聖木の女神.6
本日3話目
夜通し馬を走らせ、川を渡り、朝日が昇る前に私たちは王都を出た。どうやら北へ向かっているらしい。
空が白んできて、星の輝きが弱くなっていく。
夜の間しんしんと降り続けた雪が、私の身体に積もっていた。
振り返れば、手綱を握ったサムは洟を啜っている。彼が来ていたコートは私の肩に掛けられていて、騎士服の肩が白くなっている。
「寒くない?」
身体を捻って頭の雪を払ってあげると、サムはちょっと驚いたように目を見張り、へへっと笑った。幼い笑顔からまだ十代半ばだろう。
「大丈夫です。昔から風邪ひとつ引かないのが自慢ですから」
「どうして皆、私に親切にしてくれるの? 騎士たちが言ったように……たとえば聖木の女神と崇められる妹に嫉妬して毒を盛った可能性だってあるのよ」
「そんなの、普段のルーシャ様を見ていれば分かりますよ。もっとも俺は見たのではなく母から聞いたのですが。いつもひた向きに薬を作り、周りを思いやる。大聖堂に薬を補充に行くたびに、待っている人に声をかけているそうですね」
「ええ。中には一時間ほど待っている患者さんもいるから。夏には冷たい水、冬には身体が暖まるものを出しているわ」
聖木の女神に会えた人は、どこが痛むとか子供が病でなど、数十分語る人もいる。カルロッタはうんざり顔を時折覗かせながらもそれらの話を聞いているので、どうしても時間がかかるのだ。
「患者の中には、ルーシャ様がくれた飲み物を飲んで気分が悪いのが治まったと言う人もいるんですよ」
「それは気のせいよ。渡しているのは水と庭のハーブから作ったハーブティーだもの。そこにいるだけで人を癒したという大女神様ならともかく、私にそんな力はないわ」
「ですが、母はそう言っていました」
ビオラに、そんなことを言われた気もしないではない。
サラッと聞き流していたので、詳しくは覚えていないけれど。
「もう一人の女神様、って言われています」
「私が?」
「ええ。…‥もしかすると今回の出来事には、その噂を良く思わないカルロッタ様の思惑も……」
サムは途中で言葉を切ると、ずるっと洟を啜った。私も続きを促すことはせず、前を向く。頬に当たる雪はもうやみ、間もなく辻馬車が動く時間だ。
「サム、馬を停めて。ここからは辻馬車で北へ向かうわ」
「それはできません。危険です」
首を捻るようにしてサムを振り返り、私は指を二本立てて見せる。
「まずひとつ。私がいないことはすぐに分かるわ。サムの姿も見えないとなれば、疑われる可能性がある」
「それは……」
「ふたつめ。冬の寒空の下、男女の二人乗りは目立つわ。騎士一人ならそういうこともあるでしょう。でも女性連れなら普通は馬車を選ぶ。人の印象に残るようなことは避けるべきよ」
「確かに」
「というわけで、そこで降ろしてちょうだい」
ちょうど辻馬車の乗り場をしめす茶色い屋根の待合場が見えたので、それを指差しながらサムに頼む。
サムは暫く逡巡したのち、細い道に入り馬を降りた。
「ありがとう」
「ルーシャ様、これに着替えてください」
鞍の後ろに縄で縛り着けていた布を、サムが手渡してくれた。
布の結び目を解けば、濡れないよう油紙に包まれた臙脂色のワンピースとコートがある。
「これは?」
「俺の姉のものです。こんな場所で申し訳ないのですが、背中を向けているので、馬の影でさっと着替えてもらえませんでしょうか」
私が着ているのは、修道女と同じ黒いワンピースだから、教会関係者だとすぐに分かってしまう。
「なにからなにまで、ありがとう」
「寒空の下、すみません」
私に背を向けたサムが、誰もいない先に頭をさげていた。心の中で手を合わせ、私は着ていた服を脱ぎ、臙脂色のワンピースに腕を通す。脱いだ服を油紙で巻き、先程の布でさらに包んだ。
「着替え終わったわ」
「良かった。丈はぴったりだ」
細い私の身体は、ワンピースの中で泳いでいる。でも、着丈はぴったりなので違和感はない。普段着ているカルロッタのおさがりより動きやすい。
そう思ってウェスト当たりの生地を引っ張っていると。
「ルーシャ様は細いので姉の服では横幅が合いませんが、それ既製品です。平民ならそれぐらいのサイズの違いは普通ですから、気にする必要はありませんよ」
意味を取り違えたサムがフォローしてくれた。
でも、気にしなくていいのなら、それに越したことはない。
「それから、これも持って行ってださい」
渡されたのは茶色い布袋。ずしりとした重さに慌てて中を見れば、銅貨だけでなく銀貨まで入っていた。
「だめよ。こんなに貰えないわ」
「俺からではないです。いえ、俺も気持ち、ちょっと入れましたが、主に教皇様が用意してくれました。伯爵令嬢が一人で生きていくのは大変だと思います。困ったことがあれば手紙を俺宛にください」
「ありがとう。大丈夫、頑張るわ」
話しているうちに、道に人が増え賑やかになっていった。
新しい一日が始まる。
不安は尽きないけれど、戻っても待っているは断首台だと思うと、腹をくくるしかない。
幸い、家事は一通りできるし、身体は健康だ。どこか雇ってくれるところもあるだろう。
「辻馬車が来ました。北の辺境の街を目指してください」
広い辺境伯領の中の、とある地名をサムは教えてくれた。
国境付近にある街で、宿や目立った観光場所はなく、鉱夫が住んでいるらしい。
騎士団にいるのも、団長を除けば全員平民で、貴族社会とは無縁の場所だと言う。
「同僚がそこの生まれなんです。貴族がいない街なので、そこならルーシャ様を知る人はいませんし、王都の噂もほとんど届かないとか。どうしても危なくなれば、今の時期、凍った川を渡り隣国へ逃亡するのも可能だそうです」
「分かったわ。サム、ここまで本当にありがとう。ビオラとナル、教皇様、それから協力してくれた人皆にお礼を伝えてちょうだい」
「もちろんです」
脱いだ服を手渡すと、サムが斜めかけ鞄を手渡してくれる。中には毛糸で編んだ帽子も入っていた。
私は帽子をかぶり、鞄にお金の入っている布袋を仕舞うと、紐に頭と片腕を通す。生成りの布鞄は、使い込まれていた。
「では、行くわ」
「はい。お元気で」
こうして私は、朝日の中、王都を旅立ったのだった。
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