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娘が起きない、どうしたらいいかわからない。
一介の侍女が騎士に剣を向けられながらも我に直言するなど初めてのことだ。ましてや、その内容がそれだ。……発言に対して我がすぐに言葉を発せられなかったのもまた、初めてのことであった。
*
十日前、部下たちの進言を退け、我は労をねぎらうために娘に最上級の褒美を与えた。
城の中でも一等日当たりのよい客間と、上質な布地のドレス。専属の侍女を数名に、人間の国の菓子、何より、その身の自由を。
もう誰も、娘を強制的に働かせることはできない。その行動を妨げることもできない。限度はあるにしても、我が国の農業への功労者として最上級のもてなしを。そう命じた。
結果、娘はそれらを、眠りに逃げることによって全て拒否した。
時々、うつらうつらとまぶたを開けるらしい。けれどすぐまた閉じて眠ってしまう。水は飲ませているけれど食物はとっておらず、これでは身が持たない。どうしたらいいのか。侍女は今にも泣きそうな表情で、助けてください、と悲痛に叫んだ。様子を見に来てみれば、言葉通り眠りについていた。揺さぶろうと頬をはたこうと、寝息の深さは変わらない。
「こら、娘、目を開けよ」
呼びかけを数度続け、はっと、名を知らぬことに思い至る。どれほどおろそかにしていたのか気付かされつつも、このまま放っておくことはできぬと今は目覚めさせる方法のみを考える。しばしして、考え付いた通り、その鼻と口を手の平で覆ってみる。
娘はしばしの後苦しそうに身をよじり始め、ぱっと、目を開けた。近い距離から見た目の色は、黒というよりも褐色、人間の国の頬が溶けそうなほど甘い菓子の色に似ていた。
「……な、にを」
「眠りの中に逃げてどうする。還りたいのでは、なかったか」
どの口下げて、と己でも思う。けれどそう問わずにはいられなかった。案の定、娘は今の今まで眠っていたとは思えない形相で、頬に朱を上らせる。
「還れないって、言ったのはそっちじゃない……!」
とぼけたこと言わないで!とベッドに四肢をつきこちらを見上げる様は、獣の威嚇するようだった。
「還る方法は部下に調べさせている。しかしすぐにはわからぬ。方法が見つかるまで、お前はそうしてひたすら眠り続けるつもりか」
「どうせ、還る方法なんてないんでしょう?いつか還すいつか還すって言い続けて、ずっと私をこき使うつもりなの?」
「そんなつもりはない。もう農作業はしなくともよいと、我は言った。嘘はつかぬ」
「それこそ、嘘ばっかり。ああそれとも、農作業はしなくていいから、他のことで貢献しろって?」
「言葉の揚げ足を取るようなことをするわけがなかろう。お前の自由意思は、二度と侵さぬ」
「どうだか。信用できない」
長年の酷使に、ここ数日の食事もとらぬ眠り。体は弱っているはずだ。しかし、我に対峙する娘に弱々しさは欠片も感じられない。生命力。溢れるような、生の色の奔流。人にあってこれほどの生気は、稀に見るものである。
「お前が信用せずとも、我は嘘を、つかん。……故に、お前が意思固く、いつかの日まで眠り続けていたいのだと決めているならば、二度とは邪魔はせぬが」
「……」
「娘よ。どうしたい。お主の願いは、叶え得る限りで叶える心持だ。それだけのことを、お前はしてくれた。強いられた上での不本意な行動であったとしても、我は、我らは、感謝している」
――この土地は、呪われたかのごとく荒廃しきっていた。努力はしても、痩せた大地を肥えさせることは我らには何十年かかってもできず、作物の実りがないために痩せ衰えて死んだ者は多い。己らが生きるためにやむなく子を減らし親を捨てた者も。緩慢に滅びへ向かっていた大地に、緑を。希望を生みだした娘の存在に、我らは報いらねばならぬのだ。年若くして親元から引き離し、親しい者どもと離別させ、それどころか世界すら異なる場所に引きずり込んで、無体を強いた、その償いを。
「……私、は」
娘は辛そうに顔を歪め、相当な時間、口を開けては閉じ、開けては閉じ、と逡巡した。その唇から意味のある言葉が発せられるまで待つことは、我には全く苦ではなかった。
「……まだ、続けます。貴方達が、私が元の世界に戻る方法を、ちゃんと探してくれるなら」
が、その内容は、想像していたいずれの選択肢とも違った。