第二十一話「失踪」
市営バスから降りた彼女は、若干癖のある髪を揺らしながら辺りを見回した。
その停留所は「蜻蛉アースランド」のすぐ目の前にあり、宙に浮かぶ〈看板〉やセカンドリアリティで作り上げられた様々な自然環境の片鱗が、大型の駐車場を挟んだ向こう側に窺える。
彼女は不安を押し殺すように小さな両手を胸の前でぎゅっと握り締め、歩行者用の通路へと向かって行った。
そしてその姿は、少なからず周囲の人間の目を惹くこととなる。
何故なら、少女──いや、女児と呼ぶべき齢の彼女は上下共にパジャマを着ていたからだ。
まるで病院のベッドの中をこっそり抜け出して来たみたいだ、と思った者も中にはいたかも知れない。
しかし周囲の人間の視線に気付くほどの余裕もなく、女児は緊張した面持ちで来客の波に紛れ込み歩いて行った。
人混みの中には自分と同年代の子供の姿がちらほらとあり、そういった子供たちは必ず言っていいほど、はぐれぬよう親に手を引かれている。
そのことがまた彼女には堪らず、あえてそういった幸福そうな家族たちからは目を逸らし歩道を進んだ。
しまい込んだそばから飛び出しそうになる不安と戦いながら、女児は入場口を目指す。
と、受付のあるアーケードのすぐ目の前まで来たところで、彼女はある致命的なミスを犯していることに気付いた。
──お金、もうない。というか、初めからいくらかかるかわかんないし……。
首から下げていた紐つきの子供用財布の中身は、ここに来るまでのバス代で使い果たしてしまっている。
そもそも、子供一人だけで受付を通ることなんて許されるのかと、今更になって自信がなくなって来た。
人の流れの中、ぽつりと立ち止まってしまう女児。
ここまでの道のりですら幼い身にとっては大冒険だったのだが、それもここまで。目的地まで後ほんのわずかといったところで、彼女の小旅行は幕を閉じる。
──かと思われた時、そんな女児に声をかける者がいた。
「どうしたんだい? 迷子かな?」
彼女の目線に合わせる為膝に手をつきながら、縁なし眼鏡をかけたその少年は首を傾げた。
見知らぬ大人──どう見ても高校生くらいだが、彼女にとっては充分大人だろう──の質問に女児は少々戸惑っていたが、見上げた先にある笑顔を見ると幾分か緊張がほぐれて来る。
「え、えっと、迷子じゃないけど、中入りたくて。でも、お金ないの。私、一人だから……」
幼いながらに自分の説明が要領を得ない物だと、痛いほど自覚できた。
しかし、相手はそれでも優しげな笑みを浮かべたまま、ちゃんと理解できたのか頷いてくれる。
「そうなんだ。
じゃあ、僕と一緒に中へ入らない? 入園料は出してあげるから」
「え、本当?」
「もちろん。遠慮しなくていいからね」
少年は快く言って、体を起こすと共に右手を差し伸べた。
逡巡の後、結局女児は彼の手を握り返す。
「じゃ、行こうか」
「うん! ありがとう!」
二人は手を繋いだまま、入場口へ向かって行った。
「君、お名前はなんて言うのかな?」
少年の問いに、女児は彼の横顔を見上げて快活に答える。
「草薙鈴菜!
お兄ちゃんは?」
「ああ、僕は芦屋孝良って言うんだ。
よろしくね、鈴菜ちゃん」
受付へと向かう芦屋の表情には昏い陰が差し込んでいたのだが、鈴菜がそのわずかな変貌に気付く、二人の姿はアーケードに呑み込まれて行った。
*
「それじゃー行くぞー。はい、チーズっ」
何年経っても普遍であろうおきまりの掛け声と共に、杏藤は〈カメラ〉のシャッターを押した。
当然これもセカンドリアリティの産物だが、外部からの情報を読み取って〈カメラ〉本体と同じセカンドリアリティに置き換えることにより、〈写真〉として保存するが可能なのである。よって、現実のカメラで写真を撮ることはもうほとんどなく、いちいち現像する手間もかからない。
彼が撮影していたのは「蜻蛉アースランド」のマスコットキャラクターであるカゲロンと、その両脇に立ってピースしている女子たちの姿だった。
「杏藤ちゃんどんな感じ? 見せて見せてー!」
「ああ、ちょっと待ってろよ?」
〈カメラ〉を少し操作する彼に、椚原さんがおさげを揺らして駆け寄って行く。
「あ、私にも見せなさいよ」
「今再生させてるから待ってろって」
なんだかんだ言いつつ、日向も撮影会を楽しんでくれたようだった。どこか普段と様子が違うように感じたが、俺の思い過ごしだったのかも知れない。
なのでそれについては気にしないでおくことにしておきつつ、俺は改めてカゲロンこと月下さんに礼を述べる。
「ありがとうございました、月下さん」
「いやいや、どういたしまして。楽しんでもらえてるみたいで、何よりだよ」
肉球のある丸っこい手を振りながら、学園のOBはそう答えた。
と、何かを思い出したらしい彼は、「そういえば」と唐突に話題を変える。
「みんなはもう茉莉たちには会ったかい?」
「いえ、まだですが……梔子先輩もバイトしてるんですか?」
「えっ、梔子先輩⁉︎」
大声を上げて飛んで来たのは、もちろん我がクラスの生徒会フリークであった。
耳聡く憧れの先輩の名前を聞き逃さなかった彼女は、たじろぐカゲロンに向かって質問を浴びせ始める。
「梔子先輩とお会いできるんですか! ファンシーキャラの⁉︎ 梔子先輩がファンシーなんですか⁉︎ 何それ、クチナッシー?」
「い、いや、そうじゃなくて、皇樹に付き合わされて遊びに来てるだけだよ……。ていうか、本当に何なのそのキャラクター」
これが漫画のワンシーンなら頭に汗マークを浮かべていそうな感じで、月下さんは答えた。
彼の言葉どおりなら皇樹先輩もここに来ているということらしいが……。この間のファーストコンタクトの時の彼女の笑顔が頭をよぎり、俺は正直会いたくないなと密かに考える。
なんとなく、あの人は苦手なタイプだ。ステラと同じ部類の人間に思えるが、なんならあいつ以上に厄介な存在のような気がしてならない。
ばったり鉢合わせするようなことがありませんようにと、俺は人知れず心から願う。
「よし! みんな、先輩方を探しに行こう!」
何が「よし」なのかよくわからないが、キラキラと瞳を輝かせた椚原さんが、俺たちを振り返って言った。
「いや、何が『よし』なんだよ……」
全く同じ感想を抱いたらしい杏藤が、呆れた声で呟く。
この反応に彼女はあからさまに不満そうな表情で頬を膨らませ、何か言いたげな視線を送った。
が、それで友人たちが認めてくれるはずもなく、「そんな顔しても行かないからな?」「そうそう、あんたどーせまた浮かれまくって迷惑かけんだから」と、あえなく切り捨てられてしまう。
取り敢えず当面の危機が過ぎ去ったのを感じ、俺は胸を撫で下ろした。
椚原さんには悪いような気もしたが、もうロシアンルーレットティーは懲り懲りだからな。
──と、そんなわけで完全に油断しきっていた時、園内アナウンスが「ピンポンパンポーン」というお決まりの合図をしてから、辺りに鳴り響く。
『お客様のお呼び出しを致します。蜻蛉市蜻蛉からお越しの、春川シオン様。蜻蛉市蜻蛉からお越しの、春川シオン様。お連れの方がお待ちですので、至急海洋エリア「ハイビスカスカフェ」までお越しください。繰り返します……』
本当に同じ内容が女性の声で繰り返されるのを聞きながら、俺は慄然と凍りついた。
他のみんなも同様、耳を疑うような表情で固まっている。
「……誰? 『お連れの方』って」
やがて日向が放ったその問いに、俺は額を抑えながら辛うじて答えた。
「さ、さあ、誰だろうな……心当たりがないと言ったら嘘になるが」
あの人の差し金に違いない。
何故か直感的にそう確信できる。梔子先輩たちも来ていると言われた時から、薄々嫌な予感がしていたんだ。
すると、俺の心中を察したらしい月下さんが、心なしか苦笑いしているようにも見える〈着ぐるみ〉の顔をこちらに向ける。
「たぶん、俺の後輩たちだと思う……すまないね、なんだか」
「いえ、月下さんが気にされることではないので……」
顔を上げた俺は、アナウンスの内容を思い返した。「海洋エリア」と言っていたが、確かここからそう遠くない場所のはずだ。……行くしかないのだろうか。
「春川くん、悪いことわ言わないから」
「……そうですね。諦めるしかないんですよね」
やはり行くしかないらしく、俺はため息を吐いて腹を括ることにした。
それから、本当の連れたちに一言断っておく。
「そういうわけだから、申し訳ないけど少し抜けさせてもらうよ」
「どういうわけなのかは全然飲み込めないけど、取り敢えず了解」
「すまん」
「俺らテキトーにぶらぶらして待ってるから、終わったら連絡くれよ」
「ああ」
順応の早い友人たちでよかったと、俺は心からそう感じた。
が、しかし、納得行かないと言わんばかりのむくれっ面をしたクラスメイトが、一人。
「今のって、先輩たちが春川くんを呼んでるってことなの? なんで、いつも春川くんばっかり……」
「ごめん、椚原さん。というか、俺もなんでか教えてもらいたいくらいだ」
「むむむぅ、せっかく一緒にピクニックなのに……」
威嚇する番犬のように唸り始めてしまう椚原さん。
困った俺はどうしたものかと悩んだ末、仕方ないので物でなんとかすることに決める。
「じ、じゃあ、皇樹先輩のサインをもらって来てあげるから、それで勘弁してくれないか?」
「……本当?」
「ああ、本当だとも」
「やったー!」
俺が頷いて見せると彼女は一瞬にして笑顔を取り戻し、「じゃあじゃあ」と言いながらリュクサックを下ろして中身を漁り始めた。
「これ! これに、書いて来てもらって!」
椚原さんが取り出して掲げたのは、ギョロ目で薄ら笑いを浮かべた星形のぬいぐるみ──スターくんの人形である。
そこにはすでに「月下香一」という署名がなされていたが、裏側にでも書いてもらえばいいか。
「わかった、お願いしてみるよ」
「ありがとう! 春川くんグッジョブだよ!」
「どういたしまして」
皇樹先輩と会うのはかなり気が思いが、彼女が喜んでくれるなら何のそのだ。
「やっぱりはっちゃんには甘い……」
「……」
と、他二人のクラスメイトたちの冷たい視線を感じながら、俺は絶妙に不気味な表情のぬいぐるみを受け取る。
──すると、それを手にした瞬間、ある不思議な感覚に見舞われた。
いわゆる「既視感」という奴である。
右手の中でほくそ笑むスターくんを見つめた状態のまま、俺は思わず凍りついた。
──あれ? 俺は、この縫いぐるみをどこかで……。
もちろん以前ゲームセンターに遊びに行った時のことではなく、もっと全く別の機会に俺はスターくんを目にしているような気がしたのである。
しかし、ならばそれはいったいいつ、どこで……?
「ん? どーしたんだ、シオン。急に固まっちゃって」
「……あ、いや、なんでもない」
杏藤の不思議そうな声に、俺は数泊置いてから応じた。
今のデジャブが何により引き起こされている物かはわからないが、とにかく先輩方との用事をさっさと済ませてしまおうと、俺は背負っていたボディーバッグの中にスターくんを押し込むのだった。
*
蜻蛉総合病院:一階ロビー──。
小児科の医師だという壮年の男と、彼とは正反対に若い看護師を目の前にしながら、山梨は素っ頓狂な声を上げた。
「い、いなくなったぁ⁉︎」
驚きのあまりボリュームを制御できていない彼の声はフロア中に響き渡っていそうなほどであり、現にロビーにいた患者や見舞い客、それから受付の事務員らの視線が一斉にそちらに集中する。
と、火野木は無言のまま、容赦なく幼馴染の脹脛を蹴りつけた。
「痛っ⁉︎ え、厳しくね……?」
「……それで、彼女が病院を抜け出してどここへ行ってしまったというのは、本当なのでしょうか?」
当然のように山梨の抗議を黙殺し、彼女は目の前の病院関係者たちに問う。
白髪混じりの髪をオールバックに撫でつけた医師は、一度咳払いをしてからこの質問に応じた。
「ええ。四十分ほど前、彼女が検診に回った時にはもう……」
彼が横目で視線を向けると、新人であるらしい看護師は少なからず責任を感じているのか、顔を伏せる。
「院内は隈なく探したのですが、どこにも姿が見当たりませんでした」
「それは心配ですね……警察には、もう?」
「ええ、先ほど連絡を」
「そうですか……」
何事か思案するように呟く火野木。
そんな彼女に、その幼馴染が本当に心配そうな顔をして声をかける。
「明日菜、俺たちも探すの手伝おう」
「ええ、そうね。
草薙鈴菜ちゃんの行き先について、どこかお心当たりはございませんか?」
「いえ、全く」
「何か手がかりになりそうな物も?」
「そうですねぇ……」
鼻の下にたくわえているちょび髭を指で触りながら、男性医師はしばし考え込んだ。
すると、それまで気まずそうに黙り込んでいた若い看護師が、「あのぅ」と控えめな声と共に手を挙げる。
二人がそちらに目を向けると、彼女は制服のポケットから何かおもちゃのような物を取り出して彼らに見えるように掲げた。
「これが、病室のベッドの傍に落ちていたんですが……」
看護師の指に摘まれいるのは何かのキャラクターのついたキーホルダーであり、そのファンシーキャラは真っ青の体色をして耳の長い狼のような見た目をしている。
二人は揃ってまじまじとキーホルダーを見つめていた。
と、眼鏡の縁に指をかけていた山梨が、何かに思い当たったように声を上げる。
「あ、これってもしかして、カゲロンじゃないっすか?」
「「「カゲロン?」」」
異口同音に発せられた疑問符を聞き、彼はカゲロンに向けていた目線を上げて答えた。
「あ、みなさんご存知ないっすか? 『蜻蛉アースランド』のマスコットキャラクター、カゲロン」
「ああ、あの大きな遊園地みたいなところの。
もしや、鈴菜ちゃんはそこに向かったという可能性も」
「あり得るかも知れません」
ちょび髭から手を離した医師の言葉を、火野木が継ぐ。
そして、彼女は隣に立つ山梨に目配せをすると、彼もすぐに伝えたいことを察したらしく無言で頷いた。
「みなさんはお忙しいでしょうし、職務にお戻りください。我々で『蜻蛉アースランド』を探してみますので」
「ありがとうございます。
しかし、そこまでしていただいてよろしいのでしょうか?」
「構いません。私共も彼女に用がありますので。
行くわよ、山梨くん」
言うが早いか、火野木はさっさと正面口へ向かって歩き出してしまう。
それを見た山梨は慌てて後に続こうとしたが、一応それでも一言挨拶をしておくことにした。
「それじゃあ、失礼します」
「はい、彼女をよろしくお願いします」
医師と看護師は同時に頭を下げる。
これは責任重大だと改めて感じた彼は珍しく緊張した面持ちで、今度こそ幼馴染の背中を追いかけた。
*
入場用のゲートを潜った橘は、ズボンのポケットに両手をねじ込んだまま思わず顔をしかめた。
わかりきってはいたことだが、やはり遊園地という物は性に合わない。年齢的にだとか一人で来ているからだとかそういったことに関わらず、彼は元よりこういう人の多く集まる場所が苦手なのである。
それこそこんなテーマパークなんて場所、今までの人生で片手で数えられるくらいしか来たことがない。
橘は遠くに見える火山や雪山、そして大空を飛び回る翼竜の群に目を向けながら、ふとあることを思い出した。
──最後に遊園地に行ったのは、もう十年以上も前か。
広場の真ん中に立ち尽くしながら、彼は口に出さずに独白する。
そしてその時は、周りにいる来客同様、自分も家族揃って遊びに来ていたんだった、とも。
不意に蘇りかけた妻と娘との記憶に改めて蓋をするかのように、橘はボサボサの頭を掻きむしった。
──やっぱ来るんじゃなかったな。
早くも後悔し始めている彼は、〈スマートフォン〉を起動させる。
手の中に現れたそれの画面に触れ、先ほど受信したばかりのメール画面を呼び出した。
その白い背景の中には、「『蜻蛉アースランド』内の海洋エリア、『ハイビスカスカフェ』でお待ちしております」という簡明な文章が書かれている。
橘はもう一度頭を掻くと〈スマートフォン〉を停止さ、指定された 場所へ向かって改めて歩き始めた。
休日ともあって人でごった返した園内を、橘は強引に人の波を突っ切るようにして「海洋エリア」を目指す。
──面倒臭さがってる場合じゃねえ。春川ってガキには前から会っておきたかったんだ。ようやくそれが叶うじゃねえか。
自らを鼓舞するように、彼は胸の中で呟いた。
すでに橘の気持ちはこの後の話し合いに向けられており、だからというわけでもないだろうが、すぐ近くを通り過ぎて行った眼鏡をかけた少年とパジャマ姿の女児のことなど、全く気にも留まらない。
そのまま彼らとの距離は遠ざかって行き、それぞれ人混みの中に埋もれやがて見えなくなった。




