看板娘
数日経ってマーリーの体調はずいぶん良くなった。
真っ白だった顔色も健康的なピンク色になり、心なしか険のある表情も和らいだように見える。
休んでいる間、マーリー本人は早く仕事をさせてくれと毎日のように言っていたが、トロがそれを許さなかった。
「仕事中に倒れたりしたら困る。宿の仕事を甘くみちゃいけないよ」
そう言ってマーリーの逸る気持ちを抑えた。
マーリーの気持ちも分からなくない。
あのガイア王やダンケルクといった高圧的で無慈悲な人種の部下になれば、仕事がなければお払い箱。見捨てられ、出ていけと言われるのではと思うのだろう。実際、俺は追い出されたし。
この『四つ角の宿屋』は、そういった殺伐とした世界とは無縁であるということをマーリーに信じてもらうには、時間が必要なのかもしれない。
すっかり回復したマーリーに、空室のルームメイクをトロが教えることになった。
店員用のシャツとロングスカートに着替え、紺色のエプロンと白い三角頭巾を身に付けたマーリーは、幽霊のように城で仕えていた頃の面影はない。
「それじゃあ、まずは台を拭いて、ベッドのシーツを替えて……」
食い入るようにマーリーはトロの動きを追う。
「最後に風の魔法でゴミを集めてゴミ箱に」
トロが小さな風の魔法で起こした旋風で、隅から隅までゴミをまとめ上げる。
さすが、手練れだ。
「こんな感じ、マーリーさんは風の魔法は使えたかな?」
「はい」
「じゃあ、次の部屋をやってみなさい」
むん、と胸を張ったトロを先頭に、次の部屋に入ると、教えられた手順でマーリーがベッドのシーツを替えた。
テキパキとしていて申し分ない。
「風の精霊よ。魔力と引き換えに……」
仕上げにマーリーが魔法を唱える。
両手を胸に添え、ふわりと風が吹き、前髪が舞い上がった。
「まだ、魔法を唱えていないのに……」
俺は思わず声を上げた。
インドルの時と一緒だ。魔法がまるでマーリーに寄り添って出番を待っているかのようだ。マーリーを中心に風が集まり、ロングスカートがはためく。
「小さな風の魔法を発現させたまえ」
集まった風がマーリーの周囲に渦を作ると、螺旋状に規則正しく動く。
小さな竜巻が四方八方に移動し、満遍なく床を掃除していく。その手際の良さは、お掃除ロボットをはるかに凌いでいる。
「こりゃ、驚いた……」
トロも脱帽といったところだ。沢山の竜巻に目を白黒させる。
「どうやって、こんな沢山の竜巻をコントロール出来るんだ?」
「私は『人柱』ですから」
魔法をコントロールしながらも俺の問いにも答える。
「あのインドル親方と同じ……?」
「はい。風の魔法は召喚の魔法に近しいものがありますから」
へぇ……どおりでインドルと同じように、術前の不思議な雰囲気があるんだな。
「でも、タクト様には到底およびません。あんな巨大な風の魔法を超えた魔法は……」
「ち、ちょっと……!」
俺は慌ててマーリーの口をふさぐ。
トロとマロンには城でのことを伏せているので、近くで見ていたマーリーからイガンデを倒したことを喋ってもらっては困るのだ。
「ん? どうしたの?」
「い、いや……小さな風の魔法がまた暴発しちゃって、マーリーがそれをネタにしているんですよ」
「ハハハ! まあたしかにびっくりするよね、あれは」
俺は愛想笑いをするが、マーリーはなんのことか分からず口をふさがれたままキョトンとしていた。
昼になると食堂に移動して、マーリーは注文をとる。
まだ料理は覚えていないので、ホールを中心に働いてもらい、俺は厨房の方に入った。
カウンターにはマロンがいて、マーリーへ厳しい視線を送る。食堂はマロンの管轄なのだ。
「マーリーさん、表情が硬いわよ。もっとお客さんが温かい気持ちになるように笑顔にならないと!」
料理を受け取りにきたマーリーにマロンが注意する。
たしかに、マーリーはロボット並みに表情が変わらないので、不貞腐れているような印象を受けるかもしれない。
「はい。分かりました、こんな感じでしょうか」
口角を上げるマーリー。
「うーん。もう少し、口元は弱めにして、目を半月状に」
「は……い」
マーリーはマロンの注文に必死だ。
目元をピクピクさせながら、表情筋を酷使する。
「あー、そんな感じがいいわね。普段の私もそんな感じだから」
「は……い。頑張ります」
マーリーはマロンに言われた通りの表情でホールに戻る。
しばらくして、ホールがにわかに活気づく。
「可愛くないか? あの新しい店員……」
「笑顔に癒やされる……」
ちらちらとマーリーをみては、男の客たちが自然と笑顔になっていった。
男の常連客がマロンのもとに会計を済ませに来た。
「マロンちゃん、あの新しい子、名前なんて言うの? めちゃくちゃかわいいんだけど。新しい看板娘かな」
「……名前は直接聞いてください。会計は5割増で5ゴールドになりま〜す」
「ええっ! 5割増?」
「……冗談で〜す」
幸いマロンの目が据わっていることに気づいたのは俺だけだった。