすか?
けど、おかしいな。俺の知る限りフラワノイドっつうのは、ある種セカンドリアリティが暴走した結果に過ぎないはずなんすけどね。まさかフラワノイドがみんな本当は神様だった、なんてオチじゃないっすよね?」
言いながら彼が苦笑してみせると、頬杖をつく怪物はやはり面白くもなさそうな声で紡いだ。
「貴様の言っていることは正確ではない……が、人類の認識が間違いであることも事実だ。
……いずれにせよ、貴様らの抵抗も策略も全て無駄。……このゲームとやらも、単なる余興に過ぎぬ」
山梨はフラワノイドの口から飛び出した「ゲーム」というワードが気になったが、彼がそれについて尋ねるよりも先に、予想だにしない出来事か発生する。
彼が背を向けている先にあった花畑への入り口が、不気味な音を立てて狭まり始めたではないか。
それに気付いた山梨がかぶりを揺らして振り返る。丸い渦の口はどんどん閉ざされて行った。
「もしかして、俺を閉じ込められちゃう感じっすか?」
「……ああ。
貴様には、特等席で見せてやろう。人類の滅ぶ様子をな」
「はは、マジか……」
思いもよらぬ展開だったが、しかし彼にとっては願ってもないことである。
ここにいれば、いずれわかるかも知れない。「アバドン」の中で邂逅を果たしたこの謎の存在や、コラプサーついての真実が。
すぐにそう考え願ったり叶ったりだとほくそ笑んだ山梨は、ふと視界の先にある人物の姿を見つけた。
それは彼の幼馴染の幻影であり、コスモス畑の中に立った彼女は無言でこちらを見つめている。
穏やかに吹く風に白いワンピースの裾を揺らしているその姿は、青年の目にはとても眩しく映った。
「明日菜……」
静かな声で彼女の名を呟いた山梨は、先ほど現実の世界で幼馴染に対して見せたのと同じ顔をする。
そして、その時はしっかりと言うことができなかった別れの挨拶を、彼は口にした。
「俺ちょっと行って来るからさ、橘さんのこと頼むわ。明日菜なら、二人なら、大丈夫だと思うから、だから」
もうほとんど閉じかけている丸い景色の先へ届くように、山梨は最後まで笑顔のまま紡ぐ。
「バイバイ」
──やがて、完全にコスモス畑は見えなくなり、彼は東京ビーンストークタワーの展望デッキに閉じ込められてしまった。
だが、それでいて山梨の中に不安や恐怖といった感情はなく、不思議と心が澄み渡って行くような感覚を覚える。
一息吐いた彼はすぐさま踵を返し、改めてフラワノイドの王と対峙した。
「つうわけで、これからよろしくっすぅ〜。えーっと……」
何と呼べばいいかわからずにいると、玉座の上から答えが降って来る。
「我が名は“エスカ=ト=ロギア”。もっとも、貴様ら人類からは『観測者』や『天使』などと称されていたがな」
エスカ=ト=ロギアは青年の姿を見下ろしたまま、そう名乗るのだった。
*
「ヒロちゃん!」
走りながら、彼女はもう一度幼馴染の名前を呼んだ。
しかし、彼からの返事はなく、代わりに山梨は乱暴な手つきで人質を解放する。背中を強く押された椛は「きゃっ」と小さな悲鳴を上げ、道路に座り込んだ。
手や膝を擦りむいたことによる痛みに顔をしかめた彼女は、強烈な殺気を感じ取り背後を振り返る。
そこには、椛から借りていた盆栽鋏を握り締め、腕を振り上げる山梨の姿が。
その瞬間、見開かれた彼女の瞳には、安らかな表情で瞼を閉じる彼の顔がはっきりと映り込んだ。まるでぐっすりと眠っているかのようだと、椛はいやに冷静に考える。
が、それもほんの一瞬のことであり、彼女がそんな感想を抱いた時には、すで盆栽鋏の刃は深々と突き刺さっていたのだが。
──座り込んだまま動けずにいた椛を庇うように立つ、火野木の左二の腕に。
「ぐっ……」
彼女はぎりぎりと歯をくいしばり、必死に痛みを堪えた。
「火野木さん!」
叫んだ柊は、彼女の元へ駆け寄って行く。
しかし、彼がそこに辿り着くよりも山梨が挟んを抜き取る方が先であり、突き刺さっていた場所から一気に血が溢れ出した。
立ち眩みでもしたようによろめいた火野木は、傷口の辺りをもう一方の手で庇う。
額に冷や汗を浮かべながら、彼女は眠ったまま暴走する幼馴染に顔を向けた。
「ヒロちゃん……どうしてなの? どうして、こんなことに」
呟いた火野木は、先ほど目にした真四角のアイコンを思い浮かべる。蝶のマークが刻まれたあれは、コラプサーの発生源となった人間たちがみなインストールしていた物だ。
山梨が彼女に隠していたのは、自分もあのアプリケーションを所持しているということであり、おそらくそれは調査の為だったのだろう。
彼はただ、コラプサーの連続発生の真相を突き止めようとしていただけなのに、どうしてこんなことになってしまったのか。そんな思いが、火野木の中で募って行く。
「……やっぱり、私が止めてあげるべきだったわね。あなたは、昔からなんでも一人でやろうとするから」
できる限り普段と同じように語りかけながら、彼女は一歩前へ踏み出した。
「火野木さん、危険です!」
ようやく駆けつけた新人刑事は、火野木を止めようと彼女と山梨の間に立つ。
だが、火野木は静かに彼の言葉に首を振った。
「大丈夫です。私も、彼も」
「しかし、山梨さんはどう見ても」
「大丈夫ですから、止めないでください。彼をぶん殴るよう、橘さんから言われているんです」
そう紡ぐ彼女の瞳には迷いがなく、柊は思わず反論に詰まってしまう。
そうこうしているうちに、彼の背後に立つ青年は再び手に持った鋏を振り上げた。
肩越しにその様子を見た柊は、瞬時に身を挺して盾となる決意を固める。
そして、彼が直後に訪れる痛みに備える為目を閉じた、次の瞬間──。
カランと、甲高い音が背中の方から聞こえて来た。
何の音だろうかと不思議に思うと同時に、柊はいつの間にか殺気を感じなくなっていることに気付く。
瞼を開けた彼は、恐る恐る後ろを振り返った。
すると、山梨の手はもう盆栽鋏を握っておらず、全身からいっぺんに力が抜けてしまったように、その場に倒れ込んでしまうではないか。
「なっ、山梨さん⁉︎」
柊は慌てて膝をつき、彼の体を支える。その時、足元に血の渇いていない鋏が落ちているのを見つけ、今しがた聞いた音の正体を知った。
「ヒロちゃん⁉︎」
悲鳴を上げるように言ってから、火野木はぐったりとしたまま動かなくなった山梨の傍へ向かう。
しゃがんだ彼女は、すがるような気持ちで彼の肩を揺すった。
「ど、どうして! お願い、目を覚まして!」
寂れた商店街の一角に、悲痛な女の叫び声が木霊する。
刑事も、花屋の店員も、魚屋も、そして二人の警官も、みな何と言ったらよいかわからず言葉を失ったまま火野木たちを見ているしかない。
「目を、開けてよ……」
最後に震える声で呟き、彼女は山梨の肩に顔を埋めた。
──結局、火野木が彼を殴りつける機会は失われたまま、青年は深い眠りの底へ囚われてしまうのだった。




