新生活
「う……ん」
部屋に差し込む朝日の光に、自然と目が覚める。
そういえば、昨夜はいつの間に部屋に戻って来たんだろう?
「っ……頭痛ぁ」
今着ている浴衣に着替えて寝た記憶も無い。
「全然思い出せないや……」
そう
昨夜の夕餉は歓迎の宴ということで、美味しいご馳走と美酒が振る舞われ、とにかく楽しかった……という記憶しか残っていない。
まぁ……良いか。
どうせ、雛菊さんあたりが着替えさせてくれたんだろうしね。
さて……と、そろそろ着物に着替えなきゃ。
雛菊さんが譲ってくれた数着の着物の中から、今日の気分に合わせて一着選ぶ。
「今日は薄い黄緑色の着物にしよう」
鼻唄を歌いながら浴衣を脱ぎ、着物を羽織る。
……って、私。
着物なんて一人で着られない!
洋服で育った私に着物の着付けなど出来るはずはなく、安易に浴衣を脱いでしまった事に後悔する。
さて……どうしたものか。
雛菊さんの部屋に行くには、幹部達の部屋の前を通る。
女中の部屋に行くには、隊士達の部屋の前を通る。
さすがにこの格好のまま……は無理だ。
どちらの部屋に行くにせよ、途中で誰かしらに会ってしまうだろう。
「何かあったら来い」
そうだ!
昨日の土方さんの一言を思い出した私は、瞬時に閃く。
「土方さぁん! 私、今ものすごーく困ってるんですよ。お願いですから……とにかく、早く部屋に入れて下さい」
土方さんの部屋の前に着くと、辺りを見回しながら必死に頼む。
「……入れ」
入室の許可が下ると同時に、私は部屋へと滑り込んだ。
土方さんは机に向かい書き物をしている様で、私を見ずに「何だ?」と尋ねる。
「土方さん、助けて下さい! ……私、一人で着物なんて着られないんです! こんな格好じゃ雛菊さんの部屋まで行けないし……どうしましょう」
その言葉に土方さんは、ゆっくりと振り返る。
「っ……なっ!?」
自分で着ようと努力はしたものの着崩れて乱れきった私の姿に、土方さんは絶句する。
「お……お前! なんつー格好してやがんだ!」
土方さんは、側に掛けてあった大きな着物を私にかけた。
「そこで待ってろ! 絶対に部屋から出るんじゃねぇぞ!」
大声でそう言い残し、私を置き去りにして部屋を後にする。
「まったく! 俺が着付けなんてできるわけねぇだろうが。昨夜といい、今朝といい……何考えてやがんだ、アイツは……」
土方さんはぶつぶつと文句を言いながら、雛菊さんの部屋を目指した。
私はというと……仕方がないので土方さんの部屋で、大人しく二人が来るのを待つことにした。
整理が行き届いたこの部屋は、何とも土方さんらしい。
しばらくの間部屋を眺めていたが、私が飽きるのにそう時間は掛からなかった。
土方サン……まだかなぁ?
十分程経っただろうか……特にする事も無く、暇な私はその場にコロンと横になる。
その時
勢いよく部屋の襖が開いた。
「ひっじかったさぁん!」
襖を開けた人物と目が合う。
そこに佇んでいたのは、総司さんだった。
「な……んで、君がここに居るの? それに……どうして、そんな格好をしているの?」
襖を開いた時の笑顔から一変、恐ろしい程に冷たい表情で総司さんは尋ねる。
「総……ち……ちが」
冷ややかな眼に見据えられ、緊張のせいか上手く声が出ない。
この表情から察するに、確実に勘違いされている……だろう。
「土方ぁぁぁ!」
そう叫びながら部屋を飛び出そうとする総司さんを、後ろから必死に掴まえる。
「違う……の! 私……着付けが出来なくて……困ってたんです! だから、ここに居るんです!」
総司さんに出て行かれないよう、必死に抱き止めつつ全てを説明すると、やっとの事で総司さんはいつもの笑顔に戻る。
「なぁんだ、桜ちゃんが泣きそうな顔をしてたから……僕はてっきり土方さんが何かやらかしたのかと思ったよ。それならそうと、ちゃんと言ってくれなきゃ……土方さんをうっかり斬っちゃう所だったじゃない」
総司さんは、危ない危ない……と口を尖らせる。
「困ってるならさ……僕がやってあげる! 着付け……僕もできるよ!」
そう言うや否や、総司さんは私を立たせて自分は背後にまわると、慣れた手付きで私に着物を着付けていった。
突然の出来事に、緊張で私の鼓動が速まるのを感じる。
こんな風に近付かれると、総司サンにそれが聞こえてしまうような気がして、何だか気が気ではない。
「はい、出来上がり! うん、若草色も良いねぇ」
着付けが終わると、総司サンは満足そうに私を眺めた。
「あ……ありがとうございます。……でも、どうして着付けなんて出来るんですか? 土方さんはできなそうでしたよ?」
縁側に二人で並び、庭を眺めながら話す。
「……笑わない?」
私はコクりと頷いた。
「近藤サンの所に行くより前の話なんだけどさ……姉上がね、毎日毎日僕のことを着せ替え人形にして遊んでいたんだ。……何度も着せ変えられている内に、自然と覚えちゃったんだよね」
「総司さんなら……何だか似合いそうですよね」
「今でも似合うかもよ?」
総司さんの言葉に、私達は顔を見合せて笑う。
しばらくすると、バタバタと廊下から足音が近付いてくる。
足音の主は、雛菊さんと土方さんだった。
「あらあら。綺麗に着付けられとりますなぁ……もしかして、沖田はんがやりはったの? こりゃまぁ、随分と器用どすなぁ」
総司さんは、笑顔で頷く。
折角来たからと、雛菊さんは細かい手直しをしてくれた。
今回の一件に懲りた様子の土方さんは、私には明日からしばらく女中を付けるとだけ言い残し、そそくさと部屋に入っていった。
朝餉が終わり、私は山南さんの部屋に呼ばれた。
「早速ですが……今日は仕事の話をさせて頂きますね。本日の昼過ぎに、山崎君が隊務から戻ります。この屯所では、医術の覚えがある山崎君に定期的に隊士達の身体を診て頂いています。そこで……今回は貴女にも手伝って頂こうと思っているのです。よろしいですか?」
「は……はい! よろしくお願いします」
初仕事
そんな響きに、私は心を躍らせる。
歴史に名高い人々と実際に触れ合うという不思議な感覚には、まだ慣れない。
この時代に飛ばされた意味も相変わらず解らないが……どうしてもしたい事はいくつもあった。
その内の一つは……とりあえず山崎さんに相談してみようと思った。
午後になるのが楽しみだ。
さて、昼まで何をしよう。
私は、午後までの時間の潰し方を模索していた。




