亡命
サラクトの魔法で馬を加速させながら、マーリーは街道を駆け抜けた。
太陽が昇り始め見通しが良くなると、走る速度は自然と上がる。忘れられた交易路の轍を辿って、僻地を進み続け、やっと幌馬車を視界に捉えた。
「間に合ってよかった……!」
マーリーは宿泊した商人が王商ギールだと当たりをつけていた。荷台に白い帆布を被せた大きな馬車は、一目でそれだと分かる。
マーリーは馬を近づけて、御者台のステップに足をかけ乗り移ろうとする。
手綱を握る御者が顔を向けると、荷台の方から短剣の刃がぬっと現れて、マーリーの行く手を塞いだ。
「何者だ」
しわがれた男の声がした。
短剣を持つ男はターバンを巻いて、顔半分はスカーフで覆っている。
「ギール、彼女はマーリーだよ。リアクが亡命の手引をしてるのさ」
荷台に隠れていたインドルが男の短剣を収めさせた。
「……インドル殿、その名前で私を呼んではいけません。おぬしが『召喚師マーリー』か……」
「あなたが『王商ギール』……?」
ギールは決まりが悪そうにスカーフを上げて顔を隠す。
「長年、顔を隠しながら立ち回ってきたが、どうやら今回の件で限界がきてしまったようだ」
インドルはニヤニヤと笑みを浮かべながら二人に近づく。
「顔ぐらい良いじゃないか。これでガイア帝国は、戦士も生み出せず、装備品も作れない……戦力の弱体化は決まりだな」
「インドル殿、検問所はまだこれから……早計ですぞ。……とはいえ、リアクの約束だ。必ず二人を共和国に連れて行く」
ギールは行く手にある検問所に視線を送った。
「マーリー殿、その荷物にキャラバンの服がある。それを羽織られよ」
「分かりました」
ギールの指示に従って、マーリーは籠からサテンの上着とターバンを身に着けた。その間にギールの手下である御者台の男は、マーリーが乗ってきた馬を走る馬車に繋げた。馬と馬の間を身軽に飛び移り、ハーネスを嵌める。
やがてギールとその手下、そしてマーリー、インドルの4名は、検問所に到着した。
門は馬車一台がやっと通れるような狭さで、その出口を十数名の兵士たちが監視していた。
一つ前の馬車が三人の兵士に取り囲まれて、籠の中や運ぶ商人までをもつぶさに調べられる。
「これはなんだ!」
検問官が3フィートほどの指示棒で箱をかき混ぜ上に引き上げる。すると、指示棒には金のネックレスや絹の織物が引っかかっていた。
「そ……それは、ちゃんとした手続きで購入したものです。書面もこちらに……」
「没収だな。この荷台のものは全て帝国の管理下におく」
「バカな……! そんなこと許され……」
兵士を従えた検問官は、鋭い視線で商人を睨んだ。
「許されないと言うつもりか? お前はまだ帝国の領土にいることを忘れているようだな?」
「……くっ!」
怯んだ商人はそれ以上何も口にすることはなかった。
兵士がこっちへこいと合図をすると、マーリーたちの馬車が前に進む。
「商人は全員下りて整列しろ」
命令通り御者も全員、車輪の横にならぶ。指示棒で手のひらを叩きながら、したり顔の検問官が近づいてきた。
「何を積んでいる?」
「生活雑貨を売りさばいてきたところです」
ギールが検問官の質問に答える。
「スカーフを取れ! 帝国を侮辱する気かぁ?」
「……」
スカーフを取ると、日焼けした肌に無精髭を生やした商人らしい顔が現れた。
「そこの二人もだ」
指示棒を向けられたマーリーとインドルはスカーフを付けたままだったが、指揮官が兵士を呼び始めたので大騒動になるまえに自ら外すことにした。
「おおっ! ドワーフにエルフか、しかもかなりの上玉だ!」
「……」
「少し私の屋敷に泊まっていくといい。……断ればどうなるか分かっているな?」
ギールは苦虫を噛み潰したような顔になり、御者と目を合わせた。
「付き合ってられんわ……。賄賂でもやろうかと思ったが、強行突破にしよう」
「承知しました」
さきほどまで手綱を握っていた男は、俊敏な動きで兵士の前に踏み込むと、懐に隠していた短剣で銀色の一閃を放つ。
倒れた兵士は声も上げずに絶命した。
急な展開にたじろぐ検問官。
ギールは指示棒の先端を握って取り上げると、検問官の横顔をグリップの方で殴った。
「ぐああーーッ!!」
頬を叩かれた痛さで腰が抜けた検問官は、地面に転がる。ギールがさらに追い打ちをかけるように棒を振り上げると、顔を伏せて命乞いした。
「ヒィイイーー! もう打たないでくれ! お、お助けをーーっ!」
手下は素早く御者台に登り、馬に鞭した。
指示棒を検問官に投げつけたギールは、インドルとマーリーに乗り込ませて、自身も荷台に飛び乗る。
門番が異変を察知して手をあげた。その瞬間、ギールのダガーが飛んできて、門番の首に刺さると声も上げずに倒れた。
「荷台から荷物を落とせ!」
ギールの指示を聞いて、マーリーは荷台にある大きな箱を後方に蹴り落とす。
馬車が軽くなると同時に、障害物になり門を塞いだ。
激しく打たれた馬は嘶き、勢いよく門を通過する。が、検問所の横からギールの予想を裏切って馬煙が立つ。
「くそっ。わしも短気になってしまったもんだ。……ロトンの手下が来たぞ!!」
「……!」
通過した検問所はどんどん小さくなる一方で、四頭の馬が後ろを追いかけて近づいてくる。乗っているのは、黒い軽装具を身に着けたアサシンだ。検問の兵とは別に、ロトンは抜け目なく直属の兵士に見張らせていたのだ。
みるみるうちに幌馬車との距離は詰められていく。
御者台の男は、前方に回り込むロトンの手下にダガーを投げて馬から落とした。しかし、反対から挟むようにして走ってきた男が、ダガーを素早く投げる。振り向いた男の胸に、ダガーが深く突き刺さる。
突き立ったダガーの柄を見て死期を悟った男は、並走するロトンの手下へジャンプして道連れに落馬させた。
空席となった御者台。馬車の左右から、また蹄の音が近づく。
「……インドル殿とマーリー殿は、一方の馬で逃げられよ」
ギールは眉間にシワを寄せて、次々と迫りくる追手を睨んだ。
「なっ、そんなことできるか!」
「待ってください! 王商ギールが捕まってしまっては、共和国に甚大な被害がでるのではないですか!?」
「二人を亡命させるとリアクに約束した。約束を反故にすれば、継がれてきたワシの名は汚泥まみれになる。それは死よりも重い罪だ」
ギールはさっと二頭の馬に跳躍すると、一頭を分離する。
「さあ早くしないと、三人ともロトンにつかまりますぞ!」
「……すまない、ギール……」
インドルは馬にまたがると、マーリーの手を引いた。
短剣を手にしたギールは、幌馬車を砦のようにして、走り抜けようとする敵を一撃で倒していく。
マーリーが跨ったことを確認して、ギールは馬の横腹を叩いた。
「マーリー殿は風の『人柱』でしょう。インドル殿の分は魔法でどうにかなりますな?」
「ええ……しかし……」
「大丈夫です。城にはリアクがいますから、どうにかなります」
ダガーを手にして構えるギールはどんどん遠ざかり、マーリーとインドルが乗った馬は疾走する。
ロトンの手下たちはギールの捕縛に執着するなか、その混乱に紛れて、二人は共和国まで逃げのびたのだった。