第二十四、五話「演説」
「蜻蛉アースランド」を後にした俺たちは繁華街で夕飯を済ませ、それぞれの寮へと帰る途中だった。
時刻はすでに二十時をすぎているのだが、空に浮かぶいくつものウインドウが光を放っている為、街は夜でも割合明るい。
その分星の光は全くと言っていいほど地上に届かないのだが、これも大都市ならどこへ行っても同じことだろう。
いつもの通学路と同じ道をなんとなく男子と女子に分かれ二列で歩いている中、椚原さんがため息を吐いた。
「はぁ、やっぱりあげるんじゃなかったなぁ、スターくん……」
「え、あんたもう後悔してんの?」
「だってぇ、あれ偉大な先輩方のサイン入りだったしぃ。めちゃくそプレミア物なんだよ?」
前を行く二人のやり取りを聞きいていると、今度は杏藤が彼女の小さな背中に声をかける。
「けどよかったじゃんか、梔子先輩たちとアースランド回れたんだからさぁ」
頭の後ろで手を組んで歩く彼の言ったとおり、俺たちは鈴菜ちゃんたちを見送った後、二時間ばかり一緒に園内を見て回ったのだ。
当然、椚原さんは終始ご満悦の様子であり、ことあるごとに先輩方を引っ張って行ってはアトラクションを楽しでいた。
が、しかし、彼女のテンションに反比例する仕組みなのか梔子先輩の気力はどんどん萎んで行き、最後には茶柱先輩に肩を貸りながら、学園内にある寮へと帰って行ったほどであった。
「まーねー。先輩たちの周りの空気を、タッパーに詰めて持って帰りたかったくらいだったよ〜」
「そ、それはさすがに気持ち悪いな……」
呆れた声で友人は言う。
今日も今日とて椚原さんが幸せそうで何よりだと、俺は素直にそうで思った。
と、ちょうどそこで、俺たちは大きなスクランブル交差点へ差しかかる。
そして、信号が変わるのを待つ為に立ち止まりかけたその時、蜻蛉の街の空にある異変が起こった。
──なんと、ビルの合間に浮かんでいた無数のウインドウが、みな一斉に全く同じ画面を映し出したのである。
「何、あれ……?」
友人たちもすぐ気がついたらしく、まっさきに日向がそう口にした。
ウインドウの中には白い背景と、なんと昼間も目にしたWSROのシンボルマークが表示されているではないか。
街行く人々の大半は立ち止まり、俺たちと同じように顔を上げてこの光景を眺めている。
「WSROのマーク、だよな?」
誰にともなく尋ねる杏藤の声に、俺は「ああ……」とだけ応じた。
いったい、何が行われようとしているんだ?
「蜻蛉アースランド」で皇樹先輩を迎えに来たことと、関係があるのか?
何故か胸騒ぎのような物を感じながらウインドウの一つを見つめていると、一度だけノイズが走った直後、画面が切り替わる。
蜻蛉の街の夜空に無数に浮かぶのは、どこか広々とした空間を映した映像だった。
すぐに場所まではわからないものの、そこは競技場か何かのトラックの内側であるらしく、強烈なスポットライトの下には木製の演説台が一台設置されている。
まるで大統領のスピーチでも行われるかのような荘厳な雰囲気の中、演説台の背後に見える暗闇の向こうから一人の男が姿を現した。
──彼の姿を目にして驚いたのは、きっと俺たちだけではないだろう。
画面の中央に立っているのはWSRO事務局の長、アブサント・ワームウッドその人だったのだから。
皇樹先輩を迎えに来た少年と同じくシックなダークスーツに身を包んだ彼は、余裕のある笑みを浮かべたまま、演説台に備えつけられたマイクに向かって声を発した。
『日本のみなさん、こんばんは。WSRO事務局局長、アブサント・ワームウッドです。
この度は、みなさんに大切なお知らせがあり、このような場を設けさせていただきました』
「大切なお知らせ」とは、何なのか。
街中に木霊する彼の声を聞き、スクランブル交差点の周辺はいっそう騒めき始める。
WSROのトップが日本人に知らせたいこととはどのような事柄なのだろうかと、みな注目して次の言葉を待っていた。
ウインドウの中のワームウッドはまるで観客の期待に添えようとするように、言葉を紡ぐ。
『現在、A県蜻蛉市の中心部でコラプサーの頻発という異常な現象が起きていることは、みなさんもご存知かと思います。蜻蛉の街はわずか一週間のうちに三回ものコラプサーに見舞われており、そのどれもが極めて狭い範囲の中で起きている……。
この未曾有の出来事について、我々は日本の対策組織と共に秘密裏に捜査を進めておりました』
と、いうことは、昼間出逢ったコラプサー対策局の橘たちも、この演説の内容については知っていたのだろうか?
ふとそんな疑問が浮かんだが、あまり彼らとWSROが結びついているイメージは湧かなかった。
『そしてとうとう、私たちはその元凶を突き止めることに成功したのです』
──コラプサーの元凶?
そんな物、あるわけ……いや、俺にも一つだけ心当たりがある。
あの、アゲハ蝶のマークを持つアプリ。もしかしたら、あの日芦屋が言っていたことも何か関係が?
『蜻蛉市内で発生していたコラプサーの連続発生……それは、人為的に引き起こされた凶悪なテロ行為だったのです!』
それは、さらに衝撃的な発言だった。
ウインドウを見上げていた人々からどよめき声が上がる。
あのコラプサーが全てテロ行為?
にわかには信じ難いが、しかし完全には否定できないことも確かだ。
俺も、つい先日目に目にしたのだから。
目の前で自ら首掻き切り、自分の意思でコラプサーを発生させたと思われる男の姿を。
『彼らは自らのことを「致命者」と名乗っており、命を絶つことを全く躊躇わない非常に危険なグループです。彼らは今の世界を悪しき物だと考え、神の代行人として裁きを下さなければならいという、非常き身勝手な思想を持ち犯行に及んでいるのです!
……しかし、我々人類はテロなどという卑劣の行為に屈してはならない。
私たちWSROは彼らを強く批難し、断固として戦う意志をここに表明致します!
それに差し当り、まずはこちらをご覧ください』
ワームウッドは徐に右手を挙げ、奇術師のように指を鳴らす。
乾いた音が響いた直後、彼の背中の後ろにも一つ巨大なウインドウが表示された。
映画館のスクリーンのようなその中に現れた画像を見て、俺はさらに驚愕することとなる。
男の背後に映し出されたのは、なんとネフィリムの姿だったのだ。
それも、おそらく昨日致命者ゲオルギイの目の前に書き加えた時の物であるらしい。
近くに設置されていた監視カメラで撮影された映像を解析した物だろうか、立ち上がったネフィリムを斜め上のアングルから写している。
「お、おい、あれって、昨日俺たちが見た」
「黒いでっかい飛べる奴だよね?」
一緒にネフィリムの姿を目撃していた二人がそんな話をしているのが聞こえて来た。
彼らのやり取りを聞いた日向は、「あんたらなんか知ってんの?」と、不思議そうに言う。
『この黒い怪人は、先日のコラプサーの発生源となった男の前に降り立った、未知の存在です。……しかし、我々WSROはこの怪人こそが、彼らテロ組織の仲間だと判断し、厳しい姿勢で対処することを決定致しました!』
──今、あの男は何と言った?
ネフィリムが、テロ組織の仲間?
馬鹿な。確かに人類の味方とは思い難い見た目をしているが、むしろそのテロを起こしている者たちと戦っていると言うのに。
ワームウッドがどんな思惑の元に言っているのかわからないが、見当違いもいいところだ。
しかし、彼らの影響力は計り知れない。「真実」がどうであれ、この演説を見たらもうその時点で「事実」になってしまうだろう。
ウインドウの中のワームウッドは、大きな身振りで拳を握り締めた。
『その一環として、まず我々はこの怪人に懸賞金をかけます! 彼を捕獲、もしくは討伐することに成功した方には、私たちが百万ドルをお支払い致しましょう!』
彼の言葉の直後、黒い怪人の姿を映すスクリーンの中に「WANTED」という文字と、「$1000000」という金額が表示される。一見ふざけているようにも見える演出だが、その実本気でネフィリムを標的としているらしい。
ワームウッドは今度は握り拳を開き、その手で演説台の天板を強く叩いた。
『悪辣非道なテロ行為の根絶の為、今こそみなさんのお力をお貸しください! 特に、フリーファイターの方々には、もしコラプサーの中で怪人と出逢ったのなら優先的に戦っていただきたい! 彼は、彼らはフラワノイドにも勝るとも劣らない、私たち人類の「宿敵」なのですから!』
彼のスピーチはどんどん熱を帯びて行き、聞く者を奮い立たせるかのようだ。
まるでそれは、開戦宣言。先ほどのセリフにもあったとおり、テロ組織と断固として戦うという意志表示に思えた。
『さあ、立ち上がるのです、世界中のフリーファイターのみなさん! 我々は彼らの行為を赦してはならない! コラプサーを発生させる為の自殺行為など、見過ごすわけには行かないのです!』
熱弁を振るうワームウッドはそうまくし立てると、最後に、
『これは我々人類の命運をかけた戦いです。ご理解・ご協力のほど、何卒よろしくお願い致します』
一転して重々しく神妙な口調で結んだ。
その後すぐに映像は終了し、街の空に浮かぶウインドウはいつもどおり広告やらCM映像やらを映し始める。
しかし、画面の中身が切り替わる瞬間、俺は見てしまった。
──大演説を終えた男の口許に、どういうわけかそれまでとは種類の異なる笑みが浮かぶのを。
それはほんの一瞬の出来事であり、もしかしたら俺の思い過ごしかも知れない。
だが、それでも何やら言い知れぬ不気味な雰囲気を感じ取ったことだけは、確かだった。
あの男は、やはり何かを知っていのだ。俺の知らない、巨大な秘密を。
そして、それはきっと皇樹先輩の口にした「方舟ゲーム」とやらにも関係がある可能性が高い。
いや、それどころかワームウッド自身もそのゲームの参加者なのでは?
「凄いね〜、百万ドルだって。……日本円だといくらなんだろうね?」
「さあ、一億くらいじゃないの?」
「一億円かぁ。それだけあったら、一生遊んで暮らせるのかな?
ねえ、春川くん」
だとしたら、さっそく俺たちに仕掛けて来たということになるのだろうか?
ゲームで勝ち上がる為に、ネフィリムの行動を妨害しようとしたとか……。
とはいえ、俺はまだこの「方舟ゲーム」について何も知らない。いったいどんなルールがあるのか、そもそも本当にゲームと呼べような代物なのかさえ、わからないのだ。
そんな状態で考察を続けても、果たして意味があるのだろうか?
「春川くん? どーしたの?」
「……え?」
と、俺はようやく、友人たちが不思議そうにこちらを見ていることに気付いた。
考え込んでしまっていた為よくわからなかったが、どうやら椚原さんが俺に話しかけていたらしい。
「ごめん、聞いてなかったよ。何の話だっけ?」
「だからね、一億円があったら働かなくても生きて行けるのかなぁ、って」
「ああ、そうかも知れないね」
俺が答えたところで、やっと信号が青に変わる。
立ち止まっていた歩行者たちは一斉に横断を開始した。
先ほどの演説の影響からか、仲間うちや連れ合いと共にテロ組織や怪人について意見を交わしている者が多く見受けられる。
俺たちもまた、動き出した人の流れに乗りスクランブル交差点を渡り始めた。
「いいなぁ、私も何も考えずに遊んで暮らしていたいよ」
「え、じゃあもう叶ってんじゃん」
と、日向が真顔で言う。
「そんなことないし。私だってそれはもう色々考えて生きてるんだから」
「ふうん、例えば?」
「それはもちろん……世界平和とか」
気まずそうに目を泳がせながら、椚原さんが答えた。
彼女の回答を聞いた杏藤が、「そりゃまたずいぶん壮大だな」と茶化すように笑う。
いつもと変わらぬ彼らのやり取りを目にした俺は、いつの間にか考えることを止めていた。
まだまだわからないことを挙げて行けばキリがない。しかし、それでも俺がやることは一つだけだ。
──たとえどんな形であろうと、椚原さんを護る。
いや、彼女だけじゃなく、みんなのことも。
彼らとの平和な日常を、俺はきっと護り抜いてみせる。
俺は人知れず新たな決意を胸に刻み、友人たちと同じように笑っていた。
……その時までは。
*
「……いつの間にこんな物をお作りになられたのですか?」
「蜻蛉キングスホテル」三十七階、高級イタリアンレストラン「イル・グラナータ」にて、大型ウインドウが映し出す映像を見終えた桜は、向かいの席に尋ねる。
彼女の問いに、深く腰を落ち着かせていたワームウッドは、満足げな笑みで応じた。
「昨日撮影したんだよ。
扇動的で素晴らしいスピーチだろう?」
「ええ、そうですわね……けれど、あの怪人がテロ組織の仲間だなんて」
桜は顎に人さし指を当て、わざと考え込むようなそぶりを見せながら続ける。
「本気で仰っているのですか?」
「ああ、もちろんさ。我々は本気でそう判断し行動する、つもりだよ」
「……やはり、あなたは全てご存知なのですね?」
彼女は相手の腹の底を探るような冷たい視線を、目の前の男に向けた。
しかし、彼は全く動じることなく同じ表情を浮かべ続けており、その目論見を達成することは困難のようである。
「私はあくまでもこのゲームの進行役さ。君たちの戦いに直接関わるつもりはないよ。
……とはいえ、このままでは少々面白みに欠けると思ってね」
ワームウッドのエメラルドグリーンの瞳の奥に妖しげな光が宿るのを、桜は見逃さなかった。
まるで聖書に登場するアダムとイブを謀った「蛇」のようだと、彼女は思う。
いや、事実自分たちにとってはそういった存在に他ならないのだ、とも。
「ゲームは簡単すぎてはツマらない。そうだろう?」
以前後輩たちの前で桜が言ったのと同じことを言いながら、彼は同意を求めるように首を傾げた。
その姿を見た時、彼女の脳裏にはある記憶が蘇る。
それは今から約三年前、桜が十四歳の誕生日を迎えた初春のある日のこと。
思えば、あの日自分に「方舟ゲーム」への参加を持ちかけた際も、この男は同じ顔をしていたと、彼女は思い出していた。
そして、その直後に出逢った少女──梔子茉莉の様子も。
──あの時の茉莉は、今よりもずっと暗い瞳をしていた。まるで、目に映る物全てを拒んでいるような、どこまでも黒く、一筋の光をも通さぬ瞳を。だから、私は……。
「……ええ、そうですわね」
追想を終えた桜は再び微笑み、その言葉を肯定する。
だが、それでいて彼女の目は油断なく相手を捉えていた。
「ご心配なさらずとも、心得ておりますわ。
それに、どんな条件であろうと私は勝ってみせます。……あの娘の為、そして人類の為に、彼には負けられませんから」
静かに、それでいて力強く放たれた少女の決意表明を聞いたワームウッドは、改めて満足げに頷く。
「ああ、私も楽しみにしているよ」
その笑みはやはりどこか「蛇」を思わせる不敵な物であり、それを見た桜の中では「負けられない」という意志がいっそう強く燃え上がっていた。
*
──ワームウッドによる衝撃的な演説の様子が放映された直後のこと。
蜻蛉市内のとあるビルの屋上、エアポートとなっているその場所に一人の少女の姿があった。
彼女は蜻蛉の街を見下ろしながら、吹きつける夜風に白い髪と三本のマフラーの端をなびかせている。
その顔に浮かぶ表情はどこか悲痛そうな物であり、普段よく浮かべるような悪戯っぽい笑みとは遠くかけ離れていた。
エアポートの端に立ち、眼下に広がる景色を黄金の瞳に映したステラは、静かに独白する。
「……運命は変えられない……ですが」
星の形をした大きな髪飾りをつけている彼女は、呟いてからまるで祈りを捧げるかのように、そっと瞼を閉じた。
「シオンさん、あなたならきっと彼女を……」
少女の呟いた声は夜空に攫われ、やがてどこへともなく消えてしまうのだった。




