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桜前線此処にあり  作者: 祀木 楓
第2章 新生活 ―非現実的な日常―
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夕べの記憶

 

 

 山崎さんを待つ間、私は部屋の前の縁側に座り、読みかけだった小説を開く。



 今が文久3年……と言うことは、あと一年もしない内にあの有名な事件が起こる。




 池田屋事件




 この時に、「総司さんが喀血して昏倒した」という話は、史実かどうかは分からないにせよ、あまりにも有名な話である。




 労咳




 つまり結核で……




 総司さんを助けたい!



 新選組が大好きな私は、そう思わずにはいられなかった。




 結核の治療には、現代であれば3~4剤の薬を併用で服用する。


 期間についてはその薬剤により違いはあるが、3ヶ月から半年程継続して服用し続けなければならないという長期戦ぶりだ。



「薬なんて……私には作れないよね?」



 私は小さく呟くと、そのまま寝そべり教科書を開いた。


 死の病と恐れられたこの時代に、その特効薬を作る手立てなどない。


 そんなものが存在していたならば、結核などで死ぬ人など居はしないだろう。



「うーん……」



 私は頭を捻りながら、天を仰ぎ見る。



「空……綺麗……だな」



 そこには雲一つ無い、浅葱色の空が澄み渡っていた。







「おーい、嬢ちゃん。こんなとこで何してんだぁ?」



 私に近付いてきたのは、原田さんと永倉さん、それに平助君と斎藤さんの四人だった。



「あっ、皆さんおはようございます。えっと……少し、医術の勉強を」


「医術……ねぇ。そりゃあ、朝から偉ぇこったな」



 永倉サンは私の頭をくしゃくしゃと撫でる。



「いえ。山崎サンを待たなければならないので、時間が空いてしまって暇だったもので……」



 私は、髪を手櫛でとかしながら答えた。



「嬢ちゃんと遊んでやりてぇが……新ぱっつぁんと俺は、これから平助に稽古付けてやらなきゃだからなぁ」



 原田サンは平助クンを指差して言う。



「まぁ、そういうことだ。今日のところは……悪ぃな」



 平助君が私に小さく謝ると、三人は去って行った。





 私と斎藤さんは、その場に取り残される。



「あれ? 斎藤さんは、一緒に行かないのですか?」


「俺は三人とは別の用事だからな」



 斎藤さんはそう言うと、懐から煮干しを取り出した。


 すると


 待ち構えていたかのように、一匹の黒猫が飛び出して来る。


 黒猫は斎藤さんの膝の上に乗ると、嬉しそうに煮干しを食べ始めた。


 私は斎藤さんの隣に座り、その猫を見て和む。



「わぁ、可愛い! この仔猫、名前は何ですか?」


「名前? ……今のところ、付けてはいない」


「えー? 可哀想ですよ。こんなに斎藤さんに懐いているんです。折角だから、付けてあげましょうよ」


「折角だから……か。ならば、お前の好きな様に付けると良い」



 斎藤さんのその言葉に、私は頭を捻る。



「うーん、何が良いかなぁ。色は黒で……あっ、ヤマト! 黒猫だから、ヤマトでどうですか? って……黒猫だからなんて言っても、分かりませんよね」


「大和か……。良い名だ、それで良い」



 私の付けた名を、意外にも斉藤さんは気に入ってくれた様子だ。


 当のヤマトはというと……満足するまで食べ終わると、今度は斎藤さんの膝の上でスヤスヤと眠り始めた。



「猫って……やっぱり、可愛いな」



 私は、眠るヤマトを撫でながら呟く。



「コイツはまるで……昨夜のお前の様だな」



 斎藤さんは突然、笑みをこぼす。



「昨夜の私!? それは一体、どういう事ですか? 全く、意味がわからないのですが……」



 私は、斎藤さんの言葉の意味が解らず、慌てて聞き返す。



「何だ? お前は覚えていないのか?」


「……すみません。細かく説明をお願いします」



 斎藤さんから事細かに昨夜の話を聞かされる……そう、私の記憶に無い話を。


 その話を聞いた私は、一気に変な汗が吹き出るのを感じた。



「それは……本当……ですか?」


「ここまではな。この先は……そうだな、副長にでも聞くと良い」


「えっと……教えてくれて、ありがとう……ございました。あの……斎藤さんも、色々すみませんでした!」



 私は斎藤さんにそう告げると、急いで土方さんを探す。


 聞くところによると、土方さんは今は巡察中のため屯所には居ないらしい。


 教えてくれた門番にお礼を告げると、すぐに街へと向かった。





 昨日は歓迎の宴だった。


 上機嫌の私は、皆に勧められるがままにお酒を口にしていたらしい。


 泣いたり笑ったり……表情をコロコロと変え、酔い潰れると……あろう事か土方さんの膝の上でスヤスヤ眠って居たそうだ。



 しかも



 総司さんが何度私を引き剥がしても、土方さんの元に戻って来てしまう始末だったそうで……



「ありえない! あぁ、もう恥ずかしい!」



 とんだ大失態に、それを想像するだけでも全身が紅潮してしまう。


 そして宴がお開きになると、私は土方さんに担がれ、雛菊さんと共に広間を後にした……との事だった。


 昨夜といい、今朝といい……土方さんには迷惑を掛けてばかりいる。



 早く会って、謝らなきゃ……



 私は、門番の隊士から教えてもらった巡察ルートを辿ることにした。


 土方さんの姿を探すように、キョロキョロと辺りを見回しながら歩く。




 そんな私が、曲がり角を一つ曲がった時……走ってきた男性を避けられず、彼と思い切りぶつかってしまい、その場に尻餅をついてしまった。



「痛たぁ……」



 その男は「すまん」と一言謝ると、私の手を引き上げ立たせる。



「こっちだ! 居たぞ!」



 男性は何故か追われている様で、ひどく慌てている。


 彼は余程焦っているのだろう。


 私の手を掴んだまま、離すのを忘れているのか……そのまま走り出す。



「え? えっ!?」



 男性に手を掴まれているため、否応無くただただ走るしかなかった。


 もう既に、何処をどう走っているか解らない。


 ここは何処?


 この人は誰?


 何で私は捲き込まれてるの?


 意味が……わからない。


 必死に走っているはずなのに、何故かそんな事を悠長にも考えていた。






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