王宮
地下牢から脱出する。
そして月明かりが作り出した城の影に紛れ、出口へ向かう。
ギールは苦悶の色を浮かべたまま、喉の奥で呻きを抑え、片足を引きずった。リアクはギールの片方の足を庇って一緒に歩き続ける。
裏門が見えてくると、思わず安堵のため息が漏れた。
ロトンとかいう暗殺者とも戦わずに済んだ。リアクの周到な準備のおかげなのかもしれない。とはいえ、やはり帝国の城は警備が甘いようにも思えた。
出口の門を前にしたそのとき──。
「……タクト……」
地下通路で聞こえた謎の声が、城の外に出ても聞こえた。しかしそれは、今にも消えてしまいそうで、門をくぐれば完全に聞こえなくなりそうだ。
「もし聞こえていたら……王宮まで来て……戦争を止めたいのです……」
俺が歩みを止めると、リアクはそれに気づいて顔を上げた。
「また聞こえたのか」
「王宮に来てほしいと言っている」
「王宮!?」
リアクは唇を歪め、まるで信じられないと言わんばかりに「とんでもない!」と鋭い声を上げた。
「王宮はガイア王の寝殿だっていうのは分かってるんだろうな!? 近衛兵もいるし、大将軍のダンケルクもいるはずだ。そんなところに行ったら命がいくつあっても足りない!」
「……そうなの?」
呆れたようにリアクはため息をつく。
「とりあえず、その謎の声は置いておいて、ギールを治療しないと」
リアクの言うことは正論中の正論だ。今夜の目的はギールの救出であり、ギールを奪還することで帝国はこれほどないぐらいに傾くだろう。リアクの面も割れていないから、このまま逃げれば大成功だ。
でも……根本的な解決にはならないんじゃないかとも思う。
俺が異世界で最初に出会ったダンケルクやガイア王は、追い詰められるほど凶悪さを増していく気がする。
果たして、これ以上ないくらいに帝国を苦しめることが、平和的な解決に向かうのか……? 帝国にいる民や、一般の人が苦しんでいくんじゃないか……。
「『戦争を止めたい』……」
思わず謎の声が発した言葉を口にする。
「タクトくん、いったいどうしたってんだ」
「危険だけど、王宮に行ってみようかと思う」
「エエッ!?」
リアクはギールに肩を貸したまま、天を仰ぐように大げさに驚いた。
「何を考えているのか僕には理解できないな」
「『彼女』の声には強い思いを感じるんだ……」
信念というか、その裏には深い悲しみもあるような気がする。俺はその声の主に会わなければいけない。
「……タクトが聞いた声というのは、もしや……水の人柱の声かもしれん」
ギールは裏門とは正反対の、巨大な金色の建物を指差す。
「昔、噂で聞いたことがある。ガイア王の一人娘であり水の人柱でもある、王宮に囚われし姫君がいると」
「ああ……それなら僕も噂レベルで聞いたことはあるな。なんでも、ダンケルクがご執心のガイア王の娘ルナだろ? 成人したらダンケルクと結婚する予定だって聞いてるが……。しかし、あんな遠いところにいるお姫様の声がここまで聞こえるものなのか?」
すると、エンバーが小さなヒトカゲの姿に変わった。
「タクトが強力な水の魔法を使ったからかもナ。人柱が水の魔力を感じて、語りかけているんだナ……魔力が強いタクトにしか、それは聞こえないナ」
つまり、王宮にいる姫が『戦争を止めたい』と俺に語りかけているのか……。
「それなら、余計に行ってみる価値があると思う」
リアクは肩をすくめ、やれやれといった様子でため息をつく。俺を止めるのを諦めたようだ。
「これだけは忠告しておくよ。ダンケルクは今まで会ったどの騎士よりも強い。奴はどんな攻撃でも、剣を合わせてくる。隙がないんだ……そして、奴のジョブは誰も知らない……姫様が何をご所望か知らないけど、ダンケルクにだけは気をつけるんだ」
「分かった……」
ギールとリアクは城の外に出ると、俺は腕に巻き付いたエンバーと一緒に城の敷地の奥にある王宮に向かった。
王宮は高い壁と鉄柵で囲まれ、正門は閉じていた。
城内もそうだったが、見張りは少ない。前線に兵士を送っているせいなのか、警備は相変わらず手薄に思えた。
「悪趣味な建物だナ……全部が黄金色に塗られているナ」
太陽が昇っている昼間は豪華な建物に見えるのかもしれないが、深夜の宮殿は月の光を白く反射して、暗闇に浮かび上がる巨大な海坊主のように見えた。
塀を一周まわって、足がかけられそうな箇所を見つけたので、塀を登る。あとは、空に突き出た二メートルほどの鉄柵を越えなければいけない。
「風のスラクトで飛び越えられるかな?」
「……俺様は火の使い魔だから、風の魔法はわからないナ」
「はー。まあ、やってみるか……」
魔法の練習では体を浮かせたりすることもできたので、精確ではないが大丈夫だろう。
「ジノマナ・スラクト・エクラーシ」
自分の足元に向けて風の魔法を唱える。
すると風が沸き起こり、まるでトランポリンで跳ねたかのように体が宙に浮く。
かなり強い風で肌にあたると痛い。
勢いをつけて柵の頭まで飛び上がり、先端を握って強く引き寄せた。
「おわーっ……!」
体は柵を飛び越えたが、落ちる高さを考えていなかった。
ドスッ!!
俺は芝生の上に尻もちをついて、軽くバウンドする。
「いったーっ……」
衝撃でしばらく動けない。
「ん? なんだ今の音は?」
宮殿の渡り廊下を歩く衛兵が、音に気づいてこちらに歩いてきた。
声を押し殺して、ゆっくりと立ち上がる。
セラクトを唱えて風を起こし、衛兵の目を眩ませた。ギールとして暗躍していたときの技が、こんなところで役立つとは。
宮殿に入ると、その豪華さにため息が漏れて、思わず天井を見上げた。
「高いなぁ……あと、柱デカイ……」
玄関のホールには噴水があり石像や植物が飾られている。明るくなればもっとすごいんだろう。
夜のホールは暗く、どの通路を進めばよいか全くわからない。夜の学校みたいで不気味だ。
女性の声は段々と近づいていて、どこから聞こえてきているかわかる程度になっていた。
「たぶんこっちだな」
俺は噴水の上につながる階段を上がり、扉を開ける。
今度は奇妙な一本道になった。
ところどころにシャンデリアや大きな絵画が飾られ、あちこちで香が焚かれた後がある。どうやら王宮の外につながっているようで、見た目は全く違うが、ギールが囚われていた地下牢を彷彿とさせる。
「この扉の向こうだ」
もはや女性の声は直接聞こえるほどに近づいていた。
扉を開けると、そこには一人の女性が背中を向けて水の上に立っていた。