交錯
その夜のうち、俺はマーリーが寝ている部屋に行くことにした。
同じ年代の一人部屋を深夜に訪れるのは気が引けたが、早く伝えておいた方がいいと判断した。それに、俺は朝が弱いので起きた頃に兵隊が押し寄せていたら、きっと後悔するだろう。
マーリーの部屋の扉をノックするが反応はない。
もう一度ノックしようとすると、ギシッと床が鳴った。
「誰?」
「タクトだよ」
半分ほど扉が開く。
「どうしたのこんな夜に」
「ちょっと話したいことがあって」
隣は客室だし、もしかすると兵隊と繋がりがある客もいるかもしれない。
マーリーはなんとなく察して、扉を大きく開けた。
部屋に入ると、マーリーがホラクトで室内のランプを灯す。ぼんやりとマーリーの顔と室内が照らされる。
全く関係ないことだが、長くは住んでいないはずの部屋でも女性らしい甘い匂いが漂ってきて、高校生の俺はやはり意識してしまう。
いや……いまはそれどころじゃない。
「さっき、ロトンって奴が宿に来たんだ」
「ロトン……!」
マーリーはロトンのことを知っているようだった。顔をこわばらせて、胸に手を当てる。
「城から逃げたインドルをつけてこの宿に来たみたいなんだ」
商人が王商ギールだったこと、ロトンは逃げて、ギールとインドルが検問所に向かっていることを話す。
マーリーは最初驚いていたが、俺が話し終える頃には、何か決心したような顔つきになった。
「私……宿を出て、検問所に行くわ」
「えっ!? な、なんで……今、検問所に行ったらロトンに捕まるよ」
マーリーは俺の片手を取って、拝むように両手で挟み込む。
「タクト、ありがとう。でも、これ以上宿に居ることはできない。ここはもう、渦の中心……国外に逃げるには、もう今しかチャンスはないの」
「そんなことないって。この宿に身を隠していれば大丈夫だよ。……いざというときは俺が戦うから」
戦う、といって初めて、何かこみ上げてくるものがあった。
相手を倒そうとする明確な意思。巻き込まれたり、降りかかってくるものではなく、死という大きなリスクを背負って望む戦いだ。しかし、それはどんな代償があっても、マーリーを守れるのならばと、心の内で燃え上がるものを感じる。
そんな俺とは裏腹に、マーリーは微かに笑う。哀しい笑顔だった。
「私、宿のトロさんやマロン様によくしてもらって、本当にうれしかったの。こんなに平和な気持ちになれる場所があるんだって、初めて気づいたの。だからね、絶対にこの宿を壊したくないって思ったの。それが今の私の願い」
「そんな……」
「私は風の魔法が使えるから、追い風で馬を走らせたら、ギールやインドルにも追いつく」
マーリーの気持ちは分かる。俺もそうだった。きっと決意は固く、変えることはできない。
「なら、マーリーについていく。もし何かあれば、俺がマーリーを守る」
ギュッとマーリーは俺の手を握り締めた。
優しい締めつけは、マーリーの心の葛藤の締めつけと同じなのかもしれない。
「タクト、ダメだよ。マロン様が悲しむよ……守ってあげれるのは、タクトなんだから」
「で、でも……」
ぐっとマーリーの細い腕が俺を引いた。そして、金色の髪を揺らし近づく。俺とマーリーの体がぶつかった。
ランプの火が、二つの影をひとつにする。
「タクト……さようなら」
マーリーは俺の頬にキスをすると、風のように部屋を出て行った。
「マーリー!」
追いかけて、急いで宿を出る。
しかし、すでに町の外に駆けていく馬の後ろ姿があるだけだった。
騒動を聞きつけて、トロとマロンが宿の玄関にやってきた。
「い、一体全体、何があったんだ?」
トロは化け物を見たみたいに驚く。俺が必死の形相をしていたからだろう。
俺は二人に夜の出来事を話した。
肩まで栗色の髪を下ろしたマロンは、俺の話を真剣な表情で聞いた。
そして、マーリーが自ら去ったことを聞いてうつむく。
「そんな……私、マーリーがずっと居ると思っていたのに……」
涙がすっと、頬を伝って流れ落ちる。
「そんなことなら、マーリーにもっと優しくしてあげれば良かった。ダメなことばっかり言わないで、もっといいところあるよって、大事なんだよって伝えてあげれば良かった」
マロンは顔を手で覆って、体を小さくする。俺はマロンの背中に手を回して、抱きしめた。
「違うよマロン。マーリーは二人に感謝してたよ。こんな優しい世界があるんだって」
それでもマロンは、俺の胸の中でか細い声を出しながら泣いた。