幕間 邪龍軍団の異界事情
諸事情で更新できませんでした。
再開します。
やたらと長い鬣を持った四足の獣に齧りつく。
少々硬いが、味は悪くない。骨の歯応えも小気味良い。
我らの世界にも、かつてはこのような獣がいたのだろうか―――。
そんなことを考えながら、青々と晴れ渡った空を見上げる。
この空にしても、我らの世界とはまるで違っている。
美しく、見ているだけで胸に爽やかな気持ちが溢れてくる。
空の支配者であることこそ龍種の誇りだと、父や長老たちもよく口にしていた。
いまならば、その気持ちも分かる。
このように美しい空ならば、翼を広げるだけで誇らしい気持ちになるものだ。
『随分と、この世界に慣れてきたようじゃな、フォルニス』
頭へと響いてきた声に振り返る。
少し離れた場所から、黒々とした巨大な影がこちらを見つめていた。
『父上……確かに我は、この戦いに反対していました。しかし今更、不満を漏らせる状況ではないとも承知しております』
『分かっておる。むしろ楽しんでいるのではないか、と言うておるのじゃ』
低く咽喉の鳴らして、口角を緩める。
機嫌よさげな笑顔だが、他族の者が見れば震え上がりそうな威圧も放っている。
聖龍ベルドラース―――、
我らの世界では、この偉大なる名を知らぬ者はいない。
絶対たる龍神様に選ばれた御子であり、最も強き龍でもある。
『楽しむなどと、そのような不謹慎なことは……』
『胸躍るのは悪いことではない。このように美しき世界の姿こそ、儂らが目指すべきものであるからのう。いや、取り戻す、と言った方が適切か』
『……本当に、叶うのでしょうか?』
『無論だ。容易ではなかろうが、龍神様が辿り着けぬ道をお示しになるはずがない』
宥めるように言われて、我は頭を垂れる。
言葉では迷いを吹っ切ったと言いながらも、どうやらまだ我の内には躊躇いが留まっているらしい。
あるいは、それは父も同じかも知れないが。
我らの世界は、いまや滅びようとしている。
他ならぬ、我ら龍種の存在によって。
多種族と比べて、我らはあまりにも強大すぎた。
戦えば敵はおらず、長い寿命もあり、世界すべてを支配するほどに栄華を極めた。
しかし、その強大さが仇となった。
世界全体として、生命の数が減りすぎてしまったのだ。
我らの腹が満たせなくなった、という単純な問題ではない。
生命が減れば、魂の数も減る。
世界を支えられる魂の力が枯渇してしまった、と龍神様は御告げになられた。
同時に、二つの道が示された。
一つ目は、龍種同士で喰らい合う道。
我ら龍種は、龍神様の下、ひとつにまとまっていた。
御子である父、ベルドラースを総主として、大きな争いは起こっていなかった。
しかし幾つかの部族には分かれているので、啀み合う者たちはいた。
もしも牙を剥いての戦いとなれば、我らの数は瞬く間に減っていっただろう。
そうして仲間を喰らい、他の小さき者どもが育つのを待つ。
迂遠ではあるが、世界を救い、種としての我らが生き残る可能性はあった。
しかし問題もあった。
魂が満ちるより先に、世界の方が崩壊する可能性もあったのだ。
なにより、同胞を喰らってまで生き延びたいと思う者は少なかった。
そこで示されたのが、二つ目の道だ。
即ち、異世界への侵攻。
異界の生物を狩り、その魂を龍神様へと奉納するのだ。
そうして龍神様を介して、魂の力を使って世界に安定を齎してもらう。
多少の意見の対立はあったが、いずれにせよ、戦う以外の選択肢はなかった。
龍神様の話によれば、遥か太古にも、我らの祖先は同じような選択をしたという。
その時の結果は聞かせてもらえなかったが―――。
『しかし皮肉なものじゃな』
ふと目を細めながら、父は遠方を見つめた。
この世界では陽が昇る方角だ。
そちらの方角に小さき者どもが多く住んでいると、先遣部隊の報告にあった。
『強さ故に滅びへと向かう我らが、いまも更なる強さを求めておる』
『……まさか、父上に抗える者などおりますまい』
『しかし多くの同胞が討たれたのは事実じゃ。命懸けの報告であれば、信じぬ訳にはいかぬ』
まったく異なる世界で戦いを挑むのだから、苦戦や、敗戦までも考慮していた。
我らのように強大な種族がいるやもしれぬ。
それくらいの想像はできた。
だがまさか、いきなり星が降ってくるとは肝を冷やされた。
しかもあれは何かしらの魔術的攻撃であるらしい。
さすがに初日以来、あの攻撃は行われていないが、またいつ星が降ってくるかと警戒せずにはいられない。
それに、翼すら持たぬ小さき者どもが我らの敵となるなど思いもしなかった。
『ヒトと言ったか。あれに似た種族は、儂が若い頃には多かった。いまも辺境では、少数が生き残っておったはずじゃ』
『数が多く、知恵は働く種族のようですな』
『暴れるだけの獣であれば、もっと気楽に狩れたのじゃがな』
異世界の生命を狩るのに忌避感を覚える―――、
以前であれば、我らの誰もが覚えなかった感情かも知れない。
しかし生命を狩り過ぎたがために、危機に陥ったのだ。
その危機の重大さは骨身に染みている。
だからいまは、少々の罪悪感を覚えないでもない。
こちらの世界にとって、我らの危機など、本来はまったく無関係なものなのだ。
『戦いが早々に終われば、それだけ救われる者も多いでしょう。この世界の者とて、絶滅させられるよりは喜ぶかと』
『……そうじゃな。それもまた慈悲と言えるか』
他部族の中には、異世界の生命すべてを殺し尽くそうと訴える者たちもいる。
魂を奪えば奪うほど自分たちは豊かになれるのだ、と。
まだ我らが勝利した訳でもないのに。
なんと脳天気な、と嘲笑ってやりたいくらいだ。
『あまり戦いが長引けば、連中がこちらへ乗り込んでくることも……ん?』
言葉を切って、首を回す。
数名の同胞たちがこちらへと空を駆けてきていた。
近くの哨戒にむかっていた者たちだ。
その内の一名、大きく翼を広げた者の背に、小さな影も乗っていた。
『お父様、お爺様、いま帰ったぞ!』
元気一杯の声を送ってきたのは、我が娘、リュミリスだ。
本来ならば、元の世界で大人しくしていて欲しかった。
まだ肌も鱗に覆われておらず、翼も生えたばかりの幼体なのだ。
二足で歩く体は小さく、戦場に出すにはあまりにも儚げに見える。
しかし生来の気性の荒さと、龍御子の血筋ゆえの才能が仇となった。
小さく細い腕で、下位の竜程度ならば簡単に叩きのめしてみせるのだ。
さすがは我が娘、と誇らしく思う。
異界への侵攻が決定するまでは、毎日のように誉めていた。
可憐な笑顔は世界一の宝だ。
いや、異世界でもこれほどの至宝は手に入らぬと断言できる。
だから、危険な戦いに来るなどと言い出して欲しくはなかった。
『今日は、小さき者どもの集落を見つけた。森の中で、緑色の連中が集まっていたのだ。隠れられたが、我の一吠えで慌てて出てきたぞ』
ほらこいつらだ、とリュミリスは視線で示す。
リュミリスが乗っている竜が、その手に一匹の獲物を掴んでいた。
緑色の肌は血塗れだが、まだ辛うじて息がある。
ゴブー、ホブー、と奇怪な声を漏らしていた。
『こんな連中でも、魂を持っているんだろ? お爺様の前で、龍神様に魂を奉げてやろうと思ったんだ!』
リュミリスが合図を送る。
すぐに竜は手を握り締めて、緑色の小さき者を潰した。
真っ赤な血飛沫に混じって、薄青色の光が漏れる。
虫のような光の玉だ。それは魂と呼ばれるもの。
我と父上以外には見えないが、いずれリュミリスも見えるようになるだろう。
『どうだ? 我も龍神様の役に立っただろう?』
『それはそうだが……しかしリュミリス、おぬしはもう少し慎みというものを……』
はしゃぎ過ぎて言葉遣いが乱れている。
誉める前に、少し注意しておくべきだろう。
父親として威厳のある姿も見せておくべき。甘やかすばかりではいけない。
そう考えたのだ、が、
『うむうむ。リュミリスは偉いのう。儂に似て、実に利発ないい子じゃ』
『なっ……!?』
先を越された。
ちょっと待て父上。リュミリスの笑顔は我のもの―――。
『すぐにもっと強くもなるじゃろう。どうじゃ、褒美に儂の背に乗ってみるか?』
『やったぁ! お爺様、大好き!』
『そうかそうか。儂もリュミリスが大好きじゃぞ』
首筋に抱きつかれて、父上は嬉しそうに表情を緩める。
しかしその目は、ちらり、とこちらを見た。
儂の勝ちじゃ、とその瞳は語っていた。
おのれ、ジジイ!
『……リュミリスよ、父上は忙しい。それよりも我の背に乗らぬか?』
『やだっ! お爺様の方が、大きくて逞しいもん!』
『うむ。まだまだフォルニスには負けんのう』
勝ち誇った笑みを浮かべて、父上は青い空へと飛び立っていく。
その背に乗ったリュミリスも嬉しそうな声を上げていた。
残された我は―――、
広々とした草原を見つめ、拳を握り、誓った。
この戦で、我こそが最も多くの魂を刈り取ってくれよう。
そしてリュミリスの笑顔を独占するのだ!




