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アカシックシード  作者: 若庭葉
Season1「Butterfly」
11/47

第九話「拘束」

 炎上中の家屋の二階、辛うじて燃え残った床の上に倒れている女の子の側に膝をつきながら、俺は必死に思考を巡らせていた。

 が、ろくな打開策など浮かんで来ないまま刻一刻と時間だけが過ぎて行く。

 ──こうなったらとにかくここを出て、この子をあの駄菓子屋に連れて行くべきか。それから改めてあのフラワノイドと戦うのが、一番手っ取り早いのかも知れない。

 俺は再度ネフィリムを呼び出す為に、右手を軽く挙げて「神の指」を起動させようとした。

 しかし、その時。

 際限なく立ち昇る煙の向こう、壁と天井を切り取るように穿たれた大穴の中に、突然ひょろ長い影が現れたのである。

 痩せ細った体のそれはフラワノイドであり、道路からこの高さまで跳躍しながらも両肩から咲いたアサガオの照準をこちらに向けていた。

 ──しまった。

 と、心の中で呟いた刹那、容赦のない攻撃が開始される。

 ラッパ状の二つの花弁が震え、不気味な蛍光色の液体が放たれた。それも、一発や二発に留まらず、マシンガンのように連射して来たのである。


「溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス……」


 怪物の滞空時間は驚くほど長く、宙に浮いている間終始ボソボソと呟きながら、絶え間なく溶解液を噴出し続けた。

 やがて緑色の両脚がフローリングに着地した時、ようやくフラワノイドの怒涛の連続噴射が終わる。

 過剰認識空間の中でこれだけ強烈な攻撃を喰らってしまえば、体がどろどろに溶け出す痛みをダイレクトに認識してしまい、そのまま幾ばくもなく死に至るはずだ。おそらく、この世で最も惨たらしい死に方の一つであろう物を思い浮かべ、俺は素直に身震いをした。

 ──そう、俺たちはまだ生きているどころか、無傷なのである。

 理由は簡単で、ネフィリムを召喚するのが辛うじて間に合ったからだ。

 片膝をついてしゃがみ、気絶している子供を抱きかかえ自らの背中を盾にする黒い天使。

 俺は彼の顔が向いている(がわ)に「神の指」を握りしめながら立っており、足元には魔法陣が出現していた。

 この状態であれば煙にやられる心配はなく、ひとまず自分の身の安全は確保できたことになる。

 しかし、やはりプラント五体を一気に相手取ったのが効いているのか、体力的には全く安心できない状態だ。もう熱は感じていないのに汗が流れ、呼吸は荒くなる。

 短期決戦。こちらが完全に力尽きるよりも先に速攻で片を付けるしかない。

 ──現状、一撃で相手を仕留められる技はエンジェルビームのみ。しかし、先ほどプラントに向けて放った三発はこの間よりもだいぶ威力を抑えた物だったのだが、それでもこれだけ体力を削られた。あいつを一撃で吹き飛ばすほどの光線を放つのなら、確実に当てなければその後は「神の指」を握ってすらいられなくなるかも知れない。

 改めて気合を入れ直し、俺は敵を睨み付けた。

 立ち上がったフラワノイドは背中や羽を溶かしながらも致命傷には至っていない天使の姿を、恨めしそうに目のない顔で見つめている。

 ──考えなければ。あいつに、確実にエンジェルビームを当てる方法を。


「……溶ケナイ」


 ポツリと、怪物は呟いた。

 それから、相当苛立たしげな低い声で繰り返す。


「何故、溶ケナイ……何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故何故!」


 ガチガチと歯を打ち鳴らしにがら、アサガオの怪物は次第に声を荒げて行った。

 俺は激昂するフラワノイドを迎え撃つ為、「神の指」を大袈裟に腕を伸ばして構え直す。

 すると、怪物は三(たび)両肩を回して腕を後ろに、そしてアサガオをこちらに向けて突きつけた。

 また、あの溶解液を飛ばして来るつもりなのだろう。

 そう思ったのだが、今度はそれだけではないらしかった。

 今まで蕾だった頭部の花弁が回転し、巨大な紫色のアサガオが花開いたのである。

 それからフラワノイドの首はほぼ直角に折れ曲がり、両肩の物とは比べ物にならない大きさの第三の砲門が、獲物を待ち構えるように仄暗い口を開けたのだった。

 あの二つだけでは攻撃力が足りないと判断したのか。どうやら、次は本気で溶かしに来るつもりらしい。


「溶カシ殺ス。溶カシテ殺シテヤル……!」


 顎先を首にめり込ませながら、怪物はなおも殺意を言葉にし続ける。

 直後、その言葉は明確な形となって俺たちに襲いかかった。

 三つのアサガオの花弁が同時にぶよぶよと震え始める。

 それを見た俺はとっさに腕を動かし、急いでネフィリムの行動を紡ぎ出した。


 〈子どもを左腕で抱きかかえたまま真横に跳んで躱す〉


 どうにか文章を全て書き終えた刹那、蛍光色の液体が天使の背中へ放たれる。

 しかも、今度の攻撃はこれまでの物とは違って小さな塊を連射するのではなく、まるで強烈はジェット水流のようだった。

 三本の溶解液の水流を、天使は指示どおりに横へ跳びはねて避ける。

 すると必然的に溶解液は俺とステラに降り注ぐこととなるのだが、今俺たちの実体はないような物なので当然ダメージもない。

 攻撃が自分の体を通り過ぎて行く不思議な感覚──実際には何も感じられはしないのだが──を味わいつつ、俺は考えた。この部屋の中は狭く、巨体のネフィリムを戦わせるには分が悪い。

 できればあいつが攻撃を放っている隙に外に出てしまいたい、と思った矢先、さらにここでの戦いが不利な物だということがわかる。

 未だ溶解液の噴射を続けながら、フラワノイドは天使が飛び退いて行った方へと体を回し、同時に水流も獲物の後を追うようにそちらに曲がったのだった。


「あいつ、そんなことも!」


 巻き添えを喰らった室内の家具や壁や柱のなんかがどろりと溶け始め、また炎が一部消化されて水蒸気が上がる様子が、はっきりと認識できる。これらは全て過剰認識空間の見せるセカンドリアリティにすぎないのだが、一度認識してしまった以上コラプサーの中では本当に起きていることとなんら変わらない。

 凶悪な威力をまざまざと見せ付けられ、俺は慄然とした。

 だが、しかし、こんなことで怯んではいられないと、すぐに自分を奮い立たせる。

 俺は「神の指」を手繰り、猛スピードで真っ赤な文章を紡いで行った。


 〈もう一度横向きに移動して、壁に空いた穴のところへ向かう〉


 ひとまずはこれで、外へ出られるだろう。

 そうしたら、空を飛んで移動できるこちらの方が有利なはずだ。

 迫り来る水流を一回二回と床を蹴って弧を描くように移動しながら避けると、ちょうどネフィリムとフラワノイドの位置が先ほどと入れ替わる形となる。

 狙いどおり大穴を背負うような状態となった彼を見て、俺は外へ出て羽を広げるように文字を書き出そうとした。

 ──のも束の間、アサガオから放たれていた溶解液の水流が何故か勢いを失って途切れる。

 かと思うと、今度は一番大きな花の中から太い緑色の蔓のような物が飛び出して来て、瞬く間にネフィリムの体を翼ごと巻き込んで絡め取ってしまうではないか。

 まるで小蝿を捕らえる蛙の舌べらのように、粘り気のある液体で濡れた蔓は天使の体を強く締め上げた。

 やられた。頭から生えたアサガオは単なる砲門というだけではなく、敵の動きを封じる機能も搭載していたのである。

 俺は当然抵抗する為の文章を書こうとするが、「神の指」で紡いだ赤い文字は空中に浮かんだ(そば)から砕け散って消えてしまった。どうやら、腕力だけで振りほどくことはできない物らしい。

 ──ならば、どうする? どうやって反撃すればいいんだ。

 背中から空中に飛び出しかけたところで蔓に襲われたネフィリムは、中途半端に体を傾けた体勢のまま身動きが取れずにいた。


「むふふ〜、ピンチですねぇシオンさん」

「そんなことわかってる!」

「んもう、冷たいなぁ。これでも応援してるのに」


 ステラがわざとらしく頬を膨らませる様子が、振り返らずとも目に浮かぶ。

 お前のは応援じゃなくてただ煽ってるだけだと言い返してやりたかったが、それどころじゃないのでここはぐっと我慢する。

「はいまたスルー」という言葉さえもスルーして、俺はフラワノイドに目を向けた。

 ネフィリムの動きを封じたというのに、すぐに水流を放って来る気配がない。もしかして、あの攻撃を放つのにはある程度エネルギーを溜める必要があるのか?

 いずれにせよ、やるなら今しかない。

 相手が仕掛けて来るよりも先に、手を打つ。

 一つだけ反撃できる方法を思い付いた俺は、先ほどよりも高速で世界を書き換えるペンを躍らせた。

 ──あいつと同じ(・・)だ。両手両足以外にも、まだ使えるところはある。


 〈口も鼻もなく凹凸の少なかった紫色の顔の下側に、ジグザグと起伏しながら線が走って行く。両端から中央に向けて進んだその線はやがてぶつかり、直後天使の顔が上下に開いて行った〉


 と、フラワノイドも準備が整いつつあるのか、三つのアサガオの花弁が震え始める。

 俺は歯を食いしばり、「神の指」を握る腕の動きをさらに加速させた。

 ──間に合わせる。絶対に間に合わせてみせる!


 〈顔の後ろへ裂けたそれはまるで獣の口のようであり、ギザギザの断面の向こうに厚みのある鋭い牙がいくつも並んでいるのが見える。

 禍々しい形相へと変化した天使は、咆哮するように下顎を外してさらに大きく口を開けた。

 すると、薄暗い喉の奥には舌べらの代わりに先の尖った鋭利な物体が一本、先端部分を覗かせている〉


 これでこちらも準備段階は完了した。

 後はこいつをぶちかませば──。

 しかし、それは向こうも同じことのようだった。


「溶カシ殺スゥゥゥアゥラァァァ!」


 狂気に満ちた雄叫びと共に、溶解液の水流が一斉に射出される。

 その一瞬が、まるで特殊なビデオカメラで撮影し映像のように、やたらスローになって目に映った。

 もしこのまま何もできていなければ、少しでも手の動きを緩めてしまっていたのなら。

 俺はネフィリムを保てて(・・・)いなかったかも知れない。

 だが、ゆっくりと蛍光色の水柱が出来上がって行くのを目の当たりにしながら、それでも俺の右手は少しも止まってなどいなかった。


 〈天使の口の奥から一本の“矢”が発射され、目にも留まらぬ速さのそれは怪物の胸のど真ん中を射抜く〉


 俺がどうにか最後まで書き切った新たなネフィリムの技。

 天使とはかけ離れた顔から放たれたのは、ある意味最も天の遣いに相応しい武器だった。

 矢の全長は六十センチほど。(やじり)の部分には返し(・・)のある幅の広い刃が取り付けられており、反対側にはちゃんと三枚の矢羽を持っている。

 風を斬って進む天使の矢の鋭い切っ先は、相手が溶解液を出し切るよりも先にその胸の中心に到達した。

 緑色の皮膚を突き破り突き刺さった矢は、瞬く間に怪物の体を貫通する。


「ギィア……ガ」


 短い断末魔を上げたフラワノイドはよろめき、水流の勢いは急激に衰えた。

 結局、溶解液がネフィリムまで届くことはなく、胸に風穴を穿たれた怪物は細い手足を軋ませてその場に崩れ落ちる。

 天使に絡み付いていた蔓から力が緩み、ようやく解放された彼は翼を広げ宙に浮かんだ。

 蔓はそのままアサガオの中へ戻ろうとするが途中で支えていられなくなり、重力のままに床の上に垂れ落ちる。

 それでもまだ、フラワノイドは死んでいない。

 俺は完全に決着を付ける為、もう一踏ん張りして「神の指」を握り締めた。

 ──この状況なら、絶対に外さない。

 左腕で子供を抱えたまま、ネフィリムは右腕を突き出しコラプサーの主へと向けるのだった。


 *


 旧蜻蛉駅前通りの中ほどでコラプサーが発生してから、すでに十分が経過しようとしていた。

 炎上する家屋から数メートル離れた地点でプラントと対峙していた茉莉は、かけ声と共に鋭い回し蹴りを放つ。


「はっ!」


 鞭のようにしなった彼女の右脚は木の根で覆われた相手の腹部にを抉り、ミシミシと骨や肉を砕く音がはっきりと聞こえて来る。

 ろくな抵抗もできぬままプラントは数本後退り、その後内側から破裂してしまった。

 根っこの破片を辺り一面に撒き散らしながら中にあった人間の体が露わになり、力なくコスモスの咲く路面に倒れる。

 それを見た茉莉は無言のまま戦闘体勢を解き、周囲を見回した。

 寂れた商店街の通りには、プラントだった人間の死体が様々なところに倒れている。

 そのうち、彼女らが始末したのは三体。後の五体はここに来た時にはもう倒されていたのだった。

 この街のフリーファイターの中で一番早くコラプサーに突入したのは間違いなく自分たちである。そして、ただ巻き込まれただけの一般人がプラントと戦えるはずもない。

 では、五体ものプラントを倒したのはいったい誰なのか。

 茉莉はすでに、ある予感がしていた。

 ──この間の黒い天使……奴なら、あるいは。

 脳裏に蘇るのは、二日前彼女らの目の前に突如として舞い降りた、謎の存在。フラワノイドを圧倒しいとも容易く葬り去った、新たな怪人の姿である。

 あれが何者なのか、その目的は何なのか、そしてそもそも人類にとっては敵なのか味方なのか……わからないことを挙げればきりがない。

 それでも、ただならぬパワーを持っていることは確かだった。

 取り敢えず、できることなら一度手合わせ願いたいという結論に行き着き、彼女は漲る気合と共に拳を握り締める。

 と、もう一人のフリーファイターが茉莉に声をかけて来た。


「どうした、茉莉。なんかすごいやる気に満ちたオーラが出てるけど……」


 苦笑気味に言ったのは、青を基調としとカラーリングの〈戦闘用スーツ〉に身を包んだ先ほどの青年だった。全身を覆う装甲は茉莉の物と同じく硬質な感じであり、基本的な装備もあまり変わらない様子である。

 しかし頭部アーマーの装飾品など、所々違う部分も存在した。彼女がウサギの耳に似たパーツを生やしているのに対し、青年は顔の両サイドから平べったい棒状のアンテナのような物が真上に向かって伸びているのみであり、全体を通して見ると角張った無骨なデザインである。

 また、目にあたる部分は左右に分かれておらず、瞳というより装甲の上からバイザーをかけているようであった。

 左手を腰に当て立っている彼を振り向いた茉莉は、そう言われ無意識に作っていた拳を開く。


「あ、いえ、なんでもないです」

「そう?

 まあ、いいや。取り敢えず、さっさとフラワノイドを見つけないとな」

「はい!」


 彼女は力強く答え、右手を(おろ)すと共に余計なことを考えるのを止めた。

 青年の言うとおり一刻も早くフラワノイドを発見し倒さなければならない。コラプサーに巻き込まれた人々をこの暗闇の中から救い出す方法は、それしかないのだから。

 自分の役割を思い出した茉莉は、未だ燃え続けている家屋に目を向ける。

 ──コラプサーの発生源はおそらくあの家の住人。ならば、フラワノイドも近くにいるのではないか?

 それでなくともやはり火事の被害が心配であり、一度様子を見ておくべきだと判断した彼女は、そちらへ一歩踏み出しかけた。

 その刹那──。

 上空を覆っていた暗闇が、商店街の至るところから生えていた銀色のコスモスが、一瞬にして全て嘘だったかのように消えてしまったのである。

 思いもよらぬ出来事に、暫時彼らは言葉を失った。

 商店街の古い建物を照らす夕陽と、外と変わらぬ茜空。

 それがコラプサーの消滅を意味するのだということに茉莉が気付いた時、さらに彼女の予想を超える事態が発生することとなる。

 突如、彼らの上空から黒い翼を持つ巨大な影が目の前に舞い降りたのだ。


「……まさか」


 茉莉が見つめる先に現れたのは、間違いなく二日前にコラプサーの中で出逢った天使だった。

 辛うじて絞り出されたその声に答える代わりに、彼は抱きかかえていた物を花の消えた道路に丁寧に置く。

 いったい何かと思いながら見やると、なんとそれは人間、それも小学校低学年くらいの女児ではないか。

 火事の現場にでもいたのか全身黒く煤けてしまっており、今は気を失っているようだった。

 女児を路面に寝かせた天使は膝を伸ばして立ち上がり、無言のまま茉莉たちに背を向ける。


「待て、お、お前は!」


 とっさに呼び止めたはいいものの続く言葉に詰まり、彼女は少し間を置いてから尋ねた。


「……お前は、人類(わたしたち)の味方なのか? それとも……」


 珍しく躊躇いがちな口調で問う。

 天使は肩越しに赤い目を向けて茉莉を一瞥するも、結局最後まで何も言わずに、顔の向きを戻して夕暮れの空に飛び去って行ったのだった。

 黒い翼をバサリバサリと豪快に羽ばたかせながら、早くも小さくなっている後ろ姿を、取り残された二人のフリーファイターたちは立ち尽くしたまま見送る。

 やがてそれが完全に見えなくなると、彼らは同時に〈戦闘用スーツ〉のアプリケーションを停止させた。

 控えめな柄のポロシャツを着たラフな格好に戻った青年は、空を見上げたまま呟く。


「結局のところ、何者なんだろうなぁ。あいつ」

「……さあ」


 同じように夕焼けに目を細めていた茉莉は、ふと道路に寝かされていた子供のことを思い出し、その(そば)へと駆け寄った。

 片膝をついてしゃがみその顔を覗き込むと、まるでぐっすりと安眠しているかのように穏やかな表情で、小さいながらもしっかりと呼吸をしているのがわかる。

 それ確認した茉莉は安堵の笑みを浮かべ、改めて青年の言葉に答えた。


「わかりません。……けど、きっとそんなに悪い奴じゃないと思います」


 *


 フラワノイドとの戦いを終えた俺は、まっさきに先ほどの駄菓子屋に向かっていた。

 梔子先輩たちと顔を合わせればいろいろ面倒なことになりそうだったので、彼女らよりも後ろ側、駄菓子屋のすぐ近くで魔方陣から降りる。

 コラプサーの影響とか関係なく薄暗かった店内に入ると、店の物と思われるレジ袋を持った椚原さんが驚愕と安堵の入り混じったような表情で出迎えてくれた。


「春川くん!」


 彼女の無事を確認することができた俺は、取り敢えず胸を撫で下ろす。

 すると、その途端今までの疲労がどっと重くのしかかって来た。安心したことにより張り詰めていた糸が切れた為か、思わず俺は膝に手をついて全力疾走した後みたいに荒くなった息を整える。


「だ、大丈夫⁉︎」

「あ、ああ……少し、疲れただけだから、平気だよ」


 強がり以外の何物でもない返事をして顔を上げると、椚原さんは何故か「心配そう」というより「意外」といった表情を浮かべていた。

 どうしてそんな顔してるんだろう、と思っていると、彼女はいつになく声のトーンを低くして呟く。


「……ほ、本当にいたんだ、お友達(・・・)

「え?」


 思ってもみなかった言葉に、俺は間抜けな声を出した。

 そして、椚原さんの視線が俺の背後に釘付けになっていることに気付き、その後を追って首を曲げる。

 ──おかしいな。俺の後ろにいるのって、ステラだけ(・・・・・)なんだけどな。

 にっこりと笑ってこちらに手を振る、三本の端がある不思議なマフラーを巻いた少女。なんだか凄く面白がっているような彼女の様子を見た俺は、そこはかとなく嫌な予感がした。


「女の子、だったんだね…….お友達って」


 どうやら、予感は的中したらしい。

 椚原さんにははっきりと、ステラの姿が見えているのである。

 てっきり、こいつは俺にしか見えない的なそういうアレかと思っていたが、違ったのか。

 いや、それよりもこの場はどうするべきなんだ? 誤魔化した方がいいのか? というかそもそもどうして俺は焦ってるんだ?


「……あ、えっと、違うんだ。こいつはその、ただの知り合いで……」

「本当に?」


 彼女を騙しているみたいで少々心苦しかったが、俺は「本当に」と言って笑顔で頷いた。なんとなく、他の人をステラと関わらせたら面倒なことになる気がしたからだ。

 それでもなお、椚原さんは疑わしそうに俺を見つめてから、再び視線を俺の後ろに投じた。


「ただの知り合い、なんですか?」


 今度は直接銀髪の少女に尋ねる。

 この問いを受けたステラは顎に人差し指を当て、斜め上を見上げながらわざとらしく考え込んだ。

 ──頼む、お願いだから空気を読め。

 という俺の心からの願いを知ってか知らずか、黄金の瞳を椚原さんに向けた彼女は、満面の笑みを浮かべる。


「いえ、ただならぬ関係です!」


 悩んでた風の割に、答え方に一切迷いがない。絶対こいつわざとやってるだろ。


「お前、本当に勘弁してくれないか。というか、なにその関係」

「それはもう、ただならないんですよっ」


 と、まともに答える気概すら感じられない返答をされ、もう呆れるしかなかった。


「た、ただ、た……」

「えっと、椚原さん? 違うんだよ、こいつが言ってるのはあの……ほら、親戚ってだけだからさ」


 漫画やアニメによくありそうな誤魔化し方である。

 それでも少なからず効果はあったのか、俺のセリフを聞いた彼女の表情は幾分か明るくなった。


「な、なんだ、そうなんだー。私はてっきりそのぉ」

「まあでも、この間ベッドの上で(・・・・・・)語り合いましたけどね〜」


 苦笑しながら言いかけた椚原さんの声を、さらに衝撃的なワードでステラが遮る。一瞬駄菓子屋の中の空気が凍りつくのが、はっきりとわかった。

 ……そういえば、そうだった。

 病院のベッドだけどな!


「……べ、べ、べ」

「いや、違うんだ、今のは語弊の塊のような言い方なわけで」

「べ、べ、べ⁉︎」


 そして、椚原さんの中で何かが限界に達したらしく、顔を真っ赤にした彼女は、


「は、春川くんの──スケコマシぃぃぃ!」


 という最悪の称号を叫びながら、俺たちの横を走り抜け店から出て行ってしまうのだった。


「ま、待って椚原さん!」


 慌てて呼び止めるも疲労困憊の体ではどうすることもできず、伸ばした手は空を切る。

 後に残されたのは駄菓子屋のレジ袋のみで、床の上に落ちたその中身はミニミニドーナッツだった。


「あらら、行っちゃいましたね〜」

「誰のせいで!」

「そりゃあ、もちろんスケコマシオンさんのせいで」


 悪びれるどころか全く躊躇なく人のせいにして来るのだから、嫌になる。

 ステラは椚原さんの残して行ったミニミニドーナッツのパックを一つ拾い上げ、「これ食べていいですか〜?」と質問しながら、すでにビニールを破っていた。

 とにかく、椚原さんには今度謝っておこう。

 俺何も悪いことしてないけど……。

 それにしても、他の人にもこいつの姿が見えるというのは発見だ。というか本当にドーナッツ食べてるし、もしかし案外普通の人間なのか?

 そう考えて、すぐに否定する。

 ──そんなわけはない。ただの直感にすぎないが、こいつは「普通」でもなければ「人間」でもないということだけは、確信できる。


「……なあ、ステラ」

「はい、もぐもぐ、なんもぐですか?」

「一回食うのやめろ。

 お前、本当は何者なんだ? 何が目的で俺の(そば)にいる?」


 ずっと気になっていたことだ。

 二日前俺の元に現れたこいつの正体は何なのか?

 ドーナッツを飲み込んだステラは指先についた砂糖を舐め取ってから、口角を吊り上げ俺の質問に答える。


「むふふ、だから言ったじゃないですかぁ。私は案内役だって」

「そういう話じゃなくてだな」

「私ただ、あなたが神の力を使う様子を間近で見ていたいだけですよっ」


 俺よりもよっぽどうまく誤魔化して来る。

 しかし今日こそは聞き出してやる、とさらに食い下がろうとしたが、


「あ、それと私実体のON/OFFが自在にできるんですよ〜」

「……なんでありかよ。というか、そういうのは先に言ってくれ」

「あと、他には瞬間移動も」

「いや、それはさすがに」


「ないだろ」と言おうとした時には、もうすでにそこに彼女の姿はなかった。ミニミニドーナッツの食べ柄だけを残して、忽然と消えてしまったのである。

 ……だから、なんでもありかよ。

 一人取り残され肩を落とす俺に、後ろから声がかけられた。


「ちょっとお兄ちゃん、会計。それ、まだだからあんたが払っとくれよ」


 駄菓子屋の老店主の言葉に、俺は力なく笑うのだった。

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