聖木の女神.3
本日3話目
次の日、いつものようにカルロッタが祈りを済ませたあと、私は製薬室へと向かう。
扉を開けると、机の上に紙袋と花束が置かれていた。
塞いでいた胸にパッと灯りがともり、駆け足で机に向かうと紙袋を開ける。
中には、少し冷めたけれど焼きたてであろうパンが、幾重にも布に包まれ入っていた。できるだけ暖かいまま私の手に届くよう工夫してくれたのだろう。
教会で働き出してから、時折パンや花の差し入れが届くようになった。
私の境遇を気にかけてくれている人がいるようで、去年の冬にはマフラーが扉の前に置かれていた。
この国で聖木の女神は絶対的な存在で、不可侵とされている。公には何も言えなくても、こうして私を支えてくれる人がいるから、もう少し生きてみようかと思えるのだ。
そこへ内扉をバンと勢いよく開け、ビオラが駆け込んできた。
ナルの母親であるビオラは、教会の雑事を引き受ける使用人をしている。
長女はお城でメイド、長男は平民でありながら騎士になったと嬉しそうに話していた。
ビオラは時間を作っては私に差し入れをしてくれる。彼女もまた、私を支えてくれる数少ない人の一人だ。
「あぁ、ルーシャ様。顔色が悪いわ。もしかしてまた食事をしていないのですか?」
「ええ、でも差し入れが届いたの」
そう言って紙袋を見せると、ビオラはほぉ、と肩の力を抜いた。
「それはよかったです。いったい誰からなのでしょう。今日はお花まであるじゃないですか。私もサンドイッチを持ってきたので、こちらはお昼に食べてくださいね」
「いつもありがとう」
受け取ると、ビオラが再び内扉に向かい、廊下の様子を窺うように左右を見てから、また戻ってきた。
どうやら今日はいつもより時間があり、さらには噂話があるようだ。
噂話好きのビオラと、彼女にせっせと情報を渡すビオラの長女のおかげで、社交界に疎かった私もこの国の情勢について多少なりとも知ることができた。
国王陛下には前正妃が生んだ優秀な第一皇子クロスフォード殿下と、現正妃――前正妃がご存命のときは側妃――が生んだ第二皇子ヘルクライド殿下がいる。
前王妃と現王妃の子供と少々火種のある状況ではあるが、粗野で思慮が浅い第二皇子殿下をあと押しする貴族は少なく、順当にクロスフォード殿下が国王になるというのがおおよその予想だ。
今日はどんな話かと、ビオラに椅子を勧め私も向かい側に腰かけると、ビオラが声を顰めぐっと前のめりになる。すると
「実は、昨晩、お城で暗殺未遂があったの」
とんでもない爆弾が落ちてきた。
「暗殺⁉ 誰が、誰を?」
驚く私に、ビオラはさらに声を潜める。
もちろんこの部屋には二人だけだが、念のためと、とてもではないが大声で口にするのが憚れる内容だからでしょう。
「第一皇子のクロスフォード殿下が第二皇子のヘルクライド様の飲み物に、毒を盛ったらしいです。幸いにして命に別状はありません」
「クロスフォード殿下が?」
「そうです。賢王になるだろうと期待されている第一皇子殿下が、です」
にわかには信じられない話だった。
「亡くなられた前王妃の一人息子であるクロスフォード殿下の地盤は固かったはず。祖父も生前、クロスフォード殿下は立派な国王になられると言っていたし、目立つ反対勢力もなかったわ。その状況で、ヘルクライド殿下を暗殺する必要があるとは思えないのだけれど」
「ええ。あきらかに不自然です。ヘルクライド殿下は、気に入らない部下はすぐ首にし、わいろを受け取って人事を決めるといった悪評があります。ヘルクライド殿下がクロスフォード殿下に毒を盛ったならまだしも、反対となると……」
考えにくい話だ。
何もしなくても、クロスフォード殿下が国王になるのは、ほぼ間違いない。
ヘルクライド殿下を害する必要はどこにもないのだ。となれば、
「もしかして嵌められた、とか?」
「娘の話では、そう考える城勤めの者が多いようです」
クロスフォード殿下に毒を盛られたと、ヘルクライド殿下が騒ぎ断罪しようとしている。
そう考えたほうがしっくりとくる。
「しかも今、国王陛下は南の辺境伯の地へ赴いています。そこにある港に異国の船が着き、会合が行われていると聞きました」
エプラゼール国はほぼ円形で、その中央に王都がある。東西北が隣国と面していて海があるのは南側だけ。そのため、異国から来た偉人との会合が南の辺境伯領で行われるのは珍しくなく、そこに別荘もあると聞く。
「ビオラ、詳しいわね」
「愚息が騎士団におりますので。筋肉馬鹿ですが、国王陛下が移動されると警備も変わります。馬鹿でもそれぐらい知っているようですね」
「それで、今、クロスフォード殿下は?」
「朝から開かれた議会で、身分剥奪のうえ隣国追放が決まりました」
「ちょっと待って。もう決まったの? 第一皇子殿下の処分がたった……数時間で?」
部屋の時計を見れば、時刻は十一時。お城の門が開くのは九時だから実質の協議時間は一時間半もないだろう。
「昨晩のうちに王都にいる貴族には知らせが届いているとは思うのですが、それにしても異例の速さです。昨日の今日では、貴族議会に間に合わなかった貴族もいるはずですし」
「そうね。領地によっては馬車で一週間かかるところもあるし、ヘルクライド殿下が強引に処罰を決めたのかも知れないわ。でも、そんなことしてもあとで反発が出るのは必至なのに」
私でもそれぐらい分かると言うのに、いったい何を考えているのだろう。
そう言えば、ビオラは学の問題ではなく地頭の問題だと頭を指さし言った。
こんなこと、国王陛下が知ったらどうなさるか。
隣国からクロスフォード殿下を連れ戻し、ヘルクライド殿下を処罰する可能性だってある。
食事をするようビオラに言われ、すっかり冷めてしまったパンを齧っていると、廊下をドタドタと走る音が近づいてきた。そうして、さっきよりもすごい勢いで内扉が開かれ、数人の騎士が現れた。
「ルーシャ・バルトア。今すぐ大聖堂に来い」
「わ、私ですか?」
「ちょっと、あんたたち。いきなりなんだい。ルーシャ様が何をしたって言うの?」
「うるさい! 邪魔をするならお前も捕まえ牢に入れるぞ」
騎士の剣幕にビオラが顔を青くさせよろめく。
私は持っていたパンを机に置き、立ち上がる。
「分かりました。ビオラ、大丈夫よ。直ぐに戻るわ」
ぎこちない動作で何度もコクコクと頷くビオラを残し、私は何があったか分からないまま騎士に腕を掴まれ、連行されるかのように大聖堂へと向かった。
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