臨時雇いの騎士.2
2話目
夜の街を歩くのは私にとって初めてのことで、きょろきょろと周りを見てしまう。
教会への行き来は馬車を使っていた。
私に無関心な義両親でも、貴族令嬢に夜道を歩かせ汚名となるのは嫌だったらしい。
ここに来るまでも、日が暮れる前には宿に入っていた。
だから、夜の街を歩いたことがない私は、その喧騒に圧倒された。
酔っぱらいが肩を組み陽気に歌い、道の橋ではアコーディオンを弾き語る若者がいる。
「す、すごい、ですね」
「この辺りの街は、鉱山で成り立っている。貴族のような上品な連中はいないが、皆、底抜けに明るく人がいい」
そう教えてくれたのはディン様。
フォードさんもこの街は初めてらしく、視線をあちこちにやっては、ディン様に質問をしている。
「フォードさんも騎士なんですよね?」
「あ、あぁ。そう、かな? 暫くディンの下で雇われる予定だ。流しの騎士ってとこかな?」
流しの歌手は聞いたことがあるけれど、騎士で流し?
歯切れの悪い口調を疑問に思っている私の横で、ディン様が笑いを噛み殺していた。
「まさか俺が上司になるなんてな。恐れ多いにもほどがある」
「一瞬で敬語を投げ捨てた奴が何を言っている。それより今からどこへ行くんだ」
「お前もルーシャちゃんも腹が減っているだろう。いきつけの店に案内してやる」
馬を降りた途端、呼び名がルーシャちゃんになっていた。
違和感はあるけれど、平民はこういうものだと受け入れることにする。
食事が頭に受かんだ瞬間、お腹が素直にぐぅと鳴った。二人が目を合わせクツクツと笑う。
「……申し訳ありません」
「謝る必要はない。ディン、店はまだ遠いのか?」
「もうすぐそこだ。あの赤い屋根が見えるだろう」
ディン様は斜め前を指差すとずんずんと歩いていき、木製の扉を開けた。
「アマンダ、三人だけど席はあるかい?」
「ちょっと待って、今片付けるから」
アマンダと呼ばれた四十代ぐらいの女性は、空のジョッキを手にしながら視線で隅のテーブルを指した。
空席となったそこは、空のお皿とジョッキが沢山並んだままだ。
「手伝ってくれていた子が、結婚して遠くへ嫁いでいったから、手が足りていないんだよ」
「あぁ、あの赤髪の。可愛い子だったよなぁ」
店内は、右手のカウンターに椅子が五脚、テーブルは二人席、四人席合わせて十個ある。
こういったお店は初めてなので、一般的な大きさかは分からないけれど、満席で賑やかだから繁盛しているみたい。
ディン様は空いている席に向かうと、手早く空の皿を重ね右手で持ち、左手で三つのジョッキの持ち手を纏めて握る。
凄い、と驚いている私の前を通り過ぎ、皿やジョッキをカウンターの端に置いた。
「ありがとう、助かるよ」
アマンダさんが布巾でテーブルを綺麗にしてくれ、ディン様がエールを三つと料理をいくつか頼む。
二人が並んで座り、私はその前に腰掛けた。
「ルーシャちゃん、お酒はいけるほう?」
「飲んだことがないので、分かりません」
答えると、アマンダさんがエールではなく、酒精の弱い果実酒を用意すると言ってくれた。
暫くするとお酒が運ばれてきて、ディン様が嬉しそうに手を伸ばす。
「じゃ、旧友との久しぶりの再会と、運命の女性との出会いに」
「運命?」
「ルーシャ、気にしなくていい。ディンの常套句だから聞き流してくれ。というか、お前、本当、凝りていないな」
呆れ顔でフォードさんがエールを持ち上げるので、つられるように私もグラスに手を伸ばした。
ゴクゴクと一気に半分ほど飲んだフォードさんが「生き返る」としみじみと言えば、ディン様が「それ洒落になってないし」と笑う。
私も果実酒を一口飲むと、甘くて美味しかった。
「お二人はご友人、ですか?」
「フォードとは幼い頃からの友人で、学園時代にヘマをした俺に、唯一救いの手をくれた。親友だよな?」
「ディンとは腐れ縁だ」
ばんと背を叩くディン様に、フォードさんは冷たく微笑み返す。でも、仲は良さそうだ。
ふたりとも年は二十歳で、私と同じだった。
この国で学園、といえば貴族学園を指す。
つまり、ディン様だけでなくフォードさん、いえ、フォード様も貴族だ。
だとすると、ますます私の立場は危うい。
今のところ、辺境の地まで私が失踪したと連絡は来ていないみたいだけれど、いつ手配書が届いてもおかしくない。
問題は、でっち上げの罪を裁くために、私を探すのにどれだけ労力を使うかだ。
ヘルクライド殿下の目的はクロスフォード殿下を陥れることで、私はおまけにすぎない。
それに、国王陛下が帰ってくる前に第一皇子による暗殺未遂事件を片付けたいはず。
とすれば、私は失踪したのではなく、自死したとされる可能性だってある。
首謀者二人がいなくなれば、真相は闇の中だ。
「どうした?」
考え込んでいると、向かいの席からフォード様が身を乗り出し、覗き込んできた。
青い瞳とばちりと視線が合い、慌てて背筋を伸ばす。
「な、なんでもありません」
「それならいいが、不安があれば言ってくれ。見たところ女性の一人旅のようだが、国境を越えるつもりか?」
「いいえ。目指していたのはこの街です。できればここで住むところを見つけ、落ち着ければと思っています」
国境を越えるには身分証が必要だし、川を渡っての脱国は最終手段としたい。
ただ、この街に唯一いる貴族の騎士団長と早々に出会い、さらにはフォード様までも貴族だというのは予想外だ。
「あっ、私、お二人を家名ではなく名前でお呼びしていました。家名をお伺いしてもいいでしょうか?」
私の問いに向かい合って座っていた二人は視線を交わせる。暫く沈黙が落ちたのち、ディン様の明るい声がした。
「俺はディン・ボーガンだかディンのままでいい。貴族と言っても親から勘当され、平民同然の騎士爵位しか持っていない」
「分かりました。ディン様ですね」
「俺もフォードのままでいい。ディンと似たような身の上で、今は爵位も持っていない」
冬の森に、場違いな薄着でいたので何かあったのだろうとは思っていた。
訳あって、この街にいるディン様を訪ねてきたのでしょう。
「……ではディン様、フォードさんでいいでしょうか。私は平民ですのでルーシャでお願いします」
改めて自己紹介を終えたところで、料理が運ばれてくる。
豚肉のソテーに、肉団子入りのスープ。骨付きリブに山盛りのポテトサラダ、それから湯気が立ち昇るグラタンと品数も多い上に、それぞれが凄いボリュームだ。
私なら、一品でも食べきれるかどうか怪しい。
たじろぐ私に気づいたのか、フォードさんが取り皿を手渡しながら教えてくれる。
「ここは鉄が採れることで潤っている街だから、鉱夫が多い。体力を使う仕事だからこの量になるんだろう」
「その通り。騎士もここにはよく来るしね。ルーシャちゃんは無理に食べなくても、好きなものを好きなだけでいいからね。フォードも好きなだけどうぞ。暫くまともに食ってないんだろう?」
「ああ。食事どころか、水さえままならなかった」
いったい何があったのだろう。
フォードさんは、大きく肉を切り分けると、それを頬張る。
ささっ、とディン様に促され、私はポテトと豚肉のソテーをひと切れお皿に取った。
アマンダさんが、パンの入った籠を持って各テーブルを回ってくる。
「パンはお代わり自由だよ。ほら、しっかり食べて。そんな細い身体、今にも倒れそうじゃないか」
言いながら、三種類のパンを私のお皿に盛る。
こんなに食べれるかな、と心配する私の前で、フォードさんは六個のパンを皿に載せてもらっていた。ちょっとした塔のようだ。
呆気に取られているうちに、ディン様がスープをとりわけ手渡してくれる。
寒風吹きすさぶ中、馬を走らせたから身体は芯まで冷えていた。
ふぅと息を吹きかけ飲んだスープは、温かくて、心の奥にじんわりと染みてくる。身体の内側がほわりとした。
「あったかい」
こんなスープを飲んだのは何年ぶりだろうか。
パンは焼き立てだった。
見ず知らずの誰かが届けてくれるパンも、ビオラがくれるパンもふかふかだったけれど、焼き立てはふわふわなうえにホカホカしている。
ちょっと泣きそうになりながらお肉を齧れば、じゅわっとした肉汁と甘いタレが口の中にひろがった。お肉が柔らかい。
この街に来るまでにも食事はしたけれど、いつ追っ手が来るかと心配で、露店で売っていたものを適当に買って宿で食べていた。
だからこんなしっかりとした食事は、祖父が死んで以来だ。
はふはふと言いながら食事をしていると、視線を感じ顔をあげる。
じっとこちらを見るフォードさんとディン様と目が合い、顔がじわじわと熱くなってきた。そっと手にしていたフォークとナイフを皿に置く。
「すみません。はしたなくて」
「いや、そんなことはいい。お腹がすいていたんだろう。だけど……」
そう言ってフォードさんは躊躇いがちに手を伸ばすと、私の目尻を拭った。
「泣いている」
「!!」
頬が熱くなるのが自分でも分かった。
確かに泣きそうとは思っていたけれど、食べながら知らず涙を流していたなんて。
どれだけ変な女だと思われたのだろうと、恥ずかしさで頬を押さえれば、フォードさんが果実酒のお代わりを頼んでくれた。
「こういうときは、飲むにかぎる」
勢いよく肩を叩かれ思わず目をぱちりとしてしまう。次いで笑いがこみ上げてきた。
理由を聞かない優しさが嬉しい。
「ふふ、そうなのですか」
「そうだ。泣きたいときは泣けばいいし、笑いたければ笑う。誰もルーシャのことを気に留めていない」
フォードさんが周りを見回すので、私も視線で追えば、それぞれが仲間との夕食を楽しんでいた。
そうか、皆、毎日を必死に生きて、そして楽しんでいるんだ。
貴族のように人の粗探しをする余裕も暇もない。その代わり、自分が大事なものが何かを知っているように見えた。
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