第十四,五話「強運」
思いがけず邂逅を果たすこととなった秋津学園生徒会会長、皇樹桜。
俺は一拍置いてから、必要ないのだろうなとは思いつつ、こちらも名乗っておくことにした。
「一年一組の春川シオンです。初めまして。
といっても、もうすでにご存知のようですね」
「ええ。ここ何日かの間に二回もコラプサーに巻き込まれながら生還している、運がいいのか悪いのかわからない男子だと、茉莉から聞いているわ」
的を得た紹介文すぎて返す言葉も見つからない。
取り敢えず「仰るとおりです……」とだけ言っておくと、皇樹先輩は口許を手で隠して上品にくすりと笑う。
「そうかしこまらなくていいのよ〜。呼び出したのはこっちなのだし」
彼女はあくまでも気安い感じで言ってから、テーブルの中央に置かれていた二人分のカップに手を伸ばし、俺と梔子先輩の目の前に差し出した。
カップの中にはすでに琥珀色の液体が注ぎ込まれており、湯気と共にハーブ系の強い香りか漂って来る。
「どうぞ。遠慮なく飲んでね。
もちろん、茉莉も」
「ありがとうございます。いただきます」
「ああ、すまないな」
それぞれの言葉を返しながら俺たちはカップの持ち手を掴んだ。
と、二人ともそれを顔の近くに持って行ったところで、皇樹先輩が何かを思い出したように「そうそう」と声を上げる。
「二人を待ってる間暇だったから、三つのカップの内どれか一つに大量のわさびを混入させて、どれがそうなのかわからなくしておいたの〜。私はすでに飲んでみても平気だったから、後はどちらかが当たり、フィフティフィフティね〜」
「これぞまさにロシアンルーレットティー」と、恐ろしいことを満面の笑みで言い出した彼女の手には、いつの間にかもうほとんど空になっているチューブタイプの練りわさびが握られていた。まさか使い切るほど入れた、というわけではあるまいな?
予想だにしなかった試練に、俺も先輩も手を止めカップの中身を見つめる。
「どうしたのぉ? 遠慮なく飲んでいいのよ〜?」
自ら罠を張り陥れた人間を嬉々として煽る様は、どこかの白髪頭を彷彿とさせた。
俺たちは互いに「本当に行くのか?」的な視線を横目で送り合ったが、結局進むしか道はないようなので、恐る恐る口をつけてみることにする。
まだそれなりに熱かった為に一瞬当たりかと思ったが、普通にハーブティーの味しかしなかった。
どうやらセーフのようだと安堵しつつ、カップをテーブルの上に戻した瞬間、
「ぐふぉあっ⁉︎」
まるで盛大に吐血でもするかのような声と共に、口許を右手で押さえた梔子先輩がテーブルに突っ伏してしまう。
彼女の手を離れたカップがそのまま下に落ちて割れ、中身がタイルの上にぶちまけられた。もうこれはれっきとした毒殺なのではないのかと思えるような事態に、俺は思わず立ち上がりかける。
「梔子先輩⁉︎」
大声で名前を呼ぶも返事はなく、代わりに小さく呻き声を上げただけでそれっきり先輩は反応しなくなってしまった。よもや本当に毒物でも入ってたんじゃ……。
「あらあら〜、茉莉ってばそんなに辛いの苦手だったかしらぁ?」
「いや、そういう問題ではないと思いますが」
相当その反応が面白かったのか笑いを堪えきれずに言う皇樹先輩。
俺が一応梔子先輩の名誉の為に指摘すると、彼女は悪戯っぽく笑った瞳をこちらに向ける。
「ふふ、そう言う春川くんは、やっぱり運がいいのね」
「はぁ、もしかしたら悪運だけは強いのかも知れないです」
「きっとそうなんでしょうねぇ。……何せ、十年前もあなただけが生き残ったのだから」
何気なく放たれたその言葉に、俺は不意に後ろから殴りつけられたような気分になった。
──この人、俺が「アバドン」の唯一生存者だと知っているのか?
中途半端に腰を浮かせたまま、俺は生徒会会長の笑顔を見つめる。
が、やはりその腹の底に何があるのかを窺い知ることはできそうにない。
「あら? どうしてそんなことを知っているんだ、って顔してるわね?」
「……そうですね、どうしてなのか教えていただきたいです」
「意外と素直なのね、好感を持てるわ。
けど、そんなに怖い顔しなくてもいいのに」
意識してそうした覚えはなかったが、反射的に表情が強張っていたのだろうか。
思ってもみなかった指摘を受けどうやったら顔つきが柔らかくなる物なのかと思っていると、とうとう皇樹先輩は声を上げて笑い出した。
「あはは、ごめん冗談。別に普通の表情してたから、気にしないで」
泣くほど面白かったのか、彼女は目元を手の甲で拭いながら謝罪して来る。なんというか、話してるだけで調子が狂ってしまうところもステラにそっくりだ。
ひとしきり笑い、満足したらしい先輩は「実はね」と切り出して、ようやく俺の問いに答えてくれた。
「昨日学園にコラプサー対策局の方々を招いて、いろいろとお話を聞いたの。で、その時に、十年前に起きた『アバドン』の唯一の生存者がうちの生徒の中にいることを教えてもらってね。
そしたら今度は、茉莉がそれは春川くんのことなんじゃないかって言い出すものだから、一度会ってみることにしたのよ〜」
コラプサー対策局ということは、ここ最近蜻蛉で起きたコラプサーを担当していた人間たちか。
俺や椚原さんを含め学園の生徒も何人か巻き込まれ被害に遭っているのだから、学園側がそういった動きを取るのは当たり前だろう。
そんなことを考え、俺は一人で納得した。
「まあそんなわけで、今日はその強運の後輩くんがどんな人か見極めたくて呼び出したのだけど、案外普通な感じね。むしろ、強いて言うならちょっとまじめすぎる?」
と言って小首を傾げる彼女に、俺は「あなたがふざけすぎているだけでは?」と言い返してやりたくなるのをぐっと堪えながら、この場は早々に切り上げた方がいいのかも知れないと思い始める。これ以上不毛なやり取りを続けるのは億劫だし、何よりこの人の相手は俺には荷が重すぎるように感じられたからだ。
「あの、今日俺を呼び出しだのは、それが目的だったからですよね……?」
「ええ。けど、まだすぐには帰さないわよ」
俺の考えなどお見通しなのか、早々に釘を刺されてしまった。
皇樹先輩は「さあほら、早く座り直して」と立ち上がりかけたままの俺に命じる。
ここは従うしかなさそうだったので、言われるがままに再び椅子に腰を落ち着けた。
「よしよし。
それじゃあ、今度は春川くんが私の質問に答える番ね」
「……はい」
「うん、まあ、いい返事。
というわけで、さっそく質問です」
満足げに頷いた彼女は、練りわさびをどこかへとしまい空になった右手の人差し指をピンと立てる。
そして、皇樹先輩から放たれた質問は、意外な物であった。
「あなたたちが、四日前のコラプサーの中で出会った黒い天使について、あなたの意見を聞かせてちょうだい」
なるほど、俺を呼んだ本当の目的はこの話をすることだったのかも知れない。
警察や対策局には報告していなくとも、生徒会内で情報共有していることは予想できていたから、彼女がネフィリムを知っていることにはさして驚かなかった。
だから意外だとは思いながらも、俺はすぐに言葉を返す。
「意見ですか、難しい質問ですね。取り敢えず、人智を超えた存在なのだろうとは感じましたが、それ以上のことは何とも……」
考え込むフリをしながら俺が答えている間、皇樹先輩は瞬きすらしていないんじゃないかというくらい、じいっとこちらを見つめていた。何か心の中を読み取られてしまいそうでかなりやり辛かったが、答え方としては及第点をもらってもいいだろう。
本当にそれくらいにしか思っていないということを強調する為に、俺は「すみません、やっぱりよくわからないです」とさらにつけ加えた。
「……そう。ありがとう、参考にさせてもらうわ」
何か別のことを考えているか、目を伏せて彼女は言う。
それから、再び視線を上げ俺の瞳をまっすぐ見返した皇樹先輩は、「でもね」とさらに言葉を続けた。
「私にはもう、わかってるの。あの天使が、何者なのかね」
「え?」
確信的な表情で、彼女は断言する。
先ほどよりも幾分か真剣味の増した声を聞き、俺は思わず身構えた。
この人が本当にネフィリムの正体に気付いているということは、同時に「神の指」の存在も知っている可能性も高い。もしそうなら、俺がその力を使い天使を生み出したということにも、すでに気付いているのだろうか……?
緊張が生じていることを悟られぬよう努めながら、
「そう、なんですか。それは是非知りたいですね。あいつの正体は何なのか」
俺は何気ない様子を装いながら言う。
すると、皇樹先輩はそれまでと少し種類の違う笑い──不敵な笑みを浮かべ口角を吊り上げた。
「ええ、いいわ。あなたにも教えてあげましょう。
あの黒い天使の正体、それはね──」
ごくりと生唾を呑む大きな音が聞こえ、それが自分の物だと気付いた時、すでに彼女の答えが言い放たれている。
「それは、宇宙人なのよ」
「……あれ?」
今、この人は何と……宇宙人って?
「……あの、どういう」
「だからね、あれは天使なんかじゃなく地球外生命体、もしくは宇宙人の創り上げたロボットか何かだと思うの」
「はあ」
皇樹先輩の瞳は真剣その物であり、自らの説を信じて疑わないといった感じだった。
そして、ようやく俺は自分の予感が外れたことに気付く。
「いつかこんな時が来ると思ってたのよ。宇宙はとっても広いんだから、地球人以外の知的生命体がいたとしてもなんら不思議はないでしょ?」
「……そうですねそうおもいます」
「……信じてないわね?」
さすがに生返事すぎたのか、彼女は不貞腐れるような目つきに変わった。
ここは取り繕う必要もないかと思い、俺は「正直、あまり」と答えながら頭を掻く。
「むう、夢がないわねぇ。
まあいいわ、こんなことで言い合っていても仕方ないし」
意外とあっさりこの話を打ち切り、かと思うと突然パンパンと手を叩いた。
「ほら茉莉、いつまで潰れてるの?」
潰した張本人とは思えない口調で言う。
すると、ピクリと背中を反応させた梔子先輩は、呻き声を上げながらもどうにか上体を起き上がらせた。
しかし彼女は未だに口許を抑えたままであり、可哀想なことに涙目になっている。
「うぅ……は、鼻が……鼻が取れる」
「そんなことより、もう用は済んだのだから彼を送って行ってちょうだい」
「そんな、こと、って……」
「わさびくらいで生徒会のナンバーツーがダウンするなってことよ。シャキッとしないシャキッと」
全く悪びれる様子のない皇樹先輩を恨めしそうに見つめながら、言われたとおり俺を送って行ってくれるつもりなのか先輩は椅子を引いて立ち上がった。
それを見た俺も慌てて腰を浮かせる。
「そ、それじゃあ春川、行こうか」
「はい。
というか、本当に大丈夫なんですか? 俺のことなんかより早く保健室へでも行った方が」
「い、いや、これしきのこと問題ない。それに、保健室を利用したら負けな気がするし」
「いったい何に対してですか」
ようやく口から手を離した彼女はがっくりと肩を落とし、酔っ払いのように覚束ない足取りで先ほど来た道を歩き始めた。
「じゃ、頼んだわよ茉莉〜。
それと、春川くんもまた今度ね〜」
そんな声に振り返ると、生徒会会長は何事もなかったかのように笑顔で手を振っている。
俺はなるべく「今度」がないように、もしくはもっと違った機会で訪れることを祈りつつ、会釈だけを返して先輩の後を追った。
*
二人の後輩たちを見送った桜は、テーブルの上に置いていた自らのカップに手を伸ばしそれを口許へと運んだ。
もうだいぶ冷めている紅茶で、彼女は喉を潤す。
目を伏せるその表情には、どこか満足げな笑みが浮かんでいた。
と、そこへ、プランターの置かれた棚の間、シオンたちが去って行ったのとは反対の方向から、何者かがそっと歩み寄って来る。
桜が再びカップを置いた時、温室の中心部分に現れたその人物は、悪戯っぽい笑みを浮かべ彼女に声をかけた。
「どうでしたかぁ? うちのシオンさんはっ」
言いながら、体重などないのではないかと思えるほど軽やかな足取りでやって来たのは、前も後ろも長く伸ばした白髪に星の形をした髪飾りをつけた少女。
「ええ。あなたの推薦どおり、素晴らしい逸材だったわ」
すでに自分のすぐ真横に立っている彼女に視線を流しながら、桜は相手の名を呼ぶ。
「ステラちゃん」
両手を後ろで組み相手を見下ろしたステラは、その言葉に応じるように黄金の瞳を歪めた。口角を吊り上げる様は先ほど桜が後輩に向けていた物と同種のようであったが、それでいてそもそも人間を超越した存在が浮かべる表情のようにも映る。
「むっふっふっふ、ご満足いただけたみたいで何よりです〜。シオンさんは弄りがいがあるので、私のイチオシなのですよ」
「わかるわぁ〜。クールっぽいけど意外と甘っちょろい感じとかね〜。うちの副会長と通ずるところがある」
「会長さんとはなんだか気が合いそうです」
「ふふ、それは光栄ねぇ。
……ところで、いいかげん教えてくれないかしら?」
秋津学園生徒会会長は艶やかな髪の毛の先を右手で弄りながら、彼女を完全に見上げた。
「あなたの正体を」
これを受けたステラは暫時意外そうな顔をしてから、口許に人差し指を当てて考え込む素振りを見せる。
「うーん、そうですねぇ……」
が、しかし、そのポーズもすぐに止めると、再び快活な笑顔に戻り、
「嫌です!」
「無駄にいい返事ね。なんとなく予想できていたけれど」
呆れたように彼女は言い、指に絡めていた髪の毛をするりと解いた。
「まあ、いいわ。何にせよ、私のすることは変わらない」
独白気味に呟いた桜は、白髪の少女に向けていた目線を自分の手許に移しながらさらに言葉を続ける。
「この“ゲーム”に勝って、私は運命を書き換える。その為ならば、どんな物だって利用させてもらうわ」
誰にともなく宣言をする彼女の姿を、ステラは無言で見つめていた。
二人の少女の思惑はどこにあるのか。
今はまだ、誰も知らない……。




