第八話「朝顔」
コスモス畑と化した通りの先からゆっくりと迫る五体のプラント。
相手が攻撃して来る前に、俺はこちらから殺しに行くことにした。
「神の指」を握る右腕を振るい、ネフィリムの行動を紡ぐ。
〈路面を蹴って駆け出したら、近くに来た奴かは殴り飛ばす〉
空中に浮かんだ赤い文章を背中から吸収し、彼は指示どおり巨体を揺らして走り出した。
一番手前にいた奴に近づくと、右の拳を振りかぶる。
相手が触手を伸ばしきるよりも先に、ネフィリムの放った鉄拳が根っこに覆われた体に深々と突き刺さった。プラントは吹き飛び、通り沿いにある店のシャッターに激突してけたたましい音を鳴らす。
すると、すぐさま別の方向から太い木の根が鞭のようをしなりながら飛んで来た為、俺は予定を変更する。
〈右斜め前に飛んで避けつつ、相手との距離を一気に詰める〉
これも注文どおり、ネフィリムは二メートル近い高身長に似合わぬ俊敏さで怪物の目の前まで来ると、再び拳を握り締めた。
そして、間髪入れずに、
〈今度は斜め上から抉りこむようにぶん殴る〉
ミシミシと木の根を軋ませながら、二体目のプラントも数メートル先まで派手に飛んでアスファルトの上に転がり落ちる。
それを見た俺はすぐさま「神の指」を動かして、黒い天使を再出発させた。
──残り三体、一気に片付ける。
俺の紡ぎ出す文章に合わせて銀色の花の咲く道を駆け抜けると、ネフィリムはたたんでいた翼を大きく広げて飛び上がった。
三体のプラントの頭上を翼を羽ばたかせて飛び越えながら、彼は空中で旋回して体の向きを変える。プラントたちの触手から身を躱しながら背後に回り込んだネフィリムは、奴らの背中に向けて右腕を突き出した。
〈人間のような五本指を持つ手だった部分が原子レベルにまで分解され、それが肘の辺りにまで達すると今度は黒いもやが右腕を包み込む。やがてもやが消えた時、彼の肘から先はまったく別の形状に変わっていた。
腕の太さは倍以上に膨れ上がっており、より硬質で無骨な装甲を纏っている。先ほどまで手首だった辺りは、手がない代わりに上下に鋭い牙を持つ獣の口のような形になっており、その間から四角い灰色の砲門が前へ突き出した〉
宙に浮いたまま、彼は右腕にもう一方の手を添える。すると、どこからともなく飛んで来た赤い光の粒が砲門の中心に吸い込まれて行った。
やがてネフィリムの足が路面に触れるか触れないかのタイミングでエネルギーの充填が完了し、俺は次の文を書き上げる。
〈右から左へ順に“エンジェルビーム”を速射する〉
直後、熱を帯びて赤くなった右腕の砲門から強烈な光線弾が放たれ、バンバンバンとテンポよく三体のプラントの体を撃ち抜いた。一応必殺技であるエンジェルビーム──という名前を付けたのは他ならぬ俺自身だが、正直あまり多用したくはない──を喰らったプラントたちは撃たれた場所から赤い炎に包まれ、一瞬にして全身に燃え広がると黒焦げになって道路に倒れ込む。その衝撃で怪物たちの体が砕け散ったを見た俺は、安堵の息を漏らした。
案外五対一でもどうにかなるものである。
取り敢えず邪魔者は排除したし、さっさとコラプサーの主であるフラワノイドを探しに行こうとした時、不意に声が聞こえて来た。
「むふふ、いきなりエンジェルビームだなんて。今日は飛ばしますねぇ、シオンさんっ」
聞き覚えのあるその声に、俺は首を曲げて左横に顔を向ける。
案の定、そこにはもう一つ魔法陣が出現しており、その上にごろりと寝そべる白髪の少女の姿があった。
俺はいろいろ言いたいことが浮かんで来たが、あまり構っている余裕もないので一つだけ、お茶の間で寛いでいる主婦のような体勢のステラに、お願いをしておく。
「頼むから、忘れてくれないか? その技名」
「えぇ〜、だって付けたのシオンさんじゃないですかぁ」
「いやそうだけど……もういいや」
やはりまともに相手をするだけ無駄に思えて来たので、俺は早々に諦めることにした。
それにしても、こいつは普段どこでどうしているのか。そもそも正体や目的についても皆目わからないままだ。
まあ、それこそ今考えている場合ではないので、俺は当初の目的どおりフラワノイドを探す為にネフィリムを動かす。
が、すぐにその必要はなくなった。
完全に行動を書ききるよりも先に、標的の方から姿を現したのである。
通りの先、未だ煙を上げて燃え続ける家屋の二階部分の壁を突き破り、炎と共に内側から現れたそいつは銀色のコスモスの咲いている道路へと降り立った。
膝を曲げ左手を突いて着地したのは、この間の奴とは違い異様なまでに細い体つきのフラワノイド。そいつの皮膚の色は緑だったが、体その物はやはり人間に似ている。
また、簡単に折れてしまいそうな首の上には閉じたパラソルような形の蕾が上向きに乗っており、それがこのフラワノイドの花のようだ。この蕾は頭の他にも両肩から後方に向けて、ふた回りほど小さい物が生えおり、どれも未だ閉じたままというのが逆に不気味な雰囲気を醸していた。
ゆらりと立ち上がったフラワノイドは、小さなまん丸い口を持つ顔を動かして、黒い天使のいる方に顔を向ける。
「おや、出てきましたねぇ、フラワノイド」
いつの間にか体を起こして胡座をかいていたステラが、心なしか嬉しそうな声で言った。この間もそうだったが、こいつは俺が「神の指」を使うこと自体を愉しんでいるようだ。
もしくは、俺の困っている様子が見たいだけなのか。
「早くぶちのめしちゃいましょうよ〜。ほらほら〜」と何故かやたらと煽って来るのだが、今は気にしないでおくことにする。
というか、言われなくてもそのつもりだ。
俺は「神の指」を握った腕を真横に振り上げて構えた。
フラワノイドは完全にこちらに体を向け、ネフィリムと真正面から対峙する形となる。
──相手の出方を窺う必要なんてない。こちらからねじ伏せる。
〈再び走り出し、相手が間合いに入ったところで跳び蹴りを喰らわせる〉
俺は「神の指」を空中で踊らせた。紡ぎ出された文章を吸収し、ネフィリムは再度商店街を走り出す。
「溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス……」
と、それを見た相手も小さな口で呪詛の言葉を撒き散らしながら、細長い手足をしならせて駆け出して来た。
数秒後、二つの異形の存在が激突する。
相手の目の前に来たネフィリムは軽やかに跳躍し、サッカーで言うところのボレーシュートの要領で空中から敵の左肩を抉るような回し蹴りを喰らわせた。彼の巨体から全体重を乗せて放たれた一撃が、細い体でフラワノイドの細い体を容赦なくへし折る。
が、しかし、奴が倒れることはなかった。
体勢を大きく崩したものの脚を踏ん張って持ち堪え、のみならず腕を伸ばした両肩を、人間にはなかなか難しいような勢いで回転させ、後ろから生えた二つの蕾を前方に突き出したのである。
──何か、仕掛けて来る。
そう直感しネフィリムを引かせようとした時、フラワノイドの肩の蕾は同時に花開き、蹴りを放った体勢のままの天使に向けられた。
怪物から生えた二輪の花は鮮やかな赤紫色をしたラッパ状の花弁を持つアサガオであり、それらは単なる装飾品ではなく強力な武器だということがすぐにわかる。
ぶよぶよと花弁を震わせたかと思うと、アサガオの奥から何か液体の塊が射出されたのだった。
避けても間に合わないと即座に判断した俺は、別の行動を書く。
〈右腕を盾にして体への直撃から身を守る〉
必殺技を放つ形態の為装甲が普段よりも大きくなっていた右腕で液体を受け止めつつ、飛び退かせて一旦距離を取ることにした。
アスファルトの上に着地したネフィリムを見ると、なんと攻撃を受けた箇所からジュウジュウという焼け焦げるような音と共に煙をが上がっているではないか。
──まさか、本当に溶かすつもりなのか……?
溶解液を噴出する攻撃。飛び道具な上、被弾すれば確実にダメージになる。これは少々厄介だな。
ひとまず、ネフィリムの右腕を元の形に書き直す。同時に溶け出していた部分も修復することができたのだが、問題は彼その物のダメージというよりも俺自身がどこまで保つかだ。
いつの間にか息が上がっており、体中ぐっしょりと汗をかいていた。
最初から必殺技を連射したせいか、早くもかなりの疲労が蓄積されている。ちょっと飛ばしすぎたかも知れない。
「はぁ……はぁ……」
「あらあら〜? もうお疲れなんですか〜?」
「……うるさい」
左肩で汗を拭い、俺はステラの方は見ずにフラワノイドに目を向けた。
二輪のアサガオはまだ開いた状態であり、それらを前に突き出した体勢のままネフィリムを目のない顔で睨めつけている。
「溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス溶カス……」
丸い口の中に見える人間と同じ形の歯をガチガチと打ち鳴らし、怪物は溢れ出すような殺意をそのまま言葉にしていた。
情けないことだが、いつまで体が保つかわからない。ここは、速攻で始末してしまうべきだろうと考え、俺は改めて「神の指」を握る手に力を籠める。
──だが、その時だった。
俺の視界の端にある物が映り込んだのは。
それは、今なお煙を上げて燃え続けている家屋の二階にいた。
先ほどフラワノイドが壁をぶち破って現れた為に穿たれた大きな穴──コラプサーの中だからそう認識したのであって、実際には焼け落ちて中が見えるようになったのだろう──の向こうに、人が倒れているのが見えたのである。
しかも、それはただの人ではなくとても小さい──どうやら、幼い子供のようであった。
「……シオンさん、あれ」
ステラも気付いたらしい。
床の上に倒れているあの子供の安否は不明だが、もし生きているのだとすれば早くあそこから出してあげた方がいい。
このままフラワノイドの相手をしていたらその間に手遅れになってしまうかも知れないし、まだ息があるかどうかだけでも確かめなければ。
俺は予定を変更し、ネフィリムに指示を出す。
〈翼を広げてフラワノイドの頭上を飛び越え、炎上している家屋の二階へ向かう〉
金属が擦れ合うような音を立てて天使の黒い翼は開き、尖った風切羽が一斉に伸びた。
ネフィリムは少し助走を付けると路面を蹴り、アサガオの生えた怪物の頭上を飛び越えて行く。
そのまま羽ばたいて空を飛び、彼はまっすぐ火事の現場へと向かった。
俺たちを乗せた魔法陣さそれぞれ地面を離れて浮かび上がり、その後を追うように空中を移動する。
家屋では未だ黒煙が上がり続けており、その向こうに子供がうつ伏せで倒れているのが見えた。
ネフィリムの肩越しに中の様子を窺うが、この距離からでは息があるかどうかまではわからない。やはり、直接確かめるのが一番手っ取り早いだろう。
迷っている暇などなかった。
「ちょっ、シオンさん? いったい何を」
ステラの怪訝そうな声を聞きながら、俺は「神の指」を停止させる。
「神の指」が黒いもやになって消えるのと同時にネフィリムの姿もなくなり、代わりに俺が火災の現場に降り立った。
轟々と音を立てて燃え続ける家屋の、辛うじて残っていた床に足を着ける。
目を開けているのも大変なほど凶悪な熱気で満ちた空間の中、俺はすぐに左腕で口許を抑え煙を吸い込まないようにして室内を見回した。ここは元々リビングだったらしく、テーブルやソファやテレビなど、焼け焦げながらもまだ原型を留めている家具も残っている。
周囲の様子を確認してから、俺はフローリングの上に倒れている子供の側にしゃがみ片手でその背中を揺すってみた。
が、反応がない。もう手遅れだったのだろうか。
そう思いながらも諦めきれなかった俺は口と鼻を塞いでいた左腕を一旦離し、元の色もわからないほど黒く煤けてしまっているTシャツの肩を両手で掴む。
そして、余計な負荷にならぬよう慎重に、その子の体を仰向けにさせた。
子供は小学校低学年くらいの女の子であり、服と同じように顔や髪の毛にも煤が付いている。
上体を少し抱き上げるようにしながら、俺は目を瞑る彼女の口に耳を寄せてみた。
──呼吸は、している。まだ、息がある。
顔を離してよく見ていると、わずかに腹部が上下していることもわかった。とうやら女の子は気絶しているだけのようだ。
ひとまず、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、ここからが問題だ。一刻も早くこの子を安全な場所へ移さなければならず、その為にはフラワノイドを倒す必要がある。
──もう一度「神の指」を使ってネフィリムを呼び出す……のはいいが、この子を連れた状態であいつと戦うのは難しいだろう。何か、打開策を考えないと……。
もう一度口許を手で抑えながら思考を巡らせていると、背後から嘲笑うような声が降って来る。
「あれぇ? この間と言ってること違うじゃないですか〜。あの娘以外は誰が何人犠牲になっても問題ないんじゃなかったんですかぁ?」
肩越しに振り返ると、ステラが行儀悪くテーブルに腰下ろして足をぷらぷらとさせていた。長い前髪の隙間から覗く黄金の瞳が、悪戯っぽい笑顔と共にこちらを見下ろす。
「さすがに子供を見殺しにすることはできないんですねぇ。優しい〜」
「うるさい、黙、げほっ⁉︎ ごほっ」
口から手を離して言い返そうとしたが、煙を吸い込み途中でむせてしまった。
命の危険に晒されているのは自分も同じだということを思い出し、俺はさらに焦り始める。
こうしている間にも刻一刻と時間は過ぎ、俺たちの命のタイムリミットは着実に近付いて行くのだった。
*
旧蜻蛉駅前通り(通称:商店街)にて──。
コラプサー発生から約八分が経過した現在、通りに繋がる道路は全て警察に封鎖され、残すところ後は「門」の開通を待つのみとなっていた。これはかなり迅速な対応であったが、裏を返せばまだ前回の記憶や影響が残ったままだからこそ、早く動き出せたのだとも言える。
わずか数日の間に二回。この頻度は明らかに常軌を逸しており、混乱の影響か署内もかなり浮き足立った状態となってしまっていると、松原は感じていた。
陣頭指揮を執る彼は空へ立ち込める暗黒の渦を見上げながら、綺麗に剃り上げた後頭部をさする。
──それでもまだ自分が場を仕切っていられるのは、あの人たちがいるからか。
松原が視線を移した先には、黒いスーツに身を包んだ男女の姿があった。
「……やべえな、ラーメン食ってたせいで俺ら出遅れちまったぞ」
「調子乗ってチャーハンセットなんて頼むからですよ。胃、もたれますよ?」
多分に緊張感に欠ける会話をしているのは、もちろんコラプサー対策局の橘と火野木だ。
橘の言葉どおりすでに蜻蛉署による封鎖が完了してから現場に現れた彼らは、いつものかけ合いをしながら松原の元へ歩いて来る。
彼ら対策局の監査の目があるからこそ、自分は集中力を保てているのだと、何故か信じて疑わない彼は、二人の方に体を向けた。
どういうわけか、緊張感のない橘らの態度が松原にとっては「プロフェッショナルだからこその余裕」という風に映っているらしい。
彼は苦笑いを浮かべ、コラプサーのプロたちに声をかける。
「いやぁ、参りましたよ。一昨日起きたばかりなのに、まただなんて。普通こんな頻度で発生するものなんでしょうかね?」
本当に困っている様子の松原に答えたのは、火野木だった。
すでに〈メモ〉を起動させているらしく、彼女の手許には手のひら大のタッチパネルが浮かんでいる。
「……なかなか珍しいことですが、全く前例がない話ではありません。実際、コラプサーが短時間に連鎖的に発生したことで国民のほとんどが命を落としてしまった国もあるそうですから」
「それは、なんとも凄惨な……。まさか、蜻蛉もそんな風になってしまうなんてことはありませんよね?」
「まあ、それはないでしょう」
と、橘が会話に加わった。
彼はいつの間にか煙草を咥えている彼は、商店街を覆う黒い渦を見つめながらさらに続ける。
「けど、やっぱり異常なのには変わりない。なんつうか嫌〜な感じがしますなぁ」
「なるほど、仰るとおりで……」
再び自らの頭を撫でる松原。正直なところ、これ以上何かあってはたまったものではないと言いたげだった。
橘は徐にジッポを取り出し手で風除けを作りつつ煙草に火を付ける。その様子を見た火野木は当然のように、「ここは喫煙場所じゃないです。いい加減ニコチンに殺されますよ?」という辛辣な言葉と冷たい視線を上司に送った。
「るせえ、食後の一服がまだだったんだよ」
「……食べる前も吸ってたくせに」
またも漫才みたいなやり取りを始める二人を見て、何故か松原は少し不安が和らいだような表情をする。
「それより、松原さんあれは?」
彼が振り向きながは顎で示した先には、二台の消防車が停車していた。この車だけは封鎖された道の内側に入ることを許されているらしく路肩に寄せて縦列してまっており、付近には物々しい格好をした消防隊員の姿も見られる。
「実は、先ほど商店街で火事が起きていると通報を受けたそうで」
「商店街で? てことは、まさかこの中で⁉︎」
今度は親指で黒い渦の方を指差して見せると、松原は神妙に頷いた。
「ええ、どうやらそのようです」
彼の答えを聞いて、ようやく橘と火野木の顔にも緊張の色が浮かぶ。
「……まずいですね。もしもコラプサーを消滅させるのが遅れてしまったら」
「ああ、こいつァなかなか厄介なケースだ」
先ほどの漫才のような雰囲気から一転、真剣な面持ちで話し合う彼らの元へ、制服を着た警官が一人駆け寄って来た。
松原の目の前で立ち止まった彼は背筋を伸ばして敬礼をする。
「警部! たった今『門』が開通しました!」
「わかった、ご苦労。引き続き持ち場についていてくれ」
「はっ!」
敬礼したまま報告を終えた警官は気合の籠った声で答え、元来た方へと走り去って行った。
「相変わらずお早い対応ですねぇ」
「お褒めいただき光栄です。
火事のことは気がかりですが、後は彼らに任せましょう」
一安心したように松原が答えた時、ちょうどその「彼ら」が現場へと到着する。
封鎖されていた道路の一つから「KEEP OUT」と書かれた〈テープ〉を潜り、橘らのいる方へ歩いて来たのは二人のフリーファイターだった。
しかもそのうち一人は私立秋津学園の制服を着ており、左腕に真っ赤な腕章をつけている。
肩越しに背後を振り返った橘は、その少女に見覚えがあった。
──この間の……学園の生徒会だったか。
二日前に見かけた時と同様、女生徒は自信に満ち溢れた表情で悠々と歩いて来る。
そして、彼女はすぐに松原たちの横を通り過ぎることなく立ち止まった。その後ろには大学生風の青年が続いており、彼もまた同時に歩みを止める。
と、女生徒はブレザーのポケットに手を突っ込んだまま笑顔を浮かべ声をかけて来るのだった。
「初めまして、秋津学園生徒会の者です。そちらのお二人が、コラプサー対策局の方々ですよね?」
微塵も臆することなく堂々とした態度で尋ねて来る少女に、橘は若干顔をしかめて答える。
「そーですけど? 何か用?」
文字通り煙に巻く、というわけではないだろうが紫煙と共にそっけなく言い放った彼を見て、火野木はその態度を注意しようとした。
が、それよりも女生徒が答える方が先だった為、彼女の糾弾は不発に終わる。
「ええ。一度お話しがしたい、とうちの者が言っておりまして。今日はその挨拶だけでも、と」
この間も感じたことだが、やはりとても十代後半の子供とは思えない落ち着きようだ。立ち振る舞いや顔つきなんかは、相当の修羅場を潜り抜けて来た猛者のようである。
相手を観察しそんな風に感じながらも、彼の口を突いて出て来たのは気の抜けた声だった。
「……はあ、そう。まあ、ご勝手に」
「ありがとうございます。では、また改めて連絡致しますので」
一方的にアポイントメントを取った女生徒は軽く一礼し、不敵な笑みを浮かべたままコラプサーの方へと歩いて行ってしまう。
大学生風の青年は若干気まずそうな表情で、いそいそとその背中を追いかけて行った。
残された三人は彼らの後ろ姿を、それぞれ違った視線で見送る。
「よかったんですか? 勝手に決めてしまって」
火野木は抑揚に乏しい声で上司に尋ねた。
「いいんじゃねーの? 現場で動いてんのはこっちなんだし、柔軟に判断したまでだ」
「……それに」と言ってから、橘は一度煙草を指でつまんで口から離し、
「あの学園には俺も興味があるしな」
ふうっと、紫煙を吐きながら独白気味に呟く。
コラプサー対策局の二人がそんなやり取りをする先で、フリーファイターたちは暗闇の壁と向き合っていた。
彼らの目の前にある壁は他の部分と違い、水面のように揺らぎ微かに波打っている。この揺らぎこそが「門」と呼ばれる代物であり、これを開通させることがフリーファイターをコラプサー内へ送り込む為には欠かせない行程であった。
この「門」を生じさせるのは世界第二現実機構(WSRO)が直々に開発した特殊なアプリケーションであり、加盟国内の各自治体や警察・消防組織などは大抵これを所有することを義務づけられている。そうしなければ、最大にして唯一のコラプサー対策と言われているフリーファイターが機能しなくなるのだから当然だ。
──と、「門」と向かい合っていた若き猛者たちの目の前に、四角いアイコンがそれぞれ同時に出現した。
アイコンは目線と同じくらいの高さ、彼らの顔の前に浮かんでおり、黒く縁取られた中には中世の騎士のような兜を象ったマークと、その下に「FREE FIGHTER」という文字が刻まれている。
これもまた世界第二現実機構(WSRO)の管理するアプリケーションの一つであり、フリーファイターとはその所有を認められた人間の総称であった。
これら二つのアプリケーションは連動しており、「門」を通らなければコラプサー内で「FREE FIGHTER」を起動させ続けることはできない。
逆に、フリーファイターでなければ「門」を潜ることはできず、その為一般人には出入り不可能となっている。
女生徒はポケットの中から右手を取り出し、人差し指でアイコンに触れた。
「来い、《白兎・叢雲》」
彼女が口にしたのは、専用の装甲の名前だろう。
と、隣の青年も同じようにタッチしており、こにらは「行こうか、《グラディウス》」と自らの防具に呼びかけた。
直後、小さな四角い枠の中から強烈な光が放たれ彼らの体に降り注ぐ。
この青白い光はフリーファイターたちが装備する〈戦闘用スーツ〉をリロードしている証しであり、みるみるうちに彼らの体はセカンドリアリティで創り上げられた装甲に覆われて行った。
そして、眩しさに目を細める大人たちか見守る中、数十秒もしないうちに光が消え失せる。
リロードを終え戦闘の準備を完了した二人のフリーファイターたちは、暗黒の壁に開いた「門」を見つめていた。
「行こう、茉莉」
「はい」
青年の声に答え、彼女は歩き始める。
バイクのマフラーを思わせるような左右一対のパーツの生えた白い背中が闇の向こうに消えて行くのを、橘らは無言で見送った。




