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アカシックシード  作者: 若庭葉
Season1「Butterfly」
21/47

第十八話「害虫」

 拮抗した鍔迫り合いから先に離脱したのは、フラワノイドだった。

 奴は先ほどと同じように後ろに飛び退いて、一度ネフィリムとの距離を取る。

 竹藪の中でしばし睨み合うこととなった、二つの異形の存在。

 相手の動向に注意しつつ、今度はこちらから攻める為に俺は「神の指」を持つ手を躍らせた。


 〈相手との間合いを詰め、斜上から斬り下ろす〉


 指示とおり、天使はコスモスが生えて来た地面を蹴って駆け出し、大剣と化した左腕を振り下ろす。

 これに対し怪物は下から上に向けて斬り上げるように応戦し、色も形も異なる二つの刃が再び衝突した。

 が、今度はそれぞれ弾き返されるようにして、すぐに得物を引っこめる。


 〈今度は真横から斬り払う〉


 すると、フラワノイドもまた、刃を寝かせた刀をスイングした。ガチン、と硬い物同士がぶつかる音が竹藪の中に響く。

 そこからさらに剣戟は激しさを増して行き、赤と紫の刃さ激突する度に火花を散った。

 俺は慌ただしく腕を動かして、ネフィリムの連続攻撃を空中に紡ぎ出す。

 ──くそ、このままじゃ埒があかない。決定的な一撃を喰らわせないと。

 例によりすでに体力を消耗している俺は早期決着に持ち込むべく、さらに力任せに剣を振るわせた。

 と、そのゴリ押しが功を奏したのか、斬撃を弾き返されたフラワノイドは体勢を崩し、ごくわずかながら隙が生じる。

 俺はその一瞬を見逃さずに、


 〈相手の肩口に向けてまっすぐ刃を突き出す〉


 ネフィリムに指示を飛ばした。

 彼は文章を吸収した大剣をまっすぐ突き出し、その切っ先が怪物の右肩の辺りに突き刺さる。

 フラワノイドは咄嗟に右手を上げ刀で応戦しようとするも間に合わず、天使の腕から生えた赤い刃が体を貫通して背中から飛び出した。人間の物と同じ色の血飛沫が体の前後に空いた穴から噴き出し、怪物は悲鳴のような声を上げる。


「グギャァァァ⁉︎」


 できることなら、このまま一気に仕留めたい。

 機を逸することのないよう、俺はさらに追撃の描写を書き上げた。


 〈もう片方の手で相手の首を掴み、締め上げる〉


 ネフィリムの右手は菊の葉で作られたマフラーごと敵の首を掴み、持ち前の怪力で握り締める。

 さらに苦しそうな様子のフラワノイドは左手を伸ばして黒い天使の腕を握り返したが、それしきの抵抗は無意味だった。


「ムギィ……」

「苦しいか……なら、さっさと終わらせてやるよ」


 勝利を確信し届きもしない声を発した俺は、ネフィリムの体にさらなる変化を与える。


 〈口も鼻もなく凹凸の少なかった紫色の顔の下側に、ジグザグと起伏しながら線が走って行く。両端から中央に向けて進んだその線はやがてぶつかり、直後天使の顔が上下に開いて行った〉


 紡ぐのはこの間アサガオ頭の奴と戦った時と同じ、天使の矢。


 〈顔の後ろへ裂けたそれはまるで獣の口のようであり、ギザギザの断面の向こうにも厚みのある鋭い牙がいくつも並んでいるのが見える。

 禍々しい形相へと変化した天使は、咆哮するように下顎を外してさらに大きく口を開けた。

 すると、薄暗い喉の奥には舌べらの代わりに先の尖った鋭利な物体が一本、先端部分を覗かせていたのである〉


 右腕を振る速度を加速させ、俺はあっという間に武器の描写を完成させた。

 後は、こいつを叩き込んでやるだけだ。

 ラストスパートをかけるつもりで、俺は勢いのままに「神の指」を躍らせる。


 〈天使の口の奥から一本の“矢”が発射され、目にも留まらぬ速さのそれは怪物の顔面を射抜く〉


 直後、大きく開かれた天使の口の奥から六十センチほどの長さの矢が放たれ、一瞬にして敵の顔面のど真ん中に風穴を穿った。

 これはさすがに大ダメージを与えられたらしく、フラワノイドの体から力が抜けて行くのがわかる。

 口を閉じ元の顔へと戻ったネフィリムに、俺は首を握っていた手を離し剣を引き抜くよう指示を出した。

 すると、怪物はあっけなく地面の上に崩れ落ち、たちまちその体はドロドロに溶けて行く。

 グロテスクなその様子を見て、俺はひとまず胸を撫で下ろしした。

 後はコラプサーが消滅したら「神の指」をしまい、もう一つのルートの俺と記憶が統合されて全てが終わる。

 もうさすがに寮に到着しているはずだし、今頃は課題をしているか読書中のどちらかだろうな。

 ──と、そんなことをぼんやりと考えていた時、俺は何か違和感のような物を覚えた。

 おかしい……いつまで経ってもコラプサーが終わらない(・・・・・)

 今までどおりなら、フラワノイドを殺したすぐ後には綺麗さっぱり消えてなくなっていたはずである。

 消滅までこんなに時間のかかることはなかったし、またどうにも今すぐ終わりそうな気配が感じられない。

 これはいったい、どうしたことか。

 不思議に思っていると、


「……まだですよ、シオンさん」


 という、これまでと違いやや神妙な口調のステラの声が聞こえて来た。

 と、その直後、俺はある物を発見する。

 フラワノイドの持っていた()が、いつの間にか天使の脇腹へ突き刺さっており、紫色の刀身を半分ほど埋もれさせているではないか。

 ──あいつ、まさか力尽きる間際に……?

 しかし、だとしてもコラプサーが消滅しない理由にはならないのでは?

 そう考えつつも、一応さっさと抜き取らせることにした。


 〈右手で柄を握り脇腹から刀を引き抜く〉


 すると、ネフィリムが掴んだ刀の柄頭を見た俺は、そこにも小さな黄色い花が咲いていることに気付く。


「あの花は……」


 その花も菊であるようだが先ほど始末した奴とは品種が違うらしく、花弁の広がり方は控えめで垂れ下がらず全て上を向いていた。

 思わぬところに咲いていた小さな菊の花に釘付けとなった俺は、さらに独り言を呟く。


「……まさか」


 朧げながら答えが見えかけた刹那、花のすぐ下辺りに小さな丸い穴が口を開け、その向こう側に人間と同じような形の歯が整列している様子が見えた。

 瞬間、俺の答えは確信へと変わり、と同時に、異様なまでに甲高い声が刀から発せられる。


「斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ」


 ──もう一匹、いたのか。

 いや、基本的に一度のコラプサーに対してフラワノイドは一体だけのはず。むしろ、こいつの方が本体だったのかも知れない。

 しかし、今はそんなことどうだっていい。もうすでに手の中に捕らえているのだから、さっさとこいつも始末してしまおう。

 そう決めて右手を動かしかけた矢先、何の前触れもなく紫色の刀身が伸び、それと同時に水飴のようにグニャリと曲がったのだった。

 急激な角度で折れ曲がった刃の先端は小型のフラワノイドを握り締めていた天使の腕へ突き刺さり、彼は痛みに耐え切れずといった様子で、柄の根元から手を離してしまう。

「まずい」と思った時にはすでに遅く、ネフィリムの拘束を逃れた刀は、菊の葉でできた鍔を(はね)のようにはばたかせて、竹藪の奥へと飛び去って行った。

 それを追いかけさせる為に、俺は慌てて「神の指」を振るう。


「なんというか、流れるようなフラグ回収でしたね」

「……うるさい」


 鬼の首を取ったかのようなステラになんとか言い返し、俺はネフィリムを走り出させた。

 が、フラワノイドの姿はもうどこにも見えなくなっており、暗闇に包まれた竹藪の中「斬リ捨テ」というワードのみが木霊し続ける。

 これは思いの外面倒なことになった。

 この山へ俺が来たのは清掃活動の時のみであり、全ての場所に行ったことがあるわけではない。もしこのまま敵を追いかけて行って見知らぬ場所へ出てしまった場合、「過去に書き加える」状態を保っていられなくなり、最悪また一からやり直す羽目になるだろう。

 それはさすがに面倒だし、何よりもう一巡できるほどの体力が残るかどうか。

 じわじわと焦りが募る中、突如天使に異変が起こる。

 こちらからはフラワノイドを探すようにしか指示をしていなかったはずなのに、彼は急に足を止め、かと思えば片膝をついてその場にしゃがみ込んでしまうたのだ。

 今度は何が起きたというのか。

 混乱気味の頭の中に、初めて敵の得物を目の当たりにした時の自分の感想がよぎる。

 ──そこから伸びる刀身は毒素(・・)でも持っているのか濃い紫色をしていた。

 ……もしや、本当に()があったんじゃ。

 俺は懸命に文章を紡ぎだそうとするも、空中に浮かんだ赤い文字はすぐに砕け散り、霧散してしまう。まるで神経毒を盛られたとでもいった具合で、今の状態ではネフィリムを動かすことは困難のようである。


「くそ、こんなところで!」

「シオンさん……」


 芳しくない戦況に、俺は思わず声に出して毒付いた。

 気味の悪いキンキン声が暗闇の中に響き渡り、なかなか居所が掴めないことも相まってか、かなり勘に障る。

 と、前方一時の方角から、先ほど喰らった鎌鼬と同じ攻撃が二つ連続で飛んで来た。目に見える風の刃をどちらも避けることができず、天使は左目の下と右肩に切り傷を負う。

 ──敵の居場所を突き止められたとしても、動けないんじゃ意味がない。

 この時空中に打ち出していた文章は〈脚を伸ばして立〉という中途半端なところで止まっていた。

 まだ完全に「執筆」できないというわけではないが、こう時間がかかってしまってはそれこそ埒があかない。

 片膝をついたまま、ネフィリムは顔と肩から赤い血を流している。

 と、その時、満身創痍の彼を嘲笑うかのように小型フラワノイドの方から悠々と姿を現した。

 鍔だった菊の葉を蜂の翅のように動かし、宙に留まった刀は目のない顔で天使を見下ろす。


「真実ノ天使ニ仇ナス悪魔ニハ、罰ヲ与エル。貴様ラ人類ハ、ショセン失敗作(・・・)ニ過ギナイ」

「また、意味不明なことを……」


 もう五日前、初めて「神の指」を使用した時に倒したチューリップ頭の奴も、似たようなことを言っていたはずである。

 フラワノイドたちは、自らを人類に裁きを下す神のとでも言いたいのだろうか。しかも、まるでネフィリムが人類の味方──少なくともその人類のうちの一人に操られている存在──だと、わかっているかのような口ぶりだ。


「運命ハ変ワラナイ。人類ハミナ……斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ」


 やはり最後には同じワードが繰り返される。

 俺は余裕綽々といった様子の菊頭の虫を睨みつけながら、どうにか「執筆」を続けようと試みていた。


 〈脚を伸ばして立ち上がり、敵が〉


 ここまで進みはしたが、まるで見えない力によって抑え込まれているかのように、右手が重い。歯を食いしばり懸命に腕を動かそうとするも、次第に抑圧は強まって行くようにすら感じられる。

 そうしている間にも、フラワノイドはネフィリムを見下ろしたまま、今度は刀身を根元から折り曲げた。

 怪虫は片脚を大きく上げるように、刃を斜め上に伸ばして行く。おそらく、強烈な一撃を放つ前触れだろう。


「斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ斬リ捨テ──斬リ捨テ御免!」


 叫び声と共に、長く伸びた紫色の刃が天使の頭上から振り下ろされる。

 その瞬間を、俺はただ彼の背中越しに見ていることしかできなかった。

 そして、フラワノイドの斬撃が、ネフィリムに襲いかかる、まさにその刹那──。


「ギバガッ⁉︎」


 宙に留まったままの怪虫の真横から何者かが現れ、その人物の放った強烈な飛び蹴りにより、相手に刃を当てる寸でのところでフラワノイドは吹き飛ばされてしまったのである。

 突然の乱入者に唖然としているしかない俺──と、おそらくステラも──の目の前で、その人は片手をつきながらコスモスの生えた地面に着地した。

 全体的に白を基調とした装甲を纏ったその姿に、俺は見覚えがあった。

 天使の眼前に降り立った彼女は立ち上がり、青いレンズでできた目を彼に向ける。


「ふふ、なんだ。珍しく苦戦しているようだな」


 アーマー越しにも不敵な笑みを浮かべているのがわかるセリフだ。

 黒い天使の窮地に現れたのは、ウサギを模したようなデザインの〈戦闘用スーツ〉に身を包んだフリーファイター、梔子茉莉先輩だった。

 彼女は無反応のネフィリムを見てか、左手を腰に当ててさらに首を傾げる。


「おーい、また私を無視するのか? 助けてやったというのに、失礼な奴だな」


 先輩の言うことはもっともだが、元より喋れない物は仕方ないだろう。

 いや、もしかしたらそれも「神の指」で描写すれば可能なのかも知れないが……まあ、そんなことする意味もあまりないか。


「……まあいい。動けないのなら、そこで見ていろ」


 言いながら自らが蹴り飛ばした毒虫の方へ向き直ると、彼女は両腕を同時に振る。すると、それぞれの腕の装甲から、収納されていた白い〈ブレード〉が拳の上を通りながら伸びた。

 花を刈り取る為の武器を展開した先輩の左二の腕で、輪っか状になって浮かんでいる「秋津学園生徒会」の七文字がいっそう輝きを増して見える。


「さあ、さっさと終わらせるぞ、害虫。……秋津学園生徒会の名において、貴様を排除する」


 ゆっくりと歩を進めながら告げる彼女に、不意打ちを喰らったフラワノイドは当然ながら怒りを露わにした。


「斬リ捨テル……グチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャグチャニ、斬リ捨テテヤル!」

「ふむ、そうか。

 ならやってみろ。お前の全身全霊をもってな」


 先輩の挑発の直後、戦いの火蓋が切って落とされる。

 害虫呼ばわりされたフラワノイドは長い尾のような刀身をしならせ、鎌鼬を連続でいくつも生み出した。

 対する生徒会副会長は、この攻撃を両腕から生えた〈刃〉で次々と叩き落としながら、少しずつ敵の元へ進んで行く。


「どうした? 私を斬り捨てるのではなかったのか?」


 圧倒的なまでの余裕を見せつける彼女に、害虫は苛立たしげにガチガチと歯を打ち鳴らした。

 そんな戦闘の様子を見守りながら、俺は密かに手を動かし続ける。

 と、痺れを切らしたフラワノイドは直接毒素を持つ刃で突き刺そうと、刀身を伸ばした。

 その動きを見た先輩は、迎撃の為に走り出す。彼女の背中から生えた左右一対のパーツ──バイクのマフラーのようだ──から青白い炎が噴き出し、白いフリーファイターの体を一気に加速させた。

 トップスピードとなった先輩の胸の真ん中辺りに、フラワノイドの兇刃が迫る。

 衝突の瞬間、彼女は半身になってそれを避けると、右腕の白い〈()〉を寝かせ敵の刀身の上を走らせるようにしながら、止まることなく駆け抜けた。

 長く伸びた相手の尾を逆から辿り、一気に害虫の目の前へと躍り出た梔子先輩は、捻っていた体を元に戻しながら腕を振りかぶる。


「はあぁぁぁぁ!」


 かけ声と共に一閃二閃と、凄まじい速度の斬撃が放たれ、バッテンを形作って敵を切り裂いた。

 よほどの威力だったのか、紫の刀身は付け根からへし折れてしまいフラワノイドは堪らず絶叫する。


「ギィィアァァァァァァ⁉︎」


 尻を切られた害虫は悲鳴を上げ、狂ったように滅茶苦茶に飛び回った為、傷を負った場所から夥しい量の血液がぶちまけられた。


「ちっ」


 目潰しのごとく撒き散らされた赤黒い液体に、彼女は思わず右腕で顔を庇う。

 と、その隙を逃すべからずとばかりに、フラワノイドは梔子先輩の頭の上を飛び越えてしまうではないか。


「猪口才なことを」


 忌々しげに言い捨てた彼女は、すぐに背後を振り返った。

 負傷した虫はそれでもまだしぶとく、森の奥へと逃げ込もうとする。

 ──が、俺の打ち出した文章が完成する方が先だった。


 〈脚を伸ばして立ち上がり、敵が飛んで来たところを斬り捨てる(・・・・・)


 体の自由を取り戻しかけたネフィリムの大剣により、フラワノイドの体は真っ二つに斬り捨てられ、そのままあっけなく消えて失くなる。

 山を包み込んでいた暗黒の渦や銀の花を咲かせていた無数のコスモスも、同時に幻のように霧散してしまった。

 ようやく、このコラプサーが終わったのだ。


「やれやれ、結局美味しいところを持って行かれたか」


 肩を竦めて言った梔子先輩は「FREE FIGHTER」を停止させ、彼女の全身を覆っていた〈戦闘用スーツ〉が光と共に消え去る。

 パーカーの上からブレザーを羽織ったいつもの格好へと戻った先輩は、改めてネフィリムに声をかけた。


「では、今日こそ教えてもらおうか。お前は何者なのかをな」


 が、当然返事はない。

 コラプサーから抜け出したことにより毒の効き目めはなくなったのだから、彼女には申し訳ない気もするが、ここはさっさと天使を飛び立たせてしまおう。

 そんな風に考えていると、意外にも先輩の方から先に踵を返した。


「と、思ったが、あいにく私は忙しい。小枝の手作りクッキーを食べなければならないのだからな」


 どの辺が忙しいのかはよくわからない発言だが、どうやら今日のところは観念してくれるらしい。

 梔子先輩は一度肩越しに振り返りながら、「それじゃあな、天使くん」とだけ言うと、コラプサーが消えてもまだ薄暗い竹藪の中へ、歩き去って行くのだった。


 *


 いつもどおりまっすぐ寮の部屋に帰り着いた俺は、机に向き合い〈文庫本〉のアプリを起動させページに目を落としているところだった、

 ──と、まあ予想どおり読書中だったかと、二つのルートの記憶が合わさった俺はそんな感想と共に顔を上げる。

 実は、「神の指」によってネフィリムの存在を書き加える時、対象となる場所が現在か過去かによって、その後の自分の状態が少々変わって来るのだった。

 例えば、前回のように現在に書き加えた場合、その瞬間俺の体は周りの人間の目に映らなくなり、そのまま魔法陣の上に乗ってネフィリムを操作することになる。

 しかし、過去の場合は一度創造物を呼び出した後、共に過去へ飛んで行くことになるのだが、この時「書き加えている俺」と「書き加えていない俺」が同時並行的に存在することになるのだった。

 この二人の俺は「執筆」を行っている間、それぞれ独立した意識を持つ状態となる。

 月曜日に初めて「神の指」を使った際も同じパターンであり、あの時は「ネフィリムを戦わせている俺」と「ネフィリムとフラワノイドとの戦いを見守っている俺」が同じ空間に存在していたというわけだ。

 その後、二つの記憶が合流する時点は「執筆」を行った瞬間か、書き換えている間にそれが過ぎてしまった場合は能力を停止させ次第となる。

 ──と、いうわけで、「執筆」を終え記憶が統合されたばかりの俺は、〈文庫本〉を机の上に置き、両腕を挙げて大きく伸びをした。

 今日はまた、一段と疲れた気がする。思いの外苦戦してしまったし、危ない橋を渡る羽目になったからな。

 組んだ手を今度は前に向けて伸ばしながら、俺はポキポキと首を鳴らした。何はともあれ、椚原さんが無事ならそれが一番だ。

 と、安心しきっている俺に、不意に背後から声をかけて来る奴が一人。


「シオンさ〜ん、ドスザウルスの尻尾切れないんですけどぉ」


 そうだった、と思い出しながら、俺は椅子を引いて振り返った。

 壁につけて置かれているベッドの上には、まるで自分の家のように寝転がりながら〈携帯ゲーム機〉を操作しているステラの姿が。ゲームがうまく行かないのか、むすっとした表情でバタバタと白い脚を動かしている。

 何をしてるんだこいつは。というか、ドスザウルスといえば序盤中の序盤じゃないか。

 ──いやいやいや、そうじゃない。今気にすべきところはそこではない。


「うわっ、三落ちしたし」

「……なあ、いろいろツッコミたいんだが、取り敢えず一つだけいいか? お前、なんで俺のアプリを勝手に起動させてるんだ?」

「え、ああ、言ってませんでしたっけ? 私シオンのアプリなら自由自在に取り出せるんですよ〜」

「うん初耳だ」


 本当になんでもアリなのかこの女。


「まーでも、私あんまりこの世界に干渉できないんで、プレイデータは残んないんですけどね」

「十分干渉しているように思えるがな……」


 不思議と話しているうちに頭痛がして来た俺は、右手を額に当てため息を吐いた。

 こいつに関してはわからないことだらけだ。さっきの梔子先輩じゃないが、今日こそはいろいろとはっきりさせておきたい。

 そう考え直し、顔から手をどかした俺が


「なあ、ステラ。お前は──」


 と言いかけたのと、


「あ、ついでにシオンさんのデータも全消去しちゃいました。えへっ」


 そんな不穏な言葉が聞こえて来たのとはほぼ同時だった。

 咄嗟にその意味を理解できない俺は、慌てて顔を上げる。


「え、嘘」


 が、尋ねた時にはすでに彼女姿はどこにも見当たらず、ベッドの上には〈携帯ゲーム機〉だけが転がっているのだった……。


 *


 私立秋津学園の敷地に面する山の中は、普段とは違い物々しい空気に包まれていた。

 それもそのはずであり、ようやく駆けつけた蜻蛉署の署員たちによって現場検証が行われている真っ最中なのである。

 彼らがここへ到着したのは、コラプサー消滅から数分後。すでに過剰認識空間の搔き消えた竹藪の中には、一人の白人男性の無残な亡骸が残されているのみだった。

 その遺体も先ほど運び出されており、今は身元の特定を急いでいる。

 そして、足場の悪い斜面に立った橘はコラプサー対策局の部下と共に、松原からこの発生源についての報告を受けているところだった。


「遺体の損傷は激しく、おそらく相当な高さから落下した物と思われます。竹の葉がクッションとなったのか幸いしたのか顔がわからないほどではないですが、現在はまだ身元不明。ご存知のとおり署に残られた山梨さんの協力の元、男のゼルプストチップにアクセスしてどこの誰か突き止める予定です」

「……ふむ。今回はまた、妙なことだらけですなぁ」


 顎に手を当てながら、橘が答える。

 警部は早くも剃り上げた後頭部を摩り苦笑いを浮かべた。


「ええ、我々も困惑しております。とうとう三度目が起きてしまった、というのもそうですが、その現場がこんなところだなんて……」


 彼が視線を向けた先には竹藪の景色しかなかったが、おそらく本当に見つめているのはその先にある物、いや場所だろう。

 ──まったく、そのとおりだ。

 と、松原の目線を辿りながら、橘は声に出さずに呟いた。

 発生元があの学園のすぐ(そば)であることもそうだが、実はもう一つ、彼には気になることがある。

 それは、すでにコラプサーが消滅させられているという点だ。

 すぐに橘の頭をよぎったのは、秋津学園生徒会副会長の、梔子という名の女生徒の存在だった。フリーファイターでもある彼女なら、一人でフラワノイドを倒してしまうことも可能かも知れない。

 しかし、そもそも「門」を開通させなければ、どんな猛者であっても「FREE FIGHTER」を起動させることができないのだから、通常は警察なり何なりの到着を待つしかないはずだ。

 そう思い、先ほどそのことを松原に尋ねてみたところ、「ああ、学園の生徒会役員の一部には、特別に『門』の所持が許可されているんですよ」と、こともなげに言われてしまった。

 彼の言葉を聞いた橘は、驚愕を通り越して呆れたほどである。一学生が、いや、一人の一般市民が公的機関と同じ機能のアプリケーションを持たされているだなんて、聞いたことがない。


「たぶん、また報告をしなければならないんでしょうねぇ……」


 と、浮かない顔で警部は一人ごちた。

 そんな松原を気遣ってなのか、彼の横に立っていた火野木が無表情のまま、「お察しします」とだけ声をかける。

 そんな簡素なやり取りを聞くともなしに聞きながら、橘はスーツの内ポケットに手を突っ込み、煙草の入ったボックスを取り出した。

 ──やっぱりあの学園、特に、生徒会のことが気になるな。

 口うるさい部下が見ていないうちにと、早くも一本咥えた彼は、今度はライターを引っ張り出しつつ無言の独白を続ける。

 ──後は、例の少年(ガキ)もか。


「あ、橘さん、こんなところで吸うのはやめてください」


 彼女の呼びかけはあえて無視して火を点けた橘は、咥え煙草のまま紫煙を吐き出した。


「ちょっと、聞いているのですか? いい加減怒りますよ?」


 抑揚の乏しい声でそう脅されてしまうのだが、この時彼の耳には届いていない。

 橘は密かに、あることを決意していたからである。

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