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アカシックシード  作者: 若庭葉
Season1「Butterfly」
4/47

第二話「救援」

 暗闇に染まる空。

 進路も退路を遮る黒い壁。

 俺たちは巻き込まれてしまったのだ。

 ──コラプサーという名の最悪の災害に。


 通りにいた人々はみな驚愕と恐怖の入り混じったような表情で、周囲を見回していた。


「け、警察! いや消防か? とにかく連絡を!」


 そのうちの一人、学園の制服を着た男子生徒が、慌てて〈スマートフォン〉のアプリを起動させる。

 が、彼の周囲の空間に変化はなく、何も出現しない。


「な、なんで⁉︎ なんでアプリが使えないんだ!」


 そう、コラプサーの中では特別に開発された物を除いて、アプリケーションを使用できないのだった。

 つまり、外部への連絡手段はなく、自力での脱出は不可能に近い。閉じ込められてしまったからには、外の人間がこれに気づき救援を寄越してくれるまでどうにか持ち堪えるしかないだろう。


「は、春川くん、これ……」


 消え入りそうな声で、俺のブレザーの裾を掴んだ椚原さんが呟く。

 これを聞いた俺は振り返り、


「大丈夫。俺がついてるよ」


 無理矢理笑顔をこさえて彼女に見せた。

 ──そうだ、俺が彼女を護るんだ。

 それこそが、俺が十年前に受けた使命(・・)なのだから。

 とにかく、本格的にコラプサーが始まる前に安全な場所へ椚原さんを避難させないと。

 どこか良い場所はないものかと辺りを見回した時、誰かの叫び声が聞こえて来る。


「は、“花”だ! 花が、花が咲いている!」


 それは、犬の散歩をしていた老人の物であり、彼はリードから離した両手で白髪頭を抑える。

 錯乱状態となってしまっている飼い主を、柴犬が心配そうに見つめクンクンと鳴いていた。

「花が咲いている」ということは、あの人はもうあれ(・・)を視認できるようになったのか。

 もしそうなら、おそらく彼の言う「花」とは、コラプサー内にのみ現れる特殊なセカンドリアリティのことだろう。


「花が! 花の匂い(・・・・)が!」


 頭を抱える両手に力を込めて老人がさらに叫んだ時、俺にも花の姿が見え始めた。

 道路からも、周囲のマンションや家の壁からも、花は至る所から芽を出して急激な成長を遂げる。

 緑色をした三十センチほどの長さの茎の先端には楕円形の蕾がついており、それは俺たちに見せつけるように一斉に花開いた。

 五枚の銀色の花弁を持つその花の姿はコスモスによく似ており、暗闇の中にありながら薄っすらと光を放っている。

 ──侵蝕(・・)が、始まった。

 視界の中は、瞬く間に一面の花畑と化す。

 いや、これはそんな風に可愛らしい物なんかではない。言うなれば花による殺戮の前触れ、人を死に至らしめる銀のコスモスの開花である。

 と、叫び声を上げていた老人が急に大人しくなっていた。

 その様子を見た俺の脳裏に、彼が先ほど口走っていた「花の匂い」というフレーズがよぎる。

 ──まさか、もう?

 直後、俺の予感は的中することとなる。

 老人の身体の内側から皮膚を突き破り、無数の木の根っこ(・・・・・)が外へ飛び出したのだ。

 おぞましい光景を目の当たりにし、誰もが言葉を失う。

 飼い主に起きた異常事態に柴犬は吠えるが、彼にそれを止められるはずもなく……。

 あっという間に木の根は老人の上半身を覆い尽くし、空へ向かって伸びて一定の長さで成長を止めた。

 力の抜けた彼の両腕が、ダラリと垂れ下がる。

 花の匂いまで認識してしまった老人は“プラント”と呼ばれる状態となってしまった。

 それは彼が絶命したということを示しており、同時に惨劇の開幕を告げる物である。

 根に覆われた老人の身体は養分を吸い取られているかのように枯れて行き、袖から覗く手はそれこそ木の根のように茶色く変色していた。

 早く逃げなければいけないとわかっているのに、俺は彼の変異から目を離せない。

 プラントによる最初の犠牲者は、人間だった頃の彼の愛犬だった。

 触手のように伸びた一本の根が風を切っってしなり、柴犬の身体は縦に真っ二つになる。

 小さな血飛沫が上がり、肉の塊は左右に分かれて道路に倒れた。

 ──脳内にチップを埋め込んだ人物が自殺(・・)することにより発生するコラプサーは、「過剰認識空間」と呼ばれる特殊な環境を周囲一帯に展開する。この空間にいる人間は、通常では受容し得ないような突飛なセカンドリアリティさえも現実の物事として認識できるようになるのである。

 その結果、この中で起きた出来事は過剰なほどの認識──言うなれば強烈な“思い込み”──により、実際に人体にまで影響を及ぼしてしまうのだった。

 プラント化した人物やそれに襲われた者の脳みそは「死」その物をダイレクトに認識することにより、内部から崩壊し、そのまま本当に死に至ることとなる。

 これが、この新種の災害の恐ろしいところであり、「崩壊した惑星(コラプサー)」と名付けられた由縁なのであった。

 また、プラントとなった人間はホラー映画などでお馴染みのゾンビのように、死してなお動き、人を襲う──フリをする。詳しいメカニズムは未だ解明されていないがこれもまたコラプサーの厄介な現象であり、フリといえどこの過剰認識空間の中では実際に怪物に襲われたのだと脳が受け取るのだから、酷い場合は命に関わる事態へと発展する。

 そして、それを反映させた虚構(もの)が木の根に体を覆われた化け物の姿や、今道路の真ん中で起きたような惨劇なのだった。

 ついさっきまで老人だった物の体から伸びた木の根の鞭は、鮮血を滴らせながら、次の獲物を求めて鎌首をもたげる。

 俺たちの目の前で起きていることは、全てセカンドリアリティによって築き上げられた虚構である。

 だから、実際にはあの犬は死んでいないのだろうが、それでも惨殺のシーンはとても生々しく、その場に居合わせた人々を混乱の渦に叩き込むには充分すぎた。

 蜘蛛の子を散らしたみたいに、散り散りに逃げて行く通行人。

 俺は踵を返し椚原さんの手首を握る。


「こっちだ! 行こう!」

「う、うん」


 彼女の手を引いて走り出した俺はひとまず逃げ込める場所を求め、近くのマンションの敷地内にある公園を目指すことにした。

 背後から恐ろしい断末魔の叫びが聞こえて来る。おそらく、今度は人間が犠牲になったのだろう。

 しかし、振り返ることはできない。今は椚原さんの安全を確保することを優先しなければ。

 目的の公園にはすぐに辿り着くことができた。

 だいぶ簡易的な造りで遊具も少なく、普段はあまり利用されていないようだ。

 しかし、真ん中にタコを模して造られた大きな滑り台があり、その中のスペースなら充分隠れられそうである。

 俺はそのタコに近づくと、椚原さんを二本の前脚の形をした滑り台の間、空洞になった内部への入り口へと連れて行く。


「椚原さんは、この中で隠れていてくれないか?」

「え、でも、それじゃあ春川くんは」

「俺は外で見張ってるよ。

大丈夫、ヤバそうだったら一緒に逃げるから」


 立ち止まりこちらを振り返る彼女に、俺は諭すような口調で告げた。

 それでもなお椚原さんはどこか疑うような心配そうな視線を投げかけていたが、やがてわかってくれたらしい。


「絶対に無茶しないでよ?」

「ああ、わかってるよ」


 俺が笑顔で答えると、ようやく彼女は滑り台の中に入って行く。その姿を見送った俺は振り返り公園の入り口の方へ目を向けた。

 ひとまずは、これでいい。後はここで見張りながら助けを待つしかないか。

 すでに公園内でも花の侵食は始まっており、薄っすらと光り輝くその姿を俺は睨みつけるのだった。


 *


 住宅街の一角、コラプサーの発生した通りに繋がる道路は全て封鎖されており、その前で警官たちが野次馬たちが入り込まないように目を光らせていた。

 そして、彼らの背後に見える空にはドス黒い渦が立ち込めており、まるで漆黒の竜巻のようなこの黒い渦こそが、現代における人類最大の敵、コラプサーである。

 辺りにはだいぶ野次馬も集まって来ており、〈カメラ〉や〈スマートフォン〉のアプリを起動させてその様子を写真に収めている者もいた。

 そんな中、一台の黒塗りの乗用車が近づいて来て、野次馬たちの背中に顔先を向ける形で路肩に停車する。

 エンジンが切れると運転席と助手席のドアが同時に開き、車内から一組の男女が出て来た。

 彼らはどちらも車と同じく黒いスーツに身を包んでおり、一般人とは異なる雰囲気を醸し出している。

 男の方は四十代半ばくらいで、女はまだ二十代といったところか。彼らは野次馬たちに近づくと、主に男の方が、人の群れを掻き分けて前に進んで行った。


「はいごめんなさいねー、国家公務員が通りますよーっと」


 公務員とは思えないような口調で強引に道を切り拓き、二人は警官の目の前へと辿り着く。

 不満そうな野次馬の視線や舌打ちを背中で受け止めつつ、黒服たちは同時に〈認証(パス)〉のアプリを起動させ、顔の前に浮かんだカードを掴むと警官に突きつけた。そのカードには顔写真と名前が記されており、男が「橘幸司」女が「火野木明日菜」という名前らしい。


「コラプサー対策局の者だ。この場の指揮を執っている者に合わせてもらいたい」


 〈認証(パス)〉を見つめた二人の警官は、すぐにそれが本物だとわかったらしく、全く同じタイミングで背筋を伸ばして敬礼をする。


「はっ! お勤めご苦労様です!」

「どうぞ! こちらにお入りください!」


 これまた同時に半身になり、封鎖された道の方を手で示した。

 それを見た黒服たちはアプリを停止させ、遠慮なくその先を通って行く。


「はいどうも、ご苦労さん」

「失礼します」


 対象的な挨拶をして、彼らは「KEEP OUT」と書かれた〈テープ〉──これもアプリケーションらしく一人でに空中に浮いている──を潜って中に入っ。

 それから、一番近くのパトカーの横に立って警官からの報告を受けている年配の男に近づいて行きながら、橘が少々乱暴な口調で声をかける。


「失礼。あんた、ここの責任者の方ですか?」


 振り返ったのは、五十過ぎくらいの年齢の灰色の背広を着た男だった。

 彼は目を細めて二人の姿を見つめると、すぐに合点が行ったらしく恭しく頷いてみせる。


「ええ、そうです。蜻蛉署の松原(まつばら)です」

「どうも、私コラプサー対策局の橘という者です。

 で、こっちが同じく」

「火野木です」


 彼が親指を後ろに向けると、火野木は短く自己紹介をして頭を下げた

 それを受けた松原は部下を他へ向かわせ、二人の様子を観察する。

 彼が見たところ、コラプサー対策局から来たという彼らは対極にある人間のようだった。

 橘は整える気概すらなさそうな髪型や顎を覆う無精髭、そしてゆるく締められたネクタイ等から多分にルーズな人物のように窺える。

 対して火野木はというと、黒い髪をショートヘアーに切り揃えなおかつ前髪は地味なヘアピンで止纏めており、スーツもシャツも皺一つない。

 どちらも一瞥しただけでキャラクターを掴めそうな外見をしていたが、二人の所属する組織が松原に予断をさせなかった。

 ともあれ彼はまず安堵の笑みを浮かべ、丸坊主というかスキンヘッドに近い自分の頭を撫でる。


「いやぁ、お早い到着で。慣れないことなもんですから、苦労しておりました」

「でしょうねぇ。

 で、巻き込まれた住民のリストアップとかできちゃったりしてます?」

「お恥ずかしい話、まだでして……」


 松原の笑顔が苦々しい物へと変わった。

 すると、いつの間にか火野木は〈メモ〉機能のアプリを起動させており、宙に浮いた手のひら大のタッチパネルの上で素早く指を動かしている。

 顔を上げた彼女は、抑揚の乏しい声で現場監督に尋ねた。


「でしたら、『門』の開通はどうなっているのでしょうか?」

「ああ、それでしたらもう一、二分もすれば大丈夫とのことです」

「なるほど、それはなによりです」


 無感動に言いながら細い指を躍らせてメモを取る。

 その隣に立つ橘は無精髭髭だらけの顎に手を当てながら、立ち上る黒い渦を見つめていた。


「ふむ、大したデカさじゃあないが、被害が気になりますなぁ」

「そうですねぇ、場所が場所ですから。見てのとおり住宅街ですし、この辺は学園の生徒さんの通学路だったりもしますのでね」

「学園……ああ、例の」

「ええ、お察しのとおりです」


 松原はそれが癖なのか、再び自らの後頭部を撫で回す。

 と、突然彼の顔の高さあたりの空間が揺らめき、〈スマートフォン〉が現れた。どこかから電話が入ったらしく、空中に留まったまま振動しているそれを彼は手に取ると、


「おっと失礼」


 とだけ断り、画面に触れて応答する。

 それから二言三言言葉を交わすと、松原は「ああ、わかった」と先後に言って通話を終えた。

 〈スマートフォン〉は消え去り、彼は再び橘らに顔を向ける。


「たった今、『門』が開かれたそうです」

「ほう、てことはこっからは彼らの仕事ですなぁ」


 コラプサーの現場を見つめたまま橘が呟いた時、封鎖されていたはずの背後から何人かの足音が近づいて来た。

 それに気がついた火野木が振り返ると、そこには五人の男女が立っている。

 年齢も服装もそこから推察される職業もバラバラで、彼らの間に共通しているのは身に纏っている異様な雰囲気──言うなれば試合を目前に控えたアスリートの放つ「闘気」のような物くらいか。

 そして、その中にはパーカーの上から学園の制服(ブレザー)を羽織り左腕に赤い腕章を巻いた者の姿も。


「あの人らがこの街の?」


 橘も肩越しに振り返りながら、隣に立つ警察署員に尋ねた。


「はい、そうです。蜻蛉の街のフリーファイターたちですよ」


 やはり自らの後頭部に手を置いて、松原は答える。

 彼の言葉を聞いた二人のコラプサー対策局の人間は、無言で街の猛者たちを見つめていた。


 *


 公園の滑り台の前に陣取ってから、どれくらいの時が流れたのか。

 いや、きっとまだ何分も経っていないはずだ。それなのにもう随分と永くここにいるように思えるほど、緊張した時間を過ごしていた。

 どこかでまた誰かの悲鳴がする。あのプラントによって襲われたのか、それとも新たに花の香りを認識してしまったのか、いずれにせよまた犠牲者が出たということには変わりない。

 このままでは、すぐにここも見つかってしまうだろう。いや、それよりも俺が花の匂いを感じ取れるようになるのが先かも……。

 なるべく花のことは意識しないようにしているが、正直いつまで保つかわからない。プラントにここが見つからないという保証もないし、まだまだ窮地を脱しきれていない。

 俺は一切の油断も許されない中、公園の周囲を警戒していた。ここで俺が見張っていれば、もし何かあった場合は囮になって椚原さんを逃すことができる。

 そんな風に考えていた矢先、「噂をすれば影」という奴だろうか、タイミングよくお客さん(・・)がやって来た。

 ご丁寧にもちゃんと公園の入り口から現れたのは、一体のプラントだった。元々は先ほど井戸端会議に興じていた主婦のうちの一人であるらしく、茶色く枯れ果てた手には食材の詰まったスーパーのレジ袋を下げている。

 それこそゾンビみたいな千鳥足で、彼女はゆっくりとこちらへ歩いて来た。

 ──来た。

 グロテスクな敵の姿を見た俺は身構える。

 緊張による脂汗が額に浮かび、一筋流れ落ちて行った。

 このままここに突っ立っていては二人ともやられてしまうだけだ。

 今は、できるだけ奴を滑り台から遠ざけないと。

 そう判断した俺は滑り台の前を離れ、こちらから見て右側、小さな砂場のある方へと走り出す。

 早くも俺の動きを察知したらしく、プラントは木の根の触手を長く伸ばしてすぐさまこちらに飛ばして来た。


「いっ⁉︎」


 背後から迫り来る凶悪な鞭を、寸でのところで前に飛んで躱す。

 俺を仕留め損ねた触手は地面を抉り、砂を撒き散らした。それでも地面に生えていた花は無傷だったのだが、全てセカンドリアリティの産物なのだから当然か。

 砂場に倒れ込んだ俺はすぐに起き上がり、砂を掻くようにしてまた走り出す。

 その直後再び触手がしなり、ついさっきまで俺のいた場所に突き刺さった。

 間一髪、だが今のところダメージは受けていない。

 そして、確実に椚原さんのいる場所から引き離している。

 このまま逃げ続ければなんとか時間稼ぎができるのでは、と微かな希望が湧いて来た。

 触手はまだ俺の後を追いかけており、三度空中から襲い来る。

 今度は横に跳んで回避すると、それは水飲み場に直撃しコンクリートを粉砕した。

 破裂した水道管から噴水のように水飛沫が上がり、雨みたいに辺りに降り注ぐ。これもセカンドリアリティの見せる物なのだから実際に起きているわけではないのだが、水の冷たさや体に打ち付ける感覚ははっきりと感じられた。

 ──けど、これは全部まやかしだ。現実なんかじゃない。騙されるな。

 自分自身に言い聞かせなんがら立ち上がり、次の触手の動きに注意する。

 鎌首を上げた長い木の根は、獲物を睨みつける蛇のようにこちらを見下ろしていた。

 相手は襲撃のタイミングを窺っているのか、すぐに動き出す気配がない。

 しかし、避けることしか身を守る術を持たないこちらとしても迂闊に動くことはできず、結果として暫し睨み合う形となる。

 すっかりずぶ濡れになりながら、俺は触手から目を離すことなく常に注意していた。

 だから、なのだろうか。

 ──すぐ背後に迫っていた新たな敵(・・・・)の存在に気付くのが遅れたのは。

 強烈な殺気という奴を感じた俺は、慌てて後ろを振り向く。

 だが、その時にはすでに攻撃が放たれた後であり、強烈な一撃を喰らった俺は真横に吹き飛ばされてしまった。

 次の瞬間、俺は公園の隅に植えられていた銀杏の木の幹に背中から激突しており、そのまま力なく地面に転がる。意識までもが飛びそうになるのを必死に堪え、なんとか顔を上げて新手の敵を見上げた。

 そこに立っていたのは、プラントとは別種の異形の存在だった。

 体だけで言えばそれは人間の物とよく似ており、皮膚は青白く闇に浮かび上がって見える。

 しかし、その首から上は俺たちとは大きく違っていた。

 本来は頭があるべき場所に乗っかっていたのは、チューリップみたいに上向きの花弁を持つ巨大な花であり、呼吸をするように時折動いている。ほとんどが花びらでできている顔に目や鼻は見当たらないが、口だけは存在し、頭の両サイドへ向かって裂けたその中には、人間と同じような歯がやたら綺麗に並んでいた。

 そして、そいつはその気味の悪い口からしきりに呪詛の言葉を吐き出している。


「殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス……」


 花の頭を持つ人間。

 コラプサー内に出現するその怪人を、人類は“花ならざる者(フラワノイド)”と名付けた。

 フラワノイドはそのコラプサーの(あるじ)と呼べる存在であり、こいつを倒すことでしかこの異常な空間を消滅させることはできない。

 俺は完全に忘れていたのだ。この化け物がいることを。

 一歩二歩と、フラワノイドは近づいて来る。奴の体は所々に傷が口を開けており、中の赤黒い筋肉繊維のような物が顔を覗かせていた。

 考えられる限りの悪意を具現化したような姿をした化け物を見て、俺はただ絶望するしかなかった。

 こいつには敵わない。プラントの攻撃ですら避けるのが精一杯だったのに、フラワノイドまで出てきたんじゃどうすることもできない。

 先ほどの強烈な一撃が頭をよぎる。もう一度あれを喰らったら、今度こそ俺は死んで──現実には影響を受けた脳が崩壊して──しまうだろう。

「死」その物が、足音を立てて近づいて来る。

 体中を駆け巡る恐怖を感じながらも、俺は目を見開いたままフラワノイドの姿から目が離せなかった。


「殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス……」


 男が低く呟くみたいなその不気味な声は、今やすぐ頭の上から聞こえるようになっている。

 自分の命など簡単に踏みにじることができる存在を間近に感じながら、俺は思う。

 ──ああ、だめそうだ。……結局、俺はあの使命を果たせそうにない。

 人間に対する憎悪の塊は、握り締めた拳を振り上げた。

 フラワノイドの筋肉がミシミシと軋み、よほど強い力を籠めていることが伝わって来る。

 あれは相当痛そうだな、と妙に落ち着いて考えつつ俺は瞼を閉じた。

 そして、俺の視界はまさしく真の闇に包まれるのだった。






 ──だが。


 ……死んで、いない?

 何故?

 不思議に思った瞬間、けたたましい断末魔が聞こえて来る。

 誰か、また犠牲になったのだろうか?

 もしかして、椚原さんが?

 状況を確かめるべく、俺は閉じたばかりの瞼を開く。

 そして、俺の予想は外れていたことを知った。


「ギイアァァァァァァ!」


 絶叫していたのは人間ではなく、フラワノイドだった。

 奴は悲鳴を上げながら後退っており、肘から先の消えた右腕の断面からおびただしい量の血が噴き出している。

 これは、いったいどういうことなのか。何が、いや誰が、フラワノイドの腕をぶった斬ったのか。

 その答えは、俺の目の前に立っている人物が知っているようだった。


「ふむ、一日に二回(・・・・・)とは、これも何かの縁なのかな?」


 聞き覚えのある女の声が、頭上から降って来る。

 見上げると、フラワノイドから俺を守るように立っていたのは、特殊な〈戦闘スーツ〉を身に纏った人物だった。

 どうやら女性であるらしいその人の全身を覆う真っ白い装甲(アーマー)は、充分な耐久力がありそうだが、それでいて体のラインを浮かび上がらせるようなスマートなデザインである。また、背中からは左右一対の小さな羽──大型バイクに搭載されているマフラーのような物が突き出しており、一見して完全な機械(ロボット)のようでもあった。

 そして、彼女の右手首からは手の甲の上を通るように一本の〈(ブレード)〉が伸びており、鎧と同じく白いそれはフラワノイドの物と思しき血に吸って、赤く濡れている。どうやら、怪物の腕を斬り落としたのはその武器であるらしい。

 と、見つめている側から、〈刃〉は自動的に縮んで行き、すっかり腕の装甲の中へ収納をされてしまった。

 それから、彼女はくるりと踵を返して俺の方へ振り返る。

 ヘルメットのように顔全体を覆う頭部の鎧の中では車のレンズみたいな青い(まなこ)が光っており、その少し上の辺りから斜め前方に伸びている楕円形のパーツが、こちらも左右一組で生えていた。

 どことなくウサギの耳みたいだなと思っていると、顔面の装甲が蓋を開けるみたいに、耳を避けながら上と両横の三つに分かれて開く。

 すると、そこに現れたのはついさっき見知ったばかりの顔であり、彼女の左の二の腕には赤い腕章の代わりに、「秋津学園生徒会」という文字が直接輪っか状になって浮かんでいた。


「やあ、さっきぶりだね、少年。また助けに来てやったぞ?」


 そう言って、学園の生徒会副会長──梔子茉莉先輩は、ニヤリと口角を吊り上げるのだった。

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