第二十四話「軟派」
皇樹先輩を乗せたWSROのヘリが去って行くのを見送った俺は、海洋エリアを抜けジュラシックエリアへと差しかかったところだった。
先輩の言っていたこと──中でも「方舟ゲーム」とやらのことがかなり気になるところだが、今は一旦おいておくとして、そろそら杏藤に連絡しなくては。
そんなわけね〈スマホ〉を起動させようとしたところで、前方に見慣れた後ろ姿を発見する
──あれは、梔子先輩たちか。
そう、俺の視界の先では梔子先輩と茶柱先輩が、柵の上から顔を出す〈ウルトラザウルス〉の大きな頭を撫でているのだった。
まるで動物園のような、あるいはそれ以上に気軽な感覚で恐竜たちと触れ合うことができるのがこのジュラシックエリアの魅力らしいが、全てセカンドリアリティとはいえ迫力満天である。それなのにあそこまで堂々と恐竜の鼻先を触れる女子なんて、そうはいないはずだ。
と、妙なことを感心していると、向こうもこちらに気付いたらしく、振り返った梔子先輩は「おーい、春川ー」と手を振って来た。
カフェで会った時と同じように会釈をしてから、俺は二人の元へ歩いて行く。
「話し合いはもう終わったのか?」
「ええ。橘さんが急用ができたとかで帰ってしまわれたので」
「そうか。
というか、桜はどうしたんだ? 一緒じゃなかったのか?」
恐竜の頭から手を離し首を傾げる彼女に、俺はありのまま目の前で起きたことを答えた。
「皇樹先輩でしたら、突然WSROのヘリがやって来て連れて行ってしまいました」
「なんだそれは。ヘリがこんなところに着陸して大丈夫なのか……いや、奴らならやりかねないか」
まるでWSROのことをよく知っているかのような口ぶりである。
いや、もしかしたら本当にそうなのかも知れない。皇樹先輩にしたって妙に冷静だったし、この二人は彼らと何らかの繋がりがあるのでは……?
そして、もしそうであるならば、梔子先輩も「方舟ゲーム」とやらに関わっているのだろうか。
「ふむ、まあいい。
ところで春川、お前はこの後暇なのか? もしよければ私たちに付き合え。他に友達と来ているのなら、その子たちも呼んでもらって構わないから」
「あ、はい、わかりました。
でしたら、取り敢えずみんなに連絡してみます」
そう答え、改めて俺は〈スマートフォン〉を起動させた。
取り敢えず杏藤に電話をかけてみると、ツーコールもしないうちに彼は応答してくれる。
『もしもし?』
「もしもし、待たせてすまん。終わったよ……聞こえてるか?」
かなり周囲が騒がしく、俺の声をうまく聞き取れないらしい。しかもパレード用のBGMのような物が大音量で流れていて、俺たちのいる場所からでも同じ物が聞こえるほどだった。
『……悪い、場所移すからちょっと待ってて』
言われたとおり数分ほど待機していると、電話の向こうの雑音がいくらかマシになる。
『お待たせ。
呼び出し終わったのか?』
「ああ。
それで今梔子先輩たちとジュラシックエリアにいるんだ」
『あ、なんだ、すぐ近くじゃん。俺らも今ジュラシックエリアなんだ』
「やっぱりそうか。
もしかして、今パレードか何かやっていた……」
『そう、中央広場』
「だったらすぐにそっちへ向かうから、待っててくれ」
『ああ、了解。じゃあまたなー』
通話を終えた俺は〈スマホ〉を停止させ、先輩たち二人に向き直った。
「みんな中央広場にいるようです」
「ああ、わかった。
というか、私たちのことは大丈夫なのか?」
「はい、問題ないと思います。椚原さんがいますので」
「……そ、そうか、そういえば忘れていたよ、あいつのこと」
熱烈な生徒会ファンの存在を思い出し、彼女はげんなりとした顔つきになる。
邂逅しで以来、会う度に椚原さん独特のテンションに圧倒されているのだから、気持ちはわからないでもない。女子高生らしからぬ膂力を誇る梔子先輩にも、意外なところに弱点があったというわけか。
「やめておきますか?」
「い、いや、こっちから誘っておいてそんなことはできないよ。大丈夫……だと思うから」
「わかりました。一応、椚原が暴走し始めたと思ったらなんとか止めてみます」
「ああ、そうしてもらえるとありがたい」
意気消沈した様子で言う、学園のナンバーツー。
その隣りで俺たちのやり取りを聞いていた生徒会会計は不安そうに苦笑していた。
「取り敢えず、俺たちも広場に行きましょうか」
「そ、そうだな……」
憂鬱そうに肩を落としながらも腹を括った様子の梔子先輩と、心配そうに彼女の様子を窺う茶柱先輩を連れ、俺は友人たちの待つ中央広場へ向かって歩き出す。
──かくして、それから何分もしないうちに、俺たちは目的の場所へと辿り着いていた。
パレードが行われていた直後ということもあり、広場内はかなりの人でごった返している。
杏藤たちはどこだろうかと辺りを見回していた時、すぐ近くで何やら言い争うような声が聞こえて来た。
「さあ、その子を俺たちに渡してもらおうか?」
「お兄さん、さては悪い大人だね……?」
「え? いや、そういうのじゃ」
「嘘だよ! だってこーゆーのって、大抵悪の組織とかそういう系でしょ? 麻薬密売のシンジゲートとか、国家転覆を狙うテロリストとか!」
「確かにぽいけど……じゃなくて、とにかく俺たち悪い人じゃないってば」
「そんなこと言って、本当は鈴菜ちゃんを利用してアコースティックなことしちゃうつもりのクセにっ」
その声のうち片方に聞き覚えのあった俺は、それが聞こえて来る場所を探す。
すると、ほんの十メートルほど先、広場のど真ん中で小さな女の子を庇うように立っている、椚原さんの姿を見つけることができた。
いったい彼女は何をしているのか。
と、よくよく目を凝らしてみると、何やら二十代半ばくらいの歳の男性と対峙しているではないか。
「おい、春川。あれは……」
「はい、俺のクラスメイトです。
……いったいどうしたんでしょうね」
同じく彼女たちの様子を発見したらしい梔子先輩に、俺は思わず意見を求める。
彼女の横顔に目を向けると、先輩はあちらを見つめたまま静かな声で答えた。
「あれは……もしや、俗に言うナンパという奴ではないか?」
「え?」
つまり、椚原さんがナンパされている、と言いたいのだろうか。
「いやでも、さすがにそう決めつけるのは早計なんじゃ……」
これは茶柱先輩の意見である。
確かに、彼女の言うことも一理あった。
──だが、そうわかっていながらも、何やらただならぬ雰囲気を感じ取り不安になって来る。
何にせよ椚原さんがトラブルに巻き込まれていることは確かなようだし、助けに行ってあげた方がいいだろうか。
「しかし、桜は言っていたぞ? 男はみなオオカミだと」
「今まで男の人のことそんな風に認識してたの⁉︎」
茶柱先輩が意外とオーバーなリアクションを取る一方で、俺は梔子先輩の言葉が強く引っかかるのを感じた。
それから、俺は改めてクラスメイトの幼げな姿に目を向ける。
──世の中には、そういう嗜好の人間も少なくないと聞く。もしかしたら、本当に……?
「……梔子先輩」
「ああ。確かめに行くぞ」
「え、ちょっ、二人とも待って!」
彼女の制止を受けつけず、俺たちは三人の元へと進んで行った。
「ほら、怖いことなんてしないから、お兄さんと一緒に行こ?」
彼らに近づいた途端そんなセリフが聞こえ、俺は強い衝撃に打ちのめされることとなる。
──な、なんて気色の悪いフレーズなんだ!
やはり、あの男は本当に椚原さんを……!
「春川……」
「ええ。どうやら、先輩の予想どおりのようですね」
「そ、そうなのかなぁ……?」
茶柱先輩はそれでもまだ納得行かなそうに首を捻っていたが、この時の俺はすでに冷静な判断能力を失っていた為気付かない。
それは梔子先輩も同じであり、青年のことをすっかりナンパ男だと決めてかかっている彼女は、鬼のような形相をしてその肩を掴んだ。
そして、こちらを振り返った彼に、梔子先輩は凄みながらこう尋ねる。
「貴様、うちの生徒に何をしている?」
「……はい?」
*
──な、なんで怒ってんの、この子たち。
怒りの籠った視線を自分へ向けている少年少女を見つめ、事情を吞み込めないまま山梨は青ざめていた。
彼女らはまるで親の仇にでも出くわしたかのような勢いだが、当然誰かの父や母を殺した覚えなど彼にはない。
また、それと同時に、少女の一歩後ろに鬼のような形相をして立っている少年にも見覚えがあることに、山梨は気付く。
そして、彼はようやくここで合点が行った。
この少年も、そして何故か自分を悪の組織の一員だと信じて疑わない少女も、先日撮影された監視カメラの映像に、黒い怪人と共に映っていたのである。
あの映像を解析する為何度も目にしていたからこそ、彼は二人があの時の秋津学園の生徒たちだとわかったのだ。
しかし、まさかこんなところで黒い怪人の目撃者たちと出くわすなんて。
──それも、何故か凄い言いがかりばかりつけられるし……。
甚だ理解不能な状況の中、唖然とするしかない山梨に、茉莉はさらに凄みながら言い放つ。
「やはり、ナンパか?」
余計に言っている意味がわからないが、偉くご立腹であるらしいことは確かだった。
「……な、なんのことかな? 俺はただその子に用があって」
彼が横目で示した先には、蜂蜜の後ろに隠れこちの様子を見守っている女児が一人。不安げな彼女の表情は、茉莉の目にいったいどのように映ったのか。
「貴様……まさかそういう嗜好が」
「え、嘘、そう捉えちゃう?」
予想の斜め上を行く反応に、戸惑いを隠せない青年。心なしか監視カメラに映っていた少年──シオンの目つきが、さらに険しくなったような気さえする。
「この変質者め! 秋津学園生徒会の名において、貴様を成敗する!」
「ちょっ、ナンパ男から凄い進化遂げてんですけど⁉︎」
一向に容疑が晴れる気配がなく、焦それどころか身に覚えのない罪状を増やされてしまった山梨は、思わず両手を挙げた。
少女はすぐにでも言葉を実行に移そうと、ポキポキと指を鳴らしているのだから余計に恐ろしい。
「い、いやいや、ちょっとマジで待って! 俺本当に国家公務員だし! ロリコンでもないし!」
「ろり……いよいよ本性を現したな!」
「なんでだよ! もう何言っても無駄かよ!」
困り果てて叫び声を上げた彼の目の前で、茉莉は固く拳を握りしめる。
まさか本当に鉄拳制裁を喰らわせるつもりなのかと、青ざめた顔の山梨は生唾を呑み込んだ。
どういうわけかすっかり窮地に立たされてしまっている彼は、もしこのまま弁解できなければ、今後の人生「変態ロリコンナンパ男」という最低のレッテルを貼られて生きて行くしかないだろう。そして、おそらく幼馴染にも見捨てられ最悪懲戒免職なんてことも……。
と、後ろ向きな想像が脳内を駆け巡った、その時──。
「あのぉ、すみませ〜ん」
間延びした、全く覇気の感じられない声が聞こえ、二人は同時にそちらを向いた。
すると、遠巻きに山梨らの様子を見物していた人混みの中から、くたくたのスーツを着た中年の男が現れる。
「うちの者が何かしました?」
ボサボサの頭を掻き毟りながらそう尋ねたのは、山梨たちの上司だった。
彼の姿を見た青年は「九死に一生」や「地獄に仏」という言葉を思い浮かべながら、安堵の息と共にその名を呼ぶ。
「橘さぁん……」
「おう。
つうかお前、未成年はヤバイだろ。さすがに庇えねえって」
「結局信じてもらえないの⁉︎」
「……冗談だよ」
妙な間をあけながら答えつつ、橘は茉莉の方へ向き直る。
握り締めていた拳を下ろした彼女は、意外そうな表情で彼を見返した。
「あなたは……では、もしや彼は」
「ええ、一応うちの部下ですよ。
ほら、お前〈認証〉見せてやれ」
「うっす」
言われたとおり、山梨は〈認証〉を起動させる。
彼の差し出した手には小さなカードが握られており、その中の顔写真と長ったらしい肩書きを目にした茉莉は視線を上げた。
すぐには信じられないといった様子で青年の顔を一瞥したが、それでも一応彼がコラプサー対策局の人間であることは認めたらしい。
「ふむ、この人が橘さんのお仲間であることはわかりました。
しかし、ならば何故うちの生徒に絡んでいたのでしょう?」
「だから誤解だって! そもそも、俺が用があったのはそっちの子の方なの!」
〈認証〉を停止させた彼が指差したのは、蜂蜜の陰に隠れながらこっそり大人たちのやり取りの様子を窺っていた、パジャマ姿の女児だった。
「あの子が、草薙の娘か」
呟いたのは橘である。
彼は無感動な眼差しを鈴菜に向けてから、ふとその傍らに立つ少女の顔を見やった。
──刹那、橘は驚愕に目を見開く。
完全に、不意打ちだったからだ。
この場に彼女──椚原蜂蜜がいたことが。
「なっ……」
出合頭にいきなり頭を殴りつけられたかのような衝撃により、彼の思考は停止しかけた。
何故?
どうして?
これは現実か?
俺は夢でも見てるんじゃないのか?
瞬く間に脳内が疑問符で埋め尽くされ、橘は茫然と少女の姿を見つめ続ける。
そんな彼の様子を怪訝そうに見上げ、蜂蜜は珍しく遠慮がちに声を発した。
「……あの、なんですか?」
「え」
「私に、何か用ですか?」
再び尋ねた彼女の声を聞き、橘はようやく我に返る。
それから、すぐに気づいた。
蜂蜜は、自分のことを覚えていないのだと。
彼は、どこか警戒しているような彼女の視線から逃げるように目を逸らし、咄嗟に誤魔化す。
「いや……特に、何も。
山梨」
ついでに部下の名前を呼び、そちらに顔を向けた。
「悪いけど、お前と火野木であの子を病院まで送ってやってくれないか?」
「はぁ、それは大丈夫っすけど。
橘さんはどうするんすか? つうか、なんか顔色悪いみたいっけど」
軽い口調ながらも自分のことを心配してくれているらしい彼に、橘は頭を掻きながら答える。
「別に、なんともねえよ。
とにかく俺は先帰るから、後のことは頼むわ」
「あ、はい。お疲れ様っす」
普段とは上司の雰囲気が違うことを感じてなのか、それでもまだ不思議そうな顔をする山梨に見送られ、彼は逃げるようにその場を去って行った。
人混みの中に紛れ込み首をすぼめて歩く橘は、苦い唾を味わいながら、一人思う。
──ちっ、どんどん似て来てんじゃねえか。
「ちっ」
気づけば心の中だけではなく実際に舌打ちをしてしまっている彼は、足早に出口のある方を目指して行った。
それから、再び胸の内で毒づく。
やはり、慣れないところには来るもんじゃなかった、と。
*
橘が去った後、俺は改めて椚原さんたちの方へと歩み寄った。
そして、彼女が手を繋いでいる相手は、商店街で起きたコラプサーの際に火事の現場に倒れていた、あの子供だということに気がつく。
あの時はかなり衰弱しきった様子だったが、特に後遺症が残っているようなこともなく、救出後の経過は順調のようだ。
俺が密かにそんなことを考えている一方で、変態の容疑を晴らすことに成功したコラプサー対策局の男──確か、〈認証〉によれば山梨という名前だったか──が、しゃがんで彼女に目線を合わせた。
「それじゃあ、今度こそ俺たちと一緒に病院に戻ってくれる?」
「……うん」
女の子は逡巡していたようだったが、最終的には素直に頷き返す。
その反応を見た椚原さんは、意外なことに梔子先輩にはノータッチのまま、彼女に声をかけた。
「鈴菜ちゃん、もしかして病院を抜け出して来たの?」
鈴菜という名前であるらしい子供は俯き、彼女の問いに「ごめんなさい……」と答える。
椚原さんはいつになく真剣は面持ちで、目を伏せる彼女にさらに尋ねた。
「どうしてそんなこと」
「……約束、してたから。今日『蜻蛉アースランド』に行こうって。……でも、みんな行けなくなっちゃった」
震える声で紡がれたセリフを聞いた俺は、あの商店街でのコラプサーを思い出す。
あの時発生元となった民家、つまり彼女の家はコラプサーが起こるよりも前に炎上していた。その後、報道番組を見て知ったことだが、出火の原因は家主自身による放火である疑いが強く、彼は家に火を放った後自ら命を絶ったらしい。
それも、ニュースを見る限り父親が無理心中を図ったようであり、他の家族もみな命を落としてしまったのだとか。
週末には家族みんなで遊園地に行こうと約束をしていたのが一転、もう二度と共に外出することすら叶わなくないのである。
それが、幼い彼女にとってどれだけショッキングな出来事だったか。想像に難くない。
俺にしたって、似たような境遇にあるのだし……。
「鈴菜ちゃん……」
今にも声を上げて泣き出してしまいそうな鈴菜ちゃんの様子を見て、俺のクラスメイトは辛そうな表情で呟いた。
そんな椚原さんの反応を見て、俺はふと思い当たる。
先ほど橘から見せられた〈写真〉の女性は、おそらく彼女の母親だ。そして、彼女は俺と同様「アバドン」の被災者であり、あの時は俺だけしか生き残れなかった。
ならば、椚原さんもまたすでに家族を失っていることになるではないか。きっと、彼女には鈴菜ちゃんの気持ちが痛いほどよくわかるのだろう。
──その点において、俺は少しだけ違うのだが。
そんなことを考えながら彼女らの様子を見守っていると、椚原さんは何かを決したように顔を上げ、不意に俺の名を呼んだ。
「春川くん。スターくん、持ってるよね?」
「え、ああ」
そういえば、そうだった。
いろいろありすぎてすっかり存在を忘れていたが、俺は彼女の縫いぐるみを預かっていたのである。
椚原さんの声に応じた俺はボディバッグの中を漁り、星の形をしたそれを取り出した。
体に二人分のサイン──皇樹先輩のはやたら凝っていて、本当に著名人の物みたいだ──の書かれたスターくんを俺の手から受け取った彼女は、鈴菜ちゃんの方を振り返る。
そして、目線を彼女に合わせながら、手にしていた縫いぐるみを差し出すのだった。
「これ、鈴菜ちゃんにあげるね!」
普段どおりの天真爛漫な笑顔を浮かべ、椚原さんは意外なことを言う。
鈴菜ちゃんは躊躇いがちに縫いぐるみを手に取り、不思議そうな顔をして彼女を見上げた。
「なに? このお人形さん」
「むっふっふ〜、それはスターくんと言ってね、とっても凄いヒーローなんだよ? しかも、私にとってはリアルヒーローなお二方のサイン入り! ご利益ばっちりだよ!」
目を輝かせ右手の親指を立てる椚原さんを見てから、女の子は再びスターくんに視線を落とす。
「ありがとう、クヌギハラ」
「どういたしましてなのだよ」
「……でも、このお人形さん気持ち悪い」
「ふぁっ⁉︎」
バッサリと切って落とすような言い方に、彼女は相当ショックを受けたらしく短く悲鳴を上げて凍りつく。
しかし、それでも鈴菜ちゃんの辛辣な言葉は止まらなかった。
「どこ見てるのかわかんないし、あと、なんかほくそ笑んでるし……」
「そ、そこがいいんでしょ!
それに、スターくんはただほくそ笑んでるんじゃないの! 仲間たちと過ごした日々を思い出して笑ってるんだから! もう戻らないあの日々をね!」
何故か逆に勝ち誇るように胸を張って言う椚原さん。というか、いったいスターくんたちには何があったのだろうか。
「でも気持ち悪いもん」
「んなっ⁉︎ じ、じゃあもうそれ返してよもお!」
バタバタと地団駄踏みながら、彼女はあげたそばから右手を伸ばした。
しかし、次の瞬間鈴菜ちゃんの口から飛び出したのは、全く別の物で──。
「けど……ありがとうクヌギハラ! 私大事にするね! 気持ち悪いことには変わりないけども!」
彼女はスターくんを両腕で抱き締め、笑顔で言う。
それを見た椚原さんは小さく安堵の息を漏らし、
「うん! 汚したりなんかしたら会長さんに祟られちゃうからねっ!」
再び親指を立てながらさりげに皇樹先輩を巻き込むのだった。
何はともあれ万事丸く収まったらしく、俺は密かに胸を撫で下ろす。
一時はどうなることかと──というかてっきりナンパされているものかと──思ったが、彼女の持ち前の明るさが事態を収拾してくれた。
と、そんな風に思っているのは山梨も同じらしく、安堵した様子の彼は、優しげな口調で鈴菜ちゃんに呼びかける。
「じゃ、そろそろ帰ろうか。
というか、明日菜はどこ行ったんだ?」
他にも仲間がいるのか広場の中を見回した山梨は、すぐにその居場所を見つけることができたらしく、「あっ」と声を上げた。
「うわ、あんなとこでへたばってんじゃん。どんだけスタミナないんだよ……」
呆れたように言ってから、彼は広場の隅のベンチが並んでいる場所へ向かって歩き出す。
彼に続き、鈴菜ちゃんも縫いぐるみを小脇に抱えたまま手を振った。
「じゃあね! クヌギハラ!」
「またね〜! つうか、最後まで呼び捨てだったね!」
こちらも大きく手を振り返す椚原さん。
二人の姿が遠くなって行くのを見送っていると、「やれやれ」と肩を竦めた梔子先輩が口を開く。
「一件落着、だな」
「ええ。……ほとんど勘違いでしたけどね」
「……気にするな春川。間違いは誰にでもある」
「さりげなく俺だけのせいにするのやめてくれませんか?」
何やら都合よく事実を捻じ曲げようとしている彼女に、俺はすかさず言い放った。
「む、いいじゃないかこれくらい。実際君だって勘違いしていたのだろ?」
「それはまあ……そうですが」
俺たちのやり取りを聞きながら、茶柱先輩はやはり苦笑している。
と、そのタイミングで、杏藤と日向がそれぞれ正反対の方向から駆け寄って来て、ようやく俺は友人たちと合流することができた。
「はっちゃんたち何してたの? もしかして、また誰かに迷惑かけてたんじゃ……」
近くで売られていた物らしいカップアイスを手に持ちながら、日向が尋ねる。
「そんなんじゃないし! つうか、なんでいつも私だけが悪いみたいにさぁ!」
「あーはいはい、ごめんって。
ていうか、あれ、鈴菜ちゃんは? もしかして帰ったの?」
彼女の姿が見当たらないことに気付き、友人は不思議そうに言った、
「うん。行っちゃった」
鈴菜ちゃんが去って行った方を見つめながら答える椚原さんの表情は、どこか満足げである。
「なんかあったのか?」と言いながらこちらに視線を寄越す杏藤に、俺も笑いながら「まあ、ちょっとな」とだけ答えておいた。
*
同日、午後二十時すぎ頃──。
「蜻蛉キングスホテル」三十七階、高級イタリアンレストラン「イル・グラナータ」は、蜻蛉市内の街並み一望できる屈指の夜景スポットだった。
洗練された雰囲気の店内には、煌びやかなシャンデリアの暖かな照明の下、七十台の丸いテーブルがそれぞれ揃いの椅子と共に設置されている。
普段ならばすでに宿泊客たちがディナーを楽しんでいる頃だろうが、今日に限ってはかなり様子が違っていた。
とあるVIPの要望により、全席貸し切りとなっている為、テーブルはがら空きなのである。
──そんな店内へと通され、本当に他の客が一人もいない様子を見た桜は、むしろ呆れ返っていた。
本当に、つくづく気障な男だと、自分を呼び出した人物のことを思い浮かべる。
また、彼女はつい先ほど彼の用意した物だという正装に着替えさせられており、今は名前と同じ色のローブ・デコルテに身を包んでいた。髪も普段と違い一つにまとめ上げていて、彼岸花の髪飾りもいつもとは異なる場所についている。
桜は家柄上こういった格好をした経験が何度もあった。しかし、だからといって好んでするかと言われれば、その答えは「ノー」だ。今ですらもっと楽な服装でファストフード店のハンバーガーでも食べに行きたいと考えているほどである。
「どうぞ、ワームウッド様がお待ちです」
と、大柄なギャルソンが言い、桜──と、まるで彼女を監視するかのようにすぐ後ろに立つローラスとを、窓際の一席に案内した。
彼の言葉どおり、そこにはすでに一人の男が腰下ろし窓の外の夜景に顔を向けている。
「皇樹様をお連れ致しました」
テーブルの脇に立ち、ローラスが恭しく主に声をかけた。
いつものようにやや癖のあるブラウンの長髪を流した彼は、従者の声に答えながら、首を回して桜たちの方を向く。
「ああ、ご苦労」
端正な顔立ちの中、二つのエメラルドグリーンの瞳がドレス姿の少女を見て笑った。
「久しぶりだね、桜」
流暢か日本語を手繰り、アブサント・ワームウッドは砕けた口調で挨拶をする。
彼女もまたクスリと小さく笑い、こちらはオペラ・グローブを嵌めた指先でスカートを摘んで軽く持ち上げ、丁寧な仕草で礼をした。
「お久しぶりですわ、ワームウッド様」
「ふふ、最後に会ったのはもう三年前か……。
さあ、どうぞ座ってくれ」
彼が自らの正面の席を示すと、すかさずローラスが動き椅子を引く。
桜は「ええ、失礼致します」と答え、指定された場所へ静かに腰を下ろした。
若き従者はそのまま主人の席の後ろにに移動し、直立したまま控える。
席に着いた彼女の姿を頬杖をついて見やりながら、ワームウッドは満足げな声で言った。
「似合っているよ、そのローブ・デコルテ。君の為に用意したんだ」
「まあ、相変わらずお上手ですこと。
ワームウッド様も、素敵な格好ですわ。とうとうご結婚なされるのですか?」
桜の口からこのようなセリフが飛び出した訳は、彼が純白のタキシードを着ていたからだろう。
まるで披露宴の最中の新郎のような格好をしたワームウッドは、気恥ずかしそうに苦笑した。
「敵わないな、桜には。私はお洒落のつもりだったんだがね」
「ふふ、様にはなっていますわよ」
今や世界三十四カ国に深く根を下ろしている公的機関のトップと、談笑しながら皮肉を言う余裕さえある女子高生。そんな人間、この国には他にいないだろう。
「それで、本日はどのようなご用件なのでしょうか? ただ私にドレスを着せてお食事をしたかった、というだけではないのでしょう?」
「ああ。君には特等席で見てもらいたくてね」
彼は鷹揚に言い、頬杖の体勢をやめて椅子にもたれかかると、徐に指を鳴らした。
パチン、という小気味いい音に反応し、テーブルの真横の空間に大型のウインドウが出現する。
画面の中の真っ白い背景には、WSROのシンボルマークのみが映し出されていた。
「これは……」
ウインドウを見つめ、彼女は思わず呟く。
「ちょっとした、セレモニーだよ」
対して、楽しそうに答えたワームウッドは、口角を吊り上げて笑うのだった。




