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アカシックシード  作者: 若庭葉
Season1「Butterfly」
18/47

第十五話「尋問」

 再世八年五月十四日、午前十一時。

 蜻蛉署内:取調室──。


 ある事件の重要参考人として連れて来られたその男は、先ほどから不貞腐れた態度のままパイプ椅子に深く腰下ろしていた。

 男の年齢は三十代前半といったところ。身なりはあまり綺麗とは言えず、今も薄汚れたスウェットを着に身を包んでおり、伸びるがままに伸びた髪にはふけや埃が付着している。

 取調室の中には彼の他に二人の刑事がおり、一人はドラマでよく見かけるように机に手をついて男を睨み、もう一人は腕を組みながら壁にもたれかかり容疑者の後ろ姿を見つめていた。

 いかにも新人といった風貌の若い刑事が、男に向かって高圧的に尋ねる。


「それで、あの『Butterfly』というアプリを作ったのはお前で間違いないんだな?」


 刑事の問いに、彼は顔を逸らしながら答えた。


「だから、それはさっきも言ったじゃん。そーだよ俺が作ったんだよ」

「だったら、どうしてあんな物を作った? 何か目的があったのか?」

「……目的ねぇ」


 男は嘲るような笑みを口許に浮かべる。 歪んだ唇の間から、ヤニで黄ばんだ形の汚い歯が覗いた。


「そりゃあもちろん、いい夢見たかったからに決まってんじゃん。夢の中じゃ誰にナニしても咎められることァねえし、何よりあんたらみたいな小うるさいのがいないからなぁ」

「なんだと?」


 刑事入る思わず凄むも重要参考人は全く動じず、ニタニタと嫌な笑いを止めない。


「だいたいよぉ、いつも俺らみたいな小物は見て見ぬふりしてくれてたじゃん。今更あの程度の画像とか動画とか上げたくらいで、そんな目くじら立てんなってぇ」

「お前、いい加減に!」


 彼は男のスウェットの襟首を掴み強引自分の方へと引き寄せる。

 その勢いで彼の座っていたパイプ椅子が、大きな音を立てて動いた。一触即発の事態に、壁にもたれていた刑事は後輩を止めるべきかと考え、腕を解いて彼らに近づく。


「お、おいおい、イキナリ暴力はねぇだろ。お、俺だって別にあんたを怒らせたいわけじゃないんだ……本当だよ?」


 途端に男は許しを乞うような弱々しい口調になった。

 何か葛藤するようにそれでも手を離さず相手を睨みつけていた新米刑事に、先輩が諭すような声色で言う。


「その辺にしとけ。お前の手が汚れるだけだぞ」

「おおっ、あんたいいこと言うねぇ。

 ほら、先輩がこう言ってんだからさぁ」

「黙れ!」

「す、すんませんすんません!」


 激昂しさらに襟首を掴む手に力を入れた彼だったが、やがて乱雑に相手のスウェットから手を離した。


「げほっごほっ、おえ」


 解放された男は首元を抑え大袈裟に咳込みながら、もう一度椅子に座り直す。

 その様子を軽蔑の眼差しを向けてから、若い刑事も反対側の席に腰下ろした。

 なんとか場が収束したことにほっと胸を撫で下す中年刑事であったが、それも束の間、喉をさすっていた手を離し真横の壁に顔を向けた重要参考人が、またもや不用意な発言をする。


「……なあ、刑事さん」

「なんだ?」


 怒りを必死で押さえ込んでいる新米刑事の代わりに彼が返事をすると、男は見つめる先にある壁を指差して続けた。


「あれって、実は特殊なセカンドリアリティでコーティングしてあって、本当はガラス張りだけどこっちからは壁にしか見えないようになってる、ってマジ?」


 と、反省するどころかさらに相手をおちょくるような言葉を聞き、中年刑事は大きなため息を吐くのだった。


 ──と、そんな前途多難な取り調べの様子を、取調室のすぐ隣の空間からガラス越しに(・・・・・・)見物していた橘は、無感動な声で呟いた。


「すげえじゃん、大正解」


 殺風景な部屋の中、彼はこちらから見ればガラス張りでしかない壁の目の前に立っている。

 室内には他に火野木と山梨、そして松原がおり、彼の手許には資料であるらしいウインドウが一枚浮かんでいた。


「彼の名は韮沢猛(にらさわたける)、三十二歳。市内の外れにある工場に勤務していた男です。山梨さんが集めてくださった材料を元に出頭させました。

 インターネット上に不正にアップしたと見られる動画や画像について、また『Butterfly』の製作に関与したことに関しては概ね容疑を認めております」


 資料の内容を読み上げる警部。コラプサー対策局の者たちは、無言で彼の声に耳を傾ける。

 橘の隣りに立ち同じようにガラスの前にへばりついていた山梨が、彼が言い終えると共に口を開いた。


「なーんか、かなり場慣れしてそうっすね、あの人。尋問されるの、今日が初めてじゃないんじゃないっすか?」

「ええ、そのとおりです。韮沢はすでに二回もくだらない罪(・・・・・・)で書類送検されています。だから、おかしな話板に付いてしまってるんですね」


 資料に向けていた視線を上げた松原が、苦笑いで青年の言葉に答える。

 と、今度は橘が、無精髭の生えた顎を触りながら独白のように紡いだ。


「にしても、なんつうかイメージと違うな。あのアプリを製作したっつう割には、どうにも小物すぎる……」

「確かに、そうですね。もしかしたら、彼はコラプサーの連続発生自体にはあまり関わっていないのかも知れません」

「ふむ、そんな気もしますなぁ」


 彼らが見守る先では業を煮やした若い方の刑事が椅子から立ち上がり、とうとう取調室を出て行ってしまう。乱暴に扉を閉める音がスピーカーに拾われ、こちら側の空間にまで届いた。


「荒れてるな、(ひいらぎ)の奴……」


 剃り上げた後頭部を撫でつつ、彼は部下の名前を呟く。

 対して、ガラスの向こう側に座っている韮沢は残ったもう一人の刑事に向かい「ところで取り調べってカツ丼食わせてもらえるイメージあんだけど、出て来ないの? 俺結構腹減ってんですけど」と、真顔でふざけた質問をしていた。


「松原さん、ちょっといいっすか?」

「はい、なんでしょう?」


 右手を挙げて言った山梨は、彼が聞き返すとガラスの先を親指で示して答える。


「あの人の取り調べ、俺にもやらせてもらえません?」

「は? 何言ってんの?」


 と、意外そうな声を上げたのは橘だった。

 火野木もまたタッチパネルにメモを取る手を止め、心なしか驚いたような目つきで幼馴染を見つめる。


「お前、さすがにそれは俺たちの領分超えちゃってるって」

「いやでも、警察の人たちあいつの相手すんのしんどそうですし、さっさと情報引き出しちゃいたいじゃないっすか」

「そりゃそうだけど……つうか、お前取り調べなんてできんの? その自信はどっから来んの?」

「とにかく、このままじゃ埒があかないんで、お願いします」


 彼は剃髪の中年刑事へと向き直り、今度は腰を軽く曲げて頭を下げた。どうやら本人はこれでまじめに言っているつもりらしい。

 松原は困ったように眉毛を曲げ「そうですねぇ……」と思案していたが、返事は意外とすぐに返って来る。


「わかりました。山梨さんの言うにも一理ありますし、ご協力をお願いします」

「本当っすか! ありがとうございます!」

「ただし、私も同行させていただきますね」


 人のよさそうな笑顔で付け加えた彼は、さっそく廊下へと繋がる扉へ向かって行った。

 これを受けた橘は申し訳なさそうに頭を掻き毟りながら、松原に声をかける。


「すみませんねぇ、うちのモンが」

「いえいえ、お若いのに頼もしい方ですよ」


 立ち止まって振り返りながら答えた彼はノブを捻った。

 心なしか張り切っている様子で、その後を追う山梨。

 が、すぐさま同僚が彼を呼び止める。


「山梨くん。みなさんに迷惑だけはかけないようにしなさいね」

「わかってるって。厳しいなぁ、明日菜は」


 釘を刺すような火野木の言葉に、青年はいつもと変わらぬ様子で答えた──つもりだったのだが、彼の幼馴染はその返事にどこか違和感(・・・)のような物を覚えるのだった。

 かなり漠然としでいるものの、明らかに何かがおかしいと感じた彼女は再び呼び止めようとする。

 しかしその矢先、山梨の背中はドアの向こうへと消えて見えなくなってしまった。


「ん? どうした火野木」


 こちらはこちらで部下の様子が変だと感じたらしい橘が、彼女に話しかける。


「……いえ、なんでもありません」

「そうか? ならいいけどよ」


 火野木の答え方にはやはりどこか不自然な感じがあったが、彼はそれ以上追求しなかった。

 そして、橘が視線をガラスの向こうに戻した時、ちょうど取調室のドアが開き、今出て行ったばかりの二人が室内に現れる。松原が中年刑事と二言三言だけ言葉を交わした後、山梨が先ほど若い方の刑事が座っていた椅子に腰を下ろした。

 突然やって来たおおよそ警察関係者とは思えないこの青年を、韮沢は怪訝そうに目を細めて見つめる。


「……兄ちゃん誰? カツ丼屋さん?」

「残念、出前じゃないっすね。

 僕はコラプサー対策局付属研究所職員の、山梨洋という者です。よろしくっす〜」

「……は? なんだそれ。長くて覚えらんねえよ」


 いかにもチャラついた感じの若者が相手だからか、やや高圧的な態度を取る重要参考人。

 この反応に対し、山梨は「俺もちゃんと名乗ったの久しぶりだよ」と思いながらも余裕の笑みを崩さない。


「まあ、そうっすよね。韮沢さん、でしたっけ? 見た感じあんま頭よくなさそうっすもんね」

「はあ? 兄ちゃんイキナリなんなの? 軽いジャブってレベルじゃねえだろ」


 まんまと挑発に乗り苛立たしげに黄色い歯を見せる韮沢を見て、青年は威嚇するチンパンジーを連想して笑いかけた。

 というか最初からすでに笑ってはいたので、逆に言えば笑いを堪える必要はなく、その点においては苦心することなく彼は会話を続ける。


「いやぁ、すみません。僕思ったことすぐ口に出しちゃうタイプなんすよ〜。だから職場でもうっとおしがられてるんすかね?」


 ヘラヘラとした顔つきで軽口を叩く山梨。

 重要参考人は隠すことなく舌打ちをすると、顔を背けてしまった。


「と、そんなことよりあのアプリ、凄いっすね。明晰夢を自分の意志で見れるようにするアプリだなんて、いったいどーやったらそんな物作れるんすか?」

「……知らねえよ。俺はただ睡眠導入作用をそれっぽくプログラムしただけだって」

「へえ、じゃあ、明晰夢については関わってない、と。さっきいい夢がどうとか言ってたのに?」

「ち、聞かれてんのかよ。つうか、あの壁やっぱ本当はガラス張りだろ」


 それから韮沢が吐き捨てるように「そうだよ」と言うと、青年はさらに面白がるように口角を吊り上げる。


「まあ、そうっすよね。正直そんな気はしてたんすよ〜。だってほら、さっきも言ったけど韮沢さん頭悪そうだしぃ」

「兄ちゃんマジで大概にとけよ」

「つ、ま、り、韮沢さんが作ったのは本当にただのヘルスケアアプリだった。

 で、あなたがネット上にアップした『Butterfly』に、後から誰かが手を加えたってことでオッケー?」

「おい刑事さん、こいつ連れてってくれよ。本当うざったいんだけどぉ」


 今や取り調べの様子を見守る立場となってしまっている二人の刑事たちの方を振り返って、彼は言った。

 しかし、やはりこの反応にも山梨は動じない。


「そもそもさぁ、なんで睡眠導入用のアプリなんて作ろうと思ったんすか? 誰かに頼まれたとか?」

「……別にぃ、ただの暇潰しみたいなもんだよ」

「そうですか。

 ねえ、韮沢さん。ここだけの話、あなたの存在を突き止めたのは俺なんすよ。ネット上に転がってた『Butterfly』に関する情報の中で、最も古い物を辿っていったらあなたに行き着いた」

「だから、それは俺が作ったから」

「けど、あなたがあのアプリに関わっていたのはそれだけじゃなかった。……『熾天使の致命者の会』でしたっけ? 何故かあのサイトにも、あなたの足跡(・・)が残ってたんすよね」


 相手の言葉を遮って言った彼は、黒縁眼鏡の蔓を持ち上げて静かにかけ直す。

 一度口を噤んだ韮沢は、青年に顔を向け忌々しげに睨みつけた。


「……ちっ、やっぱうざったいな兄ちゃん。だったらどうだっつうんだよ?」

「さあ、どうなんすかね? むしろこっちが教えてほしいんすけど」


 机の上に頬杖をついて、山梨は首を傾げる。

 しばらくその顔を無言で見つめていた重要参考人の男は、やがて息を吐き出しながら笑った。


「勘違いしないほうがいいぜ? 確かに、俺ァ小物も小物、雑魚みてえなもんだけどよぉ」


 韮沢の顔からは次第に苛立たしげな様子が消えて行き、代わりにどこか勝ち誇ったような不気味な笑みが浮かぶ。


「それは、ほんの入り口にすぎねえからだ。俺も『Butterfly』も、ただの始まりでしかないんだよ」


 男の目は青年を通り越した先、どこか遠くに向けられているようであり、その様子が尋常でないことは明らかだった。

 だが、それでも山梨の余裕が覆るわけではなく、彼は表情を変えずに興味深そうに問う。


「へえ、それは楽しみですね。いったい何が始まるんすか?」

「くく、『始まる』ってのは正確じゃねえな。正しくは、『もう始まってる』だ。……すでに、“致命者”たちは動き出してる」


 視線を彼へ戻した韮沢は、どこか興奮気味に言葉を吐き出した。


「間違った世界は、もうすぐ終わる……」


 ──結局、これ以降有益な情報が飛び出すことはなく、それから約十分後には取り調べは終了するのだった。


 *


 土曜日ということもあり正午過ぎにはホームルームを終え、俺たちは帰路に着いていた。

 今日は俺と椚原さん、そして杏藤の三人だ。日向は部活があるそうなので、帰宅部プラス幽霊部員というメンツで先に帰っている。

 クラスの友人二人が前を行き、少し後ろを俺が歩くという隊列だった。

 相変わらず何が入っているのかよくわからない大きなリュックのベルトを両手で握った椚原さんが、隣の杏藤に尋ねる。


「ところで杏藤ちゃんはさぁ、まじめに部活行かなくていいの? 部長さんとかに怒られちゃうんじゃない?」


 という、彼女にしては珍しくもっともな質問を受けた彼は、首を傾げるクラスメイトに対して平然と言ってのけた。


「平気平気。うちなんてほとんどみんなユーレイだし、部長も同じ一年の奴がやってるから。

 ていうか、いいかげん『ちゃん』付けやめない?」

「え〜、いいじゃん可愛いんだから。カリリンといい杏藤ちゃんといい、どうして私のセンスがわからないのかなぁ。

 ねえ、春川くん」


 彼女は肩越しにこちらを振り返り同意を求めて来る。

 椚原さんが寮で飼っている犬と猫に付けた名前を知っている俺は、「……まあ、そういうのって人それぞれだから仕方ないんじゃないかな?」と引き攣った笑顔で返事をすることしかできなかった。


「いやいや、そういう問題じゃねえって」


 当然ながら杏藤に否定されたが、椚原さんは俺の返答に満足してくれたらしく、「だよね〜」と笑顔で頷く。

 それから、納得行かなそうな表情を浮かべている彼に顔を向け、


「ところで、一年の部長って誰なの? 私たちも知ってる人?」

「ああ、クラス違うからたぶん知らねえんじゃね? 四組の芦屋(・・)って奴なんだけと」


 突然飛び出したその名前に、俺は不意打ちを喰らったような気分になった。

 このタイミングで彼の名が出て来るとは。自分の友人が芦屋と知り合いだったということにも驚きだが、それ以上にこの間のことが頭をよぎり、漠然とした不安が胸の奥でむくむくと膨らんで行く。

 ──結局、あのアプリが何なのかわからないままだ。あいつがネフィリムの存在を知っているらしいことや、発せられた不穏な言葉の意味も気になるし……やはり、嫌な感じがするな。

 何がどうと明確には言えないが、彼の存在が気にかかった。


「アシヤ、アシヤ……あれ? どこかで会ったような……」


 と、肩ベルトから離した手で腕を組みながら、彼女は首を捻る。「この間君がクロスチョップをぶちかました男子(やつ)だよ」とはとても言えないので、今度は黙っておくことにした。


「まあ、なんでもいいやっ。

 でも一年生で部長だなんて凄いなぁ。私も頑張らないといけないね、うん」

「「何を?」」


 そんな素朴な疑問が思わず口を突いて出たのだが、それは杏藤も同じだったらしく見事にハモる。

 すると、椚原さんは明らかに不満げなむくれっ面になった。


「な、何かはまだわかんないけど、とにかく頑張るの! 巨悪の権化を打ち倒して世界を救う的なさぁ」

「それはさすがに無謀すぎるんじゃ……」

「そうそう。椚原に世界が救えんだったら、俺やシオンにだって余裕だしな」


 自分で言って自分で納得した様子の彼を、彼女は口惜しさを伝えるべく精一杯睨み付ける。

 が、杏藤は全く動じることなく、「そういえば、昨日ニュースでやってたんだけどさぁ」とすでに話を切り替えようとしていた。


「なんだっけ、ほら、WSROの偉い人。あの人日本に来てんだよな。で、総理大臣と一緒に『アバドン』の慰霊碑に行ってた奴、観た?」

「観た観たー! あの、なんかちょー髪長い人だよね? ハリウッドスターみたいな感じの」


 実に無邪気な例えだが確かにわかりやすい。

 俺の不安を余所に芦屋の話題はすっかりどこかへと行ってしまい、何事もなく会話は続く。

 果たして自分まで気楽でいていいのだろうかと甚だ疑問ではあったが、今は彼らと過ごす何気ないひと時を優先してもバチは当たらないだろう、という結論に行き着いた。


「わかるわかる。背も高いし凄え顔整ってるもんなぁ。

 つうか、それでなくても外国人ってだけでなんかかっこよく見えるの何なんだろうな?」

「ああ、洋服のCMとかで何着ても様になってるしな」

「な。やっぱああいうのって外人だから格好いいってところあるもんなー」


 海外への偏見と母国に対するコンプレックスに満ち溢れた会話である。が、まあ、これくらいで誰かに咎められるようなことはないだろう。

 と、その時、俺たちが歩いている歩道の先で、何やら立ち話をしているらしい三人の男女の姿が視界の中に映り込んだ。


「あ、あれ」


 彼らの存在に気付いたらしい椚原さんが、特にその中の一人に対してであろう言葉を呟く。


「外人さん」


 噂をすれば影的な物なのだろうか、彼女の言葉どおり、道の先で二人の女子高生──うちの生徒ではなく、隣の学区の高校の者らしかった──に話しかけていたのは、壮年の白人男性だった。

 白髪混じりの髪をポマードで撫でつけ正装とまでは行かないのだろうがきちっとした身なりの彼は、大きなジェスチャーを交えカタコトで何かを説明しようとしているらしい。


「スミマセン、蜻蛉ソウゴウビョウインへハ、ドウ行ク、イインデスカ?」

「え、ちょ、外人? どうしよ〜」

「私英語わかんないんですけどぉ」


 これが女子高生たちの反応なのだが、あまり好感を持てる物ではなかった。だいたい頑張って日本語で話そうとしてくれているし。

 とはいえ、代わりに話を聞いてやりに行くようなことはせず、俺たちは取り敢えず様子を見守ることにする。

 白人男性は困ったように大きな手で額を抑えた。


「オウ、ソーリー。スミマセン、ワタシモアマリ日本語ワカラナイデス。知ッテイルコトバト言エバ、『セップク』と『ハラキリ』グライデース」

「いや、それどっちも同じじゃない?」

「ていうかそんな物騒な言葉誰から教わって来るの?」


 今度の感想は概ね同意できる物である。彼にとって我が国はどのように映っているのだろうか。


「ソウナノデスカ? トモダチニ教エテモラタノデスガ……。ホラ、ドウヤルノカモレクチャーシテモラテルンデスヨ?」


 柔和な表情で言うと男はジャケットの内側に右手を突っ込み、徐に何かを取り出す。

 そして、その手に握られて出て来たのはなんと、それこそ切腹の時に使う物のような、二十センチほどの長さの短刀だった。

 彼は胸の前の辺りで真横に構えた短刀を、躊躇うことなく木製の鞘から引き抜く。

 露わになった鈍色の刃はまるで本物のような──見たことがあるわけではないがそう思うには充分なほど──滑らかな光を放っていた。

 何が行われようとしているのか、そして本当にあれは実際の刃物なのか。

 女子高生二人もさすがにおかしいと思い始めたらしく、一歩後退る。

 それでもその時はまだ、彼女らの顔には笑みが浮かんでいたのだが。


「えっと、何それ? まさか、本当に切腹するつもりとか?」

「オウイエ〜ス。ズバリ、ソノマサカデース」

「いや、つうかその文化自体もうとっくに──」


 呆れたような口調で言いかけた彼女の言葉を遮るように、白人は両手で握り締めた短刀を振り上げた。


「致命者“ゲオルギイ”、参リマース」


 その直後、鋭く日の光を反射した刃は彼の白い喉笛に突き刺さる。

 衝撃的なシーンを目の当たりにし、誰もが声を失っている中で、男はさらに短刀を横にスライドさせながら喉元から引っこ抜いた。

 今まで見たことのないほどの夥しい量の血液が一気に噴出し、間近でその惨劇を目撃してしまった二人の少女らに降り注ぐ。

 ひとしきり赤黒い雨をその場に降らせた白人の体は、血の海と化した歩道の中に仰向けに落て行き、やがてコンクリートにぶつかって鈍い音を立てた。


「い、いや……きゃあぁぁぁぁ!」


 血飛沫を体の前面に浴びた彼女らは、同時に耳をつんざくような金切り声を上げる。

 これによりすぐ真横を通りがかる車の運転手や、周囲にいる人々も非常事態か起きていることに気付き始めた。


「う、嘘だろ、あの人……」


 立ち止まったままの杏藤が、信じられないといった様子で呟く。

 その隣りにいる椚原さんも同様に、口許を両手で覆い絶句していた。

 そして俺もまた、あまりにも突飛な出来事てあるが故にすぐに動き出すことができない。

 ──もし仮にこれが全て作り物で、フィクションか何かの世界での出来事であったなら、「首を切ったのだからもう『切腹』ではないのでは?」といった風に指摘することもできたかも知れない。しかし、今目の前で起こったことは間違いなく現実であり、男が自ら命を絶ったということもまた事実である。

 つまり、あれ(・・)がやって来るのだ。

 もうこの一週間ですでに二回も巻き込まれている、あの災害が。

 その結論が頭の中で導き出された時、ちゃうど白人男性の体が膨らみ始めた。

 風船のように丸く膨張して行くジャケットの背中を見た俺は、まず何をすべきかを考え、すぐさま実行に移す。


「杏藤! 椚原さん! 早く逃げよう!」


 彼らの後ろから声をかけた俺は、多少強引でも構わないだろうとそのまま二人の手を握って自分の方へと引き寄せた。


「お、おう、そうだよな」


 こちらを振り返った彼は俺の様子に少々面食らっていたようだが、それでもすぐに賛成してくれる。


「早くしねえと巻き込まれ──」


 杏藤が膨張し切った死体を肩越しに見ながら言いかけた時、ドンッと何かが破裂する大きな音が歩道の先から聞こえて来た。

 刹那、漆黒の爆風が辺りを走り抜け、瞬く間に俺たちを呑み込んでしまう。


「そ、そんな……これじゃあまた」


 腕で顔を庇い体を踏ん張っていると、椚原さんの呟く声が闇の中から聞こえた。

 と同時に爆風が収まって行くのがわかり、俺は腕をどけながら瞼を開く。


「また、私たち閉じ込められちゃうの……?」


 彼女が絞り出すような声で続けた時、俺たちの周りはすでに暗黒の煙によって包囲されているのだった。

 そう、俺と彼女は三度(みたび)──俺一人に関してはこれで四度目なのか──巻き込まれることとなったのである。

 この街で頻発している新型の災害、コラプサーに。

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