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アカシックシード  作者: 若庭葉
Season1「Butterfly」
3/47

第一話「邂逅」

 運命は変わらないと、彼女は言った。

 問題はない、と俺は答えた。


「他の誰が何人犠牲になろうと構わない」


 俺のその回答は彼女を満足させる物だったのか、少女は頬を染めたまま身をよじる(・・・・・)


 あの日から、十年の月日が経ったある夜のこと。

 病院の屋上で対峙する俺たちの姿を、青白い月明かりが照らし出していた。






 *


 蜻蛉市の中心都市、「蜻蛉」。

 建ち並ぶ高層ビルの間、青澄んだ空の中には、四角い〈ウインドウ〉がいくつも浮かんでいた。

 こうした〈ウインドウ〉の表示する内容は宣伝広告や最新ニュースの記事、はたまた本日の星座占いと多岐に亘る。

 中には実際にテレビの番組やCM映像を延々と流し続ける物まであるのだが、しかし、それも“セカンドリアリティ”の技術の普及した現代ではごくありふれた光景だ。

 よって、今さら興味など惹かれるわけもなく──。

 下校中の俺は今日も、すぐ隣りを歩くクラスメイトの言葉に耳を傾けていた。


「でね、私その時言ってあげたんだー。『まるで堕天使だよっ⁉︎』って」

「へえ、そうなんだぁ。さすが椚原さん……けど、何をしたらそんな風にツッコむことになるんだい?」

「うーん、なんでだったかなぁ……忘れちゃったけど、とにかくそんな感じだったんだよ?」


「椚原さん」こと椚原蜂蜜(くぬぎはらはちみつ)さんはそう答え、「本当だよ?」と念を押す。

 椚原さんは柔らかそうな栗色の髪を後ろで二つに結んでおり、歩く度に彼女のご機嫌度を示すメーターのようにゆさゆさと揺れていた。まっすぐに切り揃えられた前髪は若干幼すぎる感じもするが、快活な彼女にはよく似合っている。

 学園の紺色のブレザーを着ている俺とは違い、椚原さんはラクダ色のカーディガンを袖を長めに余らせてシャツの上から羽織っていた。早いものでもう入学から一ヶ月以上、季節は五月なのだから充分その格好でも過ごしやすいのだろう。

 ──それにしても、本当にどんな状況だったんだ?

 さりげなく車道側を歩きながら、改めて俺が疑問に思った時、彼女は唐突に話題を変えた。


「そういえば、知ってる? 春川くん。うちの学園の生徒会ってね、すっごいんだよー?」

「ああ、聞いたことがあるよ。この街では有名なんだよね?」

「そうそう。

なんでも、蜻蛉の街のありとあらゆる情報をショウアクしてるんだって。……ショウアクってどういう意味なんだろうね?」


 無邪気な表情で首を傾げる椚原さん。もしこのセリフが他のクラスメイトの口から出ようものなら軽くイラッと来ること請け合いだが、彼女の場合許せてしまうのだから不思議だ。

「とにかく凄いってことだよねっ!」と自己完結する椚原さんに、俺は「そのとおりだよ」と笑顔で頷く。

 とはいえ、実際うちの生徒会はこの街では特別な存在らしい。

 彼女の言っていたように蜻蛉内のさまざまな情報に精通し、各主要機関に強固なパイプを持っているのだとか。

 とにかく、我が校の生徒会の影響力は蜻蛉内に強く及んでおり、そんな彼らは椚原さんの憧れの的のようであった。


「格好いいよねー、生徒会の人たち! なんだかそこはかとなく大人っぽい感じ? まじリスペクトだよー!」

「そうなんだ〜」


 少年のように──と、女の子のことを例える時に用いるのもどうかとと思うけど──目を輝かせる彼女を見ていると、自然とこっちまで明るい気分になって来る。


「中でもね、私の推しメンはねっ」


 と、椚原さんは突然立ち止まり口を噤んでしまった。

 どうしたのだろうかと、俺も歩みを止めて、彼女が食い入るように見つめる先に顔を向ける。

 椚原さんの視線の先、建ち並ぶ雑居ビルの間の路地裏では、数人の学生たちが何やら揉めているらしかった。


「おい、芦屋(あしや)ァ。約束が違えじゃん。俺らいくら出せって言ったよ」

「こ、今月はもう全然お金ないんだ……許してくれよ」


 いじめっ子三人対いじめられっ子一人というわかりやすい構図だ。

 また、制服を見るに全員うちの学園の生徒であるらしい。

 三人組のうちリーダー格っぽい金髪が、くしゃりと〈紙幣〉を握りしめている手を相手の顔前に突き付けていた。胸ぐらを掴まれた縁なし眼鏡をかけた男子生徒は、苦しそうに表情を歪ませている。

 なんというか、今時こんな絵に描いたようなカツアゲってあるんだな。もしこんな場面に遭遇していじめられっ子を助けるところから始まる漫画や小説があったら、その時点で打ち切りの予感しかしないだろう。

 何はともあれ、なるべく余計なトラブルは回避したい主義の俺は、さっさとその場から立ち去りたかった。

 しかしながら、隣に立つ彼女から一向に動き出す気配が感じられないのだから、少々困る。

 椚原さんはあろうことか彼らをガン見している。あの頭の悪そうな連中がこのことに気づいたら、きっと俺たちに絡んで来るに違いない。

 それだけはなるべく避けたい。

 俺自体はともかく、あんな馬鹿みたいな奴らの為に彼女が傷つくなんて以ての外だ。

 ここは心を鬼にして、俺は椚原さんのカーディガンの袖を引っ張って行こうとした。

 が、時すでに遅く。

 俺の指がカーディガンに触れるよりも先に、彼女は路地裏へ向かって歩き出していた。


「やめなさい、あなたたち! カツアゲとかよくないよ、本当!」


 独特の言い回しで、啖呵を切った椚原さん。

 今時身を挺してカツアゲから他人を助けようとする女子高生なんて、そうはいないだろう。その雄姿に素直に感動を覚えるが、さすがに無謀すぎやしないか?


「あん? なんだこのガキ」


 案の定な反応を返す、ステレオタイプの不良たち。彼らも、その向こうにいる男子生徒も、みな椚原さんに怪訝そうな視線を向ける。


「いやガキじゃないし。人を見た目で判断するなし」

「は? 何言ってんの? 中坊だか知らねえけど、今お兄さんたちお取込み中だから、他で遊んでもらえるぅ?」


 他人(ひと)のことをナメ切ったセリフが、嘲笑と共に浴びせられた。

 彼女のすぐ側まで来ると、握り締められた拳が小刻みに震えていることに気付く。

 それも、どうやら恐怖ではなく怒りで。


「ち、中学生じゃないし! 高一だし! つうか何それ! 私怒ってるのに何それ! 全然納得行かないよ!」


 少々論点がズレて来ている気がするが、とにかく偉くご立腹のようだ。

 これを受けた不良共はいっそう愉快そうにゲラゲラと汚い笑い声を上げる。


「はぁ? おいこいつマジで意味わかんねえよ。結局ガキはガキじゃねえかよ」

「ぐぬぬ、好き勝手言っちゃってもう……」


 とうとう唸り出す段階へ入った椚原さん。

 これ以上いいように言わせておくのは癪だし、そろそろ彼女に加勢するべきかと判断し口を開きかけた時、それは起こる。

 ふと何者かの視線のような物を感じ頭の上に目を向けてみると、ビルに切り取られた狭い青空から何か黒い影が近づいているではないか。

 ──あれは……人?

 そう、俺たちの目の前に落ちて来たのは、なんとうちの学園の制服を着た少女だった。


「なんだアレ──あばっ⁉︎」


 不良たちもその存在に気づいたようだったが、次の瞬間、すでにその人物は三人組の中の一人──金髪の顔面をスニーカーで踏みつけている。

 可哀想な金髪はそのまま路地裏に倒れ込み、空から現れた女生徒はさらに彼を蹴りつけ今度こそアスファルトの上に着地した。

 いったい何が起こったのか、その場に居合わせた全員ともすぐに理解することができなかった。

 数泊置いてから、ようやく仲間がのされたという事実を認識した不良たちは、慌てて金髪の元に駆け寄る。


「ミチオくん! 大丈夫か⁉︎」

「気を確かに!」


 抱き起こして揺さぶるも、気絶しているらしく白目をむいてしまっていた。


「ミチオくーん! 戻って来いってぇ!」

「……くそっ、ふざけんなよ」


 仲間うちの絆だけはやたら強いようで、彼らは怒りの籠った眼差しを仇敵へと向ける。

 着地してからすでに立ち上がっていた彼女は、余裕のある感じで二人──と、怯えた表情のまま動かずにいるいじめられっ子──の方を振り返った。

 肩に着かない程度の長さの艶やかな黒髪が、軽やかに揺れる。

 ブレザーの下に着た灰色のパーカーと、左二の腕につけている真っ赤な腕章が目を惹いた。


「……なあ、君たち」


 彼女の腕章に刺繍されているのは、「秋津学園生徒会」の七文字。


「楽しいかい? 弱い者イジメは」


 不敵な笑みで口角を吊り上げながら、女生徒は首を傾げる。

 その様子は明らかに異質、ただの高校生とは何かが違うように感じられたのだが、怒り心頭の二人の不良たちはそんなことには気付かない。


「うるせえクソアマがァ! 楽しいに決まってんだろゴラァ!」

「なんならてめえにも楽しさわからせてやんぞオラァ!」


 物の見事に逆上し、個性的なセリフで怒りを表現する二人。しかし、女生徒は全く怯むことなく、それどころか余裕の笑みを浮かべたままである。


「そうか。ならば、ぜひご教授願おう」


 ──そこから先は、とにかく凄まじかった。

 まず、キャップを被っている背の高い方が彼女に殴りかかったのだが、何度振り回してもその拳が標的に届くことはなく。そうこうしているうちに鳩尾に鋭いキックを、そして苦痛に悶える暇もなく追撃の踵落としを頭頂部に喰らい、あっという間に伸びてしまう。


「なっ、タッちゃん⁉︎」


 再び仲間が路地に倒れるのを見て、チャラついた髪型の男子生徒は目を見開いた。

 それから、涼しい顔をしている女生徒の姿を若干怯えた目つきで見つめると、徐に右手を挙げる。

 それは降参の合図、というわけではなく、彼の手元の空間が揺らめいたかと思うとそこには一本の〈アーミーナイフ〉が出現したのだった。

 刃渡り十五センチほどの得物を握り締め、体の前でそれを構える不良C。それは街の空に浮かぶウインドウや俺の読んでいた〈文庫本〉と同じく虚構(・・)の産物にすぎないのだが、その刃の鋭さはまるで本物の凶器と比べなんら遜色ないだろう。

 これだけのことで形勢逆転したと思ったわけではないはずだが、彼の口元には下卑た笑みが浮かんでいた。

 が、しかし、対する生徒会役員は凶器を目の当たりにしてなお、相手を嘲笑し続ける。


「ふふっ、それがあったら私に敵うのか?」

「て、てめえ……!」


 彼女の余裕のセリフを受けた不良Cは額に青筋を浮かべ、目の下をひくひくと痙攣させた。

 直後、彼はもう一方の手もナイフに添えて、雄叫びと共に女生徒目がけて猛突進する。


「死ねやぁぁらぁぁあ!」


 迫り来る凶刃にも狼狽えることなく、彼女は滑らかな動きでその攻撃に対応した。

 いとも容易くナイフを躱すと、同時に相手の右の手首を掴んで締め上げる。


「っで⁉︎」


 よほど強い力で握り締めたのか、不良Cはすぐに手を開き得物を落としてしまった。〈アーミーナイフ〉は地面に着くよりも先に、跡形もなく消えてなくなる。

 それから、一度相手の手首を離した女生徒は瞬時にその背後へと回り込み、苦痛の表情で掴まれていた場所を摩っていた彼の膝の裏を蹴り付けた。

 膝カックンの要領で体勢を崩す不良C。彼の首にはいつの間にか女生徒の左腕が回されており、もう片方の腕と交差する形でガッチリとロックされてしまう。


「うぐ、あ……」


 ミシミシと首が絞まって行く痛々しい音が、この距離でも聞こえて来る。

 その細い腕のどこにそんな力があるのか、不良Cがどれだけもがこうとも振りほどくことは不可能のようだ。


「二つだけ言っておくことがある。

 一つ、そのアプリケーションは一般市民には所持できない物であり、これに反することは条例違反である。

 二つ、そもそも、ナイフのアプリなんて普通の環境下で使用したところでこけ脅し(・・・・)程度にしかならない」


 もうギブアップなのか彼はバシバシと腕を叩いて降参を伝えようとするが、彼女がそれに応じることはなく、代わりにそっと耳元で囁くのだった。


 ──二〇九〇年代に全世界的な普及を遂げたセカンドリアリティとは、ありとあらゆる物を信号化し、それらを特殊なチップを埋め込んだ人間の脳が受信することにより、「実際にそこにある物」として認識できるという技術であった。

 こうした信号の中には色や形などの見た目はもちろん、感触や重さや匂い、そして味といった「その物を構成するありとあらゆる情報(データ)」が詰まっており、これらを脳内で現実の物を認識する際と同様に処理することで、セカンドリアリティのシステムは成り立っている。このことから、それはもはや人類にとって「仮想(バーチャル)」の現実ではなく「第二(セカンド)」の現実だと言われたのが名前の由来なのだとか。

 また、この技術が完成したことにより大抵の物ならアプリケーション化して気軽に持ち歩くことが可能となり、こうしたアプリは全て意識を集中させるだけで、気軽に起動させることができた。

 よって、アプリを起動させている間はそれを現実の物として認識し実物と同じように使用できるのだが、やはりナイフで切りつけられるのとなると話が変わって来る。

 たとえ〈アーミーナイフ〉の鋭利な刃を実物だと認識していたとしても、それで切られたところで実際に怪我を負うまではいかないのだ。彼女の言っていた「こけ脅し程度にしか」とは、そういう意味だろう。

 ……もっとも、あの暗闇(・・)の中でなら、あるいは人を傷つけられるのかも知れないが。


「うっ……」


 その短いうめき声を最後に彼は完全に落ちてしまったらしく、土気色の顔を力なくうなだれてしまった。

 女生徒が腕を離すと、不良Cは膝からその場に倒れ込む。

 たった一人で男三人を秒殺してしまうとは。いったい、この人は何者なんだ?


「うーん、やはりつまらない物だな、弱い者イジメは」


 本当に面白くなさそうに、眉をひそめる。

 そらから、尻餅をついて呆然と彼女の「弱い者イジメ」を見ていた、芦屋とかいう名前の男子生徒の存在に気付いたらしく、彼の方へ向き直った。


「君、大丈夫かい?」

「ひ、ひい⁉︎」


 たった今目の前で起こったショッキングな出来事か焼きついているのか、短く悲鳴を上げた彼は慌てて立ち上がり、足を縺れされながら路地裏の奥へと逃げて行ってしまう。

 それを見送った女生徒は不服そうな表情で頭を掻いた。


「人の顔を見るなり逃げ出すとは、失礼な奴だ。せっかく助けてやったというのに」


 やれやれと肩を竦めると、今度は俺たちの方へ振り返る。

 切れ長の気の強そうな瞳と、端正な白い顔がこちらを向いた。


「君たちも、どこも怪我はないかな?」

「……あ、はい。大丈夫です」


 何故か直立不動のまま固まっている椚原さんの代わりに、俺が答える。

 するとその女生徒──立ち振る舞いからして先輩のようだ──は、満足気に頷いた。


「ん、ならばいい。

 しかし、あまり無茶なことはせず、ちゃんと警察なり生徒会なりに通報するように。いいね?」


 そこで警察と生徒会が並ぶところからしてこの街での権力の強さが窺える。

 俺は素直に「はい」と返事をしておいた。


「君も、わかってるんだろうね?」


 この問いは、もちろん椚原さんに対して向けられた物だ。


「おーい、聞いてるかい?」

「……ごい」

「え?」

「……すごい! マジもんの生徒会の人だ!」


 急に顔を上げたかと思ったら、興奮気味に彼女は言った。まるで憧れのプロスポーツ選手を目の前にした子供のように瞳を輝かせており、それを見た俺は取り敢えず元気になって何よりだと思う。


「しかも、副会長の(・・・・)梔子(くちなし)茉莉(まつり)先輩ですよねっ!」


 相手の両手を取って握手せんばかりの勢いで、椚原さんは尋ねた。

 梔子先輩は少し照れ臭そうにしながら、「いかにも……?」と答える。


「やったぁ! えっと、サイン! 何はともあれサインください!」

「え、構わないけど、何故?」


 たじろぐ彼女を無視して、椚原さんは背負っていた大きなリュックサックを下ろすとその場に置き、チャックを開けて中を漁った。そして一本の黒マジックを取り出すと、躊躇うことなく相手に差し出す。


「ここっ、ここにお願いします!」


 そう言いながら、あろうことかカーディガンの背中を先輩へ向ける椚原さん。さすが、発想がもう一般人のそれとは違うね。


「ほ、本当に書くのか?」

「はい!」

「……うむ」


 腕力以外は常識的なのか、躊躇いながらも梔子先輩はマジックのキャップを外しファンの背中でペン先を走らせる。


「……これで、いいかな?」


 書き終えた彼女が尋ねると、ご満悦の椚原さんは再び副会長の方へ体を向けた。


「はいっ! ありがとうございます! もうこのカーディガン死ぬまで着ます!」


 ぺこりと頭を下げるその背中には、サインというかただの署名といった風に「梔子茉莉」と丁寧な字で書かれている。


「そ、そうか」


 すっかり椚原さんのペースに飲まれてしまっている先輩は、困惑気味の表情を浮かべマジックを返した。

 と、その時、彼女の顔と同じぐらいの高さのところの空間が揺らぎ、そこに〈携帯電話(スマートフォン)〉が出現する。〈スマホ〉は着信を告げているらしく、空中に留まった振動していた。


「失礼、他の役員からの連絡だ」


 梔子先輩はそれを掴むと、画面に触れて応答し右耳に当てる。

 〈スマホ〉自体はもちろんセカンドリアリティなのだから、当然それ自体に電波のやり取りをする機能はない。ではどうやって通話やメールを行っているのかというと、これも脳内にあるチップが担っているのだった。その他、このチップ──正式には「ゼルプストチップ」と呼ばれる物だ──によってインターネットに接続することも可能であり、いつでもどこでもネットサーフィンができるようになっている。言うなれば、かつてPCや携帯電話(スマートフォン)なんかが持っていた機能を、直接体の中に埋め込んで生活しているような物か。


「もしもし? ……ああ、そうだ。ちょうど今制圧完了した」


 そんな会話が聞くとはなしに聞きながら、俺は少し声を低くして有頂天のクラスメイトに尋ねた。


「なあ、椚原さん。あの人って、そんなに有名なの?」

「うんっ、そりゃもちろん!

 なんたって、梔子先輩はね──」


 背中のサインを見せつけるみたいに肩越しに俺を振り返って、椚原さんは続ける。


「学園の生徒会役員にして、超強い“フリーファイター”でもあるんだからっ!」

「フリー、ファイター……」


 声に出して呟いた俺は、一人納得していた。

 先ほど彼女が披露した剛力の由縁は、そこにあるのかも知れない。

 そして、椚原さんのハイテンションぶりから察するに、「私の推しメン」とは、この人のことだったのだろう。

 蜻蛉でも有力な立場の学園の生徒会──しかもナンバーツー──であり、フリーファイターとしても活躍している先輩。

 俺は、改めて梔子先輩の横顔をまじまじと見つめる。


「ああ、わかった。じゃあ、また後でな」


 そう答えた先輩が通話を終えると、〈スマホ〉は自動的に消えてなくなる。

 ──それは、進学から一カ月ほどが過ぎた西暦二一五〇年(年号で言えば“再世”八年)、五月九日の放課後の出来事。

 俺たちと梔子茉莉先輩との、一度目の(・・・・)邂逅だった。


 *


 それから、意識を取り戻した不良たちへ説教をしなければならないという梔子先輩に見送られ、俺たちは再び学園の寮への帰路を歩いていた。

 今は大通りから外れマンションや住宅の建ち並ぶ閑静な道を歩いている。人通りはあまりなく、俺と椚原さんの他には犬の散歩をしている老人と俺たち同様学園の生徒が数人歩いているのみであり、あとは井戸端会議中の買い物袋を持った主婦たちが立っているくらいか。

 日はすでに傾き始め、朱色の西陽が街の景色全て自らの色に染め上げる。

 憧れの生徒会役員──しかも推しメンだったらしい──と出逢った為か、椚原さんはますます上機嫌のようだった。

 梔子先輩と別れた後、彼女は我が校の生徒会がいかに素晴らしい組織なのかを言葉を尽くして俺に教えてくれる。


「だからね、もう会長さんに至ってはね、同じ生き物とは思えないほどヤバいんだよ! ゲロヤバなんだよ!」

「そうなんだ。でも『ゲロヤバ』はあまり使わない方がいいと思うよ?」


 褒め称えたくて必死なのは充分伝わって来るが。

 と、椚原さんはまたも唐突に立ち止まる。

 また誰かがカツアゲされているところを見かけた、というわけでもないだろうに、どうしたんだろう?

 俺も足を止めて彼女を見ると、椚原さんは少しうつむいて何故か落ち着かない様子で佇んでいた。

 沈みかけの夕焼けが、よりいっそう強烈な光で彼女の顔を照らし付ける。


「……私も、いつかあんな風になれたらいいな、とか思ったりちゃったりして……」


 いつになく不安げな声で紡ぎ出されたその言葉に、俺は息を飲む。

 そんなことを椚原さんが考えているとは、思ってもみなかった。

 もしかしたら、彼女の生徒会に対する憧れは単なるそれとは違う物なのかも知れない。先ほどの梔子先輩のような、「弱きを助け強きを挫く」を地で行くといった行動に憧れていたからこそ、カツアゲを止めに入ったのかも。

 椚原さんの気持ちは意外だったし、もしその願いが叶うことにより彼女が危険に晒されるおそれが少しでもあるのなら、素直に賛成し難い物だが……。

 いずれにせよ、今の俺にできることはこれだけか。


「大丈夫だよ」


 顔を上げる椚原さんに、俺はなるべく彼女を安心させられるような表情を浮かべて続ける。


「椚原さんなら、大丈夫だと思うよ」

「……春川くん」


 俺の返事が意外だったのか彼女は目を丸くしたが、それも一瞬のことですぐにいつもの快活な笑顔を取り戻した。


「うん! ありがとう!」


 元気よく礼を言う彼女に釣られて、俺も自然と笑みが浮かぶ。

 取り敢えず、今はこれがベストアンサーのように思えた。細かいことは後にして、椚原さんの不安を取り除いてあげることが先決だと。

 結果、俺の思惑どおり彼女はまた笑ってくれている。


「私、頑張るね! 何をどう頑張ったらいいかわからないけど、とにかくがんば──」


 ──「偶然」か「必然」か、言いかけた椚原さんの言葉を遮るように、それ(・・)は起きた。

 彼女を映す俺の視界の端に、何かが落下して来たのである。

 アスファルトに衝突したそれは大きな鈍い音を立て、かと思うと赤黒い液体が盛大に道路上に飛び散った。

 そのことに気づいた椚原さんが、恐々と背後を振り返る。

 それと同時に、俺はようやく落下物の正体を理解した。

 上空──おそらくは通りに面して建っているマンションの上階──から降って来たのは、人間の体(・・・・)だった。

 直後、誰かの悲鳴が夕暮れの空をつんざくように響き渡る。他の通行人や住民たちも気づいたらしくみな混乱した様子で道路に倒れる死体を見つめ、女性の悲鳴と犬の吠える声で閑静だった住宅街は一気に騒々しくなった。

 一目見て即死と思われる、シャツを着た男の死体。問題は、彼が死に至った経緯だ。


「う、嘘……あの人」

「見ちゃ駄目だ!」


 硬直したまま死体に釘付けとなっていた彼女の前に立ち、衝立みたいになって肉塊が目に入らないようにする。

 もしも、彼が「自殺」により道に落ちて来たのだとしたら、大変なことになるだろう。

 そう思った矢先、降って来た男の亡骸にある異変が起きた。

 頭の割れた男の死体が、突然膨張(・・)し始めたこである。

 みるみるうちに風船みたいに膨れ上がった男の体は、しかし宙に浮いてしまうようなことはなく、道路の真ん中でただ破裂の時を待っているようだった。

 盛り上がった背中や丸太のようになった両の手脚。

 目撃者たちがその場から逃げ去るよりも先に、とうとうキャパシティーを超えてしまった体は破裂してしまう。

 ドンッという爆弾が爆ぜたような大きな音と共に、炸裂した死体から黒い闇その物が噴出され、瞬く間に辺り一帯を包み込んだ。


「くっ!」


 腕で顔を庇い漆黒の爆風を堪える。

 そして、それがひとしきり収まったのを感じ目を開けると、すでに暗闇の包囲は完了していた。

 毒々しい夕焼けが朱色の光を放っていたはずの空は、夜でもないのに黒く塗り潰され、星も月も浮かばない真の暗闇となっている。

 また、通りの先に見える景色は何もなく、ちょうど大通りとの境目辺りで黒い壁に遮られるようにぶっつりと途切れていた。反対を向いてもやはりそれは同じであり、住宅街は何百メートルか先で闇に呑み込まれている。

 つまり、俺たちはまんまと閉じ込められてしまったのだ。

 ──セカンドリアリティの普及後しばらくしてから現れた新種の災害、“コラプサー”に。

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