臨時雇いの騎士.3
3話目
「おい、フォード。こういうときはそっと女性の涙を拭いて、気の利いた言葉を言うものだ。ガキじゃないんだから、気が利かないな。その整った面構えの無駄遣いとしか思えない」
「そういうのは苦手なんだよ。知っているだろう。それに好んでこの顔に生れたわけではない」
しかめっ面でフォードさんが自分の頬をつるりと撫でた。女性慣れしてそうなのに、意外だ。
「突然泣いてしまい、すみません。こんな温かな食事が久しぶりで、嬉しくて」
「それは、旅をしていたのが理由か?」
躊躇いながら、フォードさんが聞いてくる。
「いいえ。家でも冷めた食事しかなかったですし。あっ、でも、時折仕事場に差し入れをしてくれる人がいるのです。花やお菓子がある日もあって。それがとても楽しみでした」
あの人は、私が毒殺未遂に関わっていると聞いて、どう思っただろうか。
私を信じてくれれば嬉しいなと思うも、確かめようがない。
「そうか。喜びがあるのは救いだが、食事がそれでは辛かっただろう」
しんみりとしたフォードさんの口調に、暗い雰囲気が流れる。
しまった。あまりの料理の美味しさに、何も考えずついつい本当のことを口走ってしまった。
どう取り繕うかと考えていると、足音が近づいて来る。と、頭上から声がかけられた。
「お客さん、お酒持ってきたよ」
アマンダさんではない声に見上げれば、二十代半前半ぐらいの女性が私の前にグラスを置いた。
「ありがとうございます」
「見ない顔だね。今から一曲演奏するから気に入ったらチップを頼むよ」
この国では珍しい青緑色の髪を頭の上で丸く束ねた女性がにっと笑う。手には楽器のようなものを持っていた。
一曲? と首を傾げる私に、女性は手にしていた楽器を持ち上げる。
「私はジゼル。吟遊詩人をやってて、主にこの店にいるんだ。吟遊詩人、知ってる?」
「すみません。初めて聞きました」
「いいよ、いいよ。見たところいいとこのお嬢さんみたいだし。こんな下町の店にいるからちょっと心配したけど、ディンが一緒なら安全……いや、余計に危ない?」
ううん、と顎に手を当て悩むジゼルさんにディン様が「おいっ!」と突っ込む。
ジゼルさんは宥めるように手を上下させケラケラ笑うと、今度はフォードさんを覗き込んだ。
「うわっ、お兄さん、すっごく男前だね。お嬢さんの恋人?」
「い、いいえ! 今日初めて会って、助けていただいたのです」
「フォードだ。暫くディンのもとで騎士として働く」
フォードさんが出した手を、ジゼルさんは握り返すとぶんぶんと振った。
「じゃ、この店にもちょくちょく来るよね。レティシアの好みっぽいからそれだけは気を付けたほうがいいかな。じゃ、演奏するしチップよろしく」
ジゼルさんは手を振り立ち去ると、隣のテーブルに行く。知り合いらしく「今夜は何を歌うんだい?」とお客さんが聞いている。
「ディン、レティシアとは誰だ?」
フォードさんが警戒心を露わにして聞けば、ディン様は、クツクツと笑う。
「この近くのバーの女主人だ……ってそんな顔するなよ。相変わらず女嫌いだな。レティシアは貴族令嬢のようにべたべた触ったり、シナを作るタイプじゃないから安心しろ。もちろん夜会で毒を盛る、なんてこともない。さっぱりとした、どちらかと言えば男に興味がない女だ」
なんだかべた褒めですね。と思うも口には出さないでおく。
話をしているうちに、カウンターの前に十センチほどの台が運ばれ、そこに椅子が置かれる。店内にいた四十人ほどのお客さんが、一斉に視線を向けた。
さっきまでの喧騒が嘘のように静かになる中、ジゼルさんがその椅子に座って歌い出した。
「すごい」
思わず言葉が転がり出た。生演奏なんて初めて聞く。ジゼルさんの少し低めの声が耳に心地よく心に響いてくる。
曲は切ない旋律で、歌詞は騎士と吟遊詩人の恋を歌ったものだ。歌の合間の間奏では、ジゼルさんの細い指が楽器の弦をすごい速さで弾いていた。
「うまいな」
フォードさんが感心したように言う。
「私、こういうの初めてですが、素敵ですね。ジゼルさんの歌も声も、それからあの楽器の音色も好きです」
「リュートだ。砂漠の民の楽器で弦を弾いて音を出す。ところで、ディン。あの歌詞だがお前のことではないだろうな?」
フォードさんがエールの入ったジョッキを持ちながら、ディン様を睨む。
歌詞は、騎士の子供を身籠った嬉しさを語り出した。
「違うよ。あれは、曲も歌詞もジゼルの師匠が作ったものだ。ジゼルが十五歳ぐらいのときに亡くなったと聞いている。リュートは師匠の形見らしい」
曲は、子供を身籠ってすぐ騎士が亡くなり、女性がひとりで愛の結晶を育てようと決意するところで終わった。
お店が拍手の渦でいっぱいになる中、ジゼルさんは優雅に立ち上がり礼をする。
すると、目の前にある箱にお客さんが次々とお金を入れていった。
私も入れたほうがいいのかなと考えていると、ディン様が三人分まとめて払ってくると言って席を立つ。
箱にお金を入れると今度はカウンターへ足を向け、私より少し年上の女性の隣に座った。緩く波打つ亜麻色の髪を腰まで垂らした、物凄い美人だ。
身体のラインに沿う真っ赤なワンピースはこの場に不釣り合いのように見えるのに、なぜかお店に馴染んでいる。
「あれがレティシアかな。婀娜っぽい雰囲気がディンの好みだ」
「そうなんですか?」
「多分な。ところで、ルーシャはこれからどうするつもりだ。この街を目指していたと言っていたが、仕事や住む場所はどうするんだ? 知り合いは?」
「知り合いはいません。以前いた場所を離れなくてはいけない事情ができまして……ベルサートは知人から住みやすい場所だと聞きました」
「そうか。俺は騎士寮に住ませてもらえるが、ルーシャはそうはいかないからな」
うーん、とフォードさんは考え込む。
自分のことのように悩む姿から、誠実な人なのだろうと思う。
そういえば、どうしてフォードさんはこの街に来たのだろう。コートこそ着ていたがその中は初夏のような薄着だった。
エプラゼールの冬は寒い。王都より北にあるこの街はさらに気温が低いのであきらかに不自然だ。
それに、食事を摂る際に前かがみになると、薄いシャツの胸元から黒く変色した皮膚が覗く。酷く殴られたようで、シャツにはところどころ茶色い染み――おそらく血痕のあともあった。
室内にも関わらずコートを脱がないので、分からない場所にはもっとひどい跡があるかもしれない。椅子の背もたれにも、一度ももたれていない。背中を怪我しているのだろうか。
少々やつれてはいるが身体は逞しいので、食事環境がずっと悪いというわけではなさそうだ。
教会で様々な病人を見て来た知識を総動員するも、しっくりとくる答えは見つからなかった。
「どうした? 俺の顔になにかついているか?」
「いえ、すみません」
どうやらじっと見過ぎていたらしい。
謝りながら、まだ飲んでいなかった果実酒に口をつける。
初めに貰ったのは甘かったが、こちらは柑橘系のさっぱりとしたものだ。どちらも美味しい。
「なかなか酒が強そうだ」
「そうでしょうか? でも美味しいです」
呑気にお酒を飲んでいる場合ではないと思いつつ、ここ数日の張り詰めた気持ちが緩んでいく。やっと辿り着いた目的地と、初対面にも関わらず私を気遣ってくれる人がいることに、心強さを感じる。
「俺に土地勘があれば、もっと助けてやれることもあるのだが。俺もディンに助けられたからな」
「大丈夫です。お金も取り戻せましたし。宿を見つけて明日から仕事を探します。料理、洗濯、掃除となんでもできますし、なんでもします」
そう言えば、フォードさんは「えっ」と驚く。どうやら意外だったらしい。
思えば、祖父が亡くなってからずっとお義母様――いえ、アディシアと叔父の顔色を窺って生きてきた。
カルロッタが聖木の女神として教会に仕えるようになってからは、無償で手伝うのを強いられてきた。
自分の時間もなく、自由もなく、意志すら奪われる生活は辛く悲しい。
ナルやビオラ、それから名前の知らない届け人の存在にどれだけ助けられてきたか。
彼女たちがいなかったら、私はとうに音を上げていただろう。
ずっと搾取されてきたうえに、政治の思惑に巻き込まれ、偽の罪まで着せられた。
貴族という身分を捨てれば、私もこの酒場にいる人のように自由に生きられるのではないかと希望が湧いてくる。いや、生きよう。
ジゼルさんの歌のように、悲しいことがあっても前向きに生きる女性になりたい。
「私、ジゼルさんの歌に勇気をもらった気がします!」
「前向きなんだな」
「そうなのでしょうか。でも、私がここに辿り着いたのは、生きているのは、多くの人の助けがあったからです。私にできる恩返しは、笑って生きることだと思うのです」
「……助けられ、生きるか。そうだな、救われた命だからこそ、その使い道を考えなければいけないのかもしれないな」
少し声のトーンを落としたフォードさんは、まるで自分に言い聞かせているようだった。
やはり、彼もわけありなのだろう、そう思っているとディン様が戻ってきて椅子に座る。
「ルーシャ、住む場所と仕事を見つけてきたよ」
「ちょっと待て。まさか彼女をバーで働かせようというのか? タチの悪い酔っぱらいに絡まれたらどうする」
まるで私を庇うかのように、ディン様の前に腕を出し制する。
その勢いにディン様は目をパチリとさせると、違うと顔の前で手を振った。
「この店だよ。アマンダが従業員が辞めて人が足りないと言っていただろう。住み込み、昼食、夕食付きで雇ってくれるそうだ。部屋はこの店の上の物置だけど、窓もあるらしい。アマンダたちは二軒向こうに住んでいるし、騎士も頻繁に立ち寄るので治安は悪くない」
「本当ですか!」
「ああ、昼間は食堂で夜は酒も出している。とはいえ、べたべたと絡む客は厨房にいるアマンダの店主に叩き出されるから、客層はいい。仕込みは手伝わなくてよく、働くのは昼の十二時から夜の十時まで。ちょっと長いけれど三時から五時までは休憩していいって。給料は一ヶ月で銀貨二十枚」
銀貨二十枚は平民の平均的な一ヶ月の給料だ。住み込み食事つきでそれは好待遇だと言える。
貴族として育った私だけれど、普段接するのは平民ばかりだったので、そのあたりの感覚は確かだ。
ナルもそうだし、教会に薬をもらいに来る人は全員平民だ。
貴族は教皇様の部屋の隣にある客間で、カルロッタだけが呼ばれ薬を手渡していた。
もちろん貴族が優先で、教会にどれだけ平民が列をなしていても、貴族がくればカルロッタは席を立つ。そうなると待っている人からの批判がすごくて、それを宥め場を繋ぐのも私の仕事とされていた。
「多すぎるぐらいです。本当に私でいいのでしょうか? ちょっとアマンダさんに挨拶してきます」
「あぁ、そこのカウンターでレティシアと話しているよ」
やはり、あの亜麻色の髪の女性がレティシアさんだった。ディン様にお礼を言うと私は二人のもとへ駆けて行く。
そんな私の背後で、フォードさんとディオさんが深刻な顔で話し込んでいた、なんてもちろん知らずに。
明日から朝、夕の2回投稿にします。ぜひお付き合いください。
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