第二十三話「使者」
「……どうかしましたか? 顔色が悪いようですが」
その声を聞き、俺はようやく我に返った。
目線を上げ橘の瞳を見返すと、その奥にはやはり鋭い光が宿されている。
──疑われてしまったか。
しかし、だからといって何の問題もないだろう。これしきのことで、俺が椚原さんを護る為にネフィリムを生み出し戦っているだなんてわかるはずもない。
そう思い直し、俺は別段取り乱すようなこともなく、すぐに彼の声に答えた。
「いや、何でもありません。
必死に思い出そうとしてみたんですが、やはりだめです」
「そうですか。無理をさせてしまったのなら、申し訳ない」
橘は苦笑しながら頭を掻き、かと思うと、すでにもう先ほどの死んだ魚のような瞳に戻っている。
「いえ」
俺も少しだけ笑みを浮かべ答えてから、もう一つ、先ほどの〈写真〉を見て気になっていたことを彼に尋ねた。
「先ほどの女性の方ですが、何か特別な職業に就いていたのでしょうか?」
「ほう、どうしてそう思うんです?」
「あ、大したことではないんですが、ただ、白衣を着ていらしたので」
実に安易な発想だが、もし本当に特殊な職に就いていたのだとしたらその内容が「神の力」と何か関係あるかも知れない。
そう睨んでの質問だったのだが、橘は興味深そうに笑ってから、
「ええ、春川さんの仰るとおり、彼女はかなり特殊な仕事をしていました。彼女、椚原観月は……世界第二現実機構(WSRO)事務局の日本支部で、アプリケーションの開発部署にいたんですよ」
WSRO──そのワードを聞いた時、鼓動が強く脈打つのを感じる。
WSROと言えば、そのトップであるアブサント・ワームウッドがこの間日本に来日したばかりだ。「アバドン」の慰霊碑へ大楠首相と共に献花をした際の映像は、テレビの報道番組などで何度も放映されていた為とても印象に残っていた。
俺に「神の力」を与えた女性が、かつてWSROの関係者だった。この奇妙な繋がりは、何を意味するのか……。
「なるほど、それはかなり特殊、というか立派なお仕事ですね」
「まあ、でしょうね。彼女は聡明な女性でしたから」
と、どこか昔を懐かしむような口調で彼が言った時、その顔の横ぐらいの空間が揺らぎ、一台の〈スマートフォン〉が出現する。
「おっと失礼、部下からの電話のようです」
そう断ってから、橘は宙に浮いたまま振動しているそれを掴み取り、立ち上がってからこちらを背を向けて電話に応じた。
「もしもし? どーしたよ」
背中を少し丸めて話す彼の声を聞いていると、皇樹先輩が俺に視線を向けてニヤニヤと笑い出す。
「……なんでしょう?」
「別にぃ。春川くんでもこんなに動揺することあるんだな、って思って」
「はあ」
この人は、やはり俺が困っているところを見たいだけなんじゃ……あ、こういうところもステラに似てるな。
そんなことを思いさらに気が重くなるのを感じたところで、突然素っ頓狂な声が聞こえて来た。
「はあ⁉︎ いなくなった⁉︎ 」
よほど驚いた様子で大声を上げたのは、通話中の橘である。
言ってしまってから俺たちの目に気付いたらしく、彼は若干声をひそめた。
「で? 病院の人がそう言ってたのか。……は? 『蜻蛉アースランド』? そこにいるって?」
何が起きたのか知らないが、相当のっぴきならない事態らしい。
「ああ、わかった。俺もちょうど近くにいるから、一応探してみるわ。……え? 単なる偶然だよ。気にすんな。……ああ、じゃあまた」
通話を終えた橘の手の中から〈スマホ〉か消える。
それから彼は俺たちの方を振り返り、申し訳なさそうな笑みを浮かべた。
「すみません、ちょっと急用ができてしまいました……」
「どうかなさったのですか? 酷く慌てていらっしゃる様子でしたが」
「あ、いや、ちょっと知り合いの子供が勝手にいなくなってしまったようでして。探すのを手伝うことになっちゃいました」
「まあ、それは大変ですわね。
でしたら、今日のところはこの辺りでお開きと致しましょうか?」
皇樹先輩のこの提案に、橘は「いやあ、面目ないです」と軽く頭を下げる。
「いえ、お気になさらず。
では、またいつか機会がございましたら」
「ええ、その時はよろしくお願いします。
春川さんも、お話ができてよかったですよ」
彼は社交辞令じみた言葉を言うと、元来た方へと足早に去って行ってしまった。
取り残された俺は黒いスーツの後ろ姿を見送りながら、なんとかこの場を乗り切ることができた、と安堵の息を漏らす。
──怪しまれはしただろうが、問題ない。やはりたったこれだけのことで、俺の持つ能力がバレるはずないのだから。
「行っちゃったわね、橘さん」
「そうですね。
あの、俺もそろそろ……」
言いながら俺はさっさと立ち上がろうとしたが、すぐに腕を掴まれてしまった。
「だーめ。また逃がさないわよ?」
中腰になった俺を見上げ、先輩は口角を吊り上げて笑う。
その顔を見た俺は「この人本当にわかっててやってるんだろうな」と思い、気付けばため息を吐いていた。
「一応、俺も友人たちを待たせているので……」
「んもう、いいじゃないちょっとくらい。せっかく遊園地に来てるのだし、デートだと思ってさ」
唇を尖らせて言った彼女は、俺の手を取り立ち上がる。
デートだなんて、そんなところを椚原さんに見られたらまた機嫌を損ねてしまいそうだな……。
と、そこで俺は、ある任務を承っていたことを思い出した。
「あ、でしたらその前にお願いしたいことがあるんですか」
さりげなく先輩の右手をすり抜けつつ、おれはボディバッグの中から預かっていた縫いぐるみを取り出す。
「これに、サインをお願いできないでしょうか?」
「サイン?」
予想外の申し出だったらしく、きょとんとしながらも彼女は俺の手からスターくんを受け取った。
暫時彼の不敵な笑みを見つめていた皇樹先輩は、やがて顔を上げ、
「……なあに? この気持ち悪い人形」
「気持ち悪くないです。スターくんです」
俺は友人とスターくんの名誉の為に、なんとも言えない表情の彼女にそう答える。
「ああ、それが例の」
「ご存知なんですか?」
「ええ。月下先輩から聞いたのよ。ゲームセンターで出逢った子たちにあげたって。
けど、確かにこれは放送打ち切られて当然ね……」
口許に手を当てて言った先輩につられ、結局俺も苦笑するしかなかった。
*
「蜻蛉アースランド」:正面入り口──。
入場して来たばかりの来客や反対に今まさに帰ろうとしている者でごった返す中で、彼は立ち止まっていた。
人混みに身を隠すように紛れ込みながら、彼──芦屋孝良は独白の言葉を紡ぐ。
「……イアコフが捕まり、ゲオルギイがしくじった」
芦屋の声はこの人の波の中にいる何某かに向けられた物らしく、彼は縁なし眼鏡をかけ直しながらさらに続けた。
「次はあなたの番ですよ、致命者“ディミトリイ”」
その視線の向かう先に、ディミトリイとやらはいるらしい。
「わかっていますね? 我々の目的は……来るべき“終末”の為、『鍵』を奪い取ること。偉大なる天使の為に」
投げかけられた声に答えはなく、やがて芦屋の声は雑踏に飲み込まれてしまう。
と、一人不気味に笑う彼から数メートル離れた場所を一組の男女が苦労しながら進んで行った。
黒縁眼鏡をかけた茶髪の男が先頭に立ち、スーツ姿の女の手を引っ張っているようだ。
「大丈夫? 人多いからはぐれないようにな?」
「……平気よ。というか、こんな子供みたい手を繋がなくたって」
「いやだって、明日菜こういうところ歩き慣れてないじゃん」
「それは……そうだけど」
という彼らのかけ合いは芦屋の耳にまで届き、彼は横目だけで二人の方を見つめる。
──あなたにも、そろそろ役目を与えてあげましょうか。
不敵に笑い、胸の中で呟く少年。レンズの奥の彼の瞳に映り込むのは、パーマをあてた茶髪の青年──山梨洋の姿だった。
*
「ハイビスカスカフェ」を後にした俺と皇樹先輩は、同エリア内にある人工の砂浜へとやって来ていた。
ここは「サニーサイドビーチ」と呼ばれる区画であり、真っ白い砂浜とエメラルドグリーンの海が本当に南国のビーチにいるような気分にさせる。敷き詰められている砂や、浅瀬にあたる部分までの海水は本物だが、その先に見える〈景色〉や空を舞う〈海鳥〉なんかがセカンドリアリティで作られているのだ。
「うーん、綺麗ね」
潮風に流れる黒い髪を手で抑えながは、隣に立つ皇樹先輩が呟いた。つられてそちらに目を向けると、真っ赤な彼岸花の髪飾りが目に入る。
その赤の鮮やかさに思わず見惚れていると、先輩がこちらを見上げクスリと笑った。
「あら、もしかして私に見惚れちゃった?」
「はい?」
「……『何言ってんだこいつ』みたいな顔しなくてもいいじゃない! 本当に乙女心という物を理解してないわね」
と、何故かいたく不機嫌そうな顔で言われてしまう。今の受け答えはそんなにおかしかったのだろうか。
「いいわ、もう。朴念仁ぶっちゃってさぁ」
「はあ、すみません」
よくわからないが謝っておくと、彼女はよりいっそううんざりしたような表情をしてから、気を取り直してといった感じで話題を変えた。
「時に、春川くん。さっきの橘さんの質問、嘘を答えたでしょ?」
──バレていた、のか?
俺は思わず先輩の顔をまじまじと見つめる。やはり、この人の目はごまかせなかったのだろうか。
すると、彼女は堪えきれないといった様子で噴き出してしまった。
……その反応を見て、俺はしてやられたことに気付く。
「……あの、先輩」
「ふふ、ごめんなさい、カマかけちゃった」
「……」
「でも、君意外とこういうの引っかかり易いのね。そういうところ茉莉とそっくりだわ」
よほど面白かったのか、皇樹先輩は目元に涙さえ浮かべていた。そういえば、前回初めて会った時もこんな感じで笑われたなと、俺はぼんやりと思い出す。
「ということは、本当はあの椚原観月という人に会っていた、ということなのよね?」
悪戯っぽい笑顔で尋ねられ、俺はため息を吐いてから仕方なく本当のことを答えた。
「ええ、まあそうですね。
といっても、ほんの二、三こと言葉を交わした程度ですが」
今度のは嘘ではない。
実際俺はあの人の質問に二回答えただけだ。いや、むしろこちらからはまともに喋ってすらいないし。
「そうなの。
……けれど、本当はもうわかっているのよ」
先輩は急に声のトーンを低くして呟くと、そのまま押し黙って砂浜を歩き出す。
なんとなく声をかけづらい雰囲気を感じ、俺も口を噤んだまま彼女の後ろ姿を見ていた。
──その頃からだろうか。ヘリコプターが近いて来ているような大きな音がすることに気付いたのは。
数歩分の足跡を白い砂の上に刻んだ先輩は、波打ち際で立ち止まる。
「……ねえ、春川くん。あなたは、十年前『アバドン』の中で何を見たの?」
背中を向けたまま投げかけられた問いに、俺は少し迷ってから結局曖昧な答えを返した。
「何を、と言われましても……瓦礫の山ですかね」
「そうじゃないの。そういうんじゃなくて……」
彼女の声を掻き消してしまいそうなほど、プロペラの駆動音が近くなる。
俺は先輩の言葉を聞き逃してしまわうようにと注意して次の句を待っていた。
すると、彼女は淡い緑色のロングスカートの丈を揺らしながら、俺の方を振り返る。
「春川くん、あなたはあの時、何か特別な力を受け取ったのでしょう?」
頭上で響く騒音はだいぶ大きくなっていたが、それでも皇樹先輩の放ったその言葉だけは不思議なほどはっきりと聞こえた。
それだけ、彼女のセリフは俺にとってショッキングな物だったのだ。
「な、何を、言っているんですか?」
「……とぼけなくてもいいわ。私には初めからわかっていたことなのだから」
「皇樹先輩……?」
「そう、初めから、こうなることはわかっていたの」
先ほどまでとは打って変わって、先輩は神妙な面持ちで言う。
彼女は何を知っているというのか。
そして、もしそれが本当に俺の力に関することであるのならば、何故それを知っているのだろか。
当然問い質したかったが、ではどのように尋ねるのがよいのか、すぐには思いつかなかった。
そうして、時が止まったかのように無言でいる俺たちの頭の上に、予想していたとおりヘリコプターが一機、姿を現す。
黒い機体は陽の光が遮り、白い砂浜に大きな影を落とした。
けたたましいモーター音を聞きながら、俺は思わず空を見上げる。
そして、あることを知った。
ヘリコプターは、ここ「サニーサイドビーチ」を通過するのではなく、まさにこの場所に着陸しようとしていたのである。
それこそあまりにも突然の出来事であり、俺は声も出せず茫然とその様子を眺めていた。
軍事用の物のように大きな機体のヘリは、俺たちから数メートル離れた地点に悠々と降り立つ。砂粒が風に乗って舞い、俺は思わず腕で顔を庇った。
まるでちょっとした砂嵐のような中しばらく耐え凌いでいると、やがて打ちつける風とプロペラの音が止む。
恐る恐る瞼を開けた俺の目に飛び込んで来たのは、着陸したヘリの尾翼にある特徴的なマークだった。
十個の小さな円を二十二本の線で結び、下側を引き延ばした六角形のようなそのマークは、この機体が世界的に有名なとある組織の物だということを示している。
──あれは、まさかWSROのシンボルマーク⁉︎
間違いない。テレビや雑誌や広告など、至るところで目にして来た物と全く同じだ。
しかし、WSROのヘリがどうしてここに?
そもそも、こんなテーマパークの中に勝手に着陸していいものなのか?
先ほどから急展開の連続でどうにも現実味を感じられないまま、俺はヘリのドアを見つめる。
「……」
皇樹先輩も同じようにしていたがこちらはむしろ醒めた目つきであり、妙に落ち着いた様子だった。
と、やがでボディと同じく黒い扉が、横にスライドして開かれる。
いったいどんな人物が現れるのか。
若干緊張しながら見守っていると、砂浜に革靴を履いた足を降ろしたのは一人の少年だった。
皺一つないダークスーツに身を包んだ彼は綺麗な金髪を少しだけ揺らし、こちらへ歩み寄って来る。
まるでガラス細工のような青い瞳が無感動に動き、皇樹先輩の姿を捉えた。
「皇樹桜様ですね?」
予想に反して、彼は流暢な日本語を手繰り尋ねる。
先輩は、やや棘のある口調でこれに応じた。
「そうだけど、何か用かしら?」
「はい。我が主の命により、あなたをお迎えに上がりました」
「ふうん、そう。
ていうか、私はあなたなんか知らないんだけど。初対面なんだからまず自分から名乗りなさいよ」
「……失礼致しました。
私の名はローラス・クラウン。ワームウッド様の部下でございます」
恭しく言ってから、クラウンと名乗った少年は自らが乗って来たヘリを左手で示す。
「どうぞ、こちらへ」
「……相変わらず、節操のない人たちね」
呆れたように、しかしそれでいて諦めているかのように、彼女は言い放った。
それから、若干表情を和らげた顔を俺に向ける。
「ごめんなさいね、春川くん。私、もう行かなきゃならないの」
「皇樹先輩……これは、どういうことなんです? 何故、WSROの人間が先輩を迎えに?」
俺の問いに答える代わりに、先輩は再び「ごめんなさい」と謝罪してから、ヘリの方へと歩き出してしまった。
彼女が何について謝っているのか全くわからないまま、俺はただ立ち尽くし、その後ろ姿を見送る。
皇樹先輩は黒い機体のすぐ傍まで歩いてから突然足を止め、肩越しに俺の方を振り返った。
その視線をまっすぐ見返していると、彼女の名前と同じ色の唇がゆっくりと動く。
「春川くん……私は今、あるゲームに参加している」
「ゲーム……? いったい、それは」
「……運命を書き換える者を決める戦い──『方舟ゲーム』よ。」
「方舟ゲーム」
それが、俺に与えられた能力や先輩とどう関係あるのか。
さらに尋ねるよりも先に、先輩は「それじゃあ、このデートの続きはまた今度ね」と、いつもと同じ調子で言い、開けられたドアの向こうへ消えてしまった。
その様子をただ見ているしかなかった俺の目の前で、金髪の少年が自らも機体に乗り込む為に背を向ける。
と、その瞬間、冷たいサファイア色の瞳が値踏みするみたいにこちらを見て来た。
反射的に俺は睨み返しており、しばし視線がぶつかり合う。
が、それもほんのわずかな間のことであり、結局WSROからの使者は、すぐにヘリの中へ乗り込んで行った。
黒光りするドアが閉められた後も、俺はまだその向こうを睨み続けている。
離陸の為再び稼動し始めたプロペラの音を聞きながら、俺はわかったことを一つだけ、声に出さずに反芻していた。
──WSROは、何かを知っている。俺の持つ神の力や、「方舟ゲーム」とやらに関する何かを。
そして、もしそうであるならば、この戦いには彼らのトップであるあの男も関わっている可能性が高い。
──アブサント・ワームウッド。
着陸した時と同じく激しく舞い上がる砂塵を体の真正面に受けながら、俺は胸の内でその名を呟くのだった。
*
「蜻蛉アースランド」:ジュラシックエリア「中央広場」──。
ジュラシックエリアのメインスペースであるここ「中央広場」では、ちょうどパレードの真っ最中であった。
広場のど真ん中をセカンドリアリティで作られた〈恐竜〉たちが、列になって行進して行く。
また、二頭の〈草食竜〉が引く大きな馬車の上には、「蜻蛉アースランド」のマスコットキャラクターたちが乗り込んでおり、来場客に手を振ったり踊ったりしていた。この馬車の後ろにも〈恐竜〉たちが続き、後ろに行けば行くほど大型の種類の物になって行くようである。
そんな勇壮なパレードの様子を、蜂蜜たち一行も人垣の中から眺めていた。
「すげえ! やっぱテンション上がるよなぁ、恐竜! 男のロマンって感じ?」
〈カメラ〉を構えながら、興奮した様子の銀太が言う。
「わかる! わかるよ杏藤ちゃん! 図鑑見てるだけでもすっごい時間潰せるもんね!」
その隣りで、こちらも目を輝かせてパレードに魅入っていた蜂蜜が彼に相槌を打った。
「二人ともはしゃぎすぎ。
つうか、本当に遊んでていいわけ? 早く鈴菜ちゃんをコールセンターにでも連れて行ってあげた方がいいんじゃないの?」
と、これは夏輪の意見である。
至極まっとうな彼女の言葉に、友人はあっけらかんと答えた。
「大丈夫だよ〜、少しくらい。
それに、鈴菜ちゃんも見たかったでしょ? パレード」
彼女は、隣で手を繋いでいる女児の顔を見下ろしながら首を傾げる。
これを受けた鈴菜はというと、はにかみながらもしっかりと頷き返した。
「うん、楽しいよクヌギハラ!」
「あ、もう、それで定着したんだ……」
途端にやる気の失せたような表情になる蜂蜜を、彼女は不思議そうに見上げる。
「どーしたの? クヌギハラ?」
「別に気にしなくていいんだよ〜、鈴菜ちゃん。優しくするとすぐつけ上がるから」
苦笑しながら言った夏輪は、今度は少しまじめな口調で鈴菜に問いかけた。
「けど、大丈夫? 本当はすぐにお父さんとお母さんに会いたいんじゃないの?」
「それは……」
彼女は、答えに窮してしまう。
もちろん会いたいに決まっているが、それが叶わないことなどとっくにわかっていたからだ。
しかし、その事情を伝えるにはそもそも自分は迷子ではないというところから説明しなければならず、鈴菜には上手く言葉にできる自信がない。
よって、また口ごもる。
「えっと、でも……」
「もう二度と会えないから」と続けることはできず、そのまま彼女は俯いてしまった。
その様子を見て、夏輪はさらに心配そうな顔になる。もしかしたら自分の言い方が悪かったのかと、彼女が不安になりかけた時、鈴菜の手を握っていた友人が声を上げた。
「ダイジョーブ! きっと何とかなるって!」
「いや、あんたは楽観的すぎるだけでしょ……」
呆れたように言いながらも、彼女はどこか気が楽になった様子である。
また、鈴菜の方も自然と笑みを取り戻していた。
四人の前を通り過着て行く隊列ももう殿の方となっており、ひときわ大きな体をゆらしながら〈ブラキオサウルス〉が近づいて来た時、銀太の頭の横の空間に〈スマートフォン〉が出現する。
「おっ、シオンから電話だ」
〈カメラ〉を停止させた彼は代わりにそれに手を伸ばし、すぐに通話に応じた。
「もしもし?」
が、パレードの音楽や周囲の騒音に遮られ、相手の声がよく聞き取れないらしい。
「悪い、場所移すからちょっと待ってて」
電話口に向かって言ってから銀、太は友人たちを振り返る。
「いいよ、私らここで待ってるから」
「ああ、頼むわ」
彼は再び〈スマートフォン〉を耳に当て直し、人混みを掻き分けて歩いて行ってしまった。
パレードもほぼ完全に終了し、去って行く〈恐竜〉たちの姿を眺めていた夏輪は、ふとある物を発見する。
それは広場の隅でお菓子の販売を行っているワゴンカーであり、宙に浮かぶ〈看板〉には恐竜の卵に見立てられた模様のカップアイスが描かれていた。
「鈴菜ちゃん、アイス食べる?」
「え、いいの?」
「うん。買ってきたげるね」
「ありがとう!」
「サンキュー、カリリン!」
「あんたの分はないから」
「んもう、本当シビア!」
大きな身振りで不満を露わにする蜂蜜とそれを見て笑う鈴菜を残し、彼女は派手なピンク色でカラーリングされたワゴンカーへと向かう。
パレードが終了したにもかかわらずまだ人の波の引かない広場の中、彼女らは友人たちの帰りを待った。
「いいなぁ、私もアイス食べた〜い。頭キーンってなりたい〜。
……春川くんが帰って来たら、頼んじゃおっかな」
悪巧みをする小悪党のような表情で呟く彼女を見て、女児は苦笑する。
自分よりもだいぶ歳上なのに、全くそういった年齢の違いを感じさせないのが、鈴菜には不思議だった。
しかし、それと同時に先ほどまで感じていた恐怖や不安をもう忘れてしまっている自分に気がつく。
もしかしたら、蜂蜜は人を笑顔にさせる特別な力があるのかも知れない。そんな風に思い、鈴菜は彼女を──まだ出逢って間もない上に自分の方が歳下なのだが──見直していた。
「むふふ、春川くんならきっと二つくらい奢ってくれるはず……」
蜂蜜が心の声を微塵も包み隠さず声に出した時、彼女たちの元へ一人の女が早足で近づいて来る。
その人物の視線にまず気付いたのは鈴菜であり、彼女が振り返った先にはスーツ姿の女が立っていた。
少し遅れて蜂蜜もそちらを向くと、黒服の女は息を整えながら口を開く。
「あなた、草薙鈴菜ちゃんね?」
「え、えっと……」
「ダメでしょう? 勝手に出て行ってしまったら。
みんな探しているわ。さあ、一緒に帰りましょう」
彼女は一方的に言い、右手を差し出して来た。
それを見た鈴菜は、思わず出逢ったばかりの少女の陰に隠れる。
「……やだ。まだ、帰りたくない」
「そんなこと言っても、本当にみんな心配しているのよ?」
「で、でも……」
──と、いったやり取りがすぐ傍で繰り広げられる中、蜂蜜の脳内ではこの状況を整理する為の処理が行われていた。
「迷子の女児」と「それを迎えに来た黒服」、この二つの情報がインプットされた彼女の灰色の脳細胞は驚異的な計算能力を発揮し、やがてある飛躍した解を導き出す。
──あ、これ、映画とかでよくある奴なんじゃ。
蜂蜜の目には、鈴菜とスーツの女の姿がアクション映画か何かのワンシーン的な物のように映ったらしい。すなわち、敵組織の追手とそれから逃げるお嬢様といった構図に見えたのだろう。
むしろ、だからこそ鈴菜は両親のことを聞かれた時に、口ごもっていたのではないだろうか。
そう思い当たり、彼女の脳内で展開された名推理はよりいっそう強固な物となった。
「とにかく、私について来てもらうわよ」
女は差し出していた手をさらに伸ばし、強引に女児を連れ帰ろうとする。
「嫌だ!」
拒絶する鈴菜の声を聞いた瞬間、少女の体は反射的に動き出していた。
──もしそういうアレなのなら、私が鈴菜ちゃんを守らなければ!
先ほど弾き出した答えから、蜂蜜はそんな決意を固める。
次の瞬間、彼女は踵を返し、女児の手を握ったまま人混みの中を走り出した。
「逃げよう、鈴菜ちゃん!」
「え、クヌギハラ⁉︎」
「あ、ちょ、待ちなさい!」
人の波を泳ぐようにしながら突き進む蜂蜜と、戸惑いながらも彼女について行く鈴菜。
予想外の出来事に、女は手を伸ばしたたまま慌てて追いかけようとするが、すぐに躓き体勢を崩してしまう。
その間にも、女児を連れた少女は広場を突っ切ろうとしていた。
「あ、なんだ、すぐ近くじゃん。俺らも今ジュラシックエリアなんだ……そう、中央広場。……ああ、了解。じゃあまたなー」
友人との通話を終え、〈スマートフォン〉を停止させた銀太。
彼が何の気なしに、友人たちがいるはずの広場の真ん中辺りを振り返った時、そのすぐ目の前を蜂蜜たちが通り過ぎて行く。
「く、椚原? 何やってんだ、あいつ」
と、呟いた時、今度はスーツ姿の女がすでに息を切らしながら近づいて来た。
「ま、待って……もう、無理。さ、最後に全力で走ったの、中学の時、なのに……」
しかしすぐに立ち止まり、彼女は両膝に手をついてその場でうつむいてしまう。
「や、山梨くん、そっち、行ったから、後、お願い……」
息も絶え絶えといった様子で女が声を絞り出すと、それに応じるように、一人の若者が少女らの前に立ちはだかった。
「任せといてよ、明日菜」
両手を広げとうせんぼする黒縁眼鏡の青年を見て、暴走を続けていた蜂蜜は仕方なく立ち止まる。
「さあ、その子を俺たちに渡してもらおうか」
「お兄さん、さては悪い大人だね……?」
「え? いや、そういうのじゃ」
「嘘だよ! だってこーゆーのって、大抵悪の組織とかそういう系でしょ? 麻薬販売のシンジゲートとか、国家転覆を狙うテロリストとか!」
「確かにぽいけど……じゃなくて、とにかく俺たち悪い人じゃないんだってば」
「そんなこと言って、本当は鈴菜ちゃんを利用してアコースティックなことしちゃうつもりのクセにっ(本人は『阿漕』と言っているつもり)」
断固として疑う姿勢を崩さない彼女に対し、山梨はすっかり困り果ててしまった。
「あーもう、何つったら伝わるかなぁ」
挙げていた手でパーマを当てた髪を搔きむしる青年。
と、彼は不意に妙な言いがかりをつけて来るこの少女に、どことなく見覚えがあることに気付く。
いつ出逢ったのかすぐには思い出せそうにないが、それでもごく最近、どこかで見かけたような気がしたのだ。
──う〜ん、思い出せない。すっげえモヤモヤするけど、今はとにかく鈴菜ちゃんを連れ帰らないと。
「明日菜にいいところを見せる為にも」と、山梨は最終的に不純な動機で決意を固める。
その頃、何やら騒ぎが起きていることにようやく気付いたらしい他の来場客たちが、渦中にいる三人に好奇の目を向け始めていた。
そして、それはワゴンカーでアイスクリームを買っていた夏輪も同じである。
「ん? あれって、はっちゃん? もしかして、また何かやらかしたんじゃ……?」
女性店員からアイスの入ったカップを受け取りつつ、青年と向かい合っている友人の姿を見た彼女は呟いた。
「ほら、俺って実はこう見えて国家公務員なわけでさぁ。悪いことするわけねーじゃん?」
「え〜、うっそだ〜。吐くならもうちょいマシな嘘吐きなよ〜」
「くっ、なんか呆れられたし……」
取りつく島もないといった反応を見て、山梨はがっくりと肩を落とす。
だが、それでもめげずに、
「ほら、怖いことなんてしないから、お兄さんと一緒に行こ?」
と、今度は鈴菜に向けて説得を試みた。
──その直後、何者かが彼の肩を叩く。
「いったい誰だよこんな時に」と思いつつ、仕方なく山梨は背後を振り返った。
すると、そこにいたのは肩につかない長さのショートヘアーをした少女であり、彼女は何故か凄まじいほどの威圧感を放っているではないか。
不思議そうに目をパチクリさせる彼に、少女は凄みながら尋ねる。
「貴様、うちの生徒に何をしている?」
「……はい?」
全くもってわけがわからず、咄嗟にそんな声しか出て来ない。
また、彼女のすぐ後ろには、何故かこちらを鬼のような形相で睨みつけている少年と、もう一人眼鏡をかけた少女が困ったように眉毛を曲げ、彼らと山梨を見比べていた。
──な、何この状況⁉︎
彼女らの発する異様な怒気を感じ、青年は青ざめるののだった。




