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聖血のロゼル  作者: ハナハル


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13/13

セーフエリア

すべてが、静かに落ちていく。

意識も。

音も。

重ささえも。

砕けた石の破片が、転がり終える。

骨の欠片が、最後に一つ、乾いた音を立てて止まる。

――それきり。

闘技場は、完全に沈黙した。


……どれくらい、時間が経ったのか。

感覚は曖昧で。

ただ、空気だけが冷えていく。

血の匂いが、ゆっくりと沈んでいく。


最初に動いたのは、青い炎だった。

かすかに。

風もないのに、揺れる。

消えかけの灯のように。

今にも、ほどけて消えそうな光。


その下で。

アゼリアの骨が、わずかに軋む。

乾いた、擦れる音。

崩れかけた体。

先ほどの“剣”の負荷は大きすぎた。

無理やり繋いだ骨は、ひびだらけで。

関節は歪み、噛み合っていない。

何本かは、もう支えの役目を果たしていない。

わずかに動くだけで、細かな欠片が落ちる。


それでも。

炎が、揺れる。

消えずに、そこにある。


視線の先。

ロゼイン。

石の上に、倒れている。

小さな体が、不自然に沈んでいる。

動かない。

胸だけが、かろうじて上下している。

呼吸は浅い。

途切れそうなほどに。


アゼリアは、動く。

立てない。

脚に力が入らない。

支えようとした骨が、音を立てて崩れる。


それでも。

這う。

腕を引きずる。

床に骨が擦れる音が、やけに大きく響く。

一度、止まる。

崩れた指先を引き寄せ、無理やり組み直す。

また進む。


ゆっくりと。

だが、迷いなく。

確実に。

ロゼインの元へ。


辿り着く。


ほんの一瞬だけ。

動きが止まる。


触れる。

骨の指先が、わずかに震える。

硬いはずのそれが、妙に頼りない。

壊れ物に触れるように。

そっと。


触れた瞬間。

青い炎が、わずかに強く揺れた。


ぽたり。

一滴。

ロゼインの傷へ。


音はない。

だが、確かに“触れる”。

その瞬間。

淡い光が、静かに広がる。

水面のように。

波紋が、ゆっくりと広がっていく。

肌をなぞるように。

優しく。

包み込むように。


裂けた皮膚が、ゆっくりと寄る。

血が、止まる。

流れが、細くなる。

やがて、止まる。


荒れていた呼吸が。

ほんのわずかに。

整う。


だが。

意識は、戻らない。


それでも。

アゼリアは、やめない。

一滴。

また一滴。


炎が、細くなる。

削れるように。

自分が、減っていく。


それでも。

触れ方だけは、変わらない。

乱れない。


指先で、位置を確かめる。

傷の場所をなぞる。

余計な力をかけないように。

触れていい場所と、そうでない場所を選ぶように。


やがて。

致命傷は、塞がる。

完全ではない。

だが。

生きている。

確かに。


アゼリアの動きが、止まる。

ほんの一瞬。


それから。

立とうとする。


崩れる。


骨が、音を立てて外れる。

支えきれない。


それでも。

もう一度。


ゆっくりと。

体を起こす。

骨が軋む。

噛み合わない関節が、無理やり動く。

肩が外れかける。

腕の一部が、ぱらりと落ちる。


それでも。

ロゼインに触れる手だけは、崩さない。


そっと、抱える。

持ち上げるのではなく。

赤ん坊に触れるように。


指の一本一本で、支える場所を決める。

背中。

首元。

腕。

どこに力をかければ負担が少ないか。

確かめるように。

何度も、微調整する。


一度、止まる。


ロゼインの顔を見る。

血に濡れた頬。

乾きかけた赤が、こびりついている。

乱れた金の髪が、頬に張り付いている。

呼吸のたびに、かすかに揺れる。


その髪を。

骨の指で、そっと払う。

撫でるように。

絡まった部分をほどくように。

頬にかからないように。

呼吸の邪魔にならないように。


指先が、ほんの一瞬だけ止まる。


炎が、静かに揺れた。


背負う。

慎重に。

ゆっくりと。


一度で決めない。

ずれる。

直す。

もう一度。

位置を変える。


ロゼインの体が、揺れない形を探す。

一番、楽な位置。

痛みが少ない位置。

それを選ぶように。


固定する。

崩れかけた骨で。

それでも、落とさないように。


一歩。

踏み出す。


闘技場を出る。


暗い通路。

湿った空気が、まとわりつく。

血と腐臭が、重く沈んでいる。

壁は濡れている。

水ではない。

ぬめり。

触れれば、何かが剥がれ落ちそうな感触。


静かすぎる。

音がない。

足音すら、吸い込まれる。


だが。

奥で。

何かが動く。


這うような音。

石を舐めるような、粘ついた気配。


影が、滲む。

壁の裂け目から。

にじり出るように。

三つ。


四足。

だが、前脚が異様に長い。

関節が多すぎる。

曲がり方が、ひとつではない。

二度、三度と折れている。


顔はない。

その代わりに。

縦に裂けた口だけがある。

裂け目の奥が濡れて光る。

ぬるりと開き。

閉じるたびに、粘ついた音がする。


一体が、跳ねた。

速い。

床を蹴る音より先に、距離が消える。


アゼリアは、避けない。

ロゼインを庇うように、体を捻る。

背を、完全に覆う。


そのまま。

腕が変形する。

骨が伸びる。

節が連なり、しなる。

鞭。

青い炎が、細くまとわりつく。


一閃。

空気を裂く音。

横から叩き落とす。


骨が砕ける感触。

柔らかいものが潰れる感触が混ざる。

そのまま壁へ叩きつける。

鈍い音。


残り二体。

低く。

這うように。

左右から絡みつく。


一体が、足に噛みつく。

牙が骨に食い込む。

ひびが走る。

細い音。


炎が、揺れる。

大きく。


それでも。

ロゼインは、揺らさない。


鞭を引き戻す。

骨が軋む。


そのまま、横薙ぎ。

まとめて薙ぐ。


二体とも、床へ叩きつけられる。

転がる。

壁に当たる。

動かない。


静寂。


止まらない。

歩く。


ロゼインの体が、わずかに揺れる。

そのたびに。

歩幅を変える。

着地の角度を変える。

衝撃を逃がすように。


炎が、細い。

糸のように。

今にも、切れそうな光。


曲がり角。


空気が、変わる。

重い。

まとわりつく。


壁から、“剥がれる”。


人の形。

だが、歪んでいる。

腕が長い。

関節が逆。

首が、ゆらゆらと揺れる。

骨がないように。


立つ。

一体。


圧が違う。


アゼリアは止まる。

ロゼインを、わずかに抱え直す。

落とさないように。


影が、消える。

視界から。


次の瞬間。

横から衝撃。


骨が軋む。

体がぶれる。

だが。


ロゼインの頭だけは、しっかり支える。


反撃。

骨の鞭。

振る。


一撃。

叩きつける。

壁へ。


歪んだ体が跳ねる。


もう一撃。

横薙ぎ。


骨が砕ける。

形が崩れる。

維持できない。


影が、床に落ちる。

動かない。


炎が、大きく揺れる。

ほとんど、消えかけている。


それでも。

進む。


足が、崩れる。

一歩ごとに。

削れる。


それでも。

ロゼインを支える腕だけは、最後まで形を保つ。


通路は、長い。

終わらない。


途中。

転がる装備。

砕けた鎧。

乾いた血。

裂けた革。

折れた剣。


ここで死んだ。

誰かが。


そのまま。

残った。


だが、見ない。

止まらない。


炎が、さらに細くなる。

もう、灯火のようだ。

風があれば、消えていた。


やがて。

視界の奥に、“形”が見える。


石。

柱。

規則的な並び。

自然ではない直線。


近づく。

崩れかけた柱列。

上には、わずかに残る天井。


空気が、変わる。

軽い。

澄んでいる。


そのとき。

記憶が、よぎる。


『石の神殿みたいな場所でな』

『中心に水場がある』

『そこは――魔物が来ねぇ』


視線の先。

女神像。

風化した顔。

それでも、どこか穏やかな形。


その足元に、水。

小さな水場。


揺れていない。

一切。

波紋すらない。


音が、消える。

完全に。


セーフエリア。


その瞬間。

張り詰めていたものが、切れる。


力が抜ける。


膝が、崩れる。


限界。


ロゼインを、ゆっくり降ろす。

最後まで、丁寧に。

頭を支える。

背中を支える。

地面に触れる瞬間の衝撃を、殺す。


完全に、横たえる。


自分も、その隣に倒れる。

骨が崩れる。

腕が落ちる。

指が、ばらりと散る。


それでも。

にじり寄る。


ロゼインのすぐそばへ。

触れる距離へ。


守るように。

寄り添うように。


青い炎が、かすかに揺れる。

消えかけの灯。


それでも。

離れない。


静寂。

完全な静寂。


やがて。

ロゼインの指が、わずかに動く。


瞼が、開く。

ぼやけた視界。


石の天井。

女神像。

動かない水面。


そして。

すぐそば。


崩れかけた骨。

細い青い炎。


理解する。

一瞬で。


ロゼインは、ゆっくりと手を伸ばす。

震える指で。

そっと。

アゼリアに触れる。


「……馬鹿が」

かすれた声。

だが、柔らかい。


「無理しやがって……」


わずかに、息を吐く。


炎が、弱い。

消えかけている。


ロゼインの表情が、わずかに歪む。


それでも。

立ち上がる。

ふらつく。

視界が揺れる。


それでも、立つ。


一度だけ。

アゼリアを見る。


「……待ってろ」


「魔石をとってきてやる」


一歩、踏み出す。


「とびきりのやつを」


振り返らない。


闇へ。

再び、死の気配の中へ。


ロゼインは、歩き出した。


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