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縁ノ環

豊穣の黄金

作者: 由耀
掲載日:2026/05/10

 山間に寂れた村があった。

 一人の老いた旅の僧が、荒れ果てた村の様子を見て、静かに経を唱え立ち去った。

 その後を賊が追いかけ、身なりの良い旅の僧を襲い、身ぐるみ剥いだ。

 僧ということもあり、命までは取らなかった。

 旅の僧は降り注ぐ雨に震えながら、一度は立ち去った荒れた村に助けを求めた。

 この村ではもう三年も飢饉が続いており、田はひび割れ、井戸は濁り、裏山にも食べられるものは何もない。それどころか痩せ細った村人たちは、肉付きの良い身体をぎらつく目で僧を睨みつける。

 当然差し出せる粥などもなく、村長は土間に手をつき、旅の僧に深く頭を下げた。


「お坊様、申し訳ございません。この村にはあなた様に捧げられる食物は何もございません」


 哀れに思った村長は旅の僧に自分の衣だけを渡したが、旅の僧は怒らなかった。

 ただ、村はずれの枯れた畑を見て言った。


「ならば、御仏の慈悲を分けましょう」


 その夜は、月が隠れた夜だった。

 旅の僧はただ一人枯れ畑の真ん中に立ち、黒雲の中に隠れた月に向かって経を唱えた。雲は流れ、妖しく紅に染まる月が姿を現したその時――、

 風もないのに土が波打ち、地面の下で何かが身じろぎする音だけが辺りに響く。

 村人たちは戸の隙間からそれを見ていた。

 賊として旅の僧を襲った村人も、遠くから固唾をのんで見守った。


 翌朝のことだ。

 畑一面に、背丈ほどの唐黍とうきびが生えていた。

 村が歓喜に包まれたのは言うまでもない。

 その実は黄金色に輝き、太く、重く、皮を向けば隙間なく並ぶ粒がある。

 それはあまりに見事で、あまりに整いすぎていた。

 更にはこの粒は全てが同じ大きさで同じ形だった。

 ひとりの童が言った。


「おとう、この唐黍、目みたいじゃ」


 童の父親が改めて唐黍を見る。

 確かに一粒一粒の艶やかな表面のてかりはすべて、真っ直ぐ村人の方を向いている目のように見える。


『食べていいのよ』と誘うように。


 村人たちは童の言葉に、言葉を失った。

 けれども“飢え”は“恐れ”にも勝る――。


「見た目がなんじゃ。食えるものなら何でも食おうぞ」

「食わぬならよこせ」


 その夜、村には久しぶりに煮炊きの煙が上がった。

 唐黍は甘くやわらかで、噛むたびに汁が溢れる。

 子供たちは「うめえ、うめえ」と笑い、見た老人は涙を流した。

 これで村は救われると村長は旅の僧に何度も頭を下げ、「お坊様は生き仏様でございます」と讃えあげた。

 僧はただ微笑み、告げた。


「良く実りましたな」


 翌日の朝。

 村人たちの肌に小さな膨らみが浮かぶ。

 虫刺されだと最初は誰も気にしなかった。

 しかし次第にそれは腕に、首に、背に、少しずつ規則正しく並んでいった。

 丸く、硬く黄金色を帯びた小さな粒だ。

 昨晩食べた唐黍の粒と同じ形をしたものが、皮膚の下に列を作っている。


 村長の娘、サヨは自分の腕を見て恐怖に震えた。

 粒は時を追うごとに増えていった。

 昨日は四つ。今朝は八つ。

 夕暮れ時には、手首から肘までびっしりと並んでいる。

 触れると、皮膚の下で何かがぷつりと笑った気がした。


「お坊様、これは……何でございますか?」


 サヨが尋ねると、旅の僧は畑を見つめたまま答えた。

 その目には人間らしい温かさはなかった。


「飢えぬための印だ」

「印……にございますか?」

「実りとは、命が形を変えることだ」


 旅の僧の口元が僅かに歪んだのを、サヨは知らない。


 -※-


 その晩のことだった。

 ある寝たきりだったトメという老婆が、忽然と消えた。

 トメが寝ていた布団だけがその場に残る、奇妙な光景だった。

 煎餅のような布団の上には数粒の黄金。

 まるでこぼれたかのように散らばっていた。

 トメの身内の者だけはその消息を気に掛けたが、それだけだった。

 残る村人たちは、ただ唐黍の取り分だけを気にしていた。


 そんな中、サヨは気が付いた。

 あの唐黍畑に、新しい唐黍が一本、増えていることに。

 それは太く重く、良く実った唐黍だった。


 それから毎晩、誰かが消えた。

 消えるたびに、畑の唐黍は増える。

 最初は誰も分かっていなかった。

 しかし次第に状況がわかってくると、村人たちは泣きながら唐黍を食べた。

 食べなければ飢える。食べれば粒が増える。粒が増えれば――

 それでも誰も箸を置けなかった。

 極限に飢え、一度腹が満たされた幸福を知ってしまった者は、もうこの幸福を手放すことはできない。

 

 そうして残ったのはサヨと、旅の僧だけになった。

 村一面の唐黍が、月明かりの元で揺れている。

 粒という粒が、ただ一人生き残ったサヨを恨めし気に見つめている。


「どうしてこの村を……こんな姿に……」


 サヨは涙を流しながら、また旅の僧に尋ねた。


「私は何も奪っておらなんだ。ただそなたらの願いを聞いただけ」

「願い……?」

「飢えたくない。実りが欲しい。そう願ったのはそなたらだろう?」


 サヨの腕で、黄金の粒が一つ弾けた。

 痛みはない。ただ、甘い匂いがしただけだ。

 奪われたモノをすべて取り返した僧は、手を合わせた。


「それにしても……良く実りましたな」


 翌朝、村を訪れた者はもう誰もいない。

 ただ山間の枯れ村には、見渡す限りの唐黍畑がいつまでも広がっていた。

 その実はどれも黄金色。粒は隙間なく整っていた。

 まるで誰かが中からこちらを見ているように。


 完

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