08 メイドさんに誘われて
三層に降りても、基本風景は石造りのダンジョンのままだった。
ただ、小部屋が多いみたいだね。
本来は隠れ家だって話だから、個人用の部屋なのかな?
そう思って、ちょっと覗いてみた。
でも何もなかった。扉の先には、四畳半くらいのスペースがあるだけ。
『ここは元々、ご主人様方の個室でした』
ああ。やっぱりそうなんだ。
勝手に覗いちゃったけど、怒られたりはしないんだね。
『現在では使用する方はおられず、八十年ほど放置されています』
ふぅん。その割には綺麗だね。
メイドさんが掃除してるのかな。
全部を掃除するとなると、けっこう大変そうだ。
そういえば、メイドさんって一人だけなのか……ん?
振り向く。
と、こちらへ手を伸ばそうとしてるメイドさんと目が合った。
華奢な白い手が空中で止まる。
『……ご覧の通り、この地下施設には不要な物は置いていません。物資を得るのも難しく、可能な限り、再利用しております』
うん。まあそうだろうね。
だけどそれが、ボクに手を伸ばすことと、どう繋がるの?
っていうか、どうして頭を撫でてくるんでしょう?
『娯楽もございません。上質な毛並みの感触を知ることも不可能でした』
無表情のまま、メイドさんは柔らかく手を揺らす。
人形とは言っても完全な無感情でもないのかな?
それとも、純粋な知的興味からの行動なのか?
どっちにしても、まあ、毛並みを誉められるのはボクも悪い気分じゃない。
もふもふで、艶もある。
そこらの野生動物には負けないよ。
だけどメイドさん?、いつまで撫でてるつもりですか?
『……よろしければ、わたくしが抱えてお連れいたしましょうか?』
疑問形だったけど、答えを待ってくれなかった。
メイドさんは、ボクを胸に抱える。
遠慮なく撫でてくる。今度は頬擦りまで加わった。
敵意は無いんだろうけど―――、
さすがにまだ、完全に警戒は解けないね。
柔らかな胸の感触から抜け出して、ボクは空中に浮かぶ。
目線で通路の先を示した。
話だって、まだ途中だったし。
『失礼致しました。では、こちらへ』
メイドさんは一礼すると、また規則的な靴音を響かせた。
やっぱり無表情は崩れない。
だけど、ほんのちょっぴりだけ残念そう?
気の所為かな。
人形なら、感情なんて持たない方が都合がいいんだろうし。
三層の奥には、また下層へ向かう階段があった。
ただし、幾つもの隠し扉や、厳重に閉じられた扉の奥に。
隠れ家なんだから当然かもね。
いっそ完全に通路を閉じていたっておかしくない。
ゲームのダンジョンとは違うんだから。
メイドさんの案内がなかったら、ボクも最深部には辿り着けなかったと思う。
そう、どうやら第四層が最深部らしい。
メイドさんが説明してくれた。
『こちらで、ご主人様がお待ちになっておられます』
他の階層に比べて、四層目は狭かったね。
ほとんど一本道の通路の先には、人が一人通れるくらいの扉があった。
もうダンジョンっぽくないね。
ここだけ切り取って、中世に建てられた住宅の一角、って言われても信じられそう。
ただし、扉は横にスライドする。
魔法技術も馬鹿にできないね。
ボクの屋敷にも、こういう技術が欲しいかも。
交渉次第かな。
向こうも、ボクに頼みたいことがあるみたいだし。
『お茶も出せませんが、御容赦くださいませ』
扉を抜けると、そこは研究室だった。
ファンタジー世界には不似合いだけど、ぱっと見の印象は正しくそれだね。
ただし、床にコードやらチューブやらは伸びてない。
代わりに魔法陣みたいな模様が描かれてる。
一番目を引くのは、部屋の左右にある大型のガラス管だ。
人が入れそうなほどに大きな。
アニメやゲームだと、よく実験体とかが入ってるやつだね。
そして実験体は暴走するまでがお約束。
だけど、彼女たちは暴走しそうにないね。
ガラス管の中には、女の人が浮かんでる。
溶液の中で。眠ってるみたいに目を閉じて。
おまけに全裸で。
たぶん、奉仕人形ってやつでしょ。
顔や体格はそれぞれに違うけど、メイドさんと雰囲気が似てる。
まあ、まじまじと観察するのも失礼かな。
複眼でこっそり見ておくだけにしよう。
それに、ひとまず彼女たちは関係ないみたいだからね。
メイドさんに案内されたのは、部屋の一番奥だ。
何十人か寝そべれそうな、大きな台座が設置されてる。
複雑な魔法陣が描かれてるね。
台座全体に大きな魔法陣があって、その上に小さな陣が重なってる形だ。
小さな方は十数個ある。
その小魔法陣にはひとつずつ、青白く光る球体が浮かんでいた。
『デ・グラーフ様、お客様をお連れ致しました』
メイドさんが、光る球体へ頭を下げる。
デ・グラーフってのは名前だよね?
珍しい響きだけど、異世界だと普通なのかな?
なんて考えてると、球体が蠢いた。
膨れ上がって人の形を取る。
まるで幽霊みたいだ。長い髭を生やした、お爺さんだね。
「ΘκξaΨ、λδr」
幽霊は枯れ木みたいな手を上げて、メイドさんになにやら告げる。
また一礼したメイドさんは静かに下がった。
そうして幽霊は、ボクの方へと向き直る。
『異界の客人よ、よくぞ来てくださった』
まあ半分強制みたいなものだったけどね。
気にしないでいいよ、とボクは丸めた毛先を振っておく。
って、普通に応対しちゃったけど、この人も思念通話ってのを使えるんだね。
メイドさんのご主人様らしいし、当然なのかな。
だけどこっちの言葉は通じない、と。
よし。状況は把握。
『儂はデ・グラーフ。すでに大方の事情は聞き及んでおろう。神に騙され、異界に屍を晒す、哀れな敗残者じゃ』
幽霊が物憂げに目を細める。
だけど、屍を晒す、って言った?
もう死んでるってこと?
見た目から幽霊って呼んでみたけど、実際にそうなのかな?
『この場にある他の球体も、儂の仲間、その魂のみを残しておる。魔術の奇跡に頼ろうとも、肉体まで完全に保つのは不可能であると判断した』
そういえば、この世界に来たのは百二十年前だって言ってたっけ。
そりゃあ寿命も尽きるよね。
でも体の方も、冷凍保存とかすればなんとかなりそうだけど。
まあ、このお爺さんたちには無理だったってことかな。
魔力の問題とか、色々あったみたいだし。
『いまの儂らでは、この場に留まり続けることしか出来ぬ。しかし諦めた訳ではない。屈辱に塗れ、苦難を堪えたのは、異界で果てるためではないのだ』
ん~……なんだか熱く語り始めちゃったね。
お爺ちゃんの昔語りに付き合ってもいいけど、本題に進んで欲しいな。
そもそも、この人たちって元は侵略者なんでしょ?
騙した神も悪いとは思うけど。
でも、欲望に目が眩んだ方も悪いと思うんだよね。
まあ百二十年も前のことだし。
ボクが直接被害を受けたことでもないから、どうでもいいんだけどね。
『儂らは故郷へと帰りたい。そのために、地下へと潜り、このような身になっても生き長らえてきた。不可能ではないのじゃ。異界渡航の術式も、研究は進んでおる。時間は掛かるが……潤沢な魔力さえあれば、必ずや成功させてみせる』
幽霊がボクを見つめる。
なるほど。なんとなく流れが読めてきたよ。
彼らは、魔法技術では優れている。
だけど自分たちでは、ほとんど魔力を生み出せない。
つまり、魔力を供給できる協力者が必要なんだね。
そこに話が通じそうなボクが現れた、と。
『聞けば、其方も異界の者というではないか。元の世界へ戻る術式、興味はないか? 協力してくれるならば、儂らの持つ技術をすべて開示しよう。他にも報酬は可能な限り用意させてもらう』
元の世界かあ。
あんまり考えてなかったけど、行ったり来たり可能なら便利だよね。
たまには美味しい物も食べたいし。
柔らかなベッドも恋しくなる。
毛玉のままだと現代社会に馴染むのは難しそうだけど、なんなら珍獣として生きていってもいい。
動物園はちょっと勘弁かな。
でも何処かの駅長になるくらいなら我慢できそうだ。
毛玉駅長。悪くないんじゃない?
あ、でも報酬っていうなら、もうひとつ欲しいね。
『ん……? 言葉が通じぬというのは、やはり不便だな。奉仕人形がどうした? ふむ? もしや、あの人形が欲しいのか?』
うんうん。一人いれば随分と役に立ってくれそうだし。
それと、あのメイド服の作り方も教えて欲しいね。
糸も布も上質の物みたいだったし。
この世界だと、ちょっと手に入りそうもないよ。
『ふむ……この施設の維持には必要なのだが、代わりが作れぬ物でもない。其方が供給してくれた魔力で、まずは一体を作り、それを譲るとしよう』
よし。契約成立だね。
魔力さえあれば創れるのかな?
そこらへんの話も詳しく聞きたいね。
やっぱりこれは、ボクも思念通話を覚えるべきでしょ。
『では早速、魔力供給を頼んでよいかのう?』
幽霊の手が、部屋の脇を指し示す。
そこにはひとつの魔法陣があった。
『あの中央に立って……いや、其方の場合は浮かんだままか。ともかくも魔力を注いでくれればよい』
言われるままに、ボクはふよふよと魔法陣の中央へ向かう。
人が立っても両手を伸ばせるくらいに広い魔法陣だね。
複雑な術式は、何を意味してるのかさっぱり分からない。
だけどまあ、ここから魔力を送り込むって理解しておけばいいでしょ。
ここまで歩いてきたり、話したりしてる間に、魔力は回復してる。
それじゃあ始めようか。
床に着くくらいまで下がって、魔力を送り込む。
途端に、魔法陣が輝き出した。
『万魔撃』一発分くらいの魔力を注いだところで―――、
全身の毛が逆立つ。
この感覚は『危機感知』だ。
でも気づいた時には遅かった。
『ふむ。成功じゃな』
魔法陣の周囲に、半透明の壁が現れる。
隙間無く、ボクを囲む。
『安心せい。約束は守る。ただし、死ぬまで魔力を供給して貰うがのう』
幽霊がニヤリと笑う。
ボクは、閉じ込められた。




