1
ガタンゴトン、ガタンゴトン。
目の前に広がる懐かしい景色を見ながら、前橋保はため息をついた。ついたため息で窓が白く曇る。外にはチラチラと雪が降っている。冬の訪れを感じる。
保はブーツを脱いで足を投げ出した。列車に人はまばらだったので、若い学生の様に足を投げ出す。年を考えろよ!と自分でも思ったが、別に気にする人間もいないだろうと自分を納得させた。
平日昼間のJRは人がいない。保は自分のこれからの人生を表しているのかもしれない、と嫌な気持ちになった。誰も必要としない列車。いや、必要とする人の少ない列車、それが自分の姿とかぶる。
保は生まれ育った街に通じる列車に乗っていたのだった。ポケットの中には片道分の切符。学生時代によく見た景色、甘酸っぱい思い出。今、自分が感じている気持ちがなんなのか、イマイチわからない。懐かしさの中の安心なのか、もう戻れぬ過去の幸せへの憧れなのか、それとも全てが終わったという諦めなのか。
保は12年暮らした街から実家のある街に向かっている。妻と子どもと、仕事と、全てを捨てて。いや、捨てられたのは保なのかもしれない。
ハァーともう一度息を吹きかけた。白く曇る窓に握った握り拳の小指側をつける、すると足の平のような跡がついた。そこに指を書き加える、それをなんどか繰り返すと足跡になる。娘が小さい頃には、こうやって遊んだ事を思い出す。あの時もこうやって列車に乗っていたが、隣には娘と妻がいて、ポケットには帰りの切符が入っていたのだった。
足跡はすぐに消えてしまった。室内の暖房が強くなったからだろうか?暖かくなればなるほど、見えなくなるものがある。それは『幸せ』とか『平穏』とか言うのだろう。今の凍えて縮こまった保の心には、あの頃の幸せがありありと感じられる。気を緩めると、泣いてしまいそうになったので、保はぎゅっと目をつぶって眠りにつこうとするのだった。
『これに判子をください。もういいでしょう。これ以上は何にもならないわ』
『ババ、バイバイなの?どうして?』
うとうとし始めた保だったが、背中の嫌な汗で目が覚めた。これまでの日々が思い返される。妻との間に亀裂が入った事に気付いたのはいつだっだろうか?結婚して5年、なかなか子どもができない頃だっただろうか?
『焦らなくていいよ。僕は、君と二人だけでも幸せだから』
『勝手な事言わないで。あなたはいいかもしれないけど、私が辛いのよ。年齢を重ねれば重ねるほど、産むのも育てるのも大変になるの。種付ければいいだけのあなたとは違うのよ!』
『そんな言い方ないじゃないか!無理したり焦ったりしても、いい結果なんて出ないよ。少し余裕を持とうよ』
『お義母さんがどれだけプレッシャーをかけてるか知ってるでしょ?口には出さないけど私のせいだと思ってるのよ!病院には行ってみたの?なんてなんど言われたかわからないわよ』
『母さんには僕から言っておくから、、、』
『、、、言いたくなかったけど、保、あなた病院に行ってくれないかしら?もう限界だわ』
『な?僕のせいにするのかい?それでもいいよ。わかった。病院に行けば君は満足なんだろう?君だけ診てもらってるのは、確かにしんどいと思う。わかった』
幸い、病院でみてもらう前に妊娠したのが分かったのだった。あの時に始めて夫婦と言うのは他人で、結婚と言うものが誓約なのだと思ったのだった。