第二十八話「言伝」
芦屋と別れた俺は、改めていつもと同じ帰り道を歩いていた。
市街地から外れ、今は住宅街へと差しかかったところだ。
そういえば、先週コラプサーに巻き込まれたのはこの辺りだったかと思い出し、俺はなんとなく周囲を見回してみた。
コラプサーの影響はもう見受けられず、当然ながら閑静な住宅街の光景が広がっているのみである。
と、俺は数メートル前方をある人物が歩いているのを発見した。
学園の制服に身を包み薄いスクールバッグを片手に歩を進めているのは、間違いなく日向である。
もう杏藤と喧嘩したことをあまり気に病んではいないのか、後ろから見る限り普段と変わらぬ様子だった。
実際のところどうなのか確かめるのも兼ねて、声をかけてみることにする。
少し歩く速度を速め、近づいてから俺は日向に話しかけた。
「日向」
「へ⁉︎」
彼女は小さな悲鳴を上げてこちらを振り返りながら、足を止める。どうやら、思いの外驚かせてしまったらしい。
「あ、なんだ、春川か。驚かさないでよ」
「ああ、すまん」
ほっと胸を撫で下ろす友人に、俺は素直を謝罪した。
日向はやはりもう落ち込んでいないらしく、こちらも一安心である。
「もう平気そうだな」
俺が言うと、彼女は少々照れ臭そうに笑った。
「うん。
ごめんね、もしかして心配かけちゃった?」
「まあ、ほどほどには」
「え〜、何それ。ちょっと冷たくない?」
言葉とは裏腹に日向は楽しそうに言う。
軽口を叩けるほどにまで回復しているらしい彼女に、俺はさらに尋ねた。
「何かあったのか。いつもより機嫌がよさそうだ」
「別に、そんなことないって。
ちょっとね、相談に乗ってもらったから気が楽になったの」
「へえ、誰に?」
俺の質問に、日向は笑顔のまま答える。
「月下さん!」
意外な名前が飛び出し、今度はこっちが驚く番だった。
帰り道で出くわしたのかと俺が尋ねるよりも先に、彼女は「帰ってる途中でばったり会ったんだー」と言って来る。
「昨日の今日でか。凄い偶然だな」
「だよねー。なんか今日はカエルみたいな格好してたよー。
て、なんで私ら突っ立ってるんだろ? 変だよね?」
「確かにそうだな」
言いながら俺は日向の隣へ並び、彼女もまた体の向きを変えた。
「寮まで送って行くよ」
「おっ、なんか紳士的じゃん。
そういうのははっちゃんにしかしないんだと思ってた」
「え、どうして?」
「別にっ。
ほら、行こ」
日向につられて俺も歩き出す。
やはりどういうわけか彼女はいつも以上に上機嫌であり、かなり饒舌だった。
別に普段はあまり喋らないというわけでもないが、それでもさらに口数が増えているように思える。
そんなことを考えながら先週逃げ込んだ公園の前を通り過ぎて行った。
「春川ってさぁ、案外モテないよね?」
「え、まあ、少なくともモテてる自覚はないな」
いったいどうしてそうなったのか忘れたが、日向は唐突にそんなことを言い出す。
「うーん、まあそうだろうねぇ。
なんだろ、ルックスは別に悪くないんだけど……やっぱアレかな。リアクションかな」
「リアクション?」
「うん。
クールすぎるっていうか、基本的にリアクション薄いじゃん? そーいうのって、あんま好感持たれないと思うんだよね」
「ああ、君が言うのならそうなんだろうな」
「それ。そういうところだよ。
これが他の男子──たとえば、杏藤なんかだったらもっと食いついてるもん。つうか、うざいくらい言い返して来るからね。いつも」
だから口喧嘩に発展するんだろうな……。
「なるほど。
けど、確かにあいつは割とモテる方だった気がするな。外見も爽やかだし」
「え⁉︎ マジで⁉︎」
と、何故か彼女は予想以上に過敏な反応を見せた。
その勢いに少々面食らいながらも、俺は「ああ」と頷き返す。
「そっかぁ、まあ、薄々気付いてたけどね……」
「ん? 何か焦ってないか?」
「そ、そんなことないけど?」
「そうか……?」
俺はまた日向の言うところ「薄いリアクション」を取り、目線を道路の先に戻した。
他愛のない会話を続けているうちに気付けばもうそろそろ第三女子寮に到着しようかというところまで来ている。
細い通りの先には、女子寮の庭に植えられた松の木とブロック塀が見えていた。
──まではよかったが、その塀の外側に立っている三人の少女──うち二人は学園の生徒である──の姿もついでに見えて来て、その途端俺は嫌な予感を覚える。
しかも、彼女らは穏やかに談笑しているというわけではなく、遠目からでも何やら揉めているらしいことがわかった。
これは何かの間違いであってくれと祈りながら俺は一度目を逸らし、それから意を決っしてまた同じ場所に視線を投じてみる。
が、それで少女たちの姿が消えているはずもなく、彼女らは第三女子寮の前で言い争いを続けていた。
「だから、梔子先輩は私と“米かパンか討論会”をしに来たの!」
「いや何ですかそのどーでもいい会議。
そんなことより、シオンさんの心を削る素敵な悪戯を一緒に考えましょうよ〜」
「……あの、二人ともまず私の話を聞いてくれないか?」
顔を真っ赤にして大層ご立腹な様子の椚原さん。
対するステラは彼女をからかうことが楽しいのかそれとも俺を陥れることが愉しいのか、とてもいい顔で口角を吊り上げている。
そして、そんな二人を相手にどうすることもできず困り果てている様子の梔子先輩が、そこにいた。
これ以上ないというくらい混沌とした状況を目の当たりにし、俺はしばらく立ち止まったまま歩き出せない。
──あの道を、通らなければならない、のか……?
正直かなり気が進まない。
女三人寄ればかしましいとは言うが、これはもはやそんなレベルの話ではない。例えるなら、怪獣映画だ。壮絶な怪獣同士の闘いを人類はただ見守るしかない、というシーンがよくあるが、今の俺はまさにそんな気分である。
「……なんかやってるね」
「ああ……そうだな」
隣りから聞こえて来た呆れた声に、俺は肩を落としながら応じた。
その間にも、怪獣たちの闘いは激化して行く。
「この前といい、あなた何なの⁉︎ 春川くんとはどーいう関係なの⁉︎」
「だからぁ、言ってるじゃないですか。ベッドの上で語り合うような関係だって」
「む、不純異性交遊か?」
あんぐりと口を開けて凍りつく椚原さんと、何故かさっそく拳を握り締めている梔子先輩。二人とも意味のわからない反応だが、このまま放っておけば俺のイメージが崩壊することだけは確かなようだ。
とても気が重いが、誤解を解かなければならない。
俺は大きなため息を吐いてから、仕方なく彼女らの方へと近づいて行った。
最初に俺に気付いたのは先輩である。
「おお、噂をすればスケコマシストの春川じゃないか」
「どうも。というか、勝手におかしな称号与えないでもらえますか?」
彼女は拳ではなく言葉で軽いジャブを浴びせて来た。先週の椚原さんといい、流行っているのだろうか。
と、どうでもいいことを考えていると、今度はクラスメイトが声を上げる。
「春川くん! この人ホント何者なの⁉︎ 平然と人をいたぶっておいて、なおかつ凄い笑顔なんだけど!」
「ああ、すまないけど、もうそいつのことは諦めてくれ……」
「おやおや酷い言われようですねぇ」
お前だけは本当に黙っていてくれないか、と言ってやりたかったが、そんな暇も与えずにステラは喋り始めた。
「だいたい、シオンさんはいつも私の扱いがおざなりすぎるんですよ。これだけ献身的に接しているというのに」
「お前は献身的に人をいたぶっておいて、なおかつ凄い笑顔でいられるんだな」
「もちろん!」
そしていい返事である。
このまま彼女のペースに巻き込まれていたらいつまで経っても自分の寮へ帰れそうにない。
しかし放置しておくわけにもいかないし、どうしたものか。
頭痛すらして来たのを感じていると、同情するような声で日向が話しかけて来た。
「……ごめん、あんた、やっぱモテてるみたいだわ」
「……そうか。気付かなかったよ」
額に手を当てながら答えると、再び梔子先輩が口を開く。
「すまないが、私の用事を先に済まさせてもらって構わないか。この後も重要な会議があってな」
「そうでしたか。
どうぞ、俺は構いませんので」
「ありがとう。恩にきるよ」
やや大袈裟に言った生徒会副会長は、そのまま俺に向かって用件を告げた。
「昼間も言ったとおり、実は桜から言伝を預かっているんだ。
──と、その前に。春川は今、部活や委員会はどこにも所属していないんだったな?」
「ええ」
どうしてそのようなことを聞くのかと思いながら、俺は頷き返す。
「そうか。
うむ、それは好都合だ」
腕を組んだ彼女は満足げに言うと、まっすぐ俺に目を向け方頬を吊り上げた。
「単刀直入に言おう。我々生徒会は、君にある委員会へ入ってもらいたいと考えている」
「……委員会、ですか」
これもまた意外な申し出である。
「ああ。
実は、近々新たな委員会を学内に設立する動きがあってな。私たちは、是非君にもその委員会に参加してほしいと考えているんだ」
「はあ。正直、あまりそういったことをして来た経験がないので、自信ないですが」
事実、俺は今までなるべく人前に出るような活動は避けて生きて来た。
元来あまり目立つことは好きではないし、組織での仕事というのに自信がないのも事実である。
俺のネガティヴな返事に対し、先輩は表情を少しだけ和らげた。
「私や桜は向いていると思うがな。
ちなみに、推薦したのは」
「私です!」
勢いよく言葉を継いだのは、なんとステラである。
全く予想だにしない出来事であり、俺は思わず彼女のしたり顔をまじまじと見つめてしまった。
「……お前が? どうして?」
「ああ、なんでも桜とは知り合いだったらしくてな。あいつ曰く偶然出逢ってそのまま意気投合したそうだが、私も詳しくは知らん」
「そーゆーことなのです」
結局どういうことなのかわからないが、これは新事実だ。
ステラと生徒会、いや皇樹先輩は面識があった。しかも、場合によってはこの白髪頭の方から近づいたとも考えられる。……しかし、こいつは何を思ってそんなことを? というか、もしかして割と普通に出歩いてたりするのか?
「とにかく、そういうわけだから一応考えておいてくれないか。詳しいことは、また後日改めて伝えさせてもらうから」
「わかりました。
ちなみに、その委員会はどんな活動を行うのでしょうか?」
俺の問いに、彼女は腕を解くと今一度握り拳を作ってみせた。
「学園を護る為の活動だ」
──学園を、護る。
それは、あなた方のようにですか?
と、尋ねてみようかとも考えたが、止めておく。
俺は俺の護るべき人を、そして友人たちを護って行ければそれでいい。
すでにそのような答えが出ていたからこそ、あまりこの話を掘り下げる気にはなれなかった。
生徒会長からの言伝を伝え終えた梔子先輩は、「では私はもう会議に行くとするよ」と言い、拳を開いた手をひらりと挙げる。
そういえばまたしても「方舟ゲーム」が何なのか、そして先輩も関わっていることなのか聞きそびれてしまったが、まあ、仕方ないか。
「はい。お疲れ様です」
「ん。ではまたな」
彼女は俺の横を通り過ぎ、すたすたと歩き去って行った。
「ああ〜、梔子先輩行っちゃったぁ! せっかく白米の魅力について語り合おうと思ってたのにぃ」
椚原さんはがっくりと肩を落としてうなだれる。
「あんたどんだけ米の話すんのよ。
つうか、いつまでも入り口にいたら邪魔だし、さっさと中入ろ」
と言うと、日向は彼女の大きなリュックサックを引っ張り強引に寮の敷地内へと連れて行こうとした。
「ええ⁉︎ まだこの人のことはっきりさせてないよ⁉︎」
「はいはいわかってるわかってる。たぶん大丈夫だよ〜」
「適当すぎない⁉︎
……ていうか、カリリンもしかして機嫌よくなってる? 杏藤ちゃんと仲直りできたとか?」
友人に問われ、彼女は足を止める。
「それはまだ。
けど、明日ちゃんと話してみるよ」
「そっかぁ、頑張ってね!」
「うん。
──ただし、今あんたがその渾名で呼んだことによって機嫌は悪くなったけどね」
「……え、嘘」
顔を青くして怯えた様子の椚原さんを、日向は物凄い勢いで連行してしまった。
「は、春川くん、お助けぇぇぇ!」
彼女は大声で叫び助けを求めて来るが、女子寮に入るわけにも行かず今回ばかりは救い出せそうにない。
二人が塀の向こうに消え、結局俺とステラだけが取り残される格好となる。
「あらら、行っちゃいましたねー」
「そうだな。
……で? お前は何しに出て来たんだ?」
最も気になっていたところだ。
この神出鬼没の超越的存在が、今日はまたどうして女子寮の前なんかにいるのか。
俺の問いに、ステラは黄金の瞳を悪戯っぽい形にして答えた。
「シオンさんがここを通りがかるような気がしたので、張ってたんですよ」
「なんでまた」
「むふふ、修羅場という奴を見てみたかったので」
微塵も悪びれることなく言ってのける。
ひとまずため息を吐いた俺は、もうこいつのことは放っておいてさっさと寮へ帰ることにした。
俺が何も言わずに歩き出すと、彼女は若干不満そうに追いかけて来る。
「ちょっと、無視は酷くないですかぁ?」
これもまたスルーしてやろうと決めた時、ふと先ほどの芦屋の言葉が脳裏に蘇った。
──芦屋は十年前に「アバドン」の中であったことを知っている風だった。そして、そのセリフから察するに、俺はあの日東京で彼の言うところの真実の天使とやらに出逢っているらしい。
「またスルー? いいかげんにしてくださいシオンさんっ。だからモテないんですよ?」
ステラがまた勝手なことを言って来るのを聞き流しながら、ならば、と考える。
もしそうならば、こいつも何か知っているんじゃないだろうか。
俺に「神の指」の使い方を教えに来たという、案内人の彼女なら。
「……ステラ」
いい機会だし尋ねてみようと、俺は声をかけた。
「私のことは無視じゃないんですか?」
「悪かったよ。
それより、お前に聞きたいことがある。……お前は、真実の天使という言葉を知らないか?」
足を進めながら問うと、ステラはまだ不服そうに頬を膨らませていたが、それでも一応答えてくれる。
「むう、なんか納得いきませんけど……。
取り敢えず、その質問の答えは『YES』です」
「やっぱりか。
なら、教えてくれ。そいつが何者で、何が目的なのか」
すると、彼女は突然立ち止まった。
数歩先を行っていた俺は、どうしたのだろうとこちらも足を止めて振り返る。
「ステラ?」
「……それは、お答えできません。というか、いずれわかりますから。そう遠くないうちに……」
案内人はうつむき、長い髪がその表情を覆い隠した。
「どういう意味だ?」
今度の質問に、返答はない。
先ほどまで嬉々として人をいたぶっていたのに、この変化はどうしたことか。
見慣れない様子のステラに少々戸惑っていると、俺の目に彼女の大きな髪飾りが映り込む。
そして、不思議な感覚を覚えた。
デフォルメされた星の形をしたその髪飾りを、俺はもっと別の機会に目にしているのではないかという、いわゆる既視感である。
──いや、そもそも、この「既視感」を抱くことに関しても初めてではなかったような。
……まさか、あの髪飾りは。
「……大丈夫ですよ、シオンさん」
先に口を開いたのはステラの方だった。
「これから何があっても、どんな道を選んでも、あなたなら大丈夫です」
「……急にどうしたんだよ」
相手の態度の方が気になり、髪飾りについては尋ねられない。
というか、またも意味深な発言である。
再び、彼女からの答えは返って来ない。
痺れを切らした俺は今度こそ問い質してやろうと口を開きかけたが、急にステラが顔を上げた為またしても不発に終わった。
そして、俺の背後に視線を向けた彼女は驚愕に目を見開く。
「し、シオンさん、あれ……!」
ただならぬ様子で道の先を指差すステラ。
いったい何を発見したのかと、俺は若干身構えながら背後を振り返った。
すると、そこには──誰もいなかった。
「……あれ?」
呟いてから、首を回してもう一度彼女の方に顔を向けると、なんというか案の定、すでに影も形もない。
そこでようやく、あまりにも古典的な手法で騙されたのだということに、気がつく。
もしかしたら、自分は思っていた以上に間抜けなのかも知れないと思いながら、俺は自己嫌悪のため息を盛大に吐き出した。
*
私立秋津学園:会議室──。
他の教室に比べやや広くなっている室内には、すでに各委員会の長たちが顔を揃えていた。
部屋の中央に置かれた立派な造りの楕円形のテーブルの席は、一つを覗いて全て埋められており、みな緊張した面持ちで会議が始まるのを待っている。
この空いている一席は会議室の奥側の壁に面した楕円形のカーブにあたる部分であり、生徒会会長皇樹桜の左隣であった。
椅子に腰下ろした彼女は瞑想でもするかのように目を伏せ、テーブルの上に置いていた自分の手を見るともなしに眺めている。
そんな彼女の様子を顔色を窺うように盗み見ながら、委員長たちは今日の議題についてそれぞれの思惑を巡らせていた。
通常行われている会議よりもさらに張り詰めた空気を感じ、書記役を務める為に一人だけ立っていた小枝は息を呑む。
部屋の隅に控えながら、彼女は落ち着かない様子で最後の席に着く人物の到着を待っていた。
──すると、そこで桜たちのいる方に近いドアが開かれる。
室内にいたほぼ全員──桜以外──がそちらに目を向けると、戸口に立っていたのは生徒会副会長だった。
茉莉は「申し訳ありません、遅くなりました」とだけ断ってから、さっさと会長の隣に腰下す。
これで参加者が全て揃い、桜は顔を上げた。
「お待たせしました〜。ではこれより、臨時の委員長会議を始めようと思います」
あくまでも笑顔、そして軽い口調ながら、彼女の言葉にはどこか重々しさが感じられる。
「まず今回の臨時会議の議題ですが、皆さんもご存知のとおり──」
その先に続く言葉が放たれるよりも先に、各委員長たちの目の前の空間、それから書記役の小枝の背後に、それぞれウインドウが表示された。
そのウインドウの中に映し出されている文字は、直後桜の口から発せられた物と同じであり──。
「“防衛委員会”の発足についてです」




