06 毛玉のリドル
大きな扉に近づくと、脇に備えられた装置が反応した。
空中に四角い画面が現れる。
投影型のモニターみたいなやつだね。
さらに、なにやら文字列も表示された。
うん。読めない。
だけど全部が全部、という訳じゃなかった。
数字が並んでる部分だけは解読できる。
銀子が居た時に、この世界の数字だけは覚えておいたからね。
やっぱり勉強って大切だよ。
演算記号も分かる。
どうやら表示されてるのは四桁の足し算で、その答えを打ち込むのを求められてるみたいだ。
装置の方もボタンが並んでるんだけど、そこには数字が刻まれている。
つまり―――、
『4570 + 6885 = 』、って問い掛けだね。
このくらいなら暗算でも答えられるね。
11355、と。
打ち込む。
毛を立てて、ポチポチと。
たぶん、これで扉は開くはず。
しかし迷宮のリドルってやつにしても簡単すぎるね。
この世界では難易度高いのかな?
銀子でも答えられそうなんだけど。
それとも、知能がある者だけを通そうとしてるとか?
たしかに偶然で開くことはなさそうだけど……ん?
…………。
………………開かないね。
それに、浮かんでる画面が赤く染まってる。
危険は感じないけど……ん? んん?
あ!
えっと、この数字を足して、答えを打ち込めってことだったね。
まずは試してみよう。
何回でも挑戦できるのかも知れないけど、一回でクリアしたいね。
間違えるはずもないけど、慎重に。
11455、と。
《行為経験値が一定に達しました。『演算』スキルが上昇しました》
《条件が満たされました。『高速演算』スキルが解放されます》
そういえば、『演算』とか『記憶』のスキル上げはサボッてたね。
銀子がいた時は、地道に頭を使ってたんだけど。
最近はお城造りに夢中だったからねえ。
そのお城の方は大丈夫なのかな?
また襲われてる可能性は低いと思うけど、どうなってるのか気になるよ。
あんまり説明もしないで出てきちゃったからね。
一応、書き置きはしたんだけど。
探さないでください、って。
アルラウネたちに読めるはずもないし。
だけどまあ、気に留めてても仕方ないか。
そんなことよりも扉が開くよ。
今度は答えを間違えなかったから―――いや、一回も間違えてないし。
こんな簡単な問題、間違えるはずないじゃん?
ともかくも画面が消えて、両開きの扉が自動で離れていった。
閉じ込められていた空気が一気に流れる。
目を細めながら先を窺うと、また広い空間があった。
石壁で覆われているのはこれまでと同じだ。
でも、何処となく雰囲気が違う。
何処が、と問われたら答え難いんだけど。
部屋自体は、少し綺麗な感じがするのかな。
ただ、ひとつだけ、はっきりと違うものがあった。
人がいた。
女の人だ。
なんだか見覚えのある、動き易そうな服装をしてる。
というか―――メイドさん?
「Υυτρ。ΣЮοωιmμ」
メイドさんは、ゆったりとした動作で頭を下げた。
頭の後ろで結ばれた長い黒髪が艶やかに揺れる。
お辞儀、なんだろうね。
この世界の礼儀なんて知らないけど、挨拶だと受け取ってよさそうだ。
ボクも毛玉体を傾けて、頭を下げるようにする。
それにしても、どうしてこんな場所にメイドさんが?
色々と訊ねたいところだけど―――。
「Ππ、ΦσΩκξ¨iλλπΔ。」
やっぱり言葉が理解できない。
この世界の共通言語らしい、っていうのは分かるんだけどね。
それに、メイドさんは歩き出してしまった。
静かに振り向いて、ボクに背中を向けて、まるで奥へ案内するみたいに。
とりあえず、付いていけばいいのかな?
敵意は感じない。
危険も、いまのところは無さそうだね。
広間から続く通路を進みながら、メイドさんを観察する。
背後から。まじまじと。
んん~……このメイド服、丁寧な縫製がされてるね。
糸のほつれなんて、一箇所も無いみたいだ。
フリルも華美じゃない程度で、上品な可愛らしさがある。
スカート丈も長い、ゴシックタイプのメイド服だね。
襟首もしっかりと隠されて、細長いリボンが揺れてるのもポイント高い。
もちろん、頭部のホワイトブリムも完璧だ。
うん。製作者の拘りが感じられるね。
それにしても、ここまで地球のメイド服と似てる物があるなんて……。
もしかして、転生者が関わってるのかな?
有り得るね。
この前会った……えっと、なんとか君も、ボクより年上だった。
ずっと前に転生してるって可能性もあるってことだ。
そんな転生者が、このダンジョンに関わっているとしたら?
相手の目的は分からないけど、敵対するのは危険だと思う。
ボクよりもずっと時間を掛けて、力を付けてるはずだからね。
あ、でも相手の目的はともかく、転生者かどうかは確かめる手段があるよ。
早速、試してみよう。
黒毛の先を球状にして、それでメイドさんの肩を叩く。
ぽんぽん、と。
メイドさんは足を止めて振り返った。
「Ψ¨ι、ΝκνζsλΔ&」
やっぱり言葉は分からない。
だけど、触れても怒らないってことは、敵意が無いのは確実みたいだね。
まあ怒らないどころか、表情を小揺るぎもさせてないんだけど。
クールビューティだね。
こんな人に家事を任せられたら、ぐうたら生活も楽しそうだ。
と、感心ばかりもしていられない。
ボクは空中に魔力文字を描いて訊ねてみる。
『転生者、関係してる?』
メイドさんの視線が動く。
はっきりと文字を目で追ってるのが分かった。
だけど、読めてはいないようだった。
「Μφy、ΣΒκΞισ¨ψsk&」
『言葉、分からないよ?』
空中に浮かんだ文字を挟んで、ボクとメイドさんは見つめ合う。
闇色の目は神秘的で綺麗だね。
だけど冷たい。
メイドさんの目からは、まったく感情の色が窺えなかった。
「ΩΑ、Юлёδκsmθ……ΣΔwζι」
向き合ったまま、メイドさんは静かに目蓋を伏せた。
ボクは首を傾げる。
と、メイドさんの正面に青白い光が浮かんだ。
魔術式と似た、でも少し違うような複雑な模様だ。
ボクは警戒しつつ距離を取る。
だけど危険な魔術なんかじゃなかった。
光が弾けると、効果はすぐに発揮された。
『―――これで、言葉が通じますでしょうか?』
頭の中に、涼やかな声が響いてくる。
こうしてボクは初めて、この世界の人と理解できる形で言葉を交わした。
まあ、正確に言えば―――彼女は人じゃなかったんだけどね。




