豊穣の黄金
山間に寂れた村があった。
一人の老いた旅の僧が、荒れ果てた村の様子を見て、静かに経を唱え立ち去った。
その後を賊が追いかけ、身なりの良い旅の僧を襲い、身ぐるみ剥いだ。
僧ということもあり、命までは取らなかった。
旅の僧は降り注ぐ雨に震えながら、一度は立ち去った荒れた村に助けを求めた。
この村ではもう三年も飢饉が続いており、田はひび割れ、井戸は濁り、裏山にも食べられるものは何もない。それどころか痩せ細った村人たちは、肉付きの良い身体をぎらつく目で僧を睨みつける。
当然差し出せる粥などもなく、村長は土間に手をつき、旅の僧に深く頭を下げた。
「お坊様、申し訳ございません。この村にはあなた様に捧げられる食物は何もございません」
哀れに思った村長は旅の僧に自分の衣だけを渡したが、旅の僧は怒らなかった。
ただ、村はずれの枯れた畑を見て言った。
「ならば、御仏の慈悲を分けましょう」
その夜は、月が隠れた夜だった。
旅の僧はただ一人枯れ畑の真ん中に立ち、黒雲の中に隠れた月に向かって経を唱えた。雲は流れ、妖しく紅に染まる月が姿を現したその時――、
風もないのに土が波打ち、地面の下で何かが身じろぎする音だけが辺りに響く。
村人たちは戸の隙間からそれを見ていた。
賊として旅の僧を襲った村人も、遠くから固唾をのんで見守った。
翌朝のことだ。
畑一面に、背丈ほどの唐黍が生えていた。
村が歓喜に包まれたのは言うまでもない。
その実は黄金色に輝き、太く、重く、皮を向けば隙間なく並ぶ粒がある。
それはあまりに見事で、あまりに整いすぎていた。
更にはこの粒は全てが同じ大きさで同じ形だった。
ひとりの童が言った。
「おとう、この唐黍、目みたいじゃ」
童の父親が改めて唐黍を見る。
確かに一粒一粒の艶やかな表面のてかりはすべて、真っ直ぐ村人の方を向いている目のように見える。
『食べていいのよ』と誘うように。
村人たちは童の言葉に、言葉を失った。
けれども“飢え”は“恐れ”にも勝る――。
「見た目がなんじゃ。食えるものなら何でも食おうぞ」
「食わぬならよこせ」
その夜、村には久しぶりに煮炊きの煙が上がった。
唐黍は甘くやわらかで、噛むたびに汁が溢れる。
子供たちは「うめえ、うめえ」と笑い、見た老人は涙を流した。
これで村は救われると村長は旅の僧に何度も頭を下げ、「お坊様は生き仏様でございます」と讃えあげた。
僧はただ微笑み、告げた。
「良く実りましたな」
翌日の朝。
村人たちの肌に小さな膨らみが浮かぶ。
虫刺されだと最初は誰も気にしなかった。
しかし次第にそれは腕に、首に、背に、少しずつ規則正しく並んでいった。
丸く、硬く黄金色を帯びた小さな粒だ。
昨晩食べた唐黍の粒と同じ形をしたものが、皮膚の下に列を作っている。
村長の娘、サヨは自分の腕を見て恐怖に震えた。
粒は時を追うごとに増えていった。
昨日は四つ。今朝は八つ。
夕暮れ時には、手首から肘までびっしりと並んでいる。
触れると、皮膚の下で何かがぷつりと笑った気がした。
「お坊様、これは……何でございますか?」
サヨが尋ねると、旅の僧は畑を見つめたまま答えた。
その目には人間らしい温かさはなかった。
「飢えぬための印だ」
「印……にございますか?」
「実りとは、命が形を変えることだ」
旅の僧の口元が僅かに歪んだのを、サヨは知らない。
-※-
その晩のことだった。
ある寝たきりだったトメという老婆が、忽然と消えた。
トメが寝ていた布団だけがその場に残る、奇妙な光景だった。
煎餅のような布団の上には数粒の黄金。
まるでこぼれたかのように散らばっていた。
トメの身内の者だけはその消息を気に掛けたが、それだけだった。
残る村人たちは、ただ唐黍の取り分だけを気にしていた。
そんな中、サヨは気が付いた。
あの唐黍畑に、新しい唐黍が一本、増えていることに。
それは太く重く、良く実った唐黍だった。
それから毎晩、誰かが消えた。
消えるたびに、畑の唐黍は増える。
最初は誰も分かっていなかった。
しかし次第に状況がわかってくると、村人たちは泣きながら唐黍を食べた。
食べなければ飢える。食べれば粒が増える。粒が増えれば――
それでも誰も箸を置けなかった。
極限に飢え、一度腹が満たされた幸福を知ってしまった者は、もうこの幸福を手放すことはできない。
そうして残ったのはサヨと、旅の僧だけになった。
村一面の唐黍が、月明かりの元で揺れている。
粒という粒が、ただ一人生き残ったサヨを恨めし気に見つめている。
「どうしてこの村を……こんな姿に……」
サヨは涙を流しながら、また旅の僧に尋ねた。
「私は何も奪っておらなんだ。ただそなたらの願いを聞いただけ」
「願い……?」
「飢えたくない。実りが欲しい。そう願ったのはそなたらだろう?」
サヨの腕で、黄金の粒が一つ弾けた。
痛みはない。ただ、甘い匂いがしただけだ。
奪われたモノをすべて取り返した僧は、手を合わせた。
「それにしても……良く実りましたな」
翌朝、村を訪れた者はもう誰もいない。
ただ山間の枯れ村には、見渡す限りの唐黍畑がいつまでも広がっていた。
その実はどれも黄金色。粒は隙間なく整っていた。
まるで誰かが中からこちらを見ているように。
完




