商人
その日は久しぶりに三名の商人がそれぞれ部屋をとったので、俺の部屋は客部屋に挟まれた形になっていた。
銭湯から戻り、静かに階段を上がる。
ドアもゆっくり開けて鍵を閉め、一息ついた。今日は魔法の練習を長めにしてしまったせいで、すっかり深夜になっていた。
「……それで、こちら側に来てくれるということでよいか?」
壁の向こうで誰かが喋っている。隣の部屋は角部屋なので、話し声が聞こえているのは俺の部屋だけだ。
低い声でところどころ調子が外れた独特な声の主だな。どうやら、あの商人は男だったようだ。
「ああ……帝国にはうんざりだ。弟子たちも疲弊しきって、これ以上無理を言ったら暴動でも起きそうだ」
昼間に来た商人と誰かが話していた。そして俺はその声に聞き覚えがある。子どものような声色でありながら、親方みたいな口調……インドルか!?
なんで商人とこんな深夜に会っているんだ?
「約束通り、職人全員を迎え入れる用意がある。そう王商ギール様がおっしゃっていた」
「そうか……それなら信用できる」
王商ギール……? 帝国が宣戦布告したという大商人のことか。
壁に耳を当てて聞いていると、トン、と不意に何かが床に落ちた。
「……? 誰だっ!?」
俺の存在に隣の部屋の商人が気づく。
足元を見ると、ポケットに突っ込んだまま忘れていたリンゴが転がっている。
やばいっ! おばちゃんからもらってたリンゴ!
ドドドと迫る足音がすると、扉が力任せに引かれてカギが壊れ、木片が舞った。
フードに顔を隠した二人の商人が部屋の中に入る。逆手持ちしたダガーを構えて、俺を警戒していた。
遅れて入ってきた商人は、二人の商人と違って堂々としていて明らかに風格が違う。
おそらく二人のリーダーで、インドルと話していたのもこの男だろう。
「宿の使用人だったか……」
ぐるりと囲い込むように、武器を持った商人が出入り口とは反対側の窓際に移動する。
すると、リーダー格の男が二人の商人に視線を送った。
「武器をしまわんか!」
敵意を向けていた二人は命令どおりに武器をしまって、じっとその場に立ち尽くす。遅れて、インドルが部屋に現れた。
「あれ!? アンタなんでここにいるの?」
「この宿で働いているんですよ、俺」
リーダー格の男は、インドルとの会話を聞くとフードとスカーフを取った。
白髪のいがぐり頭で、目尻や頬にシワがある。長い間太陽に照らされたのだろう、肌は浅黒く焼けていた。年齢は四十代ぐらいの初老の男だ。
「どうやら、インドル親方の知り合いのようだな」
「知り合いというか、この子は珍しい魔力の持ち主でね」
「ほう……それは俄然興味が湧いてくるな」
インドルが話を続けようとした矢先、甲高い男の声がそれを打ち消した。
「私も興味があります」
部屋にいた誰もが、その奇妙な声に凍りついた。
「『人柱』のインドルが城を抜け出して、コソコソ何を話しているのか、をね。クックックッ……」
声のする方に顔をやると、窓枠の横木に座る男がいた。
その男の頬は痩けて、手足が蜘蛛のように長く見える。奇妙に思えたのは、引きつった口から漏れる骨がカクつくような乾いた音が原因だった。
「インドルをつけてみたら、思わぬ宝に巡り会えました……クックックッ」
「……『暗殺者』のロトンか。なぜお前がインドルに目をつけているのか」
暗殺者!?
たしかに、足音も衣擦れ一つも聞こえず、誰一人としてロトンの気配に気づかなかった。
「それは私のセリフですよ……なぜこんな宿にいるのですか、大商人『王商ギール』」
え?
このおじさんが、王商ギール!?