第十九話「休暇」
彼は、コスモス畑の中にいた。
一面にピンクや白の花が咲く広大な空間には彼ともう一人、その幼馴染しかいない。
眩しいほど白いワンピースを着た彼女は正座しており、彼はその膝の上に頭を乗せいわゆる膝枕をされながら横向きに寝転がっている。
──あーあ、また来ちゃったよ。本当、何やってんだろうな俺。
彼──山梨は、心の中で呟き自らに呆れていた。
彼はいつの間にか、「Butterfly」によって作り上げられた夢の空間で幼馴染と過ごす時間を楽しむようになっていたのだ。もう、初めてこの花畑に来た時ほどの動揺はなく、青空の下で彼女と戯れることを幸福にさえ感じ始めている。
また、実際に安眠作用はあるらしく、不思議とこのアプリを起動させて眠りにつくと以前よりも疲れが取れる気がした。この点においてだけは韮沢を評価してやってもいいかなと、山梨は何故か偉そうに思う。
しかし、「Butterfly」の夢は彼を癒すと同時に、反面後ろ暗い気持ち、罪悪感を胸の奥に積畜させて行くのもまた事実だった。
今日にしたってそうだ、と山梨は思い返す。
──明日菜に呼び止められた時、どうにか普通に返事できたと思ったけど……やっぱ不自然だったかなぁ?
口惜しいような後ろめたいような、厭な感覚が沸き上り、口の中にまで苦い味となって広がった。
堪らなくなった彼は体を半回転させて仰向けになる。
視界に映るのは青澄んだ空と、優しげな表情でこちらを見下ろす幼馴染の顔。
これは夢であり幻であり、そして自らの望む理想なのだろうか?
自分は彼女とこうなりたいのか、それともこうなってほしいと願っているのか、山梨はふと疑問に思った。
それからすぐに、このままここでこうしているだけでは何も変わらないのだろうということに気付く。
堪らなくなった彼は上体を起こし、その場に片膝をついて座り込んだ。
自己嫌悪に苛まれ歯をくいしばる横顔を見て、幼馴染は不思議そうに小首を傾げる。
「ヒロちゃん……」
現実では使われることのないであろう呼び名で呼ばれた山梨は、少し間を置いたものの結局笑顔を浮かべた。
「……なんでもないよ、明日菜」
彼は彼女に顔を向け、何かを諦めるように答える。
その回答を聞いた幼馴染は安心したように、柔らかな表情で微笑んだ。
それを見ただけで浮世のしがらみなど忘れ去ってしまえそうな山梨の視界の先に、この夢の中において最も異質と言うべき存在が映り込む。
コスモス畑の中に突如として口を開けた暗闇。まるで地球内に発生したブラックホールとでも言うような渦を巻く暗黒は、景色その物を歪めながら呑み込んでいた。
そして、その闇の向こう側は別の広々とした空間へ繋がっているらしく、ここからでも辛うじて何かのシルエットが見える。
のみならず、こちらをじっと観察しているような、何者かの視線も。
あの暗闇が何を意味する物なのか、彼には一向にわからぬままだ。
しかし、「Butterfly」と全くの無関係だとは思えないし、もしかしたら約一週間のうちに連続発生している一連のコラプサーに関する、重要な手がかりなのかも知れない。
山梨は渦の向こうを見つめ目を凝らした。
人工物らしき床の上に咲く、銀色のコスモス。
その空間の奥には大きな椅子が置かれており、何者かがそこに腰かけている。
あれはいったいどこで、こちらを見つめているのは誰なのか。
見当もつかないながらも、彼は何か重大なことを見落としているように思い、思考に薄く膜の張ったような不快感を覚えた。
*
翌日、再世八年五月十五日。
時刻は正午を少し過ぎた頃。
この日も橘らは蜻蛉署内の「第三資料室」に集まっており、新たにわかって来た情報の整理を行っていた。
「今回発生源となった男の名前は、モーリス・ハマメリス。五十三歳のイギリス人ですが、現在は蜻蛉大学で英文学の教授をしていました。
家族は向こうに残して来ており、市内のマンションで一人暮らしをしていたようです。
また、彼の直接の死因は舌根が喉に詰まったことによる窒息死で、死亡した後地面に落下したらしいことがわかっております」
資料の載ったウインドウを右手で掴み目を落としながら、松原は対策局の人間たちに報告する。
今彼が述べたことの半分は、実は山梨が突き止めたことだった。特別な許可を得てハマメリスのゼルプストチップにアクセスした彼は、個人情報の中から身元に繋がる物を引き出したのだ。
「そして、先日のコラプサー発生までの経緯について、先ほども少しお話し致しましたとおり、気になる情報が寄せられていまして……」
手許に浮かぶタッチパネルに流れるような手つきでメモを取っていた火野木は、その言葉を聞いて指を止める。
他の二人も注目する中、松原はなんとも言いにくそうにしてから言葉を繋いだ。
「例の“黒い怪人”を見た、という物です」
彼の言う「黒い怪人」とは、連続発生しているコラプサーのうち二番目の物で、救出された女児──発生源となった草薙という男の娘──が目撃したとされる、謎の存在である。
この時、彼女は怪人のことを「天使さん」と呼び、自分を助けてくれたのだと証言していたのだとか。
実際に、橘らは草薙の娘がその姿を描いたという絵も目にしていたが、やはりそれだけの物では確かな情報とは言えず、当初はあまり気にしないでおく方針を取っていた。
しかし、昨日発生したコラプサーの調査を行っているうちに、状況が変わって来る。
女児が「天使さん」と呼んでいた物と同一の存在とみられる黒い怪人の目撃証言が、SNS上や警察への通報などで多数出て来たのだ。
それも、第三のコラプサーが発生するわずか数分前から。
「目撃者の証言によれば、黒い怪人は突然空から飛んで来て歩道のど真ん中に降り立ったということでして……あまりにもそういった情報が多かったので調査してみたところ、なんと監視カメラの映像にもそれらしき物が映っていました」
松原が「こちらです」と付け足すと、資料室の壁の前、主に橘と火野木に見えるような位置に、大型のウインドウが表示される。そこに映っている物が監視カメラの映像であるらしく、初めは静止していたそれは彼が指を触れるとすぐに再生された。
コラプサー対策局の三人は揃ってウインドウの中を覗き込むが、どうやら山梨だけは先に見ていたらしい。
映像の中には何やら身振り手振りを交えて話す白人男性と、彼と対峙する二人の女子高生、そして彼らから少し離れた場所に男女三人の別の高校の生徒──秋津学園の制服を着ている──の姿が確認できる。
真横、というよりかは少し上のアングルから映されている画面の中で、突如男が刃物のような物を取り出して掲げた。
「この男、もしかして……」
「ええ、どうやらハマメリスのようです」
静かに呟いた橘の声に、警部は頷きながら答える。
対策局と上司と部下はどちらも驚愕の表情を浮かべ、改めて画面をまじまじと見つめた。
と、急に日が陰ったかのように、ハマメリスたちのいるアスファルトに巨大な影が落ちる。
何か異変が起きていることに気付いたらしい白人が空を見上げた時、その視線の先から巨大か黒い物体が飛来し、衆人環視の中に降り立った。
大柄なハマメリスよりもさらに上背があり、黒い翼を広げたその姿は確かに「天使」のようにも見えるが、やはりどちらかといえば「悪魔」と形容する方が相応しいように思える。
「これが、例の黒い怪人」
今度の声は、火野木の物だった。
彼女が呟いた直後、怪人はむんずと手を伸ばすと、白人の男の右腕を握り締めてしまう。その辺りからハマメリスが悲鳴を上げているらしく、必死の形相で叫んでいるらしい様子をカメラは映し出していた。
そして、すぐにもう一方の手首も封じられてしまい、男の手から短刀のような物が落ちる。
直後、黒い怪人は翼を羽ばたかせ、あろうことかハマメリスの両腕を拘束したまま、大空へと飛び去ってしまうのだった。後に残された少年少女たちが茫然と空の彼方を眺める様を映したのを最後に、映像は停止する。
「この映像が撮影されたのは、昨日の十二時十四分頃。ちようど、コラプサーが発生する数分前のことになります」
「……つまり、この怪人がハマメリスをあの山の上空へと運び、彼が舌を噛むなりして自殺した、ということなんでしょうか?」
「ええ、そうかも知れません」
火野木の言葉に答えた松原は「にわかには信じられませんが」と付け加えた。
それはこの場にいる全員も同じ気持ちであり、こんな常識から大きく外れた物が現実に存在するだなんて、すんなりと認められるわけがない。
すると、珍しくしばらく無言でいた山梨が、自分のPCの画面に目を向けながら口を開く。
「けど、もうすでにネット上ではすげえ話題になってますよ。あの場に居合わせた女子高生とか目撃したって人たちが、拡散しまくってるみたいっす。中には撮った写メを上げてる人もいるし」
言ってから、彼は椅子を回して振り返り「どうしましょう?」と尋ねる代わりに苦笑いを浮かべた。
ついに起きてしまった第三のコラプサーと、その発生源と接触していた黒い怪人。動機不明の自殺や明晰夢を見せる睡眠導入アプリに加え、さらに厄介な謎が増えてしまった。
今日も今日とて後頭部をさすりながら、疲れきった表情で警部は告げる。
「取り敢えず、私どもはハマメリスの身辺を洗っているところです。この怪人については、今は調べようがないですし」
「なるほど、確かにそれが賢明でしょう。引き続き調査をよろしくお願いします」
ウインドウの中で静止したい映像に釘付けとなったまま、橘が答えた。
「ええ。学園さんへの報告の為に、もう一度資料をまとめなくてはならないので……」
「それはなんとも……ご苦労様です」
と、彼が心からの気持ちを声にすると、今度は火野木が口を開く。
「でしたら、私たちもこの後みなさんの捜査に同行させていただく、ということで構わないでしょうか?」
「……ああ、それなんだがな」
無精髭の生えた顎を右手で触りながら、彼は考え込むように少し間をてから続けた。
「お前ら、今日は午後から休んどけ」
「へ?」
「何故です?」
上司から告げられた予想外の指示に、幼馴染の二人は共に意外そうな反応をする。
橘はそこでようやく画面から目を離し、彼らに視線を移しながら答えた。
「なんでって、ここんとこずっと働きっぱなしだろ? たまには休ませてやるっつう俺の配慮だよ」
「いや、それはありがたいっすけど、いいんすか? ただでさえややこしい状況になってるっていうのに」
「いいんだよ。
つうか、アレだ。俺らちょっと出しゃばりすぎてると思わねえか?」
「と、言いますと?」
真剣な眼差しで問う火野木に対し、彼は少々面倒臭そうに頭を掻き毟る。
「俺たちの役目は、あくまでも監査やアドバイザーってところだ。本来はここまで捜査に立ち入っていいようなもんじゃねえんだよ。どんな異常な現場を担当していたとしてもな」
「……なるほど、一理ありますね」
「だろ?
それに、お前ら休んでねえのは本当なんだからよ。特に、山梨な」
名指して指名された山梨は「え、俺っすかぁ?」と、予想外だとばかりに自分の顔を指差した。
「当たり前だろ。今回の件、お前の仕事が一番多かったんだから」
「うーん、まあそうかも知れないっすけど……」
「かもじゃなくて、そうなの。
つうかせっかくの日曜なんだしよ。午後からはしっかり羽を休めとくように」
有無を言わせぬ口調で言う橘に、二人の部下は「わかりました」「はーい」と一応は納得したらしい返事をする。
それから、火野木は思い出したかのように、新たな質問を投げかけた。
「橘さんはどうされるんです? もちろん、休まれるんですよね?」
「ああ、俺もオフにする。ちょっと、済ませたい用事もあるしな」
そう答えた彼は、視線をウインドウに戻す。
橘の見つめる先にあるのは、秋津学園の制服を着た一人の男子生徒。
異形の存在が飛び去って行った空を見上げる、とある少年の姿だった。
*
日曜日。
なんだか偉く長かったように感じたこの一週間が、ようやく終わりを迎えようとしていた。
月曜から土曜にかけて三回もコラプサーに巻き込まれ、その度にフラワノイドと戦って来たのだから、普段にも増して疲れが溜まっているのは確かだろう。
よって、特に何もなければ今日くらいは部屋でゆっくり休んでいようと考えていたのだが……。
「に〜くにくにくにくピクぅ〜ニック! あ〜いあいあいあい、アースランドぉ〜!」
と、調子っ外れな歌を歌いながら歩く椚原さんは、大変ご機嫌な様子だった。
そのすぐ隣を行く日向が、呆れたように声をかける。
「あんた、すごい楽しそうねぇ。ていうか、何? その歌」
「そりゃもう! なんたってピクニックだからねっ!」
今日もいつもと同じ大きなリュクサックを背負っている彼女の言葉のとおり、俺たち四人は休日を利用してピクニックへと出かけていた。
とは言ったものの、実はどこか山へ散策へ行くというわけではなく、俺たちがやって来た場所は市内にある「自然」をモチーフとしたテーマパークなのだが。
駐車場脇の歩道を進んで行くと、「蜻蛉アースランド」と書かれたアーチ状の〈看板〉が見えて来る。その〈看板〉はセカンドリアリティで作られた物であり、よく晴れた空の中でひとりでに浮かんでいる。
「蜻蛉アースランド」は園内のアトラクションや施設にもふんだんにセカンドリアリティを取り入れており、今やこうした遊園地の類は珍しくなかった。
しかしその一方で、ここは他の遊園地とは違ったコンセプトを持っている。
園内には山や海、中には砂漠など、セカンドリアリティで作り上げられた様々な自然環境が存在し、エリアごとにそれらを体験することができるのだ。
また、こうした自然の中には生き物も含まれており、その環境に生きている──もしくはかつて生きていた──動植物などの様子を見たり触ったりすることもできる。
言うなれば、セカンドリアリティを活用して作られている巨大なサファリパークのような物か。
──受付を済ませゲートを潜った俺たちは、まずそれぞれのエリアへと繋がる広場へと出る。
ここからでも遠くに顔を出している活火山や雪山の頂、そして大空を飛ぶ翼竜のような生物の姿なんかが確認できた。本当にいろんな自然環境を持って来たのだなと、その光景を目の当たりにして少々圧倒される。
「うわっ、すげえ! あれ、プテラノドンじゃん!」
と、さっそく杏藤が目を輝かせながら俺の肩を叩いて来た。
「へえ、恐竜までいるのか。それはちょっと見てみたい」
「だよな?
つうわけで、まずは『ジュラ紀』のところ行こうぜー」
彼の中ではすでに決定されたことだったのか、言うが早いか意気揚々と歩き出す。
が、日向はすぐに腕を伸ばしてその襟首を掴み、引き止めた。
「ちょっと待ちなさい。何男子だけで決めてんのよ。こーいう時はレディーファーストでしょうが」
「はぁ? なんでだよ。シオンだって行きたいっつってんだしいいじゃんかよー」
「いや、俺は何でも構わないが」
道中もそうだったが、目的地に着いて早々痴話喧嘩が開始される。
遊園地に来ている時くらい仲良くしてくれてもいいものだが……。とにかく二人をなだめてさっさと移動しようと考えた時、椚原さんが右手と共に声を上げた。
「はいはーい! じゃあ、間を取ってご飯にしませんかい? 腹が減ってはいい草も生えぬと言うじゃないか」
彼女は人差し指を立てて、得意げな表情で言う。
これを受けた二人の友人たちは、急激に醒めた顔つきへと変わって行った。
「まあ、そうね。うん、はっちゃんにしてはまともだわ」
「えっ、何その反応。……もしかして、私今褒められてる?」
「よ、よかったじゃねえか。……さあ、飯食うか」
毒気を抜かれたといった風に杏藤は言い、まず初めの行動が決まる。というか、もはやこの程度のボケでは誰もツッコまなくなって来たな。
「ふふん、ご飯食べる時はみんな仲良く。だよねっ?」
「ああ、そのとおりだよ。さすが椚原さん」
俺たちのやり取りを見た日向たちが同時に溜め息を吐いていたが、ひとまず気にしないでおくことにした。




