非行少女は満たされない
いちゃラブゲー。
それは恋愛ゲームのひとつの形。山も谷もない平坦な道に大量の甘味料を振り撒くが如く、ヒロインとイチャイチャする事のみを目的としたゲームである
綿密な設定が練られてもいなければ、感動的なストーリーがあるわけでもない。そんなゲームの何が面白いのかと首を傾げる人も多いことだろう。実際、プレイする前は俺もそちら側の人間であり「こんな軟派なゲームが面白いわけがない」そう侮っていた。
しかし、大学の友人に執拗に勧められて仕方がなくプレイしたところ、そんな俺の先入観はいとも容易く打ち砕かれることとなった。ただただ魅力的で途方もなく可愛いヒロイン、それだけで人を釘付けにするにはあまりにも充分だったのだ。俺はこの時に初めて『萌え』という概念の強烈さと恐ろしさを身をもって味わったのである。
『萌え』の過剰供給とはかくも恐ろしいものであり、画面内のヒロインとイチャイチャしている、ただそれだけの筈なのにまるで脳髄が蕩けるような感覚が襲う。そして、それが病み付きになってしまうのである。その結果、俺がいちゃラブゲーにどっぷりと嵌まってしまうのにそう時間はかからなかった。
大学生という比較的に時間が余りがちな時期だったせいもあり、俺は夜な夜ないちゃラブゲーをプレイしては「こんな可愛い女の子が現実に存在しないものだろうか?」などとたびたび夢想していたものである。今思えば、モテない男の愚痴のようでなんとも恥ずかしい。
そんな生活ばかり送っていたからだろうか、俺はある日あっけなく命を落とした。居眠り運転のトラックが突っ込んできて即死、後悔する間もなく人生が終了してしまったのである。これだけならば散々で理不尽な人生だったと憤慨する事も出来ずに墓に埋まるしかなかったのだが、存外に世の中には不思議なことが溢れているようで、俺には2度目の人生が与えられたのである。
『はぴねすらぶっ!』俺がいちゃラブゲーに嵌まる元凶となったゲームであり、一つの学園を舞台として5人のヒロインを攻略できるオーソドックスな恋愛ゲーム。気が付けば俺はそのヒロインの一人、望月 奏になっていたのだ。自分の容姿と状況を確認し、周囲のことをすこしだけ調べると、この場は『はぴねすらぶっ!』の舞台とほとんど相違ないことを知ることができた。
その事実を知ったとき、俺は真っ先に歓喜した。全くの別人に憑依してしまったことや女になってしまったこと、考えるべきことは他に山ほどあるはずなのだが喜びが先行してしまったのである。
何せ、あれほど実際に現れないだろうかと恋い焦がれたヒロイン達に直接会い、話し、あわゆくばキャッキャウフフできるかも知れないのだ。これで歓喜しない方がおかしいというものである。
ヒロイン達と男女の関係として付き合えないのは残念ではあったが、2度目の人生でそこまでを求めるのは高望みというものだろう。そもそも、恋愛経験0の俺が付き合えたとも思えない。ヒロイン達と仲良くしたいのなら同じ女性の方が都合がいい、そう前向きに考えることにした。
何はともあれ不意に与えられた2度目の人生、思い切りやりたいことをやらなければ損というもの。自分を除いた全てのヒロインと仲良くなる、そんな目標を立てて、俺は望月 奏として新たな人生を過ごし始めたのである。
当初の俺はこの目標はいとも容易く達成されるものだと思っていた。なにせ『はぴねすらぶっ!』のヒロインは誰もが基本的には親切で心優しい。こちらがよほどの下手を踏まない限りはすぐに仲良くなれる……はずだった。
しかし、そんな考えは全くもって甘かった。ここは、この世界は、そんな俺の都合の良いようには出来ていなかったのである。
★
「ようやく終わった…………」
授業終了告げるチャイムが鳴り、ほっと一息ついて机につっぷする。たとえいちゃラブゲーに出てくる学校であろうと授業というものは激しくつまらない。大学の講義をサボりがちだった身としては、1日フルで授業を受けるのはなかなか堪える。
私立桐生ヶ丘学園。『はぴねすらぶっ!』のメインの舞台となる学園。ヒロインの一人となってしまった俺も、設定通りに2年B組に在籍しており、こうして今日も元気に通学している次第である。
この世界で生活をするようになってから、はや一ヶ月。最初は色々なこと、特に女性になってしまったことに戸惑いを覚えたものだが、やはり人間というのは適応力の高い生き物なのだろう。既にこの環境に慣れつつある俺が居た。もはや間違えずスムーズに女子トイレに入り、自分を私と違和感なく呼べるくらいにはばっちり順応してきている。
といっても、未だ慣れていないものも一つだけだが存在している。何を隠そう、それはこの世界に存在するヒロイン達だ。
この学園に通うようになってから、俺は自身の目標を達成するためにすぐさまヒロイン達との接触を図ることにした。しかし、いざ直接会ってコミュニケーションを取ってみたところ……皆、どこかおかしかったのである。
いちゃラブゲーのヒロインはそれぞれ個性的な性格に設定されているが、特殊な境遇や生い立ちに設定されることは極めて少ない。それはヒロインとイチャイチャする際に妨げになるものを削ぎ落とすためであり、もちろん『はぴねすらぶっ!』のヒロイン達もその例に漏れない。
だが、この世界に居る彼女達はそうではなかったのだ。名前も容姿も『はぴねすらぶっ!』のヒロインと同じであるのに、その境遇が致命的なまでに異なっていたのである。
非行少女、無感情、ひいては幽霊等々。その境遇は極めて強烈なものばかりで、ほとんどのヒロインは性格も大きく変質している。ぶっちゃけてしまえば、ゲームのヒロインとは顔と名前が同じなだけでほぼ別人と化していたのだ。
彼女達に抱くイメージと現実のギャップは凄まじいものであり、だからこそ俺は未だ慣れることが出来ずにいるのだ。
「さて、そろそろ行くとしようか……」
椅子から立ち上がり、2年B組の教室から出て廊下を歩く。現在は昼休み、この時間はヒロイン達と親睦を深める時間と決めているのであまりのんびりはしていられない。
この世界の彼女達は誰もが一癖も二癖もありすぎる。仲良くなる、ましてや友達になるなんて至難のわざだ。しかし、俺に諦めるという選択肢はない。一度決めた目標は最後までやり遂げる、初志鉄管が俺のポリシーなのだ。なによりここで目標を失っては、女になったのにこれからどーやって生きていくのよという問題にぶち当たり死にたくなってしまう。
さて、今日も個性的過ぎるヒロインに会いに行くとしよう。
★
屋上、昨今の学園ではまず立ち入り禁止となっている場所であるが、フィクションの学園モノではもはや一つの定番スポットと言っても過言ではないだろう。もちろん俺の通っているこの学園も屋上が一般解放されている。しかし、昼休みという時間帯でありながらもこの場所には俺を除いて一人しか訪れていない。それはどうしてかと問われれば……。
「八千代、タバコはやめろと言っているじゃないか……」
「ああ、またアンタか。4回目だったかしら……随分としつこいのね」
柵にもたれ掛かりながら、貫禄たっぷりに堂々と煙草を吹かしている美少女が居るからであろう。
日向八千代、酒に煙草にバイクに喧嘩、怪しげな集団とツルんでは夜の街を遊び歩いている本物の非行少女であり、私の知っているヒロインの一人でもあった。
もちろん、ゲームの彼女はこんな非行少女では断じてなかった。
主人公の同級生であり、赤髪ツインテールでやや勝ち気な性格の美少女。最初こそ主人公にツンツンとした素っ気ない態度をとるも、一度仲良くなってしまえば終始デレデレしてくれるという典型的なツンデレのキャラクターだったのだ。かくいう俺も、付き合う前とその後のギャップに身悶えさせられたものである。
そんな姿を知っているだけに、ここで煙草を吸っている八千代を発見したときにはゲームの彼女とのギャップにまたもや心が震えた、もちろん悪い意味で。だからこそ、俺は彼女と会うたびに少しでも更正を促しているのである。なんというか、美少女が煙草を吸っている光景は非常に目によろしくない。
「私は何度だって言うつもりだぞ。女性が煙草を吸うなと言うつもりはないが、未成年の喫煙は法律で禁止されている」
「まずさ、どうして未成年は煙草吸っちゃいけないのよ。こんなのは大人も子供も身体に悪いのは一緒じゃない」
わかりきっていたことではあるが、八千代は本日も俺の注意を聞き入れるつもりはないみたいだ。いつものように煙に巻こうとしているのだろうが、今回こそは食い下がりたい。そもそも、彼女はどうして身体に悪いとわかっているのに吸い続けるのか……やや理解に苦しむ。
「未成年の方が健康に影響が出やすいからじゃないか。発育に悪影響が出ると聞いたことがある」
後は未成年の方が依存性が強くなるなんてのもあっただろうか。煙草について詳しく知っている訳ではないが、間違ったことは言ってないはずである。
「発育に悪影響ねぇ……ちんちくりんのアンタに言われてもまるで説得力がないわよ」
「…………ぐぬ」
いかん、明らかに注意の仕方を間違えた。
何せ、今の俺である望月 奏はゲームだと主人公を慕う小動物的ヒロインなのだ。それは容姿にも表れており、金髪セミロングでその身長はなんと144cm。間違いなく美少女ではあるのだが、悲しいことに平気で小学生と間違えられかねないほど幼い容姿である。
そんな俺に言われたところで確かに説得力は欠片もない。これをみよがしに鼻で笑われたというのに、何も言い返せない自分の低身長が酷く恨めしかった。
「そういうことは私より大きくなってから言うのね、特に胸とか」
「胸は関係ないだろう、胸は」
そんなことをのたまう八千代の胸は確かに豊満、彼女を超える大きさなどそうはお目にかかれないだろう。尤も、俺は自分が貧乳であったことを心から感謝しているので別に思うところはない。もし巨乳であったらと考えると……自分の胸に悶々としてしまいそうでなんとも嫌である。
「ま、とりあえず座りなさいよ。どうせ今日も昼食を食べに来たんでしょ?」
「ああ、そうだな」
屋上に備え付けられているベンチを指差し、八千代が勧めてくれたため素直に従うことにする。
いちゃラブゲーのヒロインという原形から何もかもかけ離れてしまっていた八千代だが、それは何も悪いことばかりではない。ゲームでの彼女は強気な性格から仲良くない他人には威圧的な態度をとりがちで、最初は少しだけ接しづらい人物だったのだ。だが、今の八千代は近寄り難い雰囲気はあれども、話してみればすぐに名前呼びを許可してくれるくらいにフレンドリー。最初に出会ったときから積極的にコミュニケーションをとることができたのだ。
仲良くしようとしても、満足ににコミュニケーションをとることすらできない人物が多い中、この変化は俺にとって一つの救いですらあった。八千代は現在の俺の知り合いのなかで2番目くらいに接しやすい人物なのである。
「食事中にタバコはできれば遠慮して欲しい」
「それもそーね、すぐに消すわ」
「うん、恩に着るぞ」
「礼を言われるようなことじゃないでしょーよ」
それに、彼女はこうして言えば嫌なことはちゃんと止めてくれる。さらに、火を消したタバコをポイ捨てしないで携帯灰皿に入れるあたりも最低限度のマナーは守っている。悪いことはすれども、明らかに悪い人間ではないと思うから、俺はこうして懲りずに八千代に会いにきているのだろう。
さて、それではお腹も空いてきたことだ。さっそく昼食をいただくことにしよう。ポケットからあらかじめ購買で買ってきたパンを取り出して封を開ける。
「いただきます」
「アンタ、またアンパン? よく飽きないものね……」
「仕方がないんだ、あの魔境に私が突っ込むのは自殺行為でしかない」
八千代に指摘された通り、俺の昼食は8割くらいの確率でアンパンになってしまう。その原因は購買の異常な盛況ぶりで、昼休みには列もなにもが崩壊した無法地帯と成り果てる。今の俺の脆弱な身体ではとても立ち向かうことはできず、泣く泣く売れ残りを買うしか道がないのである。良いんだ、アンパンだって十二分に美味しい。愛と勇気だって友達なのだ。
「私もあそこには近づきたくないのよね。アンタみたいなのはとっとと弁当組に移行するべきよ」
「まったくもってその通りではあるのだが……」
八千代の言う通りに、購買通いの生活からはすぐにでも脱却したいのだが、今の両親に弁当を作ってくれなどと言う気にはなれない。やはり自分で料理を覚えるしかないのだろうが、生活能力皆無の俺にはやや遠き道。こんなことになるなら、自分は男だと甘んじずに料理くらいは覚えておくべきだったか。
「まぁ、それは追々考えるさ。そして八千代、アンパンを一つ余計にもらってしまったので君にも一つあげよう」
「随分と唐突ね……もらうけどさ」
この小さな身体は胃の許容量もまた小さいようで、困ったことにパン2つですら満足に食べられない。腐らせるのも勿体ないので八千代に渡してみたのだが、しっかりと受け取ってくれたようで大変ありがたい。
ちなみにこの余分なアンパンは購買のおばちゃんの「これでも食べて大きくなりなさいよ!」という大変ありがたくない言葉とともにいただいたものである。
「今更だけど、よくもまぁ平然と私に会いに来れるものね。私と関わりがあるなんて知れたら間違いなく友達居なくなるわよ?」
アンパンを頬張りながら、八千代が呆れ顔でそんなことを言った。確かに八千代は校内でも有名な問題児であり、生徒や教師からの評判もすこぶる悪く、敬遠する人は山ほどいるに違いない。これは、彼女なりの俺への気遣いなのだろうか。もしそうならば嬉しいが、それは無用な気遣いというもの。残念なことに、俺にはいなくなって困るような友達はまだ一人も居ないのである。
「私はここに友達を増やしに来てるんだ。だから問題ない」
「聞くまでもないけど、それって私よね?」
「もちろんだ」
ゲームの彼女と違いすぎて色々と戸惑ったものの、数々の非行に目を瞑れば八千代はとても付き合いやすい人物だ。彼女と軽口を叩きあうのはなかなかに悪くない。友達になりたいという気持ちに嘘偽りは一つもないつもりだ。
「じゃあ、私と一緒に遊んでみる?」
「一応聞いておくが、それはどんな遊びなんだ?」
「そりゃあれよ、盗んだバイクで走り出す的な」
「断固拒否させてもらう」
そんな八千代の誘いには即座に首を振らせてもらう。普通の遊びならにべもなく頷くのだが、小心者の俺にそんな危険で迷惑きわまりない遊びをする度胸はない。俺はあくまで、八千代とも健全な友達付き合いをしたいのである。
「八千代こそどうだ、私と一緒に女子高生らしい遊びを体験してみないか?」
「お断りさせてもらうわ、つまんなさそうだもの」
俺のせっかくの勧誘もあえなくフラれてしまう。やはりそう都合よくことは進んでくれないようだ。付き合いやすい部類である八千代ですらも、本当に仲良くなれるのはまだまだ先の話になりそうである。
「そもそも、女子高生らしい遊びってなによ?」
「…………それは、一緒に雑貨屋を巡って買い物したり、ファミレスでお喋りしたりじゃないのか?」
「なんというか、意外ね……。アンタみたいな変な奴でもそういうことをするんだ」
「ま、まぁ、私も女の子だからな……」
嘘だ。適当に女子高生が好みそうなことを言っただけで元男である俺がそんなことを経験している訳がない。今でも一番の趣味はゲーム、流石に恋愛ゲームはもうやっていないが。しかし、これはいけない。少しは女の子然としたことも経験しておかなければ、後々困ったことになりそうだ。
というか、私は八千代から変な奴だと思われていたのか。こんな小柄な美少女である身体に男の俺が入っているのだから、確かに変に見えるのも道理。しかしながら、俺はできる限り男のような発言は控えているつもり、少しばかり遺憾である。
「とにかく、内容がなんであれお断りなのは変わらないわよ」
「……そうか」
アンパンを食べ終えた八千代がそう言葉を締めくくる。無理強いはできないので俺も渋々ながらに頷いた。
どうして八千代は悪いことばかりしているのだろう。まだ八千代と関わってから間もないが、言動や行動の節々に人のよさが滲み出ている彼女が、ただ面白いからという理由だけで非行に走るとは考えにくいだ。もっと何か別の理由がある、単なる憶測に過ぎないが俺にはそう思えてならなかった。
「八千代の言う遊びは、そんなにも楽しいものなのか?」
「楽しいわよ……学校と家を往復するだけの生活よりはね」
俺の問いかけに答える八千代の顔は、どこか満たされていないような気がした。今は無理でも、そんな顔をする理由を聞ける日が早く来るといい、素直にそう思う。そのときはきっと、俺の目標の一つの達成と言えるだろうから。
ふと、腕時計を見ると午後の授業再開の時間が迫っていた。遅刻をするのはまずい。食べかけのアンパンを口に放り込み、いざ教室へと戻るべく立ち上がる。
「私は教室に戻るけど、八千代はどうするんだ」
「午後からはフケる、気分が乗らないわ」
八千代はそう言うなり新しいタバコに火をつける。非行少女は今日も平常運転のようだった。