臨時雇いの騎士.1
本日も3話投稿します
辻馬車を乗り継ぐこと八回。
宿に泊まった回数は三回で、途中に替えの下着や靴下も購入した。それらを入れた斜めがけ鞄はパンパンで、ちょっと重いが身体に馴染んできた気がする。
そうして、あとは森を抜けると辺境の街、というところまで来た私は、感慨深く外の景色を眺めていた。
間もなく日が暮れる。この辺りでは雪は朝夕関係なく沢山降り、間近に迫る山の頂は白い雪帽子を被っている。
西側の山はその雪を赤く染めており、幻想的な景色に心を奪われていると、途端に目の前が葉で覆いつくされた。森に入ったのだ。
がたがたと揺れる辻馬車に乗っているのは私だけ。こんな時間に辺境の地に行く人は珍しいらしく、御者がときおり振り返って私の様子を窺っている。
揺れに身を任せながら、着いた街でどうやって仕事を探そうかと考えていると、急に辻馬車の周辺がうるさくなった。
気づいたときには、馬に乗った数人の男に周りを囲まれ、辻馬車が強引に停められる。
これ、まずいのでは。
男たちの服装は、薄汚れたコートに裾がほつれたズボン。年季の入ったボロボロのブーツが雪を踏みしめる音が近づき扉が荒々しく開けられた。
伸ばしっぱなしの髪と髭がつながったような男が、馬車に乗り込んでくる。
「と、盗賊?」
「これはこれは。荷物だけかと思ったら若い女もいるじゃないか。今日はついているな」
席を立ち後ろへ逃げようとするも、すぐに腕を掴まれ馬車から引き摺り降ろされてしまう。
三人の男が私を取り囲んだ。
「貴族の女か?」
「まさか、お貴族様が辻馬車に乗るわけがないだろう」
「だけど、この女、結構金を持っているぞ」
外に出されると同時に奪われた鞄の中身を、盗賊のひとりが雪の上にひっくり返す。
下着や靴下と一緒に、お金の入っている袋も落ちて、緩んだ口から銀貨が数枚転がり出た。
「銀貨と銅貨。金貨はないが平民の給料一ヶ月分てとこか。あとはこの馬車と馬、それから女がいくらで売れるかだな。そういえば御者は?」
「馬車を停めた途端に走って逃げた。今日の売り上げはご丁寧に御者席に置いてあった。これをやるから追いかけてくるなということだろう。どうする?」
「爺なんて捕まえても金にならん。放っておけ」
そう言うと髭の男は私の前にしゃがみこみ、頬を摑んで強引に顔を上げさせる。
「痩せて顔色も悪いが、造りは悪くない。これは意外と高値で売れるぞ」
髭の男の眉が上がり、私の胸元に手が伸びてきた。
そのままブチッと何かが千切れる音がして、首に痛みが走る。
「金のネックレスか。これはいいな。おい、お前持っておけ」
髭の男が、背の高い男にそれを投げ渡した。千切れたチェーンが雪の上に落ち、それを太った男が拾いポケットに入れる。
「さて、ではお楽しみといきましょうか」
男たちの顔が変わる。下衆な笑みをニタニタと浮かべると、私ににじり寄って来た。
これから何が起こるか、分からないほど子供ではない。
私は雪を掴むと目の前にいる男にそれを投げつけ、すぐに立ち上がり駆け出す。
この森を抜ければ街がある。そこまで行けば誰か助けてくれるかもしれない。
そう思って必死に走る私の背後から、笑い声が聞こえてきた。
「おいおい、そんなに走ったら転ぶぞ」
「いいね、若いね、元気だねぇ。これは充分楽しめそうだ」
後ろを振り返る余裕なんてない。もつれそうになる足を叱咤して必死に動かす。
空気が肺に入ってこない。
脇腹が痛い。
気持ちは焦るのに、雪が邪魔をして全力で走れないもどかしさに泣きそうになる。
「捕まえた」
グイっと腕を引っ張られ、私はそのまま雪の上に押し倒される。
背の高い男はげへへと気味の悪い笑い方をして、私の胸元に手を伸ばしてきた。
「では、始めようとするか」
男の指がコートごとワンピースを引き裂き、胸の釦がはじけ飛ぶ。
「いやぁぁぁぁ! やめて!!」
必死で両手を動かすも、続くようにやってきた男たちに抑えられてしまった。
黙れ、と怒鳴られ頬をぶたれる。
恐怖で喉がひきつり、歯がガタガタと震えた。
あとちょっと、あと少しで自由になれたのに。どうして。
涙が頬を伝い、絶望が襲ってくる。その時だ。
「何をしている」
雪を踏む足音がすると同時に、私に馬乗りになっていた男が吹き飛んだ。
急に開けた目の前にいたのは、薄いシャツにトラウザー、その上に分厚いコートを羽織った黒髪の男性だった。
その人は私の左手を押さえていた男を殴り気絶させると、もう一人の男に回し蹴りをした。一メートルほど後ろにふっとんだ男は、雪の上に仰向けになったまま動かない。
「大丈夫か?」
問いかけてきた男性の青い瞳が、驚いたように見開かれる。
差し出された手に戸惑っていると、腕を掴まれ立たされた。
私の胸元をみないように目を逸らし、自分が着ていたコートを脱いで肩にかけてくれた。
間近で見たその男性は、驚くほど整った顔をしていた。
少し長めの前髪からのぞく切れ長の青い瞳は、晴れた空のようだ。スッとした鼻筋と少し荒れてはいるが形のいい唇。薄いシャツは鍛えられた体躯をくっきりと映し、背は百九十センチを超えている。
「あ、あの。あなたは……」
「おーい。ひとりで行く奴があるか。お前、自分の立場を分かっているか?」
黒髪の男性の背後から騎士服を着た男性が現れた。栗色の髪に灰色の細い目をした騎士に、身体が強張る。
「分かっている。だが放っておけないだろう」
黒髪の男性が、騎士に大声で答える。
私が逃げたのは、とっくにヘルクライド殿下に知られているはず。まさか、もう辺境の地までお尋ね者の知らせが届いて、連れ戻されるのだろうか。
青ざめる私を、黒髪の男性がじっと見てきた。まるで記憶と照らし合わすような視線に、生きた心地がしない。
私たちのところまで来た細い目の騎士は、首に巻いていたマフラーを私にかけてくれた。
「辻馬車の乗客か?」
背後を親指で差す。私が乗っていた辻馬車の周りに数人の騎士がいて、しゃがんだり立ったりしている。馬車の状態を調べているようだ。
「そうです」
「怪我は?」
「ありません」
そこでネックレスを奪われたことを思い出す。チェーンは太い男がポケットに入れ、金の飾りは背の高い男が手にしていた。
まわりをキョロキョロ見る私に、黒髪の男性が「探し物か」と声をかけてくれたので、ネックレスが引きちぎられたことを伝えた。
「太った男のポケット、あぁ、これか」
黒髪の男性がポケットに手を入れ、チェーンを見つけてくれる。
その横で、細い目の騎士が辻馬車の辺りにいた仲間に声を掛け、盗賊を縄で縛るよう命じた。
私は倒れていた背の高い男の元へ行き、ポケットを漁ったあと周りを探す。すると、雪の上できらりと輝くものがあった。
葉の隙間から漏れる月明かりを反射させているそれを手に取れば、探していた金の飾りだった。でも。
「壊れている……」
球体が歪んで楕円形になっていた。
すべてが金でできていると思っていたけれど、違うのかも知れない。
「見つかったか?」
「は、はい。お騒がせしました」
黒髪の男性からチェーンを受け取り、金の飾りと一緒にポケットに入れる。
続くように細い目の男性も私のもとへやってきた。
「部下の話では、馬車の車輪が壊れているようだ。明日、改めて修理をする。今日は俺たちがベルサートまで送ろう」
ベルサートこそ、この森の向こうにある私が目指していた辺境の街だ。
細い目の騎士は黒髪の男性より少し背が低い。がっしりとした体躯は圧迫感を与えそうなのに、人懐っこい笑顔のせいか親しみを感じる。
「……お願いしていいでしょうか」
「もちろん。俺は騎士団長をしているディンだ。それからこいつは……臨時騎士の?」
「フォードだ。盗賊に襲われるとは、災難だったな」
「はい。助けていただきありがとうございます」
まだお礼を言っていなかったと、深く頭を下げる私に、ふたりは「あたりまえのことをしただけだ」と声を揃えて言った。
騎士団長は、貴族と聞いていた。でも、社交界に出ていない私の顔に覚えはないらしく、平民だと思っているようだ。
黒髪の男性――フォードさんが、私を見ないようにして胸元を指差す。
「それよりコートの釦をしっかりと止めてくれないか?」
釦を飛ばされたせいで、胸元が大きく開いていた。
急いで骨が浮くような貧相な胸元を隠すように、コートを引き寄せる。
「申し訳ありません、お見苦しいところをお見せいたしました。それよりフォードさん、そんな薄着で寒いですよね。私はコートがあるので、これをお返しします」
不自然なほど薄着のフォードさんに、慌てて肩にかけてもらったコートを返そうとしたが、手のひらを向けられ制される。
「俺は構わない。今から馬に乗るのだから、それでは胸元がはだけてしまう」
胸元に絶対に視線を向けない二人は、紳士の鑑だろう。
私はディン様に断りをいれると、借りたマフラーで自分のコートごと胸周りをぐるりと巻く。
「こうすれば、はだけることはありません。マフラーは洗ってお返しします」
「いいよ、いいよ。是非そのまま、温もりごと返して……痛っ」
ちょっとお利巧さんの仮面が外れたディン様の脇腹に、フォードさんが重い一発を入れた。
「フォード、お前、俺が命の恩人だって忘れたのか」
「それとこれとは別だ。えーと、お嬢さん、名前を聞いてもいいだろうか」
「ル、ルーシャと言います」
言ってからしまったと内心舌打ちをする。
思わず本名を答えてしまい心配したが、二人にこれといった反応はない。どうやらここまで捜索の手は伸びていないようだ。
ひとまずほっとしている私に、手が差し出される。
馬に乗るため、フォードさんが手を貸してくれるようだ。素直に甘え乗馬すると、馬はすぐに走りだした。
そうして、私は目的の場所であるベルサートへ辿り着いたのだった。
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