聖木の女神.2
本日2話目です
帰宅したのは、夜十時。いつもより早い時間に伯爵邸に着いた。
「ただいまもどりました」
声をかけるが、誰もでてこない。これもまた、いつもの光景だ。
足音を立てないように気を付け、屋根裏にある自室に入る。
部屋は北向きで日当たりが悪くじめっとしていて、小さな窓があるだけ。もちろん暖炉なんて気の利いたものはないので、部屋の温度は外と変わらない。
扉を開けて七、八歩も歩けば反対側の壁に手が付く狭さだ。
部屋の中にはベッドがあるだけで、服は壁に付けられたフックに掛け、身支度はこれまた壁に釘で打ち付けられた鏡で簡単に整えている。
カルロッタはいつも可愛らしいデイドレスを着ているが、私の部屋にそんな鮮やかな生地はひとつもなかった。
修道服を脱ぎ、汚れていないか確認して壁のフックにかけ、寝衣に袖を通す。
一年中同じもので、何度も洗ったからところどころほつれ生地も薄くなっている。
袖も丈も中途半端な長さで、寒さなんてしのげる代物ではない。
仕方なく、冬場は教会から借りた黒いローブを羽織って、暖をとっていた。
「夕飯はあるかしら」
はぁ、とかじかむ手に息を吹きかけ台所に行けば、灯の消えた調理室の中にある鍋にちょっとだけスープが残っていた。
それを器によそい、棚からパンを取り出す。かちこちだけれど、黴の部分を取ってスープに浸せば食べられる。食事が残っていない日もあるのだから、今日は充分と言えるだろう。
それらをトレイに載せ、自分の部屋に向かおうと廊下を歩いているとカルロッタに出会った。
「あら、お姉様、今帰ってきたの?」
「ええ。ただいま」
「もう、辛気臭い顔して。もうちょっと要領よくできないの? それから、万能薬の在庫が少なくなってるわ。きちんと数を確認して作って。薬がなくて恥を掻くのは聖木の女神である私なんだから」
「ごめんなさい。でも、今日沢山作ったからもう大丈夫……」
私の言葉を遮断するかのように、すぐ横にあったリビングの扉が開いた。
「あなたたち、何をしているの?」
お義母様とお義父様が顔を出し、私とカルロッタに交互に視線をやる。
「お母様、お姉様にしっかり仕事をするよう言ってください。万能薬が足りなそうになって冷や冷やしたのですよ」
泣きつくようにお義母様に縋るカルロッタ。お義母様と同じ赤い髪はつやつやとし、湯上りに塗ったバラの香りが鼻孔をくすぐる。
思わず自分の手をスンと嗅いでしまった。聖木の葉は煎じると独特の匂いがして、洗っても落ちない。その匂いは、私の身体の一部になっているかのようだ。
「ルーシャ! 何をしているの。いつも言っているでしょう。聖木の女神であるカルロッタを支えるのがあなたの役目だって」
「申し訳ありません。ですが、前女神様のときに五人でしていた仕事を私一人でするには限界が……」
バシッ
鈍い音と一緒に頬に痛みが走り、身体が床に打ち付けられる。
お義父様に打たれたと思ったのは、その痛みがよく知ったものだからだ。
倒れたせいで、トレイに載せていた食事が床に飛び散った。
「聖木の女神とその母親に口答えするとはどういうつもりだ。まったく、外面ばかり良い兄に似て性根の腐った娘だ。カルロッタと違ってお前には何の価値もないと心得よ。聖木の女神の補佐をできるだけありがたく思うんだな!!」
「……はい。申し訳ありません」
打たれた箇所がヒリヒリと熱い痛みを帯びてくる。お義父様の体格は小柄だけれど、成人男性に殴られたのだ。きっと明日には痣になっているだろう。
「カルロッタの足手まといにならないようにと、普段から言っているでしょう。まったく、本当に愚図で使えない子ね」
頭を下げ謝る私の頬を、お義母様が掴み強引に上を向かせる。長い爪がさっき打たれた箇所に食い込んだ。
鳶色の瞳はまるで汚物を見るように眇められる。
その横でカルロッタが茶色い目を細め、にやにやと私たちのやり取りを見ていた。
「分かったら、明日は寝ずに薬を作るんだな。俺とアディシアは明日から数日屋敷を離れるが、サボるな。早朝に教会に行き、日が変わるまで働くんだ」
お父様とお義母様は、よく二人で出掛ける。領地経営はほとんど執事に任せきりで、各地で豪遊してはカルロッタにだけ土産を買って帰ってくる。
「はい」
口答えしても打たれるだけなのは分かっている。
神妙に頷けばお義母様は私から手を離した。そして、カルロッタに身体を向ける。
「カルロッタ、寒い廊下で足止めされて身体か冷えたでしょう。侍女に言って暖炉の薪を増やし、温かい飲み物を用意させましょう」
「ええ。指先が冷たくなっちゃった。私、ココアが飲みたいわ」
「まったく、夜中に騒動を起こすなんて、碌な娘じゃない」
お義母様たちはそういいながら私の横を通り過ぎていく。すれ違いざま、カルロッタがパンを踏みつけ、ニヤリと笑った。
「……あぁあ。今日も夕食なしか」
私はカルロッタの靴の跡がしっかり残ったパンを拾う。
途中、階段を上る三人の会話が聞こえてきた。
「お母様たちが戻られたら、とびきりのお知らせがあるかも」
「あら、何かしら。今は教えてくれないの?」
「まだ秘密にって言われてるから言えないわ。でも、絶対に喜ぶ話よ」
「そう、では楽しみにしているわ。ねぇ、あなた」
「そうだな。では、いつも以上に土産も沢山買って帰ろう」
三人の弾む声を背中に、私は雑巾をとりに再び台所へ戻った。
この家に私の居場所はない。かといってここしか知らない私は、他にどこへ行けばよいかも分からない。
暗い廊下で、月明かりを頼りに自分の手を見れば、年若い娘の手とは思えないほどボロボロだった。
私はこうして搾取されながら、一生を終えるのだろうか。
薄ら寒い思いがこみあげ、ローブを胸元に引き寄せぎゅっと握った。
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