3月 君と七日六夜
七日六夜(なのかろくや)と読んでください。
「喉痛い…。」
部屋が乾燥しているからか、喉の痛みで目が覚めた。携帯が点滅していた。
《明日の朝そっちに着く。》
メール画面を開くと、1週間前から出張中のタクさんからだった。気を付けてとだけ返信する。
「もう1時か…。」
時計を見れば深夜1時を過ぎていた。年度末の3月に入ると仕事の納期を向かえ忙しくなる。いつもは1,2時間程度の残業で済んでいるが、さすがにこの時期はほぼ終電だった。やっと迎えた金曜日も終電でなんとか自宅までたどり着いたはいいが、どうやらそのままベットの上に倒れこみそのまま寝ていたらしい。
ノロノロと仕事用の服を脱ぎ、寝間着に着替えるのも億劫で下着姿のままベットへ潜り込む。見慣れない天井。外を走る車のライトで時折部屋がほんのり明るくなる。
ここは自分で借りている六畳程のワンルームマンション。自分の部屋のはずなのに他人の部屋のよう。それもそのはず、この部屋で寝るのは日曜の夜とタクさんが出張で家を空けるときだけ。
七日と六夜をタクさんの家で過ごし一夜だけ自分の家へ帰る。
この4年間で一夜、二夜とタクさんと過ごす夜が増えたが、日曜の夜だけは4年前から変わらない。
「ささと住めばいいのに。」
この風変わりな生活を知る同僚や友人は口をそろえて言う。決まり文句のように私はいつもこう答える。
「一緒に住もうってはっきり言われるまでは、私の部屋は解約しない。」
頑固だと笑われようが変える気はない。だって、付き合おうとはっきり言われぬままなんとなく恋人面しながらこの4年間タクさんの隣に立ってきた。そのうえ勝手に家を解約しタクさんの家に転がり込むなんて出来ない。
「私は勘違いした女になりたくないの。」
そう言えば、みんな好きにしろと諦めてくれた。
半ば意地のようなそんな気持ちを知ってか知らずか、タクさんは何も言わずいつも送り出す。少しだけ寂しそうな顔をしながら。
「…もしもし。」
携帯のバイブで目が覚めた。部屋がほんのりと明るい。時計を見ると昼の12時を回ったところだった。
「今どこ?」
携帯の向こうからタクさんの声と扉を閉める音が聞こえた。自宅に帰ってきたのだろう。
「どこって、家で寝てる。」
私が居ないから電話を掛けてきたみたいだった。
「…あぁそっちか。じゅあ昼飯は適当に食べとくぞ。晩飯は…久しぶりに外で食べるか。」
私の声が疲れているのに気付いて外食を提案してくれた。ちなみに、タクさんは家事が苦手だ。掃除と洗濯は掃除機と洗濯機があるから出来るが、料理はまったく出来ない。私と付き合う前は毎日外食かコンビニの生活だったらしい。
「いい。てか、今週末は行かない。」
喉が張り付いて上手く声が出せない。どうやら風邪を引いたらしい。全身がだるい。
「どうして?」
タクさんの声が少し低くなった。
「たまには大掃除しようと思って。タクさんは出張で疲れてるだろうから来なくていいよ。」
とっさに嘘をつく。タクさんには心配を掛けたくない。
「まったく…。迎えに行くからこっちに来れる準備しとけ。」
「ちょっと。…切られた。」
反論の余地もなく電話を切られてしまった。しかたなくノロノロと着替、立ったついでに玄関のチェーンを外す。ノロノロとベットまで戻りぼふっとダイブする。もう動くのも辛い。タクさんは合鍵で勝手に入ってくるだろうと私はゆっくり目を閉じた。
「おい起きろ。」
体を揺すられ起こされる。手を引かれてノロノロとタクさんの車へ乗り込む。熱があるのかぼんやりと助手席から外を眺めていた。20分ほどでタクさんのマンションに到着し、また手を引かれてノロノロと家へ入る。そのまま寝室へ連れて行かれ、今度はちゃんと寝間着に着替えてからベットに入らされた。
「薬は?」
額にタクさんの手が乗せられる。冷たくて気持ちいい。
「まだ。」
そう言えば、昨日の夕方頃に部長からもらった煎餅をかじって以来何も食べていない。ため息をついたタクさんは寝室から出て行った。この1週間は自分の部屋に帰っていたからタクさん宅の冷蔵庫は空っぽのはずだ。はたして何を持ってきてくるのか。
「とらあえずこれ。」
と渡されたのはコーンポタージュだった。
「ありがとう。」
温められた濃厚なコーンポタージュを飲み干し最後に薬を飲む。額にシートを貼られベットに横になる。嗅ぎなれた匂いがして眠気がやってくる。
「おやすみ。」
タクさんに頭を撫でられながら私は眠りについた。
寝室の扉が開く音がして目が覚めた。
「具合は?」
風呂上りのタクさんがベットに腰掛けて私の額に触る。薬が効いてだるさは取れたようだ。試しに起き上がってみる。
「だいぶん楽になった。ありがとう。」
笑いかければ、タクさんの手が伸びてきて抱き寄せられた。
「心配した。」
「ごめん。出張で疲れてるのに私の世話までさせてごめんね。もう動けるようになったから帰るよ。」
抱き寄せられる力がさらに強くなった。
「だめだ。治るまではここから出さない。迷わずうちに来いって何度も言ってるはずだろ。」
毎年3月になると私は体調を崩す。うつしたくないからこっそり自宅に帰るが、あっさりとタクさんの家に連れて来られる。その度にタクさんに心配を掛けてしまう。
「ごめん。」
タクさんの背中に腕を回して力を入れる。
「…会いたかった。」
ぽつりと気持ちがこぼれた。
「…ああ。」
その日はそのままタクさんに抱きしめられながら眠りに着いた。
「今日ぐらい泊まっていけよ。」
タクさんが珍しく引き止める。日曜の夜すっかり元気を取り戻した私は、自宅へ帰ることにした。
「もう大丈夫だから。」
「…着いたら連絡しろ。」
タクさんは渋々といった表情で送り出してくれた。
「分かってる。じゃあまた明日。」
タクさんのマンションを出て電車に乗り一夜だけの自宅へ帰る。私だって帰りたくない。七日七夜一緒にいたい。でも私のプライドが邪魔をする。
私はあなたと対等でいたい。
月曜日早々とふたりでベットに入る。
「おやすみなさい。」
タクさんの腕の中で眠りにつく。
「おやすみ。」
優しいタクさんの声と優しい匂い。そして、タクさんの体温が私の肌へ染み渡り、乾いた心が潤い出す。
たった一夜離れるだけなのに、いつも心はカラカラになる。でもあの一夜があるからタクさんと過ごす七日六夜が大切に思える気がする。
もしかしたら私は心が満たされるこの瞬間を味わう為に一夜だけ離れてるのかもしれない。
もしかしたら、あの部屋を借りている本当の理由はプライドやタクさんと対等でいるためなんかじゃなくて、私の単なるわがままなのかもしれない。
でも、七日七夜あなたと共にいたいと思うのも本当の気持ち。
だから、早く私に言葉をください。
「一緒に暮らそう。」って
七日七夜(なのかななや)と読んでください。3月はどこも忙しいです。…体調管理にはご注意くださいというお話でした。読んで頂きありがとうございました。