マシュマロとホワイトデー
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「八花亭のクリームサンドってお土産の定番じゃないですか。僕、そういう類いのものって、なんとなく美味しくなさそうっていう先入観があったんです。けど、定番になるだけのことはあるんですね」
事務所に帰ってきた新人営業の四目田海人は取引先から貰ったクリームサンドを一口食べるなり、上機嫌になった。
時間は午後三時、息抜きにはちょうどよい。
事務所には四目田の他に三人。四目田より二つ年上のいつも真面目な事務員、真島涼花がそれぞれにコーヒーをいれてきた。
真島は一つのクリームサンドをゆっくりと味わっている。疲れた体に甘いものは効いて、肩の力が抜けてゆく。
真島がお弁当や出前の時はさっさと食べ終わるのを知っていた四目田は意外そうに
「真島さん今日はゆっくりなんですね」
と訊いた。
「お菓子は好きなんだけど、自粛中なので」
「やだあ、真島ちゃんもダイエット? 細いんだから気にしなくてもいいのに~」
も、と繋げるだけある横幅の横山さんはいま、三つ目に手をつけた。本当にダイエットしているかは疑わしい。
「いえ、糖分が気になってて」
「あー、俺も気にしないとな。親父が糖尿病だし」
事務所の長である所長は薄い頭をかいた。
「でも真島ちゃんもお菓子好きでしょう?」
「ええ、まあ」
横山さんの大げさな手ぶりに真島は面倒そうにしながらもクリームサンドを食べ進めている。
四目田はそんな様子を察したのか話題を振った。
「真島さんはどんなお菓子が好きなんですか」
「私はマシュマロが好き。スーパーさんまるのプライベートブランドのマシュマロとか、たまに無性に食べたくなるんだよね」
真島は思わずいつもの仏頂面を崩した。彼女がいくら仕事に厳しいからといっても、お菓子の話は別なのだ。
彼女はマシュマロの食感を思い出し、ジャムやゼリー入りも美味しいけれど、やっぱり基本のマシュマロがいいなと口元が緩む。
質問した四目田も普段とのギャップに思わず笑みを浮かべた。
「そういえば、明日はホワイトデーだな」
所長がキリリと顔をひきしめて言った。
「普通でいいですからね。所長は趣味が悪いんだから、スーパーの催事場で買った奴とかで十分ですよ~」
横山さんは釘を刺した。所長に気持ちの悪いお面をもらったことがある真島は思わず高速で頷いた。
まあ、真島が渡したのはラッピングしただけの板チョコだったのだが。
-2-
たまたま処理する書類が多かったその日、真島は多少残業したので空は暗くなりつつあった。
「ん~疲れた」
こんな時は甘いものが欲しくなる。真島は時計を見てまだスーパーさんまるが開いていることを確認した。彼女は女性向けの四角い軽自動車に乗り込み、帰宅ついでにマシュマロを買おうと決めた。
四目田に話したことでつい、気になってしまったようだ。
真島はマシュマロを食べたくなると二食くらい抜いても構わないくらい大量に食べる。彼女はひと月に数回、そういう気分になることがあるから気休めかもしれないが糖分の調整をしていたのだった。
そう、彼女は今日、マシュマロを大人買いするつもりでいた。
ホワイトデー直前に鬼畜の所業、と思われるかもしれない。しかし、彼女の目標はあくまで量産型の白いマシュマロ。断じて催事場からかっさらおうなどと思ってなどいない。小分けに入っているマシュマロもきっとホワイトデー用に需要があるだろう。それも狙っていない。
彼女はスーパーさんまるのプライベートブランドのマシュマロが好きである。少々安っぽく粉っぽいのだが、そこがいい。本当は緑色の袋のマシュマロも好きなのだが、いかんせんお値段がかわいくないのだ。
件の品は大量に食べたい彼女にとってコストパフォーマンスが最高なのである。
「ない……だと?!」
おもわず真島の口から言葉が漏れた。
一つもないのだ。
いつも大量買いするこのスーパーには豊富に在庫があるはずなのに全滅であった。
真島はホワイトデーを恨んだ。
いつもの位置にはこうあった。
『三月十四日はホワイトデー。今年は手作りがトレンド』
スーパーの店員が作った手作り感あふれるポップではなく、明らかにスーパーのグループ全体で作ったのではないかというきちんとしたつくりだ。
予想外の事態に真島は唖然としてしまった。前回のマシュマロ大量買いをした日はひな祭りの周辺で、このようなポップはなかったのかもしれない。
先ほど通り過ぎた催事場にも手作りキットが積んであった形跡があった。奥まで置いてあって手前がごっそりなくなっていたようだ。
――にわか達に私のマシュマロ愛を邪魔されるとは、なんという皮肉。
真島はがっくりとした。
彼女はいくら大量買いをしたくなっても、ラスト一袋は残しておく派だ。もしも、ひとつもなければ他のマシュマロファンががっかりするだろうから。
真島はため息をついてスーパーさんまるを出た。
あの調子ならほかのさんまるもだめかもしれない。ちょっとお高めの緑の袋のマシュマロさえも売り切れであった。それにガソリン代がもったいない。
さすがに催事場のマシュマロを狩るのは気が引けたし、財布を確認すると、十袋分くらいしか余裕がなかったので、おとなしくコンビニに行き少量で我慢することにした。
コンビニに行くとつい余計なものを買ってしまう法則で、真島は生姜焼き弁当とここでも人気なのか、残りわずかだったあまり聞かないメーカーのマシュマロを一袋購入した。
真島はアパートに着くと、靴も揃えず中に入って、さっそくマシュマロを口にした。
「うーん、下の下だな、こりゃ」
期待はしていなかったもののあまりに粉っぽいし、潤いがない。
彼女は水道水をグラスに汲み一気に飲み干した。
「あーあ」
真島の興味は弁当に移る。さっさと食べて少しテレビを見た。
マシュマロが何とかおいしくならないかガスコンロであぶってみたりして、少しはましかと喜んだ矢先、危うく口内をやけどしそうになった。
真島はもう忘れようと口に焼く前のマシュマロを詰め込みささっと処理した。
風呂に入り、布団にもぐったころにはもう、メーカーの名前は思い出せなくなっていた。
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次の日、真島が恨みに思ったホワイトデーが強制的に来た。
真島は板チョコの返しなので対して期待はしなかったのだが、所長からはかわいらしいラッピングの袋をもらった。
中身は……催事場のどこにあったのかというおやじギャグな商品。デーという文字をホワイトチョコで表したものだった。
「チョコにチョコ返しで悪いんだけどさ」
真島はゆがんだ笑みを浮かべた。
昼休み、真島は四目田に呼び出された。
そうは言ってもまあ、近所の定食屋だ。
百円の返しに定食をおごられるのはちょっとバランスが悪いな、はて、横山さんの分はどうするのかしら、と考えながら真島は定食屋ののれんをくぐった。
「えっと、自分の分は自分で払うから」
「ええ。わかりました」
四目田はあっさりと了承した。
「で、なにかしら」
「真島さん、僕、渡したいものがあって」
「へえ?」
「ここじゃちょっとなんなので、あとで駐車場にきてください」
真島はなぜここに呼んだのだ、と思いながら日替わりメニューを頼んだ。
一足先に真島が完食し、のんびり文庫本を取り出す。かわいらしいレースがついたブックカバーからはこだわりを感じ、普段シンプルな装いを好む真島とかけ離れている印象を四目田は受けた。
――真島さんにはたまに見せられるギャップにいつもどきりとさせられる。
ご飯をかきこみながら四目田はにやりとした。
定食屋を出て、事務所の駐車場につくと四目田が自身の車から段ボールをおろした。
「これ、バレンタインのおかえしです」
それは大量のスーパーさんまるのマシュマロであった。
「真島さん、僕、真島さんのことが好――」
「おーまーえーかー」
真島は豹変し、前日のうっぷんを四目田にぶつけた。襟をつかみ鋭い目つきで威嚇する。
「私の楽しみを奪うとはいい度胸だな」
「え?何を」
「罰としてマシュマロは没収だ」
「これはお返しであげるつもりですよ?」
「お返しとして、認めるものか。お前は常識を間違えている」
四目田はぽかんと口を開けた。
「いいか、お返しは三倍までだ。私がやったのは百円の板チョコだ。百円でもおいしいあの企業には敬服するが、いくらおいしくても相場というものがあるんだ。あのセンスのない所長ですらわかっているのだぞ」
「ええ!? そこですか?」
「そして、お前は重大なミスを犯した。私は確かにさんまるのマシュマロが好きだけど、昨日ブームが来たのだ。大波だ。わかるか。食べたい時に食べられない苦しみを」
「買いだめしておけばいいんじゃ」
かちん、ときたようで真島の表情がさらに険しくなる。
「買うところからが楽しみなのだ。そして、大人買いをするにしても、ひとつふたつは残しておくものだ」
「ええっと……すみません」
四目田は戸惑いながらも頭を下げた。
「わかったか、ならよし」
真島はぷりぷりと大きく尻を揺らしながら事務所に入っていった。
「あ……告白……」
四目田はマシュマロのように真っ白になった。